「最近どう?」と切り出すことが、ここまでしっくりくる状況があったでしょうか。オンラインツールの恩恵を受けながらも、「話を聞く」行為を複雑に体験したいと願うのは、編集者やライターだけではないはずです。さて、「このタイミングでどうしてるかな~」という気持ちとソーシャルディスタンスを持って、近況が気になるあの人に声をかけていく本企画。第8回は、大阪・阿倍野にある日本キリスト教団阿倍野教会で牧師をされている、山下壮起(やました・そうき)さんです。
聖書とあべのハルカスとヒップホップ
2019年7月、『ヒップホップ・レザレクションーラップ・ミュージックとキリスト教』が新教出版社より刊行された。LVDB BOOKSのツイートを見て知ったその本は、著者である神学者・山下壮起さんの博士論文をベースに、アフリカ系アメリカ人社会におけるヒップホップの歴史と宗教性について論じた研究書だ。帯には本文からの抜き出しで以下のように書かれている。
ヒップホップは、死へとむかわせる力が大きく働くインナーシティの現実をそれでも生きようとするなかに救済を見出す。そして、その現実のなかに神との出会いが備えられていて、死んだ兄弟や親友の魂が共にいるとの確信によって、ストリートの現実に天国を見出す。ヒップホップはそのように死への徹底的な眼差しをとおして、死を遂げた者の復活(ルビ:レザレクション)を自らの生のなかに見るのである。
ひとつの音楽ジャンルが便宜上の枠組みを超えて、社会やコミュニティのなかで息づいている、その成り立ちに迫り、リリックの分析を通して見えてくるアーティストそれぞれの死生観・宗教観から、ヒップホップの持つ特異性を見出していく。切れ味ある論考・批評は、読後に聴く音楽の体感さえも変えるが、本書もそのひとつだろう。
東京オリンピックも後半にさしかかろうとする7月末、その後の全国的な感染拡大をまだ知らない頃、日本キリスト教団阿倍野教会へと向かった。本のなかで語られていたことを、現在の大阪、現在の生活に寄せて考えてみたい、話してみたいと思ったからだ。
――子どもの声が聞こえて少しにぎやかな印象ですが、昨年から今年にかけて、教会はどんな状況だったんですか?
山下:「キリスト教」と一括りに言っても教派によって新型コロナウイルスへの対応が違っていて。僕が所属する日本キリスト教団は各教会に一任していたので、阿倍野教会では、2020年4月から自宅礼拝を推奨していましたね。ただ、DVを受けているなどで逃げ場を必要としている人やいろんな事情で外に出る機会を奪われてしまっている人がいるかもしれないと、教会のドアを常に開けたままにしていました。
それぞれが自宅で日曜礼拝を行うということで、毎週木曜日には説教原稿を書き上げてプリント・郵送、近所の人にはチャリで配ってまわるというルーティンも少しずつ板についていって。現在は、マスク着用・消毒を徹底して、教会での礼拝を再開しています。
――YouTubeに山下さんの説教の動画があがっていましたね(※)。アクリル板で飛沫防止もしつつ。聞き手にとって身近な物事と聖書の言葉を重ねて伝えていく話ぶりが印象的でした。※「2021.6.18京田辺チャペル・アワー 山下 壮起」(2021年8月22日参照)
山下:同志社大学京田辺キャンパスのチャペル礼拝の映像ですね。阿倍野教会に招聘されたときに「聖書の解釈だけに終始するのではなく、社会的なことにも触れてほしい」と言われたこともあって。また、先々代の牧師がパレスチナ問題や釜ヶ崎の労働者が抱える問題に関わっていたという歴史があることも影響しているかもしれません。
キリスト教界では、「教会の説教に政治問題を持ち込むな」という議論もあります。だけど、イエスが人間の尊厳の回復を求めてすべての命への祝福を告げたことをふまえると、苦しい想いを強いられている人々を生み出す社会の構造について教会が語ることは、使命とも言える。聖書も、2,000年以上の時を超えて、そうした構造や問題について考える視点を示してくれるものでもあります。
