大阪市が毎年、大阪の芸術文化の将来を担うであろう若い世代のアーティストを表彰している「咲くやこの花賞」。その2024年度の美術部門を受賞した画家・田中秀介の受賞記念展が、2025年2月に北加賀屋にあるクリエイティブセンター大阪(CCO)で開催された。
名村造船所跡地として知られる会場のCCOは、壮大な空間をもつ4階建ての「近代化産業遺産」で、田中はそこに、わずか5日間(2月7日[金]~11日[火])という短い会期でありながら、美術館規模の74点におよぶ絵画を持ち込み、見応えのある展覧会を構成した。建物の2~4階の各階をそれぞれ明確な意味をもつ3つの章に分け、その間を階段で移動する鑑賞者に、作品が内包する時間と共時する感覚を抱かせながら、極めて興味深い鑑賞体験をもたらした。そもそも会場が美術館ではないという自由度が、この特殊な展示を生み出したことは間違いない。その特性を生かした田中の手腕は見事というほかない。

展覧会の最初のパートとなる建物の2階では、2013年から2024年までの10年間に描かれた作品から31点を選んで配置し、田中の作品がたどってきた作風の変遷や、絵画的な特性などを通史的に見せる構成となっていた。
冒頭にある作品《頑然たる漠然》(2014年)は、自室で掃除機をかける自身を俯瞰的な視点で描いた作品である。不自然なほどに威圧的な存在感を示す前景のふとん。そして自分を見ている自分を客観化しきれない主観。そのねじれが、絵画の主題となり、重苦しさや、葛藤が伝わってくる。絵画に向かう衝動を、たとえばR.B.キタイやピーター・ドイグらが成した絵画の形に落とし込んでみたところで、いったい何が生まれるというのか。そうした画家の自問と不安が色濃く漂う。

作品が掛かる壁には大きな絵や小さな絵が混在し、対象を遠景でとらえたものもあれば、近寄って描いたものもある。2016年の《道作り》のように、ひとつの画面に、ところどころデフォルメした対象や、描き方の薄い箇所と濃い箇所が入り混じった作品もある。そうした田中の意識の濃淡の反映のようなリアリティの歪み、もしくは非日常的な佇まいが、それを操る画家の自在な意識のもとで制御され、観る者に絵画的な作用をおよぼす。それが喚起するのは、絵画を観ることのまぎれもない愉悦である。

田中の作品の魅力は、その重苦しさから、解放をひねり出したことそのものに、由来する。自問や葛藤が、彼が得た絵画の地平へと解き放たれていくような印象だ。そしてその振る舞いは、絵画的な意味を充たす美として立ち現れた。絵画をめぐる内部のたゆまぬ問答の成果が、独自のスタイルへと成就し、観る者を絵描きの手わざによって魅了する。苦しさ、重さは、人間が自身を支える重みでもあり、生命の明かりをともす苦渋となって、そこに留まる。田中は、それらが私たちへと届く回路として、愉悦に充ちた視覚を生み出した。
だからこそ、日常のなかで感じた一瞬の驚きが、田中においては絵画となる。たとえば、ひらがなの「こ」をタイトルとした作品《こ》(2017年)を見てみたい。そこに描かれた焼きサバの一皿が、その日の晩御飯であることを超え、芸術としての意味を帯び、それを私たちが受け入れる事実が、まさしくそれが絵画であることの意味を成す。視点や構図の逸脱、喚起する意味の広がり、画家の意識の濃淡、それらに刷り込まれた生に貼りつく暗い淀み。夕飯の皿にのったサバを箸でほぐしながら、それが「こ」の様態をメランコリックに呈しはじめる気づきを、絵画として描くことに意味を見出す、極めて厳(おごそ)かで密(ひめ)やかな動機。それらは日常の暮らしと絵画化される晴れやかさを接合し、そこに私たちは芸術としての気配を感じ取る。

作品の展開とともに、凡庸な日常が、表象の濃淡やデフォルメを通して絵画的な意味を深めていくことの手応えを、田中は手元の感覚において見出していったに違いない。それまで閉じられていたものが、開かれていく。2020年の《ここまでの先》や2021年の《突貫昼勤景》あるいは2023年の《先見売りの面子》などにおいて、田中の絵画は新たな高みを示す。テーマや構図の設定、筆の運びなどに無駄がなく、田中自身が「狙ったところに投げた球が、狙い通りの所へ行く」【1】と言うように、自在さが勢いを増し、魅力的な絵が次々と生まれていった。特に、色彩の豊かさが驚くほどの際立ちを見せ、凡庸があっけらかんとした明るい日常へと反転していく。色に向かう感性が、画家の資質としていかに重要であるか。そのことに、あらためて思い至らされる。



