2024年6月から10月にかけて、国立国際美術館で開催した個展「クリスタルパレス」において、“美術館の規範”などものともせず、500点をはるかに超える膨大な量の作品をもって、自らの“生きざま”そのものを見せつけるかのような展示を行った美術家・梅津庸一。そこで彼が示した、“40歳そこそこの現役作家が国立美術館で個展を開催する”といった雑音を吹き飛ばすほどの爆発的な鮮烈さは、まだ私たちの記憶に新しい。
それからおよそ1年半がたった今年の3月から4月にかけて、同じ大阪にある4つのギャラリー——artgallery opaltimes、hitoto、GALLERY ZERO、BEAK 585 GALLERY——に、梅津自身が企画し持ち込んで実現させた4つの展覧会がほぼ同時期に開催された【1】。梅津はその動機について、自身が「大阪のゆかり作家」となるため、と語る【2】。大阪にゆかりのある作家になることで、大阪を足がかりに自らの作家活動をさらに進展させていきたい、というのだ。自身の“営業的”な希望として、そうした発想を抱く作家がいてもおかしくはない。だがそれを実行に移すとなると話は別だ。梅津は、そこに大きな意味を置く。そうした状況を実現できる存在となることが、アーティストとしての重要な存在理由とさえ考えているようでもある。果たして彼は、「大阪のゆかり作家」となれたのか。梅津が開催した4つの展覧会を振り返りながら、今回彼が大阪において創出した“状況”がもつ意味について考えたい。
まず全体を概括的に見てみる。artgallery opaltimesとhitotoの展覧会は、梅津と大阪ゆかりの作家の二人展という形式がとられ、GALLERY ZEROとBEAK 585 GALLERYは梅津の個展となった。さらに凡庸な均一化を回避するかのように、各展覧会には丁寧な差異化が施された。たとえば、opaltimesでの展示が夭折の画家・東義孝への敬意に満ちたオマージュ的な対話となったのに対し、hitotoでは、空間を共有した藤田道子の幾何学的な作品が、梅津の作品の幾何的な要件を前景化する補助線として機能するといった理知的な試みとなった。個展として開催されたGALLERY ZEROとBEAK 585においても、前者が“場”としてのギャラリーの存在を際立たせるのに対し、後者は、4つの展覧会のなかで最も正攻法的な手法で仕上げられた展示となるなど、企画した梅津が、4展すべてを通して観る鑑賞者の意識を先取りし、そこに変化と共鳴を巧妙に差配する、いわゆるキュレーターとしての卓越したセンスを示した。
artgallery opaltimesがある大阪市住吉区の粉浜は、戦時下の大阪大空襲を奇跡的に逃れ、今も狭い路地の両側に大正から昭和初期に建てられた古い長屋のまち並みが続く。その一角の家屋のなかにギャラリーがある。現代美術の文脈とかすりもしない、そのポツンとした個の突出が、東京方面から来た人の視界に“大阪的”と映ったとしても不思議ではない。ここで梅津は、自身と大阪とを結ぶ方法として、大阪と関係の深い作家との意識の交感を試みた。そして彼が選んだ作家が東義孝であった。東は梅津よりも6歳年上で、2005年頃からニューヨークの最先端をいっていたギャラリーDeitch Projectsで取り上げられるなど急速に頭角を現し、当時グラフィックな意匠をサイケデリックな感覚で援用する「ネオ・サイケデリア」の旗手として注目される存在だった。しかし、その絶頂にあった2010年に、突然病のため亡くなってしまう。東が眩い輝きを放っていたそのあまりも短い5年間が、大学を出て画家の道を歩みはじめたばかりの梅津に強烈な印象を残し、そのことが今回東を取り上げた理由であると彼は述べる【3】。
展示は、絵画を介した死者との応答となった。東の絵のなかに残された、画家の意識の痕跡を丁寧に読み取り、それを自らの絵画を通して、展覧会を観る者たちへと伝えようとする。壁面は、梅津が好んで用いる、群青、ピンク、緑、オレンジ、茶色などを使った四角や楕円の色面で大胆に塗られ、その上に起点となるようなかたちで東の作品を配置し、それらと呼応させるかのように梅津自身の作品が置かれた。2面ある一方の壁面に塗りたくられた塗料が幾筋にもわたって上から下へと滴り落ちていき、その滴る塗料の筋が、東が画面に残した表面を滴り落ちる絵具の筋と一致する。つまり、梅津は20年前の時間と現在の時間とを合わせているのだ。