――なるほど。それは、山下さんの著書『ヒップホップ・レザレクション』(新教出版社、2019年)にも通じる話ですね。聖書の言葉が身近にない人にとっても、逆にヒップホップという切り口で考えさせられます。
山下:そうですね。サブカルチャー方面にも、本の内容をしっかりと受け取ってくれる人がたくさんいて、あらためて出版できて良かったなと思っています。ただ、教会まわりは高齢化が進んでいて、おそらくヒップホップ自体にあんまりピンときていない印象で。加えて残念なのが、今年出版された続編『ヒップホップ・アナムネーシス』(新教出版社、2021年)は、キリスト教関連のメディアからもいくつかの書評が出たのですが、なかには論点がずれているものもあったんですよね……。
僕や担当編集者・堀さんの主張は「ヒップホップのなかにこそ本当の福音がある」ということなんですけど、その書評には「ヒップホップに福音はあるのか。それはない」みたいな感じで。どうもキリスト教こそが救いであるっていう考え方に疑いもなく固定化されてしまっているように感じられる。僕は、イエスがひとりの人間として生きたその立ちふるまいのなかにこそ、救いへの道があると信じています。しかしそれが「キリスト教」として組織化されたときに、集団を維持するための規範へと変質してしまう可能性もある。それをまず疑う必要があるなと思っています。
――書籍に登場するアーティスト同様、山下さん自身のスタンスとして、まず「個」であろうとしているんだなと感じます。
山下:ヒップホップが好きということもあるんですが、ヒップホップって、極めて私的な音楽だと思うんです。「わたし=個」が見たこと、経験したこと、感じたことをありのままに、正直にラップする。それを『ヒップホップ・レザレクション』では、イマニ・ペリーという人の言葉を借りて「radical honesty=徹底した正直」と表現していました。それはヒップホップでよく使われる「keep it real=自分が自分であり続ける」みたいなこと。
ヒップホップでは、無数の「わたし」の物語が共鳴し合い、「わたしたち」の物語が紡がれていきます。だけど、それはひとつの規範に従って集団化・組織化されていくようなものではない。「わたし」の物語を吐き出すがゆえに、そこには地元の無名の人々との出来事が反映されていくーーだからこそ、無名の人々にとっては、ラッパーたちに自分たちの言葉を託している、自分たちの想いが代わりに吐き出されていると感じられるし、それに期待できるということでもあると思います。
――それが「ヒップホップ・コミュニティ」であると。
山下:そうですね。ほかの音楽ジャンルでは、「コミュニティ」をつけて語るものってあんまり無い。ヒップホップが、わたしたちの生と死、聖と俗も混ざり合う暮らしの場を見据えていくことで、社会における諸問題の対話が生み出されているからというのは大きいかもしれません。
……この話をしながら思い出したことがあって。聖書に「バベルの塔」という話があります。人間が文明を進化させていって、あべのハルカスみたいに高く神に近づこうとする、その愚かさを戒める物語として理解されてきたものですが、一方で解放の物語でもあるんです。バベルの塔をつくるために奴隷化され、単一の言葉を語ることしか許されない社会を神は混乱(バラル)させた。ひとつの言葉しか語らせないバベルに対して、神は言葉を混乱(バラル)させ、そこでみんながはじめて別々の言葉を語り出したことによって、本当の意味で「わたしたち」になれた。
「わたしたち」になるためには、みんなが束縛をされずに自分を語る必要があったんです。ヒップホップはまさにそういう場であり、つまり“解放性のある”音楽なのだなと。だからこそ、わたしたち=ヒップホップ・コミュニティという語り方ができる。
――なるほど、すごく面白い。現在の社会における同調圧力、政府や求心力のある人が発信する情報への盲信など、これらは「信じる」という行為とも背中合わせにあるものだと思うんですが、いま「信じる」とか「信頼」についてどんなことを考えますか?
