
2025年大阪・関西万博が事なきを得て終わった。どういった基準で「成功」と決まるのかは定かでないが、主催側としては、黒字になったことが「成功」の基準であるらしい。結局、万博は私たちにとって、どんな意味をもっていたのだろうか。
2025年の3月に、paperCで執筆した小松千倫展のレビュー記事のなかで、万博の批評性について触れた。その頃、万博に着目した表現は目立たなかったと思うが、後に「私たちの万博」という反万博をテーマにした展覧会(7月12日〜27日/尼崎市三和市場)が行われ、1990年代生まれの若い編者・執筆者による書籍『万博を解体する』(8月24日発売/HUMARIZINE)も刊行された。大阪の至るところで反万博のデモもあった。
そして、万博に対する疑問を抱いても、妙に「一回行ってみないと」という気持ちがあって、私自身も万博会場に行き、数時間を過ごした。一番印象に残っていたのは、藤本壮介が設計した大屋根リングに上がって見た光景。万博会場が、いかに建設場のなかに置かれているものなのかが感じられた。万博の建築をはるかに超えるクレーンが、目の前に散らばっている。まさに万博は、建設のためのてこであると思った。同時に、万博会場の仮設的な状況もはっきりと理解できた。パビリオンとパビリオンの間を人が行き来する様子は、なぜかハリウッド映画のスタジオを思い出させた。

さて、万博が終わってからまもなく、「博覧会の残影」という展覧会がはじまった。ある木曜日の午前、会場であるenoco(大阪府立江之子島文化芸術創造センター)に赴くと、もうすでに数百人の人が雨のなか列に並んでいた。何のために? それは、「博覧会の残像」と同時開催されていた「大阪・関西万博デザイン展」のため。後でこの展示も覗いたが、キャッチーなスローガンが目に飛び込み、ロゴやサインなどデザインの背景についての解説などが会場一面に張ってあった。目から鱗とまでは感じられなかったが、やはり万博は恐ろしいほど人を動かす力を持っている。

「博覧会の残像」の会場は、4階にある展示室だ。この展示はキュレーターの小原真史が自ら収集・所蔵する博覧会関係資料から成る。小原によると、個人収集活動は2011年以降からはじめたという。きっかけは、東日本大震災の復興への歩みのなかで、2013年に東京五輪の開催が決定したこと。小原はこうした状況を、1930〜1940年代の日本に重ねた。この頃もまた、関東大震災の復興を経て、経済振興と外客誘致が推し進められ、東京五輪・紀元2600年記念日本万国博覧会が目指されていた(いずれも開催決定後、日中戦争の激化により無期限の延期に)。 小原にとって博覧会の資料収集は、過去を繰り返そうとする現代の日本をより理解するための手立てとなった。また、そうした国家イベントの陰で生じる排外主義的なナショナリズム、レイシズムの流れを問うことも、展覧会のテーマのひとつとしてある【1】。
【1】小原は博覧会資料の個人収集活動のきっかけを、写真家の志賀理江子がひらいた「小原真史 オンラインレクチャーシリーズ :「問い」を立てるキュレーション」のvol.01「帝国の展示:『イッツ・ア・スモールワールド』展」にて詳述している。同レクチャーは2021年、KYOTO EXPERIMENTの一環で京都伝統産業ミュージアムにて開催された展覧会「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典――博覧会と人間の展示」の企画背景・内容をひもとくもの。小原はほかにも、自身が所蔵する資料を中心とした展覧会として「帝国の祭典――博覧会と〈人間の展示〉」(那覇文化芸術劇場なはーと/2022年)、「博覧会曼荼羅」(空蓮坊[東京]/2024年)などを開催している。

展示された資料(パンフレット、写真、ポスター、版画など)は、産業革命を背景にした世界初の1851年ロンドン万博をはじめ、資本主義や植民地支配、戦争と結びついた国内外の万博の軌跡——言い換えれば暴力を物語っていた。特に、1900年前後の万博は、「文明」にアクセスできる欧米の定まったヒエラルキーの概念が根底にあり、「Colonial Exposition」(植民地博覧会)と題するものまである。だが、そこではアフリカやラテン・アメリカ、アジア諸国から得られた資本や、その資本によって展開された技術を示したわけではない。もちろんその側面もあるが、問題は「Human Zoo」(人間動物園)と名づけて、植民地の住人をそのまま展示したことにある。つまり、人間を動物のように扱ったということだ。

1903年に大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会内にパビリオンとして設置された「学術人類館」でも、沖縄の女性やアイヌの人々、また台湾原住民などがスペクタクルとして見せられた。当時、沖縄や清国からは強い抗議があり(琉球新報主筆の太田朝敷は、アイヌや台湾原住民と同列に扱われることへ反発を示してもいたという)、「展示」が中止となる「人類館事件」も起こっている。本展会場の真ん中には、アイヌや台湾原住民が写っている写真が設置されていた。もしこのような写真が記録という機能を果たせば、ヴァルター・ベンヤミンの有名な言葉を思い出せなければならない。
文化の記録であることは、同時に野蛮の記録でもあることなしにはありえない。【2】
【2】『[新訳・評注]歴史の概念について』(ヴァルター・ベンヤミン著、鹿島徹 訳・評注、未來社、2015年)p.52より引用
「博覧会の残像」は、いかに博覧会が歴史的に植民地主義、帝国主義、そしてあらゆる戦争に関与したかという否定のできない証拠を提供している。さて、これらは、2025年の万博とどう結びつくのか。
これを考えるために、本展に関連して行われたシンポジウム「終わらない博覧会:人類館から大阪・関西万博まで」にも参加した。パネリストは小原と関西沖縄文庫主宰の金城カナグスク馨、大阪国際大学准教授の五月女賢司、そして一般社団法人メノコモシモシ代表の多原良子。4名は過去の万博と現在の万博との関係テーマについて、よりひらかれた、時に(いい意味で)不確かなかたちで語った。

