「最近どう?」と切り出すことが、ここまでしっくりくる状況があったでしょうか。オンラインツールの恩恵を受けながらも、「話を聞く」行為を複雑に体験したいと願うのは、編集者やライターだけではないはずです。さて、「このタイミングでどうしてるかな〜」という軽い気持ちとソーシャルディスタンスを持って、近況が気になるあの人に声をかけていく本企画。第5回は、大阪・渡辺橋にある国立国際美術館にて、研究員を務める橋本梓(はしもと・あずさ)さんです。
所蔵品管理とアーカイブと久保田成子
現代美術を扱う美術館として、関西で唯一無二の規模を誇る国立国際美術館。ここに10年以上務めるキュレーター・橋本梓さんは、大阪を拠点に、日本の美術シーンが広く世界と接続するための言語を開拓するひとり。
2011年には、コンセプチュアリズムの定義の難しさを明らかにしながら、アジアにおける作品をもとに意味解釈を拡大する「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」展を企画。2015年には、シンガポール、オーストラリア、東京のキュレーターと「他人の時間 Time of others」展を企画し、現代社会において「他者」とのつながりを示唆する展示を行った。また、国立国際美術館40周年の2018年に担当した「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」展では、作品形態が加速的に多様化する背景から、コレクションの未来をまなざすセクションも設けた。
この10年、橋本さんの同時代への鋭い批評性は、私たちがアートを考えるための道標のひとつになってきた。コロナ禍で閉館が余儀なくされるなど、世界中の文化施設が存分には活動できない状況のなか、橋本さんはなにを見つめてきたのだろうか。
取材に赴いたのは、1月末まで開催していた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が終わり、休館中の一日。夕方、渡辺橋のバス停に降り、美術館へと向かった。ひっそりとした館内に入れてもらうと、「実はこの後も会議があって!」と忙しそうな橋本さん。会議や研修の合間を縫って時間をつくってくれた彼女にしばしお話を伺った。
ーーコロナウイルスが流行しはじめてから、およそ1年が経とうとしています。昨年から美術館の運営はどのように変わりましたか?
橋本:まず、展覧会のスケジュールが大幅に組み変わりました。予定していた企画がいくつか延期になり、2020年3月からまるまる3カ月の休館。みなさんもご存知のところかと思いますが、世界中の美術館がどこも同じように厳しい状況にありました。特に、昨年4月は、どうやって美術館をオープンさせるかを終始議論し、日博協(日本博物館協会)や美術館連絡協議会のガイドラインはどうかとか、公立館では各自治体の方針が決まるまで待たないといけないとか、右往左往したわけですが……。日本の美術館はコロナ禍の運営指針の決定までに、非常に時間を要したように感じます。一方、周辺諸国を見ると、シンガポールはガイドラインの発信が早かったですね。それを国内の美術館の横のつながりで情報共有して、研究員同士で話し合い、館内で提案したこともありました。
緊急事態に直面すると、国内の文化施設の予算がいかに限られたものであるか、文化施設の運営がいかに斜陽産業であるか、ということを痛感します。そういった意味で、居場所が小さくなっていくのを肌身で感じる一年でもありました。展示再開後のいまも、海外へのリサーチに行くことはもちろん、国内の美術館との行き来も難しい状況が続いていますし、海外の美術館や作家と行う展示作業にビデオ通話を用いるなど、まだまだ工夫が必要な状況は変わりません。なにより、美術館の展覧会は通常3〜4年かけてつくっていくので、いまリサーチに行けないということは、これから先の展覧会の準備が十分にできていないということ。それがもっとも危惧される点ですね。
ーー長い目で見たときの難しさもあると……。そんななか、いまはどんなお仕事をされていますか?
