フルクサスに参加した女性アーティストで、夫のナムジュン・パイクとともにヴィデオ・アートの先駆者として知られる久保田成子の活動を、初期から晩年まで紹介する「Viva Video! 久保田成子」展が国立国際美術館に巡回している。久保田が考案した「ヴィデオ彫刻」の大型立体作品群を、当時の実作と再制作を交えながら数多く展示すると同時に、《ブロークン・ダイアリー》と題される断片的なドキュメンタリー・ヴィデオのシリーズ、構想スケッチやパフォーマンスの記録といったアーカイヴ資料を豊富に扱い、これまでになく包括的に彼女の仕事をカバーする内容だ。
資料を眺めているうち、久保田が渡米する直前の1964年春、彼女にオノ・ヨーコから贈られた自身の作品集『グレープフルーツ』に書き添えられたメッセージに目が留まった。
「大地のように湿っぽい暖い成子様 お互いに強くなりませうね」
渡米作家の先輩としての言葉なのか、男子性の強い前衛旋風のなかで女性としてあることへの共感の言葉なのか。当時、前衛アーティストで、女性で、異邦人であることは、当然「強く」いなければならなかったのだと、はっとさせられる。
久保田成子といえば、1枚の記録写真とともに伝説的に語られるのが《ヴァギナ・ペインティング》(1965)というパフォーマンスであるが、それは、自分のヴァギナのなかに柄の部分を挿した刷毛で、床に敷いた紙にしゃがみながら絵を描いたものだとされてきた。後年の彼女の自伝やインタビューでは、実際はこのパフォーマンスは自分で発案したものではなく、フルクサスのリーダー、ジョージ・マチューナスとパートナーのパイクのふたりの依頼によるものだったと明かされている【1】。フルクサスのイヴェントシリーズ「永続的なフルックスフェスト」告知ポスターには、でかでかと「SEE VAGINA PAINTING!」と彼女の名前の下に書かれており、どうにも悪ノリの感がある。フェミニズムの記念碑的パフォーマンスとされていても、私自身は正直に言えば、久保田成子という女性はどんなつもりで(好戦的に?)、この告知のもとパフォーマンスを行ったのだろうとの戸惑いがずっと拭えなかった。
今回の展覧会では、このパフォーマンスの事前テストを写した写真フィルムのコンタクトが新発見として展示されており、そこには刷毛を取り付けた下着がしっかりと写されていた(とはいえ、本番も同じく下着装着方式だったかどうかは定かでないとされる)。不問に留めおかれていたこの伝説が、やや紐解かれていくことで、むしろ、わんぱくな依頼を(せめて下着によるフェイクとして?)引き受けてみせた、彼女の“肝っ玉ぶり”を示すエピソードなのではないかという気もしてくる。もちろん想像の範囲を越えはしないが、美術史的な観点からは、彼女によってこの時このパフォーマンスが行われた事実が最重要であり、このようなゴシップは些末なことになるかもしれない。だが、無関心が諸々のハラスメントの種を育んできたと言えはしないか。きわめて客観的に提示されたこれらの資料たちは、静かに証言している。
強くあれ、私たち。そんなシスターフッドを感じさせる女性アーティストたちとの協働もさまざまに紹介されていることも本展の特徴だ。なかでも、同じくヴィデオ・アーティストのメアリー・ルシエとのコラボレーションが大きく紹介されているが、久保田とルシエが中心となって人種の違う4人の女性アーティストで結成したグループ「ホワイト ブラック レッド イエロー」(1972-1973)の活動も興味深い。フェミニズムの機運のなかで、ジェンダーのみならず人種の壁も克服しようとした彼女たちの気概を見てとれる。
また、久保田のヴィデオ彫刻への評価が確立されることとなった1970年代後半以後の《デュシャンピアナ》シリーズも勢ぞろいし、圧巻の見所となっている。《階段を降りる裸体》や《自転車の車輪》など、マルセル・デュシャンの作品をアプロプリエートした早い事例としても注目され、この国立国際美術館の移転開館記念展として2004年に開催された「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展でも展示された。同じ会場で目にする作品でも、デュシャンというスターを取り巻く周縁的な印象ではなく、その前段として、久保田がデュシャンとジョン・ケージによるチェス・コンサート《リユニオン》(1968)の記録写真の撮影を担当したことや、その記録を元とした作品集『マルセル・デュシャンとジョン・ケージ』(1970)の出版、デュシャンの墓参りをする様子を収めたヴィデオ(《ブロークン・ダイアリー:ヨーロッパを一日ハーフインチで》1972)などが提示されることで、デュシャンという人物を(被写体/引用元として)「素材」とした必然性を、彼女の個人史として追うことができる構成だ。
さらに俯瞰すれば、「Video is Vengeance of Vagina(ヴィデオはヴァギナの復讐)」(《ヴィデオ・ポエム》1975)とした久保田にとって、戦後の美術界に大きく影響を及ぼしたマルセル・デュシャンの象徴する父権性を、ヴィデオというメディアを通じて自らの作品の内に回収することには意義があっただろう。一方で彼女は、テレビ・モニターを構成要素に組み込むヴィデオ彫刻の成立は、既製品を芸術作品として提示するレディメイドのコンセプトに基づくと認めており【2】、デュシャンに対するアンビヴァレンスが「デュシャンピアナ」(デュシャン主義者を意味する女性形の言葉)の名付けに表れていることがわかる。
復讐が果たされたのち、すなわち《デュシャンピアナ》を経たのちの久保田のヴィデオ彫刻が、《河》(1979-1981)や《ナイアガラの滝》(1985-1987)のように、流れる水のリフレクションを取り入れ、雄大な自然観のうちにヴィデオ省察を重ねていく独自の地平へと到達するのを見届けたとき、なにやらひとつの昇華の形を見た思いがした。
【1】 久保田成子・南禎鎬著、高晟埈訳『私の愛、ナムジュン・パイク』平凡社(2013)
【2】「Viva Video! 久保田成子」展図録所収のジュディス・グリアによるインタビューより.(p.166)
はがみちこ / Michiko Haga
アート・メディエーター。1985年岡山県生まれ。2011年京都大学大学院修士課程修了(人間・環境学)。『美術手帖』第16回芸術評論募集にて「『二人の耕平』における愛」が佳作入選。主な企画・コーディネーションとして「THE BOX OF MEMORY-Yukio Fujimoto」(kumagusuku、2015)、「國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト」(2017〜)、菅かおる個展「光と海」(長性院、Gallery PARC、2019)など。京都精華大学等にて非常勤講師。浄土複合ライティング・スクール講師。
会期:2021年6月29日(火)~9月23日(木・祝)
会場:国立国際美術館
時間:10:00~17:00(金・土曜は~20:00) *入場は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし、8月9日(月)、9月20日(月・祝)は開館し、8月10日(火)は休館)
観覧料:一般1,200円(1,000円)、大学生700円(600円)
*( )内は20名以上の団体および割引料金
*高校生以下・18歳未満無料(要証明)・心身に障がいのある方とその付添者1名無料(要証明)
*夜間開館中(金・土曜の17:00以降)は割引料金
*本展と「鷹野隆大 毎日写真1999-2021」(同時開催)の観覧券を窓口で同時購入の場合に限り、両展とも各割引料金で観覧可能(一般のみ)問合:06-6447-4680
大阪市北区中之島4-2-55