東の作品に現れる顔のない少女、透過する身体、蝶、蜂、蛇といったイメージの断片が重なり、接合し、コラージュとなる。そのなかを東の不穏な精神が縦横無尽にくぐり抜けながら、分離したイメージを編み込んでいく。その至るところに、ゼブラ模様や花柄といったファッションの装いを帯びたパターンが無慈悲に覆いかぶさり、不穏な空気をより一層際立たせる。
分断されたイメージの合間を透過しながらイメージをつないでいく画家の意識の働き。それと同じようなことが、その傍らの梅津の作品にも見てとれる。そこでは、形が定まらない曖昧な線や滲んだ色に浸された色面、時には形象や色の重ね方をめぐる逡巡の痕跡が、画面の奥と手前を行きつ戻りつする梅津の思念を浮かび上がらせる。それは、造形的に固定された“結果”ではなく、画家の創造の痕跡が意味をもつ“プロセス的”な絵画ともいうべきものだ。梅津は、20年前に亡くなった東の意識と、画家であるからこそ理解し合えるそうした絵画のあり方を通して、心を通わせていたに違いない。
梅津と藤田道子との作品が展示されたhitotoでは、実験的な試みとしての印象が際立った。ゲストとして参加した藤田も大阪ゆかりの作家として声がかかったかたちだが、展覧会が目指したのは、2人の対話というより、展覧会表現として、“幾何学的にならずして、いかに幾何学的な様相を生み出しえるか”、といった矛盾めいた命題ではなかったか。
藤田は、さまざまな形の木のフレームになんらかのルールに従って無数に糸を張っていくという、まるで数学理論の3次元モデルのような作品を展示したのだが、その数は3点と限定的で、残りはすべて梅津の作品となった。藤田による明確な幾何学性を帯びた作品が含まれることで、それが観る者の意識の起点となり、そこから空間に置かれたすべての作品の“幾何学的”な度合いが測られていくことになる。梅津の作品は、幾何学的な要素が強く感じられる作品ばかりではなく、色の滲みが広がる心象風景のような作品も混ざっているのだが、観る者の意識は自然と、作品に描かれたぼんやりとした四角形や直線といった形象の“意味”へと導かれていく。
そうした作用を一層強めるかのように、ギャラリーの壁面には、壁を水平方向に横切る線が、手描きの痕跡をあえて残すような手法で施されていた。そこから想起されるのは、意外なことに、絵画的な行為に逃れようもなく埋め込まれた幾何学的な形象の絶対性であった。また、そうした摂理を自ずと意識させる抽象性と符合していく、どこか浮遊感を帯びた梅津の俯瞰的な視点であった。
梅津の絵のなかへと意識を潜り込ませていくと、このふわふわした浮遊感のような感覚に遭遇する。造形的なバランスや色調、コンポジションといった、普段から慣れ親しんだ絵の価値基準とは少し違う、別の価値の体系へと意識が滑らかにスライドしていき、そこから中空に浮いた状態で全体を俯瞰するような感覚だ。滲みが重なり合う時間、滲みの偶然なる拡散を受け入れながら、そこに筆を加えていく作為が有機的につながり、魅惑的な空間が生まれる。
近年、梅津は、陶芸や版画といった職人的な“技能”が大きな部分を占める創作に、自身を没入させるかのように意欲的に取り組んでいる。その没入は、自身の生活を窯元や版画制作の現場に移して行うほどの徹底ぶりだ。梅津は、そうした職人たちの技に、リスペクトに留まらない、現代美術を超克する可能性を見る。
今回のBEAK 585 GALLERYの展示に掲出されたテキストで、職人が依拠する制度的な枠組みと個人の創作の自由の関係について、梅津は次のように述べている。
「制度、歴史、そして工業製品や道具に触れるわたしたち(生体)の逡巡と決断の総和が作品をかたちづくる。[中略] たしかに規範や秩序は自由な創作活動の足かせになるだろう、それでも徹底した職人的追求こそが変数を後ろ盾とした個性を超えるのではないか。あからさまな刷新や逸脱などよりも今は執念や鍛錬が生むささやかな技とその一回性に惹かれる。」【4】
個の超克をもたらすものと梅津が述べる、職人技の追求による「ささやかな技やその一回性」とは何を意味するのか? 想起されるのは、たとえば陶芸家の濱田庄司が、一瞬の絵付けで生まれる卓越した造形性とその価値について「十五秒プラス六十年」と語ったという逸話が伝える【5】、熟練の身体に刷り込まれた表現性であり、またそのささやかな身振りによって“文化”が形となって姿を現す特異性だ。梅津はそうしたことが、たとえば時代の顔色を見ながら取り組む類の、今最も広く実践されている芸術との対比において、ほとんど顧みられていないことを問題視する。
