京都を拠点に活動する映像作家・小林颯(こばやし・はやて)の個展「Appeartus #1」が、2026年2月14日(土)〜23(日)、北加賀屋の千鳥文化ホールにて開催された。「移動者の言語感覚」を主題とする本展を、映画作家・池添俊(いけぞえ・しゅん)がレビューする。
大阪・北加賀屋には、造船産業の衰退とともに空き家となった建物が点在している。それらは現在、飲食や展示、イベントなどが交差する場として使われ、人の流れをゆるやかに引き寄せている。千島文化も、そうした場所のひとつである。建物内のカフェの前を通り、黒い布をめくってなかに入ると、天井高のある蔵のようなギャラリー空間が現れる。入口には作家の小林颯さんが立っていて、少しぎこちなく会釈をしてくれた。正面の壁には、ひたすら筆記を繰り返す手元の映像が投影され、シャープペンシルの乾いた音が空間に反響していた。

わたしと小林さんは、TAAP(Tokyo Artist Accelerator Program)の採択アーティストとして、2025年11月にTODA HALLで行われた「TAAP Live 2025」に参加していた。TAAPは約8カ月にわたるメンタリングを経て、本イベントにて各自が進めているプロジェクトや作品についてプレゼンテーションとワーク・イン・プログレス展示を行うプログラムである。その際、小林さんの発表は「移動者の言語感覚」を軸に、コロナ禍のロックダウン下での経験や、ドイツから日本へ帰国できなかった自身の状況、さらにはアジア系移民との距離と近さを探る試みについて語られていた。展示ではFMラジオを用い、鑑賞者がチューニングを合わせることで声を受信する形式がとられていたが、本展でもその装置は引き続き重要な役割を担っている。

会場には2台の自転車が置かれ、ヘルメットや床に映像を投影するスコープが取り付けられている。前後の壁面には映像が流れ、柱の向こうには文字が書かれた模造紙が貼られている。鑑賞者は入口でFMラジオを手に取り、周波数を合わせながら声を探しにいく。自転車に近づくにつれてノイズのなかから徐々に言葉が立ち上がり、小林さんと大阪・大国町の自転車店のベトナム人店主グエンさん、そしてそのお兄さんとの会話が断片的に聞こえてくる。ただし、同時に聞けるのはひとりの声のみであり、もう一方の声は常に失われている。会話は成立しているはずなのに、鑑賞者にはその全体像が与えられない。

わたしは大阪出身だが、ここ数年大阪には帰っていなかった。この展示のために訪れた新大阪駅で、ウォークスルー型の顔認証改札に出会う。顔という個人情報が移動のパスとして管理される仕組みに、どこか別の国に足を踏み入れたかのような、現実がわずかに歪む違和感を覚えた。移動はよりスムーズになる一方で、その裏側で何かが均質化されていくような感覚。一方で、床に投影されていた映像に映る小林さんとグエンさんの顔ははっきりと見えない。夜の大和川の河川敷を走るふたりは、ヘルメットのようなものを被り、匿名性のなかにいる。外側からは、どちらが移民でどちらが日本人かも判然としない。ふたりだけの閉じた世界のようでもあり、同時に誰にでも開かれているようでもある。その光景はどことなく志賀理江子さんの写真作品シリーズ「ブラインドデート」を思い起こさせる。夜の河川敷をふたりで自転車を走らせるその姿は、国や国籍といった属性から一時的に解き放たれているようにも見える。どこへ向かうのか定かではないまま進んでいくその運動は、彼岸へと向かう旅路のようでもあり、静かな寂しさと、かすかな解放感とが同時に立ち上がっていた。