田中の絵画は、それに添えられる言葉とともにある。謙虚で、慎み深く、しかし世間と誠実に向き合う芯の強さを明らかにする言葉。《余りなじみ》《前向き迷子》《無縁はおあいこ》など題名として与えられた言葉は、咀嚼すればするほど味わいがにじみ出す。たとえば食べかけの絹さやの一皿を描いた《余りなじみ》について、田中は次のような言葉を寄せている。
「この余りものは、友の字に見える。幼なじみの彼を思いだし、じっと絹さやの味噌和えを見つめていた」【2】
自分が箸をつけた絹さやが、偶然にも「友」の字に見えたことで思いがけず去来する友人の面影。その驚くべき心象作用に、しばし箸を止め、心を奪われる田中の姿が目に浮かぶ。「余りなじみ」という言葉によって、予想外の豊かな意味が舞い降りてくる。その絵が、何ものにも代えがたい田中の実感覚に依拠するからこそ、軽やかな言葉もしっかりと地表につなぎとめられる。本展のタイトル「お前と過ぎ去らせた日の目の引き出し」も、言葉への咀嚼を誘(いざな)う。田中が「お前」と呼ぶ自身の作品は、苦楽をともにした仲間であり、同士であり、生み出された瞬間から時間をともに生きる存在だ。このタイトルを見つめていると、絵の内部で静かに進行する時間への気づきが生まれてくる。会場でわずかばかりの時間を過ごす鑑賞者にとって、そうした作品が内包する時間への示唆は、鑑賞体験を作品と共時させ、その感覚を永遠へと解き放つ。

2022年に田中は、大阪市立自然史博物館にある同館の目玉とも言うべき恐竜などの大きな骨格化石が並ぶ展示室空間に、まさしく“介入”するようなかたちで展覧会を行った【3】。3階では、博物館の展示室内で見せた大型の絵画9点を出品し、同展を再現するような趣向をとった。1枚が高さ2.6メートル、横1.9メートルもある200号のキャンバスに描かれたのは、ステゴサウルスやナウマンゾウの骨格など巨大な展示物を含むその部屋の風景であり、またそこに向けられた田中の視覚であった。キャンバスを3枚継いだ横5メートルを超える大作《これまでをこれからの果てへ》は、展示全体を俯瞰する一方、《一端の星》では、わずか数十センチの小さな石板を2メートルを超えるサイズに拡大して描くなど、ここでも伸縮自在な田中の視覚が自由な立ち振る舞いを見せる。博物館の展示では、作品は天井近くの、見上げるような高さにある部屋の“余白”に掛けられていたが、今回目線の高さに降ろされた作品には、興味深いことに、展示室内にくまなく視線を向ける田中の身体の気配があった。普段の田中の作品では、彼の存在は視覚のみとなってその身体は消失する。その一方でここに現れた身体は、彼自身が描く風景のなかに、まさにそこに囲われるべく自らを差し出した身体ではなかったか。



展覧会の最後のパートとなる4階に上がると、視界が一気に広がる。かつてこの施設が造船所であった時代、ここは船を構成する部材の図面を実寸大で製図していた空間だった。田中はそこに、自由な形に切り抜いた板に絵を描いたいわゆるシェイプド・キャンバスの作品34点を、空中に吊るして展示した。これらは元々、2021年に京都の八木町にある古い酒蔵で行われた展覧会【4】のために制作されたサイトスペシフィックな作品であった。だが今回の展示では、まったく趣が異なる。突如鼻先に、宙吊りとなったリンゴの芯や、しゃがんで写真を撮る人物、あるいはサンドイッチなどのイメージそのものが赤裸々に出現する。それらは、奇妙な形状の板として中空にぶらさがり、広大な空間を射抜く鑑賞者の長射程の視線にさらされたまま、物理的な物体と化した表象の存在を開示する。驚くべきことに、それらは、“何かから切り出されたもの”と感じる感覚を喚起し、それにより、絵画における背景の欠如とはまさに“文脈”の欠如を意味することを、この上ないほど直接的に示すこととなった。つまりこの展示は、そもそも絵画とは、何かしらの文脈においてイメージを支えるシステムにほかならないことを、その副産物のようなかたちで明らかにしていた。





田中は景色に反応する。日常のなかで、世界が時折気を許し、隙を見せる瞬間を見逃さず、そこに驚きや、感動をもって自らの意識を介入させる。しかし彼は決して横暴に振る舞うことはない。そうした介入が許されるために、あたかもそれが必須であるかのごとく、感謝の念を抱きながら制作と向き合い続ける。「絵を描かせていただいている」。人間としての田中から感じるのは、そうした謙虚さだ。その謙虚さにおいて、世界と渡り合う感覚をたゆまず研ぎすますからこそ、他人が見逃しがちな驚くべき一瞬と数々の幸運なめぐり逢いを果たし、絵画としての閃きを世界から授けられるのだ。
【1】 展覧会「咲くやこの花賞受賞記念展示 田中秀介 お前と過ぎ晒せた日の目の引き出し」に際して、2025年2月9日に筆者と行ったトークイベントでの発言より
【2】 同上展覧会の際に配布された鑑賞ガイド p2
【3】 「田中秀介展 絵をくぐる大阪市立自然史博物館」会場:大阪市立自然史博物館 会期:2022年10月25日~12月11日
【4】 「2021#01 馴れ初め丁場 Beginning of love: 田中秀介」会場:オーエヤマ・アートサイト(旧八木酒造) 会期:2021年10月9日~11日、16~18日
大島賛都 / Santo Oshima
1964年、栃木県生まれ。英国イーストアングリア大学卒業。東京オペラシティアートギャラリー、サントリーミュージアム[天保山]にて学芸員として現代美術の展覧会を多数企画。現在、サントリーホールディングス株式会社所属。(公財)関西・大阪21世紀協会に出向し「アーツサポート関西」の運営を行う。

咲くやこの花賞受賞記念展示「田中秀介 お前と過ぎ去らせた日の目の引き出し」
会期:2025年2月7日(金)〜11日(祝・火)