2026年3月14日(土)より、粉浜のartgallery opaltimesにて、展覧会「東義孝+梅津庸一 不条理な寓話、再活性」が開催される。
東義孝は1977年生まれ。2002年京都造形芸術大学卒業。無地の背景に浮き上がるように、女性、幾何学模様、想像上の風景、骸骨などのモチーフをサイケデリックに描いた絵画を制作し、2000年代に活躍していたが、2010年に病気のため逝去した。
梅津庸一は1982年山形県生まれ。絵画、版画、陶芸などの造形の領域で表現活動を行うほか、アートコレクティブ「パープルーム」主宰として、展覧会企画、ギャラリー運営など多岐にわたる活動を展開している。
本展では、東の作品を再考、梅津の作品とともに展示して、作品同士の時を超えた対話を試みる。
なお、梅津は2026年3〜4月にかけて、この他に大阪市内で3つの展示を企画・開催予定。
本展について
僕が東義孝を知ったのは2005年。当時美大生だった僕は先行きが不透明だったこともあり、東が盟友の榎本耕一らと共に果敢にアートワールドに挑んでいく姿を羨ましく思っていた。東京で開催された展覧会や雑誌『SPROUT』は欠かさずチェックしていた。ちなみにその頃はまだSNSは普及していなかったため、僕にとって当時のアート界は伏魔殿そのものだった。
東作品は絵画やドローイングが中心だがシュルレアリスムをはじめとする美術史上の動向に直接的に依拠しているわけではない。それよりも岡崎京子の漫画『ヘルタースケルター』に登場するトラ、スプラッター映画のような不穏なシチュエーション、そして1960年代のサイケデリック・ムーブメントなどとの親和性が高いと言える。東作品に登場するモチーフは人物も動物も昆虫も植物も装飾や幾何学も全てが等価であり、画中で進行している不吉で不条理な物語を読み解くのは困難である。また、キャンバス作品であってもペンや染料系インクを多用している点も特徴的で、関西シーンにおいてゼロ年代に台頭した児玉画廊系の作家たち伊藤存、青木陵子、金氏徹平らとの連続性も指摘できなくもないが、ひとまずは別系統として考えた方が混乱は少ないかもしれない。ただ、森千裕作品とは共通するところが少なからずあるように思う。昨年、東が生前過ごした大阪の高槻市にあるアトリエを訪問する機会があった。静かな住宅街の中に佇む秘密基地のようなアトリエで、ここで東作品が生まれたのかと感慨深く思った。本棚のラインナップにはGottfried Helnwein、Amy Cutle、Marcel Dzamaなどの画集や「VITAMIN P」など僕とかぶる蔵書がいくつもあった。東は僕よりも少し上の世代だが文化的素地には近しいところがあって、それゆえに東作品を自然と受け入れられたように思う。
僕は幾度となく東の作品を観てきたが、実は本人とは一度も会ったことがない。けれども作品を介した対話は可能なはずだ。当然、誤読も含まれるだろうが。本展はそんな東義孝との2人展である。昨年、どういうわけか僕は「大阪のゆかり作家とは何か?」と自問自答していた。そしてその結論のひとつがここオパールタイムスで東義孝さんとの2人展を開催するというアイデアだった。大阪の粉浜にあるオパールタイムスは内田ユッキさんがディレクターを務め、大阪という地域性に規定されず同時代のアートやカルチャーを精力的に紹介しているギャラリーである。関東で言えばmograg galleryやgallery TOWEDのテイストに近いかもしれない。
正直、東義孝作品を地元大阪であらためて紹介する展覧会が僕との2人展で大丈夫なのかと躊躇する気持ちもある。研究者やキュレーターがもっと地道に調査をしてから回顧展を開くべきなのではないかと。しかし、一方で標本のように固定化されていない今だからこそできる展覧会もあるはずだ。本展には東の2005年から2007年の初期作を選定した。美術のタイムラインで考えれば20年前は近過去と言えるが、ゼロ年代初頭の想像力の質は現在のわたしたちからするとニュアンスが汲み取りにくいかもしれない。東作品は美術の外部からの影響が強いものの当時、ライトノベルやアニメの分野で流行した「セカイ系」の想像力とは根本的に異なり、観客の共感や感情移入を拒み付け入る隙を与えない。