橋本:目下の取り組みは、作品の収集と保管について。所蔵品の管理を担当するようになって、より長期的に見た美術館の仕事に注力しています。たとえば、作品の修復計画を立てたり、収蔵庫を整理したり、展示室を含めた館内の環境調査をしたり。昨日はさまざまなドア下に設置するブラシ(害虫の侵入を防ぐもの)を付け替えました。言葉で伝えるとすごく地味ですね(笑)。でも、文化財を将来に残していくためのとても重要な仕事なんです。
国立国際美術館は1977年の開館。この40年で美術作品の形態は多様化しました。インスタレーションやパフォーマンス、映像作品……なかには、形のない作品も。洋画や日本画の展示・保存方法が過去に確立されてきたように、現代美術では、これまでのセオリーでは管理できない作品の展示・保存方法を模索していく必要があります。多様な作品の展示記録をどのように作成し、貸し出していくのかといった作品ごとのガイドラインを、レジストラー(作品の出納係のようなスタッフ)とともに試行錯誤するのが、いま、もっとも力を入れている仕事ですね。
ーーそれがあって作品が残り、私たちが観る機会を維持できるわけですね。
橋本:そうですね。そのための環境づくりが大事だなと。コロナ禍で改めて感じましたが、莫大なお金や時間、人の労力をかけて作品を運んでこなくても、クリエイティブなことはできるわけです。国際美にも、8,000点におよぶ素晴らしい作品がありますし。いまの社会って、動員数とか、わかりやすい短期的な結果がないと評価してもらえないじゃないですか。でも、エンターテインメント的に展覧会をつくっていって、5年、10年、20年経った先になにが残っているんだろうと。長期的な視野を持っていかないと、先細りしそうだなとは思いますし、既にその綻びがあちこちに見えてきているのが、現在の日本の状況だと思います。
所蔵品をケアし、いまあるものでどう美術館を運営していくか。美術作品をどうやって将来に残していくのか。日本の美術館の場合は公的予算で運営されているので、非常事態になれば予算は削られていく一方です。アメリカの場合は、あのMoMAでさえ公民両方の資金で運営されていて、いいときはいいですが、たとえばコロナ禍では一部職員の一斉解雇などが行われました。どちらのシステムがよいという話ではないですが、緊急事態のアメリカでは、いま、所蔵品を手放す美術館も数多く見られます。そういう大きな決断をして、将来の道を開拓していこうとする美術館があること。それも事実なんですね。
ーー具体的には、多様化するコレクションをどのように残しているんですか?
橋本:作品の展示方法や必要機材の情報を記録し、長い目で展示していける環境を整えていくことも重要ですね。作品に使用されている消耗品、たとえば電球のメーカーや型番を記録し、必要に応じて予備を購入しておくなど。資材の在庫から計算して、この先何年に1回展示できるのか、スパンを割り出しています。あとは、ご存命の作家の場合は、機材や消耗品の都合で現在行っている展示が担保されなくなった場合を想定し、展示方法や素材をどこまで変えてもよくて、どこは変えてはいけないのかを相談するなど。収蔵作品やはり公的財産なので、次代の人のためにも、なにをもって判断したのかを明確に残さないといけません。
これは、館自体のアーカイブにも同じことが言えます。いまは美術館も業務委託運営が多いため、契約が切り替わるタイミングで、展覧会やコレクションがどのように組み立てられてきたのかといった情報が失われてしまうことがあります。そうしたなかで、キュレーターや研究者が情報を辿れるように、展示室の空の状態と作品が入った状態、作品をどんな経緯でいくらで買ったのかなどを、なるべく記録していけるように工夫しています。
ーーそうした所蔵品の管理を行いながら、企画にも携わっているわけですよね?
橋本:いまは、前衛芸術運動集団「フルクサス」に参加していた久保田成子さんの大規模個展「Viva Video! 久保田成子展」 を準備中です。2021年3月から新潟県立近代美術館、6月から国立国際美術館、その後11月に東京都現代美術館へ巡回する予定で、ニューヨーク、新潟、東京のキュレーターとともに企画を進めています。久保田成子さんは、ヴィデオ・アーティストですが、夫・ナムジュン・パイクの陰で、アーティストとしての認知度はあまり高くはならなかった。私自身、今回の展示にあたり、数年かけて調査を進めることで、その重要性に気づかされました。
これまで私は、作家の人生や人柄と、作品を同時に見せるような展示はできるだけしてこなかったのですが、今回はそうした手法を取り入れながら展示空間がつくられます。企画に携わっているキュレーターは、私も含め全員女性。企画中に世界でMeToo運動が起こったことも重なって、久保田成子さんが、女性として、しかも日本人として、ニューヨークで作家活動を続けたことの厳しさ、その背景を無視できないと感じたんですね。こうした想いは、ニューヨークにある久保田成子ヴィデオ・アート財団に通い、日記などの私的な資料を見させていただくことで強くなっていきました。
ーー久保田さんはどんな方だったんでしょう?
