
シンガーソングライターの豊田道倫が、CDデビュー30周年となる2025年12月に新作アルバム『sexy』を発売。大阪・関西万博の開幕1週間前の深夜に歌をつくり、開幕日にシングル配信された「万博へ行こうかな」を含む、全12曲。2020年に地元の大阪へと戻ってきた豊田道倫に、アルバム『sexy』のことをきっかけとして、大阪のことや万博のことまでを伺った。
収録:2025年12月3日(水)
場所:大阪・新今宮
大阪・関西万博と歌
——「ゆめしま行き」から始まる今回のアルバム、大阪・関西万博の会場でEXPO’70を思うような曲(「1970年、わたしは5歳だった」)も入っていて、まずは豊田さんにとっての大阪・関西万博のことから聞かずにはいられません。
豊田:前に万博があった年、1970年に生まれたからちょっとなにか思うところがあったんかな、つい行っちゃったね。あれから55年経って、ひとつの節目なのかなとも思って。しかも、あまりにも事前のバッシングがすごかったから。で、行かない理由を聞いたら、結構しょぼい理由だったりして子どもじみた人が多いなと思ってました。
——結局、開幕日と閉幕日を含む計7回、足を運ばれたそうですね。
豊田:やっぱり自分で足を運んで、自分で感じることからしか発言したくなかったので。「万博へ行こうかな」は開幕前にできちゃった曲なんだけど、“ちょっと行こうかな”と歌っていて、それくらいの気分。はじめはがっつり行きたいという気持ちでもなかったですね。
——「万博へ行こうかな」は開幕日の4月13日にリリースされました。
豊田:こんな歌をつくるやつは誰もいないだろうと思って。けど、何も反響がなかったな(笑)。でも、その後もライブで歌ったりしていると、静かな議論が生まれてるような感じはありました。はっきりとは掴めてないけど、感じる部分はあった。50代、60代になってくると、ほんと、みんな足が動かないから。思考停止になって、自分の頭だけになってしまう。楽で慣れた情報ばっかり選んでしまう。それは僕もそうで。だから、頭の中をシャッフルするには万博はいいチャンスでしたね。
——万博に対するいろんな想いや思惑が渦巻いたこの1年のことも、近い将来には忘れてしまうんだろうなとアルバムを聴きながら感じました。万博が終わったいま、どうとらえていますか。
豊田:大屋根リングや落合陽一さんの「null²」なんかは特に、欲望が強い人だからつくれたものという感じがしました。公金を使うことの覚悟というかな。やっぱり作家やアーティストって馬鹿にできないなと思った。もちろん、パピリオンなんかはピンキリだからいろいろだったけど、全体的には想像以上のものがありました。そもそも僕は大人になってからは外国に行ったことがほとんどなくて、その後悔とかもありながら。
——「1970年、わたしは5歳だった」では“大屋根リングに登って 芝生に寝っ転がってみた”という歌詞とともに、EXPO’70を回想するような立ち位置の歌詞でした。今回の万博はこの間の年月を思うようなタイミングでもありましたね。
豊田:万博に行くと想像以上に年配の人が多くてね、若い人は少なめだったかな。前の万博のこととか、いろんな想いを抱えながら来てる感じがした。自分の人生とかを振り返るタイミングでした。実際、万博の曲を発表するのってちょっと怖かったけど、どうせ誰も聞かないし、もうええわと思って、あいつはアホだって馬鹿にされるんだろうけど(笑)。
でも、夕方に大屋根リングに登った時、夕焼けをバックに人々がただリングの上を歩いていく光景は忘れられません。なんだろう、夢の中のような光景で、黄泉の国へ続いていくみたいな底知れないものを感じてました。これは何なんだ、ただの万国博覧会じゃないかも?!とちょっと混乱しました。