本展が世界中のアートフェアで紹介されてきた東作品を今一度ゆっくり味わう機会となるよう願っている。とはいえ、予定調和の展示になっては意味がない。自作からは東作品と共振、あるいは反発し合うものを恣意的に選ぶつもりだ。
サイケデリックな蝶は今も健在である。
梅津庸一(美術家、パープルーム主宰)
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「不条理な寓話、再活性」によせて
2025年12月5日の昼下がり、私は梅津さんと大阪府高槻市の某駅付近で待ち合わせをし、東義孝さんの美術展示室へ向かった。
日は差していたが、しっかりと冷え込んだ冬らしい気候。それにもかかわらず、梅津さんはパープルームTVでも見かける、薄手の青いジャージ姿だった。
駅前にはチェーン店や昔ながらの個人商店が並び、高いビルはなく、コンパクトで住みやすそうな印象を受ける街並みだった。
すでに亡くなっている作家(いわゆる物故作家)の作品をギャラリーで取り扱うのは初めてで、私は少し緊張していた。
住宅街を縫うように歩いていくと、大きな池が現れ、学校帰りの子どもたちが駆け抜けていく。この辺りはかつて大きな荘園で、田畑に水を引くために使われていたのがこの池だという。
水辺をさらに進み、再び住宅地の中へ入ると、塀も外壁も白い平屋の建物が現れた。引き戸には「東義孝美術展示室」とある。
東さんのお兄さん、お母さん、お父さんが出迎えてくださり、戸を開けてくれた。
室内は暖かい光に包まれ、壁も天井も白く塗られている。長年アトリエとして使われてきたその空間は、東さん自身の手で改装されたものだという。
数多くの作品が、まるで昨日制作されたかのような生々しさを湛え、壁面や、長い年月の痕跡が残るイーゼルに展示されていた。
ひときわ目を引く二点の大作は、結果的に遺作となった作品だった。購入希望者は決まっていたものの、手放し難く、お断りすることになったとお母さんが教えてくれた。
女性あるいは少女のような輪郭を大枠に、その内側には火山や動物、果実などのイメージが次々と立ち現れる。幻想的でありながら圧倒的な画力に支えられた画面だった。
足元には、参加した展覧会の図録や画集、資料や書籍が入口近くまで整然と並べられている。
「この展示観に行きました!」「この画集、僕も持っています」と、梅津さんは嬉しそうに声を上げた。
流れている女性ボーカルの曲が、MISIAだったか、birdだったか。私はそんなことをぼんやりと考えていた。
直接会うことはなかったが、82年生まれの私にとって、77年生まれの東さんは5歳年上だ。京都で学生をしていた時期は二年ほど重なっている。その音楽は、確かにあの時代の空気をまとっていた。
お母さんから東さんの思い出を聞き、丁寧にファイリングされた作品群を鑑賞する。制作年や使用画材、所蔵先まで細かく記録され、ナンバリングされ保存されている作品たち。こうした形で家族の手によって守られているケースは、決して多くはないのかもしれない。
日々、存命の作家と直接向き合い、ディレクションを行い、展覧会を開くことを生業としている。だが、自分たちの死後、作品がどのように扱われるのかを、この日まで考えたことはなかった。
作品を作ること。それを観たい人に向けて展示すること。そのさらに先の時間について、今を生きる私たちが具体的に想像するのは難しい。死後、自分の作品はどう扱われるのか。
今回の展覧会は、そのことを考えるきっかけになるのではないかと思っている。
そして私と同じく直接出会うことは叶わなかったお二人が、作品同士でどのような対話をするのか、どうか多くの方に立ち会っていただきたい。是非ご来場下さい。
内田ユッキ(artgallery opaltimesオーナー)
東義孝+梅津庸一
不条理な寓話、再活性会期:2026年3月14日(土)〜4月12日(日)
会場:artgallery opaltimes
時間:月・木・金曜 13:00〜17:00 土・日・祝 13:00〜19:00
休廊:火・水曜
参考情報:梅津庸一が大阪市内で開催するその他の展示
梅津庸一 個展「人と、制作の現場から」@hitoto(3月7日〜28日)
梅津庸一 個展「地下茎:rhizome」@GALLERY ZERO(3月21日〜4月11日)
梅津庸一 個展「オレンジや紫を基準に」@BEAK585 GALLERY(3月23日〜5月9日)
大阪市住之江区粉浜1-12-1




