
2025年11月1日(月)、大阪の国立国際美術館で「プラカードのために」が開幕した。その3日後、都内では約2,000人がプラカードを掲げ、女性として初めて首相となった高市早苗政権に異議を唱えるデモが行われた。背景には、これまでの敵対や迎合による政治姿勢が、改憲や戦争へと向かうのではないかという不安があった。歴史的な「女性初」の首相誕生が、必ずしも社会的進歩を意味しないという現実があらわになった。
一方、本展のタイトルの起点となる宣言を記したアーティスト田部光子は、同時代の女性が抱えた苦悩に、大衆の生活に寄り添いながら向き合った。周縁に置かれた人びとがプラカードを掲げることで、社会の変化を求めうることを示し、女性であることを抑圧の象徴ではなく、社会を動かす立場として引き受けようとしたのである。

奇しくも同じ時期に掲げられたプラカードが示すのは、権力を得ることが解放を約束するのではなく、どの立場から社会を見つめ、どこへ声を向けるのかという問いである。本展を手がけた正路佐知子は、ジェンダーにとどまらない多様な課題をキュレーションによってすくい上げ、この問いに応答しようとしているように見える。
出展作家たちは、家族や身体、地域、記憶などの個人的領域を出発点に、制度や歴史、差別を支えてきた見えにくい現実を掘り起こす。個人の経験を介して抽象化された社会問題は、ここで生活の実感として立ち上がり、作品は現実への想像力の輪郭を広げていく。
展示空間は作家ごとに区切られず、作品が交差する構成だ。個々の意図を読み解くことに加え、作品同士が生む緊張や連帯に重要な意味が託される。鑑賞者は受け身ではなく、複数の声が交差するなかで意味を紡ぎ直す主体として置かれる。誰もが持ちうる「当事者性」を意識させる構造だ。
入口脇の空間には笹岡由梨子の《Working Animals》が鎮座する。リサイクル素材で作られた九体の動物人形がピアノや家具に腰掛け、「今日から君は僕のお父さんなんだ」「愛してくれ、教えてくれや労働」と子どものような声で歌う。動物の犠牲の歴史を扱いながら、ケアを受ける側の声を借りることで、依存する立場は反転する。世話をする/される関係に潜む、愛情と搾取、保護と支配の矛盾が浮かび上がる。

会場の入口では田部光子の作品群が配される。本展の核となる《プラカード》はフェミニズムという言葉がまだ一般化していない時代に制作されたが、運動の熱気を現在へ伝えている。女性の身体と自律を象徴する《人工胎盤》は、出産と育児という私的領域に押し込められてきた労働をかたちにし、母性神話、性別役割に絡め取られた身体を、技術と想像力の領域に移し替える。女性であることを運命ではなく選択として捉え直す可能性。再生産労働を社会的に分有しうる未来を夢見た、当時としては大胆な解放のビジョンが息づいている。こうした生活の場に根ざした労働を作品化する姿勢は、日常の創造とその営みを分かちがたく結びつけた〈工作者〉の思想とも共振している。田部が既存の枠組みへ抵抗のまなざしを向けていたことを示している。


向かいには谷澤紗和子の切り絵が浮かぶ。欠落の操作が、忘れられてきた経験や語られなかった声を立ち上げる。陶紙による「プラカード」《ちいさいこえ》は、抗議の主張というよりも、消されてきた声の居場所を確保するかのようだ。
牛島智子の《ひとりデモタイ 箒*筆*ろうそく》は、ひとりでも「隊」となり得る闘いを示し、日々の営為を政治的な行為として読み替える。日用品でありながら戦時下では武器製造にも用いられた八女和紙をあえて使い、生活と暴力、家事と国家が地続きにあることを照らし出す。屋根に座る家婦は、家庭を守る脇役ではなく、箒を武器に変える主体として描かれる。



志賀理江子は、震災後も揺れ続ける生活の声に耳を傾ける。語りと映像は断ち切られた土地と暮らしを再び結び直そうとし、床に貼られた言葉は、遠景の出来事として眺めてきた鑑賞者の足元へ現実を引き寄せる。被災地と中央、記録と忘却、生と制度のあいだにある分断は遠い出来事ではなく、わたしたち自身の問題として突きつけられる。