シンポジウムは、各者の活動や研究領域をもとにした話題提供と事例報告、そしてディスカッションという2部構成で行われた。最初に小原が、展覧会にも出展している博覧会関連資料の概要を解説する。語られたのは、植民地住民や異なる民族をゆかりのない地でショー化した万博の側面などだ。「人類館事件」が起こった第五回内国勧業博覧会の様子も写真とともに示された。

そして、五月女は1958年のブリュッセル万博が、「近代の万博」から「現代の万博」への転換点だと示す。国威発揚、科学技術や産業の振興を図り、人権を軽視した万博が、社会の動向とともに人類や地球規模の課題へ「多様な知恵」で向き合うテーマ性をもつものへと変化したという概観だ。しかし興味深いのは、もう2名のパネリストである金城カナグスクと多原が、直接的には万博に触れず、それぞれに沖縄人とアイヌとしての経験を語ったことだ。
関西の沖縄人集落で育った金城カナグスクは、「日本社会から“沖縄人は未開である”というまなざしを感じる経験がよくあった」と話す。幼い頃から、周囲から「日本人ではない」と排除されたことで生まれた不安は、自身が沖縄人の文化や生き方を恥じるまでになった。そんななか、同じように孤立感を抱える仲間と「がじまるの会」を結成。伝統的な踊りであるエイサーを通し、自らの誇りを取り戻そうと演舞や祭りを継続してきた。しかし、この活動のなかでも、沖縄人に向けられる目を体感する。ここで話されたのは、同会もたびたび駆けつけた甲子園の応援についてだ。1994年にはエイサーを交えた応援が日本高野連に禁止され(その理由は「奇異」「華美」だったという。のちに「奇異」は撤回された)、2025年にはチョンダラー(白塗りの化粧や伝統衣装をまとった踊り手)が注意を受けたという報道にも触れられた。

また多原は、近年、日本会議が公共施設で行っているアイヌへの差別的イベント——なかでも、2025年9月に札幌市の地下歩行空間で開かれたパネル展示について話した。その内容は、アイヌ施策推進法に「先住民族」と記されているアイヌの存在自体を疑い、学術的な根拠もなく本土をルーツとするかのように歴史を歪曲したもので、札幌アイヌ協会は、「表現の自由」として施設利用を許可した市へ中止を要請したという。多原は「自由だったら何をしてもいいんですか?と、みなさんに問いたいです。こうした状況に黙っていたら、弱い者を見つけたり、異なった者を見つけて差別をしていく世の中になっていきます」と言葉をつむいだ。

金城カナグスクと多原の話は、一見、万博と関係のないものに映るかもしれない。しかし、このシンポジウムのよさはここに潜んでいた。実は、関係がある。金城カナグスクはまた、沖縄人へ向けられる目を「当時、人類館を見ていた人たちと同じようなまなざし方が、ずっと続いているような感覚がある」と語った。そして、「人類館は終わっていない」とも。
つまり、小原と五月女が万博に関する情報や歴史を提示したのに対して、金城カナグスクと多原は「万博」という概念を、別のベクトルからとらえた。2025年万博のような「現代の万博」はもうすでに良識であふれているため、明らかなレイシズムをそのまま展示することはない。ある人種が「半文明的」だとする主張を探してもどこにもないだろう。しかし、万博は巨大な歯車のように、依然として現世界の構造を支え、国家、工業、資本、外交などを円滑に流れるよう動かしている。
万博ではもう「人類館」を見ないが、「人類館」の背景を裏づける思想はまだ現世界の構造にしがみついている。イスラエルの元国防相であるヨアヴ・ガラントが「我々は人間の顔をした動物と戦っている」という主張を見てもわかる。そこで、金城カナグスクが発した言葉は印象に残る。彼によれば、人類館はまだ存在している。それは過去の「事件」としてではなく、現在の「問題」としてだ。真実味がある。
会期:2025年10月15日(水) ~ 19日(日)
会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] ルーム2
時間:11:00~20:00 ※最終日10月19日は11:00〜16:00
入場料:500円(高校生以下無料)シンポジウム「終わらない博覧会:人類館から大阪・関西万博まで」
日時:2025年10月18日(土)19:15~21:15(19:00開場)
会場:大阪大学中之島芸術センター 3Fスタジオ
登壇:
金城カナグスク馨(関西沖縄文庫)
小原真史(本展キュレーター、東京工芸大学准教授)
五月女賢司(大阪国際大学准教授)
多原良子(アイヌ女性会議 メノコモシモシ 代表)
入場料:1,000円
主催:関西沖縄文庫


