大阪中之島美術館のロビーは極めて冷たい空間であると私は感じる。無限に広がる灰色の金属、そして床から天井まで走る窓だけで構成されている。人間的なあたたかみがなく、いつも冷蔵庫にいるかのような、郊外にある大規模なIKEAの空間が、少し歪になったかのような感覚を生じさせる。実際に、HAYという流行のインテリアショップが1階にあるため、無意識的にそう感じてしまうのかもしれない。だが今、この空間の一角で私は靴を脱いだまま、全身をのびのびと伸ばし、身体を優しく支えているフォーム(吸音材)の上に寝かせている。目も瞑っている。頭の前方、窓に貼ってある白いシートには、「Soft Rave」という言葉が記載されている。側に置かれたカセットテープの「シュー」という音だけが耳に入ってくる。このフォームは肉厚で凸凹しているので、骨まで休ませている感じがある。ほとんど誰もいない。気持ちいい。

ここは美術家の小松千倫による展覧会の一部だ。同館が若手作家を中心に行っている個展シリーズ「Osaka Directory Supported by RICHARD MILLE」は、いつもこのスペースを使っている。今回、小松は分厚いフォームを引いて、フォームに向けて12個の90年代らしいCDラジカセを設置した。この機械は同時に同じ音を発して、時に音楽や声を響かせる。そして、そのまわりには、キャスターの付いた大きな段ボール板がいくつか配されている。何らかの絵が刷られており、小さな点も光っている。私の寝ている位置から、これらすべてが見える。五感というほどではないが、身体性に呼びかける展示なのだ。

友人がやってきた。1歳ぐらいの赤ちゃんを連れている知り合いと一緒。フォームの上で自由に動けるので、ここは子ども連れの親にとっては珍しい理想の展覧会場と言えるかもしれない。ようこそ、と迎え入れてくれるような。「今まで、万博に触れる展示は見たことがないので興味深い」とみんなに伝えると、その知り合いは言う。「これは万博に関する展示なの?」。私は会場を手で示す仕草をしながら、「まあ、少し見ると、そんな感じもすると思うけど」と答える。知り合いはまた言う。「万博やめよう、イスラエルの参加を撤回しようって訴えかけても、維新がいるから大阪の政治家は誰も聞かないね。で、この展示は万博批判をしているのかな?」
どうだろう。勝手に自分の解釈を押し付けたくはないし、そもそもこの展覧会はどこまで「批判的」なのか? 本展の「テーマ」は1970年の大阪万博と今年開催される2025年大阪・関西万博だ*。ほかに、2025年万博に言及する展覧会は存在しているだろうか。あれば知りたいのだが、とりあえず小松の展示における万博と政治性について考えたい。
しかし、「政治性」と言っても、おそらくこの展示には、その知り合いが想定していた「批判」はない。つまり、paperCで鯉沼晴悠がすでに鋭く論じている1960年後半の反万博芸術のようなものではない。むしろ、小松の展示は、鯉沼が促した「せっかく大阪で万博が開催されるのだから私たち自身の文化や生活を再考し、未来を考える」ために、「1970年の日本万国博覧会にその可能性を見出すことを目指す」に近いように感じる。単純に「万博やろう」みたいな要素もない。だが、私にとって興味深かったのは、小松の展示が「文字通りの意味」としての抵抗ではなく、「身体に潜んでいる反応」と名づけたいような抵抗に呼びかけていると映ったことだ。そして、この点においては、観客の身体自体が横になっているということが大事なのだという気もする。
実はこの展覧会はいろんな形を取った。展示だけではなく、パフォーマンスも、音楽イベントも行われた。私が最初に観に行ったときは、「Faded Yah Man 5」というライブの日だった。キャスターのついている段ボールパネルを移動させると、フォームのスペースが客席になる。そこで、音楽家としての顔ももつ小松や、何人かのミュージシャンのライブ、あるいはDJのセットがあった。