——坂口恭平さんと万博を訪れて、落合陽一さんにnull²を案内してもらったというのもSNSで報告されてました。坂口さんとは一緒にライブもされてますけど、なんともすごい顔合わせだなという印象でした。
豊田:2人ともすごいスーパースターで天才だと思うけど、職人というのかな、自分のできること、自分の仕事のために朝起きてからずっと手を動かしている人という感じ。できることを失敗も含めてひたすらやってるだけって。普通って言葉もおかしいけど、自分の手だけがすべて。シンパシーを感じつつも、僕もまだまだ甘えてたなって気付かされました。
けどまあ、万博は基本ひとりで行った。初日なんか雨に振られて、傘も持ってないから、入場ゲートの前で1時間ほど泣きながら待ってましたね。
——アルバムに時代を封じ込めるという意識もありますか。
豊田:情景はどんどん変わっていくからね。何年か後に聴いたときに昔のことだなと思われるとしても、それはしょうがないと思っていて。自分としては気持ちというよりも街をスケッチしてる意識なんです。そのスケッチを正直に歌にしてみたら、今年はこうなったという感じ。
けど、あれだね、在阪メディアでも、僕の周りでも万博について突っ込んだことを言ってくる感じはあんまりなかったな。議論や総括の場にしても東京の「ゲンロン」がやってたぐらいかな。大阪の人ってツンデレっていうのか、こういうときにあんまり集まらないイメージがありますね。

豊田道倫と大阪の距離
——豊田さんの大阪の話、もう少し聞いてみたいです。
豊田:僕はそもそも1995年に大阪から東京に引っ越して、その頃くらいから大阪ってずっと街の雰囲気が止まってるなと感じてました。ときどき大阪に帰ってくると、地下のコーヒー屋のカウンターでタバコ吸ってるイイ女がいたりして、それはグッとくるんだけども。そういうのって東京で全然見なくなったからいいんだけど、街としては沈下してる感じがあって。東京とのコントラストは激しくなって、それは味のある面白さではあったんだけど、新世界のフェスティバルゲートとかライブで行くとビル自体が閑散としてて、なにかもどかしさは感じてました。同世代の橋下(徹)さんが知事になって、なんであいつがと思いながら、賛否両論はあったけど、大阪が変わっていくような雰囲気を感じて興味をもったんですよ。東京には行政改革なんて発想はなかったし、そもそも何かを変える必要もなく、ずっと思考停止してるなと感じていたので。
——大阪の内側にいるとずっと地続きなので忘れてましたが、橋下知事の就任は2008年、維新の会立ち上げは2010年でしたね。ただ、変わっていくといってもいいことも悪いこともあります。
豊田:梅田の地下街に昔は串カツ屋とか古本屋があったなとか、急激な勢いで個人店がなくなっていってることへの寂しさはあります。でも、どんどん記憶が更新されて、この場所ってもともと何があったかなんて覚えてない。難波の駅前も突然変わってしまって、前に車が通っていた頃の映像がもう思い出せなくて。ここでタクシー拾ったな、くらいしか。
けど、東京の人がいまの大阪に来たらスキがあって面白いって言いますね。難波の駅前もそうだけど、この変な余分な空間は何!? って。スキがあるって実はちょっとした余裕でもあるから、そこはいいんじゃない。
——2020年に大阪へ戻ってこられましたが、何かきっかけがありましたか。
豊田:東京で息子とふたり、ひとり親で暮らしていて、当時住んでた場所が目黒区。周りで暮らしている家族との違いも大きかったし、息子がちょうど中学校へ上がるタイミングだったので、ここしかないって、たまたま見つけた市内の小さな一戸建て賃貸に申し込んだら通ってしまって。それが2020年の3月。コロナで東京では知事がロックダウンするって宣言した頃でした。実家は北摂にありますが、両親とも高齢者なのでなかなか帰れなかったです。
——引っ越しはためらいなく?