平和の象徴として知られる《平和祈念像》と自らの姿を同じ画面に重ねる金川晋吾は、《祈り/長崎》において、祈りの形そのものを問い直す。筋肉質な男性としての祈りが抱える違和感に触れ、信仰や追悼の儀礼に潜む矛盾と滑稽さをあらわにする。
飯山由貴は、医療制度によって不可視化されてきた声を家族の語りからまとめ上げる。幻覚や幻聴を症状として排除せず、ともに見る現実として受け止めようとする姿勢。制度的隔離とは反対の倫理を示している。歴史の中で声を奪われてきた朝鮮人の記録を《In-Mates》では掘り起こし、現在に連なる差別の仕組みを韻律を伴う語りとして響かせる。




ケア、社会的スティグマ、語りの回復、植民地主義、災害と共同体。生活に根ざした実践から出発し、身体、地域、歴史、制度が交差する視座が開かれる。日々の暮らしに押し込められ、言葉にできなかった声に耳を傾け、誰かとともにプラカードを掲げられる場所をひらく——その行為こそが「プラカードのために」に託されているのではないだろうか。
川上幸之介 / Konosuke Kawakami
1979年山梨県生まれ。倉敷芸術科学大学教員。KAGアートディレクター。専門は現代アート、ポピュラー音楽、キュレーション。著書に『パンクの系譜学』(書肆侃侃房)、共著に『思想としてのアナキズム』(以文社)『表現文化論講義』(ナカニシヤ出版)。キュレーションに「Punk! The Revolution of Everyday Life」「Bedtime for Democracy」など。KAGでは2026年1月17日(土)〜3月22日(日)危口統之(きぐち・のりゆき/1975–2017)の代表作《搬入プロジェクト》を中心とした回顧展「危(木)口統之展」を開催予定。https://gallerykag.jp/

会期:2025年11月1日(土)〜2026年2月15日(日)
会場:国立国際美術館 地下3階展示室
時間:10:00〜17:00、金曜は20:00まで(入場は閉館の 30 分前まで)
※2025年11月以降は、夜間開館は金曜日のみ
休館:月曜日(ただし11月3日、11月24日、1月12日は開館)、11月4日、11月25日、1月13日、年末年始(12月28日〜1月5日)
料金:一般1,500円、大学生900円、高校生以下・18 歳未満無料(要証明)
※各種割引あり。詳細はこちら
※本料金で、同時開催の「コレクション2」も観覧可関連イベント
対談 志賀理江子×斉藤綾子
日時:12月21日(日)14:00〜15:30
会場:B1階講堂
講師:志賀理江子(「プラカードのために」展出品作家)、斉藤綾子(明治学院大学文学部芸術学科教授)
定員:先着100名(当日10:00からB1階インフォメーションにて整理券を配布します(お一人様1枚))
参加費:無料対談 金川晋吾×笠原美智子
日時:2026年1月17日(土)14:00〜15:30
会場:B1階講堂
講師:金川晋吾(「プラカードのために」展出品作家)、笠原美智子(長野県立美術館館長)
定員:先着100名(当日10:00からB1階インフォメーションにて整理券を配布します(お一人様1枚))
参加費:無料牛島智子ワークショップ
開催日:2026年2月1日(日)
講師:牛島智子(「プラカードのために」展出品作家)
※事前申込制(詳細は決まり次第、美術館Webサイトにてお知らせ)鼎談 飯山由貴×FUNI×宮﨑理
日時:2026年2月15日(日)14:00
講師:飯山由貴(「プラカードのために」展出品作家)、FUNI(ラッパー・詩人)、宮﨑理(明治学院大学社会福祉学科准教授)
※事前申込制(詳細は決まり次第、美術館Webサイトにてお知らせ)※ほかに、レクチャー、トーク・イベント、上映会を開催予定。詳細は決まり次第、同館Webサイトに掲載
問合:06-6447-4680(代表)*
本展出品作家によるアーティスト・トーク【終了】
日時:11月1日(土)14:00〜16:00(予定)
会場:B1階講堂谷澤紗和子とsuper-KIKIのステンシルワークショップ「ことばを身にまとう」【終了】
日時:11月22日(土)10:30〜17:00
会場:B1階講堂、B3階展示室キュレーター・トーク【終了】
日時:12月6日(土)14:00〜15:00
会場:B1階講堂
講師:正路佐知子(国立国際美術館 主任研究員)