フォームの反対側には、古着商のポップアップストアも設置して、「美術館の展覧会」という印象がかなり薄い。一日中ライブが行われると、時には激しいノイズの音、あるいは衝突的な歌声も響いた。スペースの向こう側で、同時期に開催されていた「塩田千春 つながる私(アイ)」のために並んでいる洒落た人々はどう思っていたのだろう。邪魔なのか。ある美術館スタッフの方は、やや困っているような顔をしていた。フォームの上に横になって、たとえば東京拠点のアーティスト・Rench Keeさんのレイヤーされたノイズを波のように「聴く」というより「受ける」。すると、美術館の冷たいロビーが異常な次元に感じられる。
さて、これは結局「万博」とどう関係している? どうして小松はフォームの手前(ここで靴を脱ぐので「玄関」と呼ぶべきところ)に、1970年万博に関するいくつかの本を置いていた? そして、今年なぜか行われる2025年万博とどう呼応し得るのだろう? このような問いについて考えるために、展示の詳細へあたってみたい。


まずは合計で6個ある段ボールのパネルを見よう。すでに書いたように、すべてキャスターが付いているので移動させることができる。段ボールという素材を覆う要素はあまりなく、その凸凹の表面には、何らかの文字や絵が表れる。一番シンプルなものだと「OSAKA 1970 2025」という大きな文字しかないが、もっと複雑なものもある。たとえば、真ん中に都会の夜景を刷ったパネル。画面は四角く切り取られるのではなく、北脇昇の絵を思わせるような、輪郭のふわっとしたイメージだ。パネルの一部のみに刷られ、多くの余白を残し雲のように浮いている。左下に書いてあるのは、「LOST IN OSAKA」という英字。画面の上にも、文字の上にも、薄く光の点が見える。この光は裏に貼り付けられた白いクリスマスライトによるもので、パネルに描かれた夜景が微妙な光を発すると、ややノスタルジックな雰囲気を生み出す。

また、三菱重工のビルが向こうに見える窓に、3Dプリンタで出力されたボードが貼ってあった。合成のイメージだ。「Beyond 2025」「Patience…」そして「Soft Rave」という文字とともに、架空の大阪像が描かれている。「Soft Rave」のところには、芝生へ横になっている人々の姿が現れる。この展覧会は観客を、まさに“soft rave”という現象へ導くのだ。つまり、万博の進歩や経済発展に対して、横になったり、寝たり、遊んだりする、非生産的な態度を促す。段ボールという素材が強調する仮設性に溢れても、この一時的な場所がHAYの上にあるこのスペースで実現されたことは、万博への別の視線を示している。床からの視線でも。
結局、小松の展示には2025年万博への明らかな批判はない。その点に関しては、またある種の批判を招くだろうが、この展覧会は「横から」の批評性をもっていると思う。そもそも反万博の作品はどんな形を取るべきなのか? 「万博やめよう」と文字通りに訴えかけるコンテンツがあるかないかより、この展覧会が観客にもたらす体勢に着目したい。つまり、これは美術展覧会の依然とした「立って見る」という体勢ではなく、「寝て受ける」体勢なのだ。美術館という(少なくとも)半公共な場所で、自分の身体を休ませ、無防備になって、そして感覚(音、光、フォームの触感)を受ける。万博が単なるスペクタクルだとすれば、小松の展示はそれを横切って、soft raveを提供するのだ。
このような試みを「反万博芸術」としてカテゴライズするのは難しいかもしれない。ただ、1960年代に戻れば、「Turn on, tune in, drop out」(「スイッチをつけ、チューニングし、脱落しろ」と意訳しておく)というカウンターカルチャーやヒッピーのスローガンもある。ここでの「drop out」はただ「脱落」という意味ではなく、感覚までを支配しているメジャーな文化に対する抵抗として隔離を取ることを示す。小松の作品のなかに横になると、もしかするとあり得た、架空の万博によってdrop outができるのだ。中国で「寝そべり族」と呼ばれる社会への拒否がある時代において、この態度はまだ有効に思う。