小林さんとグエンさんが自転車を走らせながら、あるいはグエンさんのお店で自転車の整備をしながら交わす会話は、仕事や家族といった個人的な領域へと移り、その言葉は「ポエトリー・ライディング」として模造紙に書き起こされていく。だが、映像として投影されているその筆記は小林さんの手によって部分的に隠され、文字が現れた瞬間にはすぐ次の行へと移ってしまう。読み取ろうとする視線は常に遅れ、言葉は取りこぼされていく。この「追いきれなさ」は、声が確かに存在しているにもかかわらず、それを完全に共有することができないという、コミュニケーションの根源的な不可能性を思わせる。聞こえているのに、理解しきれない。読めるはずなのに、読み終えることができない。

小林さんは「移動者の言語感覚」を掬い上げたいと語る一方で、会話そのものへの苦手意識についても話してくれた。グエンさんの語る日本語を、意味としてだけではなく音として受け取り、そのまま筆記する行為は、対話であると同時に独白にも近い。そこにはディスコミュニケーション、あるいはコミュニケーションのままならなさが静かに横たわっている。言葉は伝達のための道具であると同時に、常にズレを孕む媒体でもある。


床に投影された映像のなかで、小林さんとグエンさんは河川敷を走り続ける。自転車が進むリズムとともに、夜の風景がゆっくりと流れていく。その様子を見ながら、わたしは大学時代に大阪で映画を撮っていた頃のことを思い出していた。河川敷は撮影場所であると同時に、同じアパートに住んでいたブラジル出身の人たちとバーベキューをした場所でもあった。その住人たちはそれを「焼肉」と呼んでいた。川辺は、異なる背景をもつ人々の生活がゆるやかに交差する場であり、国籍や所属、制度から一時的に解放されるような、半ば即興的な公共空間でもあった。あのとき同じ時間を過ごしていた人たちは今どこにいるのだろうか。
この展示では、すべての声を同時に受信することはできない。装置の構造そのものが、それを不可能にしている。だが、その不可能性こそが、この作品の核なのではないかとも思う。人とわかり合いたいという欲望と、社会や言語の構造のなかで生じるズレ。そのあいだで揺れ動く感覚が、ここでは具体的な身体経験として立ち上がる。自転車で走るふたりがどこへ向かうのかは示されない。大阪から出ていくのか、戻るのか、それともそれぞれ別の場所へと離れていくのか。その宛先の不確かさ自体が、「移動すること」の現在を映しているようにも感じられる。
展示を見終えたあと、わたしは東京へ向かう電車に乗った。身体は確実に大阪から離れていく。だが、あの空間で受信した断片的な声は、いまだ完全には閉じることなく、どこかで鳴り続けているように感じられた。移動しながらも消えない、あるいは移動するからこそ残響のように残り続ける声。その感覚を抱えたまま、わたしは再び別の場所へと運ばれていく。

池添俊 / Shun Ikezoe
1988年香川県生まれ、大阪府育ち。東京都を拠点に活動。映画作家、アーティスト。普段社会や歴史の中で声が残されない者たちの映画を作るため、個人の話や記憶を収集し、普遍的な物語へと再構成する。フィルムとデジタルなど、様々なメディアを用いた映画やインスタレーション作品を発表し、映画と現代美術の領域を往還しながら、国内外で活動を展開している。令和6年度文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業に採択され、現在は精神疾患をテーマとした作品を制作中。精神疾患と社会の境界を探る『声を待つ』(2022)は、公募展「MIMOCA EYE」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2022)にて高橋瑞木賞を受賞。『あなたはそこでなんて言ったの?』(2021)は「第59回ニューヨーク映画祭」、『朝の夢』(2020)は「第31回マルセイユ国際映画祭」など国内外の映画祭で上映されている。

小林 颯 hayate kobayashi
Appeartus #1会期:2026年2月14日(土)〜23日(月・祝)
会場:千鳥文化ホール
時間:11:30〜18:00
料金:入場無料助成:一般財団法人おおさか創造千島財団、大阪市
協力:一般社団法人HAPS、XE ĐẠP TRỢ LỰC OSAKA GIÁ RẺ