芸術の実践において、“あざとさ”を帯びた理知に留まることなく、時間をかけて獲得した熟練から生まれる表現性は、身体という自己に帰着する。梅津が職人の優位性を語るのは、安易な反意的レトリックではなく、不可視の文化を宿す芸術化された身体、熟達した技量の下で文化をその身体に“降臨”させる個の力を超えた身体性への言及、およびそこへの憧憬なのではないか。職人技の追求のように厳しく磨かれた感覚の下で、偶然と作為のあわいを浮遊する“自己の意識”に、芸術創造の降臨を託すことが可能となる。無意識の内に芸術を獲得する身体への希求。そうして生まれた作品は、梅津の意識の変遷を映し出す鏡にも似た、自画像的な様相を帯びたものとなる。
GALLERY ZEROで行われた展示も、ある意味自己言及的なものとなった。とはいえ、それは梅津ではなく、会場のギャラリーそのものが自身を語るかたちだ。4人が中に入れば満杯となるようなサイズ感の空間が、古い雑居ビルの廊下の奥にある。昭和の趣を漂わせるビルの内部は、完璧な清掃と整頓が施され、その凛とした空気にむけてギャラリーの扉が開いている。日本中至るところにあるであろう、こうした小さなギャラリーは、現代美術の場として確立された存在だ。お客さんがふらっと立ち寄り、少し間をおいて奥からオーナーが出てきて、そこから会話がはじまる。
梅津は自分の個展であるにもかかわらず、自身をギャラリーの仕様に埋もれさせるような、奇妙な素振りを見せる。たとえばギャラリーのドアの色とその隣に掛けられた作品の色が合わされていたり、壁面の配電盤やコンセントの位置、形状が展示の配置に組み込まれて全体が構成されているといった具合に、至るところでギャラリーの仕様が前景に押し出されてくる。ほかの会場で掲出されている梅津のステイトメントはここにはなく、その代わりにオーナーが展示の趣旨を語るテキストが示されていた。そのなかでは、梅津が、あまり表に出さない自分のコアな内面を「地下茎」と呼び、それを本展のタイトルとしていることが述べられている。【6】
こうしたギャラリーのありように向けられた梅津の眼差しは、決して否定的なものではなく、むしろ現代美術という“ニッチな営みに真摯に取り組む者同士”といった、親しみが感じられるものだ。この展覧会において、彼は、作品が示す芸術的な境地のみならず、その周辺にあるギャラリーの技法についても、芸術行為としての意味が浮かび上がるような仕込みを行った。そうした彼のスタンスは、彼が職人技に対し積極的に芸術的な意味をもたせようとしていることからしても、十分理解できる。
ここで注目すべきは、梅津のそうした批評的な視座の位置どりだ。その視点は、対象全体を俯瞰できる距離をとりつつも対象から完全に離脱せず、いわば付かず離れずといった微妙な距離を保ちながら、ホバリングするような位置をとる。それは、価値のやりとりが可能となる距離でもある。必要なものをそこから取り込み、必要とあればこちらからも与える。しかしその対象のシステムとの同一化が防げる距離だ。
梅津の場合、ホバリングしながら浮遊する彼の批評的な視座の位置を、自身を含め、世間が明確に共有していることが、彼の芸術の振れ幅と自由度を生み出しているようでもある。そうした立ち位置にまつわるブランディングが、職人技やギャラリーの場といった、一般的に芸術の目的とは考えられにくい事項に、芸術の意味を“発見”することを可能とする。だがそれは芸術の名の下でのご都合主義ではない。芸術として価値をもつかどうか、社会の厳しい審判を受けてはじめて成立するものだ。自由から生まれる芸術は、同時に芸術の意味を充たすものでなければならない。自身を厳しく律しながら膨大な量と速度で制作に邁進し、批評活動を含め、“芸術”とさまざまなかたちで取り組む梅津は、間違いなくそのことを理解する。
BEAK 585 GALLERYでの個展は、ほかの3つの会場のように変化球的な仕様はあまり見られず、今回の会場のなかで最も広い空間を効果的に使い、自身の現在地を示すような展示となった。「オレンジや紫を基準に」と名づけられた展覧会は、横に長いギャラリーの壁面に、サイズや技法、色味、テクスチャーの異なる作品を、高さや間隔の調節によって軽やかなリズムを生み出しながら、まったくストレスの無い配置に収めていく。タイトルが言及する色彩は、梅津の作品仕様の特徴とも言えるマットの部分に、青、グレー、茶色、緑といった色のバリエーションをもたせ、肝心のオレンジと紫については、作品に混ざり込んだ色味から拾わせる。その空間には、画家が絵のなかで形や色を配置し、魅惑的な様相を生み出すのと同じ造形感覚が働いていた。見事な展示であった。私たちの内部において、梅津が仕掛けた視覚に反応する何かしらの価値のフレームが、心地よさで充たされていく。それは、私たちが展覧会に向けて一般的に抱いている価値観を、梅津が高い精度であらかじめ理解しているからに違いない。