山下:宗教も、突き詰めると命の根源を見つめる視点と言い換えられますよね。たとえば、いまの維新政治によって命をおびやかされている人ってなんぼでもいる。そういう状況のなかで、自分はなにを信じるのか。神を信じるでもいいし、仲間を信じるでもいい。キリスト教であれば、イエスは神の国はどこそこにあるのではなくて、わたしたちの間にあるものだと言っている。人と人が信頼し合って、生きていける関係性が広がるといいよねっていうのがひとつのメッセージ。そういう感覚が、いま全然無いじゃないですか。人を、誰かを信じることは、この時代において奪われているもののひとつ。それを奪い返していく。それが大事なんじゃないかなとは思います。
――奪い返すためにできることってなんでしょうか。
山下:みんながバラバラに生きることかもしれない。コロナ禍に乗じて露見したものーー“不要不急”っていう都合のいい言葉だったり、“自粛要請”っていう矛盾した変な言葉だったり。それを言っている人たちが、飲み会やパーティーをしている。ということは、“不要不急”も“自粛要請”も結局は市民を管理支配するためのものでしかないですよね。そのなかで、「バベルの塔」の話じゃないですけれど、バラバラに生きる。「お上は信じないけれど、目の前にいるこいつのことは信じるで」っていう、そういう生き方。政治とか統治する側が言っていることはひとまず疑う。信じるに耐えうるものなのかっていうと、絶対そうじゃないですよ。「信じる」という行為は、実践でもある。コロナ禍だからこそ、その実践ができるんじゃないでしょうか。
2021年7月27日(金)、日本キリスト教団 阿倍野教会にて収録(取材:永江大)
山下さんの「最近気になる◯◯」
①ドラマ=『ナルコス』Netflix(2017年〜)
遅ればせながら、最近になってようやくNetflixの『ブレイキングバッド』にはじまり『ナルコス』に行き着きました。コロンビアに実在するドラッグ・カルテルの元締めの人生を描いているのですが、これを見ていると「本当に悪いやつは誰か?」と考えさせられます。警察も取り締まりの名のもとに人をたくさん殺したり、結局麻薬王たちが積み上げてきたお金を押収していったり。あとは、スペイン語の抑揚あるリズムが面白くて。スペイン語を勉強してみたいです。
②まち=ベトナム食材店
松虫駅の阿倍野筋に「ぶんかや」という行列のできるサンドイッチ屋さんがあるのですが、昨年の秋頃、その隣にベトナム食材店ができました。ベトナム人の人口が増えてきて、こうしたお店が増えてきているのだと思います。パクチーやフォーをはじめ、普通のスーパーでは売っていないようなベトナムのハーブや野菜も並んでいて、店員さんも調理法を教えてくれるので、いろいろと試して楽しんでいます。
③地名=釜ヶ崎
釜ヶ崎では、これまで為政者の都合で町のかたちが変えられてきました。そのプロセスのなかで、都市建設を下支えしてきた労働者の生活する場所が一掃されるということが起こってきた(近年の「あいりん総合センター」強制閉鎖もそのひとつ)。また「釜ヶ崎」という地名さえも、1922年には行政の地図上から消滅しています。しかし、100年のときを経た現在も、その名を冠するお店や口にする人たちがいる。それこそ、土地に生きる人々の抵抗の歴史を示していると思うんです。地名はその土地の歴史を表すと言いますが、「釜ヶ崎」という地名を通して、歴史の主体は誰なのか、誰の視点に立って歴史を語るのか。そうしたことを考えることから、都市の再開発の問題などについて理解を深めていくことができるのではないでしょうか。
山下壮起 / Soki Yamashita
1981年生まれ。高校の交換留学プログラムで1999年8月から約1年間、米アラバマ州モンゴメリーにホームステイする。その後、ジョージア州アトランタのモアハウス・カレッジに進学。アフリカン・アメリカン・スタディーズを専攻した。2004年に卒業し、2006年に帰国。同志社大学大学院神学研究科に入学。2017年博士後期課程修了、博士(神学)。現在、日本キリスト教団阿倍野教会牧師。