足元に広がる「都市」というフィールドは、わたしたち自身の営みを鮮明に映し出しているに違いない。今回の対談では、ヨーロッパの市民運動の研究を通じて、都市の変動や社会情勢を観察してきた北川眞也さんに話を伺い、個人の労働から、社会運動、大規模な社会システムまで、ミクロとマクロな視点を往復しながら、人と都市の関係性を見つめていく。今まさに、急速に変化を遂げている都市の姿を俯瞰することで、次の時代にどんな働きかけができるかを考えてみたい。
収録:2020年10月5日(月)ZOOMにて
取材:永江大・羽生千晶(MUESUM)
1 都市に回収されていく身体
家成:今回の特集では、都市の野性や創造性に触れてみようと考えています。それにあたり、都市というフィールドそのものを一度おさらいしたいと思いました。そこで、都市の地理学と市民運動を研究されている北川さんとお話ししてみようと。
北川:ちなみに僕、都市の研究者という自覚はないのですが、大丈夫でしょうか(笑)。
家成:もちろんです(笑)。「都市」を俯瞰しつつ、北川さんが研究されている市民運動などの事例をお伺いして、都市をおもしろく使い直していくための種を一緒に見つけられたらと思います。現在はどのような研究をされていますか?
北川:いまフィールドとしているのは、地中海にある「ランペドゥーザ島」という人口6,000人ほどの小さな離島です。アフリカ大陸の端から船に乗ってヨーロッパを目指す移民・難民が、最初にたどりつく島として知られてきました。その離島で起こる出来事を調査しています。
家成:おもしろいですね。島が移民・難民のヨーロッパへの窓口になっているわけですか。
北川:そうですね。もうここ20年、25年以上の間続いています。アフリカ大陸の北から、さらには東西、サハラ砂漠の南側からも。多くの人々がアフリカ大陸のなかを転々として、地中海を渡っていきますが、なかにはバングラデシュなどアジアからの人もいます。移動の直接の要因は千差万別で、戦争や独裁政治、貧困、家庭内の問題、性暴力、そして自然環境の悪化など。戦禍を逃れた人たちであれば、巨大な難民キャンプなどの場所から出ていくこともあるので、正規のビザも飛行機に乗る術もない。とはいえ、そもそもヨーロッパの厳しいビザ政策のために、アフリカからの正規入国は極めて困難。そのため、北アフリカのリビアなどから、「密航斡旋」の人に金を払い、非正規なやり方で地中海を渡るしかないわけですが、航海中に亡くなる人も少なくありません。イタリアの沿岸警備隊やNGOの船に救助されて連れて行かれる先のひとつが、アフリカにほど近いイタリア国境のランペドゥーザ島、というわけです。ただ、直接の移動要因の背景に、地中海両岸の歴史的な不均等関係があることは忘れてはいけません。グローバル化においても、アフリカの土地や社会生活がどこよりも早く破壊され、多国籍企業などの草刈場となってきたことは重要です。
家成:アフリカの人たちは、戦争や貧困などさまざまな理由で土地を離れなければいけないときに、ひとまずヨーロッパを目指すわけですか?