*この展覧会は、特に1970年大阪万博のパビリオン「せんい館」に着想を得て構成された。当時の万博は音響システムや野外ライブが普及するきっかけのひとつと言われ、せんい館は音と映像を用いた前衛的な展示を実施した。
しかし、当時の万博会場に休憩所がなかったことが起因し、来場者は展示の意図にかかわらず、絨毯の敷かれたパビリオン内へ流れ、休息をとったという。小松が参照した畑中章宏著『五輪と万博』(春秋社、2020年)に引用されている、雑誌『建築』1970年9月号(120号)掲載の、宮本常一と川合健二の対談「自然を語る」における以下の発言に、そのときの様子、また小松が今回同パビリオンをテーマに据えた背景をうかがうことができる。
宮本:(前略)薄暗いもんだからみんなそこでぐうぐう寝ているっていうんですわ。(笑)これはデザインとしては失敗ですね。ところがはからずも大成功だというんですね(中略)だから意図していたものと、利用したものとがたいへんな食い違いがあるんだが、その食い違いが逆の成功を呼んでおるという話です。
川合:皮肉ですね。
宮本:実に皮肉で、実におもしろいと思ったんです。そういうもの、つまりすべてこれでもかこれでもかと強いられたものが多過ぎて、そして強いられてこちらが受け身になって受けていると、それが成功だとみんなが思い込んでいるのじゃなかろうか。そういう時代がきてしまったんじゃないだろうか。
引用:『建築』1970年9月号[120号]p.60
※以上、編集部脚注
小松千倫 / Kazumichi Komatsu
1992年、高知県生まれ、京都府在住。音楽家、美術家、DJ。2022年、京都市立芸術大学大学院美術研究科メディア・アート専攻博士後期課程修了。これまでに国内外の様々なレーベルより複数の名義で膨大な数の音源をリリースしている。また、インターネット上の様々な情報とそれに隣する身体の関係、その記憶や伝達の速度にまつわる諸技術について光や声を用いて作品制作・研究を行なっている。主な個展に「FAKEBOOK」(Workstation.、東京、2016年)、「Sucker」(The 5th Floor、東京、2023年)、主なグループ展に「惑星ザムザ」(牛込神楽坂、東京、2022年)、「Study:大阪関西国際芸術祭2023」(船場エクセルビル、大阪、2023年)、「コレクション展2:電気-音」(金沢21世紀美術館、石川、2023年) など。
ダニエル・アビー / Daniel Abbe
サンフランシスコ生まれ。大阪芸術大学文芸学科非常勤講師。1970年代の日本における写真と現代美術について研究する。
Osaka Directory 7 Supported by RICHARD MILLE 小松千倫
会期:2024年11月16日(土)~12月15日(日)
時間:10:00~17:00
休館:月曜(開館日は開場)
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
料金:無料
関連イベント 【終了】
小松千倫 船川翔司「光年/Weathering」
日時:2024年11月16日(土)17:30~20:30
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
※会場でのライブビューイング
上演:小松千倫(本展出展作家)、船川翔司(美術家)OASIS 2 pop up
期間:2024年11月23日(土)~12月1日(日)
※11月25日(月)は除く
時間:10:00~17:00
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース小松千倫 前田耕平「北星寮 ↔ 北加賀屋」
日時:11月23日(土・祝)15:00~17:00
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
出演:小松千倫(本展出展作家)、前田耕平(アーティスト)Faded Yah Man 5
日時:11月24日(日)13:00~18:00
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
出演:Aspara、裏町子、109taksea、小松千倫(本展出展作家)、Dove、堀池ゆめぁ、Le Makeup、XDAYなど
バザー:裏町子&109taksea、PURA VOYAGE、ミシオなどLe Makeupソロ公演 「The Crying Xpress」
日時:12月1日(日)16:00~18:00
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
出演:Le Makeup、小松千倫(本展出展作家)小松千倫ソロライブ/クロージングトーク/上映
日時:12月15日(日)15:00〜18:00(15:00〜15:30 ライブ、15:30〜18:00 座談会、16:20〜18:00 記録映像上映)
会場:大阪中之島美術館 2階多目的スペース
出演:小松千倫(本展出展作家)、河崎伊吹(大阪大学大学院人文学研究科/本展コーディネーター)、中村史子(大阪中之島美術館主任学芸員)、檜山真有(リクルートアートセンターキュレーター)、船川翔司(美術家)ほか
【展覧会情報】
slopes(井部潤一郎+小松千倫)
「簡易××式骨声霊承のRVCモデル学習」
会場:TALION GALLERY
入場口:Google Mapsの最新情報欄よりお進みください:https://x.gd/YxVdd
会期:2025年2月1日(土) ~4月27日(日)
料金:無料