梅津が試みた「大阪のゆかり作家」となるための4つの展覧会において、彼は展覧会というフォーマットを自在に操り、それぞれに意味を付与することで、卓越した批評性を示した。梅津が考える芸術は、作品だけでなく、その周辺の状況にも発露しうるものであるが、今回の取り組みは、茫漠とした“大阪の現代美術”を相手どり、彼を「大阪のゆかり作家」として認めさせることを目指した、壮大な社会実験のようなものとなった。そうした彼の突き出た批評性が、作家としての存在性と、公然と、また密接に結びついているがゆえに、その実現は——それがどれほど荒唐無稽に聞こえようとも——彼のなかでリアルに追及されるべき目的として設定されたことは間違いない。であるから、彼は4つの企画を立案し、ギャラリーに持ち込み、展覧会を実現させた。
では、果たして梅津は「大阪のゆかり作家」となれたのか。その答えは、YESだ。いや、YESでなければならない。その挑戦において、少なくとも彼のなかに、大阪の現代美術がそうした希望を叶える要件を備えたもの、というまぎれもない期待感がある。長く大阪の現代美術を見続けてきた立場からすれば、正直かなり心もとない想いが先走る。しかし私たちは、これまで本当に、梅津のような重い責任感と果敢な烈度をもって、この問題と真剣に取り組んできたと言えるだろうか。梅津が大阪のゆかり作家になれるか否かという問いは、まさしく、私たちが彼の期待に応える状況を生み出しえるか否かという、その意志と覚悟が厳しく問われていることにほかならない。
【1】今回梅津自身が企画し、大阪の4つのギャラリーに持ち込み開催した展覧会は下記の通り。
梅津庸一「人と、制作の現場から」(ゲスト作家|藤田道子)@hitoto 2026年3月7日(土)~30日(月)
東義孝+梅津庸一「不条理な寓話、再活性」@artgallery opaltimes 2026年3月14日(土)〜4月12日(日)
梅津 庸一「地下茎:rhizome」@GALLERY ZERO 2026年3月21日(土)~4月11日(土)
梅津庸一「オレンジや紫を基準に」@BEAK585 GALLERY 2026年3月23日(月)~5月9日(土)【2】梅津のこうした意向の表明は、彼が管理するXなどで2025年4月頃から度々発信されている。また今回のhitotoでの「梅津庸一 『人と、制作の現場から』」展で掲げられた梅津のテキスト「From Exhibitor」でもこれらの取り組みが自身が「大阪のゆかり作家」を目指すものあることが述べられている。
【3】artgallery opaltimesで開催された展覧会「東義孝+梅津庸一『不条理な寓話、再活性』」にて掲げられた梅津によるテキスト「本展について」より
【4】BEAK 585 GALLERYでの展覧会「梅津庸一個展|オレンジや紫を基準に」にて掲出された梅津のテキスト「本展について」より
【5】Webサイト「C CULTURE【本と名言365】濱田庄司|「十五秒プラス六十年」参照
【6】Gallery ZEROで開催された展覧会「地下茎:rhizome」で掲げられたテキストより
梅津庸一「人と、制作の現場から」(ゲスト作家|藤田道子)
会期:2026年3月7日(土)〜28日(土)
会場:hitoto
時間:13:00~19:00
定休:火・水曜東義孝+梅津庸一「不条理な寓話、再活性」
会期:2026年3月14日(土)〜4月12日(日)
会場:artgallery opaltimes
時間:月・木・金曜 13:00〜17:00 土・日・祝 13:00〜19:00
休廊:火・水曜梅津庸一「地下茎:rhizome」
会期:2026年3月21日(金)〜4月11日(土)
会場:GALLERY ZERO
時間:13:00〜18:00
休廊:日・月曜梅津庸一「オレンジや紫を基準に」
会期:2026年3月23日(月)〜5月9日(土)
会場:BEAK 585 GALLERY
時間:12:00〜19:00
休廊:水・木曜
