北川:それが、実はそう単純でもないんですよ。ヨーロッパの目線に立つと、移民がまるでヨーロッパにまっすぐ流れ込んでくるようなイメージで煽られますが、実態は、近隣の国々で仕事に就くなど、アフリカのなかを行ったり来たりする人も多いわけです。アフリカは広いし、季節移住のパターンもありますね。もちろん最初からヨーロッパを目指して数週間で着く人もいますが、長い人は何年もかけて、各地で仕事をしながら、途中で出会った人やすでにヨーロッパにいる友人・親戚の情報に接したり、そのときにいる場所の社会的・政治的状況に応じたりしてヨーロッパへ向かうきっかけが生まれてくる。移動のなかには、不動の時間もあるし、目的地が都度変わることもよくあるわけです。
家成:なるほど、直線的な移動ではない。
北川:そうですね。個人の期待や欲望も変化していくわけで。直線的な旅ではなく「細切れの旅」とも言われます。なかには、定住ではなく「ちょっとヨーロッパを覗きに行きたい」という感覚で陸を旅し、地中海を渡ろうとする人もいます。でも、その移動は命がけになってしまう。最近、ランペドゥーザに近いチュニジアから自力で島にたどり着く若者が増えています。コロナ禍だからといって、人の移動は止まりません。彼らは、2011年に独裁体制を追放したものの、チュニジアにいても将来がないと感じていて国を出るようです。こうした未来への展望のなさがヨーロッパに渡る理由の大きなところかもしれません。当然ながら「そこに行けばなんとかなる」や「まともな暮らし、もっと自由な暮らしをしたい」といった理由から、「金が欲しい」「富をものにしたい」といった欲求までさまざまあります。
家成:たとえば、戦前に造船業でにぎわった大正区に沖縄から多くの人が移り住んだように、一時の大阪にもそういう側面がありました。1970年の大阪万博の際は、仕事を求めて人が押し寄せ、人口が増加したと聞きます。仕事があるということが、豊かな生活につながるのかわからないけれど、「労働」は都市へ移動する大きなモチベーションになるということですよね。
北川:たしかにそうなんですよね。イタリアでは今や、ヨーロッパの外から来た人を見ない街なんてなかなかない。イタリア産のトマトやオレンジの収穫の仕事も、アフリカや東欧からの移民労働者が担ってきたわけで。そこにはランペドゥーザ島を経由した人々もいます。1950〜60年代のイタリア国内でも、都市地域の周縁部に暮らす人や、特にイタリア南部の若い人々がミラノやトリノといった都市へ出稼ぎに行き、後に家族ごと移住するようなケースが多くありました。一方現在では、当時の出稼ぎの目的だった自動車などの大規模工場は国外に移転していますが、それでも、アフリカや東欧などから低賃金の移民労働が吸収され続けています。農業もそうですが、都市部の建設業やサービス業、家庭内のケア労働など、国外移転ができない地理的に固定された産業にです。しかも、正規の入国や滞在が困難なため、単純労働と呼ばれるような職種では、彼らをある種「不法化」することによって、その労働力を利用、搾取しています。
家成:なるほど。都市・移動・労働は、切り離せないものと言えますね。今回の新型コロナウイルス感染拡大では、あらゆる業種がその影響を受け、特に単純労働と言われる仕事に従事する方、アルバイトの方々が家を失ったという話をよく耳にします。僕は今、そうした現実を目の当たりにして、賃労働の連鎖で成り立つ都市生活のあり方を見直すタイミングだと強く感じているんですね。
北川:イタリアに限らず日本もそうですが、今、労働力を、不安定というか、もはや日雇いですらないようなやり方で積極的に取り込む仕組みが発達してきていますよね。たとえば、フードデリバリーサービス「Uber Eats」などもそのひとつ。コロナ禍で多くの仕事が止まるなか、食糧の運び手である「ライダー」は、エッセンシャルワーカーだと言われています。感染拡大で厳しい状況にあるイタリアでは、ライダーたちに医療関係の物品をも個人宅へ配達させる企業がありました。今では多くのライダーにより、流通がミクロに、ピンポイントかつジャストインタイムで行われるようになっているわけです。しかし、彼らは個人事業主として企業と契約しているため労働者としてみなされず、労働をめぐる保障や権利を得られないという現状がある。配達の瞬間だけ必要な労働とされ、ほぼそこだけが支払いの対象になっている。それ以外の準備時間や自転車など必要な労働手段の整備も、事実上、労働者側に課されています。