豊田:いや、東京にいた頃から大阪で何か表現をやるのは相当、大変だろうなと想像してました。そのことをあんまり街が認めてないというのかな。文化、芸術をやるにはとても大変な場所、なんだけど、だから一度実験してみたくて。東京だと、こういう崩れミュージシャンはいっぱいいるからね。
まあ、もっといえば耳の欲望もあったな。東京では人間の声がつまんなくなってきて。大阪はイントネーションが音楽的だし、声のトーンもいいよね。東京も好きだけど、生活するならこっちの声かなって。いまさっきもね、ファミマの前で「わー男前やんか」ってあやしいおばちゃんに声かけられて。たぶん、立ちんぼだけどね、その声の感じがなんかうれしい。
——豊田さんと大阪といえば、雑誌『あまから手帖』での連載も続いています。
豊田:あまり外で食べないから大変なんですよ。次の回(12月23日発売号)なんてベアーズのことを書いてるから。あまからの編集長(江部拓弥さん、元『dancyu』編集長)は東京の人でもともと友だちなんだけど、彼が言うには、こっちには暮らしがある、暮らしのなかに仕事があるって。確かに東京にいた頃は「暮らす」という言葉は遠かったなって。「暮らす」って大阪にぴったりな言葉なんですよ。ちゃんと働くし、遊ぶし、暮らすことの豊穣さがあって。英語にも変換しづらくて、めちゃくちゃいい言葉だと思うんだけどね、それが大阪にはまだある気がします。

いくつかの曲の歌詞のこと
——アルバムの話に戻りますが、「分断バー」も2025年の時代感を感じる言葉で書かれた歌ですが、これが愛することの話へとつながっていくのが豊田さんらしいと感じました。しかも、最後は、“怒って言おうとしたけど 面倒くさいからやめた”って。
豊田:50代の後半になってくるとあきらめモードになってるのか、やけっぱちになってる感じがする。だから、その世代の言論者たちは言葉が悪い意味で余計に強くなってしまって、社会の手触りから遠くなってしまってるんじゃないかな。自分も気をつけねばと思って、あきらめるくらいのほうがいまは賢いのかもしれない。
「分断バー」は曲も歌詞もちょっと無骨すぎるかなと思ったけど、京大吉田寮のイベントに呼ばれたときに歌ってみたら、反応がすごくよくて。人前にその曲を一度放ってみて、その空気を見てね、この曲はオーケーにしようと思いました。直球すぎるかなと思ったんだけど。
——曲のタイトルから想像されるような、声高に何かを主張する曲ではないですもんね。
豊田:そう、歌で自分の何かを強く言うことは、意外にあるようでないですね。
——「墓」は、歌い出しの言葉が“参政党を支持してる友達は”で、8月にシングルリリースされた時点でもすこし話題になりました。
豊田:半分ギャグだけどね。それ、歌うんだってショックを受けた人もいるかもしれないけど、そういう勘違いをされるのはしょうがないね。僕はどこの政党も嫌いだし、選挙なんか関係ないからさ、単なるロックンローラーだから(笑)。ただ、好き勝手に生きてる人間が何か世間に物申すというのも嫌やし、選挙権なんかなくていいのにと思うけど……いやいや、選挙権はあったほうがいいか。
——8月のライブ(@ベアーズ)では、その「墓」の感想を手書きで書いてもってきたら、最新作を入れたカセットテープと交換するという試みもありましたね。
豊田:自分のバックボーンから語りはじめたりとか、結構、みんな長文で書いてきてくれて。人に肉筆で何かを伝える機会ってもうほとんどないからか、想像以上のものがあったね。ただ、曲の感想もわりと言いたい放題で、びっくりした。あの音は余計だ、とか。でも、手書きだとそんなに嫌な気もしなくてね。ときどき、こっちが一方的にやってるだけだと感じてしまうから、自分の頭を冷やす意味でもよかったですね。また、やろうかな。
——ZINEをつくったり、今年からYouTubeチャンネルも始められました。いろんなかたちでの発信が続いてますね。
豊田:いまはとても難しい時代だから、表現の発表方法に関してはまだ試行錯誤してます。ほんとはサブスクに曲をぽんと上げるだけでもできるし、CDというフォーマットにしても、もう誰もCDプレイヤーを持ってないんだから。どん詰まりですよ(笑)。

大阪の現場
——つい歌詞のことを中心に聞いてしまいましたが、音の面でも1曲ごとにいろんなレコーディングだったり、参加ミュージシャンも違ったりしていて、同じ曲のなかでも演奏やミックスが変化していく、聴いていて楽しいアルバムです。
豊田:久しぶりにちゃんとレコーディングしたんだけど、こんなに時間かかるとは思わなかった。曲もたくさんあって2枚分くらいは録ったんだけど、それを1枚にどう落とし込むか。最後の1、2週間で決めました。あの曲順はやっぱり…っていまだに思うこともあるけど。
——アルバムに入れる曲、入れなかった曲、そこはどう判断されましたか。
豊田:サウンド的なことよりも、最後は自分の声。この声、この歌い方は残しておこうとか、そこが基準でした。うまく歌えていてもダメで、うまく歌えてないけどこれは残そうとか。修正するのも簡単なんですよ、でもそれもやめとこうって。
