なにかを展示をする行為は、制作者による展示物への意識が浸透する。企画展ではそれぞれの作家の意識が浸透する。作家と作家の異なる意識をほぐし、空間内に作品を落とし込もうとするのがギャラリー側の意図だとする。空間を統一させようとするハコとしてのギャラリーは、さまざまな媒体の作品を一斉に展示させる。その中では思いもしない偶然が起こるかもしれない。その思いもしなかった偶然に注目していきたい。
「サンドプレイセラピー」とは、心理学療法のひとつでもある「箱庭療法」のことを示す。しかし、この企画において療法的な意味合いはないと考えられる。ギャラリーと作家によってコントロールされた箱庭に、療法的な意味合い、癒しを求めようとするのは無茶である。箱庭療法では扱われる箱の大きさに決まりがある。国際的に決まっていて、規格をまもり施術が行われる。決まりのない箱庭はただの砂遊びか箱庭遊びだ。
では、なぜ「サンドプレイセラピー」という言葉を題するのか。理由はふたつほどある。ひとつは言葉がキャッチーなと思ったからである。本展示作家は平面から立体・立体から平面という作品制作がなされている。企画において療法的意味合いはなくとも、美術がもつ心身に働きかける力というのは必ずしもないとは断言しにくい。三者の作品はプレイヤーとしての表現の自由を往来しているかのように思う。このキャッチーさは無為にはできない。
そしてもうひとつの理由は、私たちが直感的に受け取ったハコニワを、信じてかたちにし、鑑賞者に観せることが重要だと考えられるからである。ギャラリーで店番をするたびにおもう。吹き抜けの空間を見下ろして作品をみるとき、なにも違和感なく作品をみている。俯瞰して作品をみることに疑問を抱かなかった。展示にむけて送られてきた作品を得手勝手に設営する。稚拙な自分自身の知識や知恵をどのように利用するのか、得体の知れない何かを求め続ける。作品として完成されたものが、また新しい作品として生まれるような。
つくられた作品空間は、なんだか施術を終えた箱庭と同じようにみえた。感覚的にしたがって、どのようにすれば場所を感じることができるのか、ハコの中の仕掛けを考え続ける。つくられる箱庭とギャラリーというハコは、関連させることができるのではないだろうか。
真っ白なハコのJITSUZAISEIを一種の庭とする。作品と鑑賞者の距離をより近くに感じ取らせ、それぞれの作家によるプライベートな芸術体験を心がける。砂という素材は無意識を耕すような働きがあり、サラサラとしていたり、ずっしりしているときもある。その中で存在する作品はどのようにみることが出来るのだろうか。
みることの実験場として楽しんでいただきたい。
※箱庭療法とは内法が570mm×720mm×70mmの内側が水色に塗装された箱に、砂やミニチュア玩具を設置し内的世界を作り出す心理療法で、自由に表現することを主体としている。日本では箱庭が療法的観点を持つより以前に、日本独自の箱庭あそびというものがあった。外国の「sand play」という心理療法と似ていることから、臨床心理学者の河合隼雄によって「箱庭療法」が導入された。
–
参加作家
玉住聖
1999年大阪生まれ 、2002年大阪芸術大学卒業。
私はその架空の彫刻作品をラウシェンバーグ《素描を消す》的絵画論を用いて描いている。
彫刻家Xの霊体は「絵画からノイズミュージックが鳴り響き、蛍光インコの群がダンスを踊り始めた場合、鑑賞者はその心象風景から戻れない」と私に言い、スターバックスを出た。須崎喜也
2013年京都精華大学大学院芸術研究科版画領域卒業。
木版画の立体化を通して、昔の日本文化をテーマに制作している。その中でも表立っていない裏の部分に焦点を当て、陰の中にあるモノの力強さを作品の軸としている。和田峻成
1999年宮城県生まれ。2022年 東北芸術工科大学卒業。
幼い頃の拙い記憶や、自分のバックボーンにあるストリートカルチャーをベースに、絵画、立体、タトゥー、ドローイングなど、様々なメディアを横断し表現活動を行なっている。(Webサイトより)
会期:2022年7月9日(土)〜25日(月)
会場:JITSUZAISEI
時間:14:00〜19:00(BAR 19:00〜)
休廊:火曜日
参加作家:玉住聖、須崎喜也、和田峻成
問合:06-6224-4475
大阪市東成区大今里4-14-18