橋本:あまり知られていませんが、アーティストであると同時に、キュレーター業も担っていました。キュレーターは「cure」という言葉がもとにあるように、人やなにかのお世話をする仕事。彼女もとても愛情深い人だったんですね。1996年、パイクは脳梗塞で半身不随になってしまうのですが、そこから彼が亡くなるまでの10年、彼女は夫の看病を人生の中心に据える生活を選びました。当時50代くらいですかね、キャリアとしても大きな仕事を展開していたいい時期です。そして、その後ご自身も病気にかかってしまい、晩年は作家としての活動があまりできなかった。そういう歩みを辿っていくと、アーティストの姿とともに、ひとりの女性としてのいろんなレイヤーが見えてくるんですよね。今回は、そうしたひとりの女性が作家として歩んだ人生が見えてくるような展示になるのではないでしょうか。
個人的には、やっぱり、作家と作品を同一視するような展覧会のつくり方は好きじゃないんですけどね。作品は作家から自立しているものだと思いますし、作家から切り離されたものとして表現を受け取ることで、批評性やクリエイティビティも増幅すると思うので。もちろん、展覧会ごとになにを選択するかは、作家・作品によって変わるんですけど。そういった意味で、今回の展示は私にとっても新たな発見があるのではと期待しています。
ーー最後に、この1年を振り返って印象に残った出来事を教えてください。
橋本:先日まで、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展を開催していましたが、コロナ禍のこんな状況でも大阪だけで19万人以上の方が観覧してくださったんです。寄せられた感想のなかには、「いま観られて本当によかった」「この状況で開催してくれてありがとう」という声がたくさんあって、やっぱり美術を求めている人はいるんだなと。作品を残していくこと、展示していくことが、誰かに届くと、改めて実感しましたね。
2021年2月17日、国立国際美術館にて収録(取材:鈴木瑠理子、羽生千晶)
橋本さんの「最近気になる◯◯」
①芸能=文楽
浄瑠璃が好きなんですよね。義太夫と三味線の音と拍ーー。興味を持ったきっかけは覚えていないのですが、仕事柄、気になるものはなんでも見たい。そうやって足を運ぶうちに、自然とハマっていました。年に4回は国立文楽劇場に行きますし、2019年にニューヨークに滞在したときも、わざわざ杉本博司さんの『杉本文楽 曽根崎心中』を観に行ったほど。記憶に残る公演は、人間国宝の故・竹本住大夫さんの「寿式三番叟」。いまは住大夫さんの最後のお弟子さんだった竹本小住太夫さんの大ファンです(笑)。
②活動=中国茶
最近、玉造で中国茶を習っています。冬なので、体があたたまる黒茶など。みんなで同じお茶を同じように淹れるんですけど、びっくりするぐらい味が全然違うんですよ。紅茶はセオリーに準じれば、誰でもある程度おいしく淹れられるのですが、中国茶は幅が出る。人によって、草みたいな香りがしたり、卵のような香りがしたり。全然自分が淹れたい味に辿り着きません。つくりたい味を出せるようになるまで、30年近くかかるらしいです。そこまで極められるかは別として、お茶は好きですね。
会期:
新潟県立近代美術館 2021年3月20日(土・祝)〜6月6日(日)
国立国際美術館 2021年6月29日(火)〜9月23日(木・祝)
東京都現代美術館 2021年11月13日(土)〜2022年2月23日(水・祝)
大阪市北区中之島4-2-55