——ライブっぽさを残した曲も結構ありますね。レコ発のライブも東京と大阪でバンドメンバーが違っていて、ドラムに元andymoriの岡山健二さん、bassは自身でも歌っているみのようへいさんや中川昌利さん、ギターにodd eyesの岡村基紀さんや、冷牟田敬さん、そしてトランペットの江崎將史さんなど、多士済々で。
豊田:よく考えたらバンドのメンバーはそれぞれバックボーン、フィールドが違って、よく一緒にやってるなとふと思うこともあります。まあ、でもレコードが好きだから。自分が聴きたいレコード、聴きたい音ってなると人間関係は関係なく、そこはドライに。
——「相合橋」の後半にコーラスでだけ参加するyagihiromiさんは、初のソロアルバムを出したばかりでまだ若いミュージシャンです。
豊田:彼女もメインはギターなんだけど、声が好きでね。どうかなと思ったけど、ばっちりでしたね。ミュージシャンの采配だけは我ながら的確でした(笑)。でも、自分を盛り上げてほしいとかじゃなくて、すべてはフェアなかたちで作品をつくりたいだけ。だから、自分の間口もずっと開いてるつもりで。
僕にとっては先輩後輩、有名無名とか関係なくて、声をかけたほうがその関係性において先輩というつもりで、だから、もし自分が声をかけられたら相手がめっちゃ歳下でも先輩だと思って接してます。やっぱり声をかけるって大変なことだから。音楽の現場で、なんの利害関係もなく一緒にやろうよってね。やってみたら意外にそこから世界が広がるのに、わりとみんな慎重になるから。大阪にももっといろんな人がいるはずなのに、なかなか交われないね。
——大阪の現場、意外とそうですか。
豊田:奇才というような人が多いけど、みんな、なかなか頑固だから交わりにくい。シャイなだけかもしれないけど(笑)。あと、イベンターがいない。ミュージシャンが自分で企画もやって、自分たちのグループのなかで声をかけあってるから、びっくりすることがあまりなくて。
後ろ盾なくやってる人が意外にいないのかな、みんな自分のゾーンがあって、その中でやろうとするから発想と行動力が遅い感じがする。僕はあんまり関係ないから、今日つくって明日出す、とか。でも、個人でやるというのはいい面だけじゃなくて限界もあるし、基本、危なっかしいけど。時代はどんどん変わってるから、なるべく自分はスピード感は上げていきたいね。
——最後に、ミュージシャンとしての年のとり方について何か思うところはありますか。
豊田:別にない。ただ、やっていけばいいかって。こないだ、松山千春さんのライブに行ったら、まだ音源化してないような曲を歌っていて、それがかなり年の離れた若い女とつきあってるおじさんのロマンチックを形にしちゃったなかなか今時ない歌で(笑)。あの年齢でこんな歌を歌ったら女性ファンがひくだろうとか、周りから何か言われそうとか、そういうことは一切考えてなさそうで。歌いたいことを歌ってるいい歌だなって。
今回のアルバムでは、最後の曲(「千春に捧ぐ」)だけ、街のスケッチということはやめて、歌う意味を考えながら自分と向き合って勝負して歌いました。最後に異物感が出たかもしれないけど、まとめたくなかったから。CDなくても配信でアルバムとして聴いてくれるひとはいるはずなので、流れはしっかり考えましたね。

豊田道倫 / Michinori Toyota
1970年、岡山県倉敷市生まれ。豊中市で育つ。1995年、パラダイス・ガラージ名義の『ROCK’N’ROLL1500』(TIME BOMB)でデビュー。それからメジャー、インディーで多数の作品を発表。著作は3冊。最新アルバムは『sexy』(25時)。

豊田道倫『sexy』
レーベル:25時
リリース:配信 2025年12月10日(水)、CD 12月24日(水)
豊田道倫 公式(配信) / TOWER RECORDS / hmv / Amazon

豊田道倫/パラダイス・ガラージ デビュー30周年記念公演 “How does it feel?”
【東京公演】
日付:2025年12月12日(金)
時間:開場 18:30 開演 19:00
会場:渋谷 WWW
出演:豊田道倫&His Band!(岡山健二、中川昌利、宇波拓、冷牟田敬)
料金:前売 4,500円、当日 5,000円、23歳以下 3,000円(ともに要1ドリンクオーダー)
チケット:eplusより https://eplus.jp/sf/detail/4056050001-P0030002?P6=001&P1=0402&P59=1
【大阪公演】
日付:2025年12月19日(金)
時間:開場 18:30 開演 19:00
会場:大阪 CONPASS
出演:豊田道倫&New Session!(岡山健二、みのようへい、岡村基紀、江崎將史)
料金:前売 4,000円、当日 4,500円(ともに要1ドリンクオーダー)
チケット:会場Webサイトより http://www.conpass.jp/mail/contact_ticket/