家成:日本でもライダーが街を行き交う姿は、もはや都市景観の一部になりましたね。でも、仕事としては、交通事故やウイルス感染などのリスクも高い。自転車で外を走るのが危ない雨の日にこそ、彼らの仕事は増える。これをエッセンシャルと設定してしまえば、どんな状況でも労働を強いられる世の中になってしまうのではないでしょうか。
北川:仕事、金がなくて暮らしに困っている人が、都市の流通システムの末端となり、危険な役割を担わされるわけです。コロナの以前も、今もまた。そこには、仕送りしないといけない移民労働者や、難民申請中の人々も多くいます。つまり、きれいに出来上がったように見える都市の流通・物流システムも、結局はこうした不安定な地位の労働者がたくさんいないと成り立たないんですよね。コロナ禍でも家まで届けてくれる、途絶えない毎日の配送に明らかです。配達労働者は、不安定で過酷なリズムで、流通システムの一部、アルゴリズムが動かす自動機械の一部、素早い流れの一部になってくださいという……。
家成:若い頃、大手家電販売店の倉庫で夜間バイトをした経験があります。ひたすらに商品のバーコードを見て、ベルトコンベアの上に乗せていくだけなのですが、年末になると、プリンターの1機種だけで数百台になる。60〜70歳を越えたおっちゃんたちも同じように働いていて、みんなもう過労死寸前だったことを思い出しました。都市の物流、ロジスティクスが結局は労働者に支えられているというのは重要な視点ですね。
北川:そうなんですよ。現代の都市を考える上で重要なのはロジスティクスだと思います。そもそも都市空間の歴史は、こうしたスムーズな循環や流通と切り離せない。19世紀のオスマンによるパリ改造もそうです。現在では、都市はそれ自体が物流のハブへと変化しつつあって、まるで物流センターのようにイメージされているように感じます。先述のように、「先進国」ではかつて都市の中心部で物資を生産していた大規模な工場が諸外国に移っていった。この都市の脱産業化を経て、都市はいわば生産の場から物流の場へ移行しようとしています。正確に言えば、「物流」そのものが「生産」に変容している。
家成:都市が物流のハブへと変化していくというのは、僕も体感として理解できる気がします。各地から物資を都市内部へ運び込むために、鉄道や航空機、船舶、高速道路などのインターモーダル輸送網が世界中で発達していますからね。
北川:まさにそうです。その一部にライダーの仕事も位置づけることができる。現代における都市とは、特定の空間に限ったものではなく、自然環境を横断し、世界の港や工場、採掘現場、廃棄物処理場などへ伸びるインフラ網を含めたものと考えていかなければなりません。これが昨今議論される「プラネタリー・アーバニゼーション」の重要な論点ですね。さきほどのランペドゥーザ島の話も、ここにつながってきます。国境を越えるインフラ網やそれが実現する商品・人の移動によって、都市が横断されていく。都市空間は、切り刻まれ、接続され、増殖していくとも言えます。さらに、労働力をはじめとする人やものの移動を都市が捕獲しようとしており、商品のみならず人の動きをリアルタイムで監視・追跡する動きも顕著になっている。コロナ禍でより加速しているようにも感じます。
家成:僕は建築家の視点から都市を観察していますが、最近の都市空間はロジスティクスを念頭に計画されていると感じています。たとえば、Amazonの倉庫が高速道路の近くにあることで、仕分けしたものをすぐに日本各地へ配送することができるといったように。都市空間は、ロジスティクスと資本主義のロジックのもとで設計されている。これはますます強化されるでしょうし、僕らは流通のインフラの隙間で暮らしているようなものですね。
北川:そうなってきていますよね……。ひと昔前であれば、海岸の港で荷物の積み下ろしに労働者が駆り出され、そこでさまざまな運動や闘争が生まれていた。海と陸の境界は物流の流れが崩れるポイントでもあったわけですが、1950年代にコンテナが発案され、60年代から70年にかけてコンテナの統一的な規格が生まれてくると、状況は一変するようになりました。コンテナは、インターモーダル輸送の象徴です。つまり、海から陸へ荷を解くことなく移送できるようになり、徐々に積み下ろし労働者の姿も消えていく。現代では、陸でもより広域におよんで物流が阻害されない仕組みがつくられています。高速道路や空港の近くに「インターポート」という巨大倉庫、まさに内陸の港があり、各地から流入した大量の物資は、そこを起点にして都市の内部を縦横無尽に流動します。この集約的なロジスティクスを可能にするために、高速道路や鉄道、港湾のコンテナターミナル、物資を仕分ける倉庫といった固定された巨大過ぎるインフラをがんがんつくっていく。これは金融資本の指令に則った計画であり、人が住む、生活することへの思慮はありません。このような仕組みにより、広い意味で現代の都市のあり方、都市空間の生産が規定されています。
家成:僕ね、めちゃくちゃスムーズなロジスティクスが構築されていくほどに、人間の身体さえも取り込まれているように感じます。規格化されたシステムに、労働はもちろん、人の活動全般が組み込まれてしまうのではないでしょうか。
北川:それは本当に感じるところですよね。人と人の関係もスムーズというか、速いというか。異なった人間同士がゆっくり触れ合うよりも、SNSが典型ですが、一企業のつくった既存のフォーマットのなかでの関係形成になってしまう。速くてスムーズで心地よいやりとりか、罵倒か完全ブロックか、と、極端になりがちですよね。人と人の「あいだ」が失われている感じがします。
家成:労働に限った話ではなく、人間関係にもおよぶ話だということですよね。
北川:そう感じています。でも、すべてがスムーズに流れていくのかというと、そうではないかもしれません。ちょっと視点を変えると、そこに「亀裂」もたくさんあると思うんですね。イタリアで生じた大きな亀裂といえば、スーザという地域一帯で行われている「NO TAV」という運動。この地域の住民が主役ですが、活動家をはじめほかの土地からきた人々も積極的に関わっています。1990年代以降、イタリア政府は、トリノとフランスのリヨンを高速列車「TAV」で結ぶため、山中や渓谷を貫く鉄道とトンネルの建設を計画してきました。これにより、ヨーロッパの西から東までが1本の高速軌道でつながる予定でしたが、NO TAVの反対運動により、今も実現していません。反対の理由はさまざまですが、このアルプス山中の地域は、歴史的に反ファシズムのレジスタンスや労働運動など、さまざまな闘争を経験してきました。インフラ建設でも、1980年代に建設された高速道路が無駄足に終わり、弊害しかなかったという記憶もあるわけです。
北川:また、ミラノでも、2015年の万博開催を名目に進められた高速道路建設に対し、「NO EXPO」運動による反対がありました。南部ならパイプラインをつくらせないための運動「NO TAP」。いずれも「NO〜〜」、つまり「〜〜はいらない」という表現です。これらはどれもロジスティクスを問題にしていると言えるかもしれません。土地を強奪し、国境を越えるような巨大なインフラをつくる大事業に抵抗する運動です。シチリア島でも「NO MUOS」といって、米軍の通信衛星の設置への反対行動が続いています。ロジスティクスの起源のひとつは軍事ですから、これもある種の対抗ロジスティクスと言えるでしょうか。新しいインフラ建設を妨害する運動が各地にあり、もしできてしまった場合も、その流れを止めてみたらどうなるか?という運動が起きます。これは、資本主義に抵抗するための政治的表現として、イタリア国内に広がっていると言えますね。
家成:めちゃくちゃ面白いですね。流通を直接的に止めることで、資本主義のシステム全体に対して政治的表明をするわけですね。
北川:最近は、厳しい弾圧を受けながらも、こうしたかたちの闘争・暴動・表現が世界各地で起きている印象があります。チリなどもそうですよね。空港を占拠した香港やバルセロナも。2018年にフランスではじまった「黄色いベスト運動」も有名ですね。参加者は、国が自動車に常備することを義務づけている蛍光色の反射チョッキ(ベスト)を着用し、道路を封鎖したり、料金所のメーターを壊したり、ラウンドアバウト(環状交差点)を占拠したりしています。フランスの社会運動はパリなど都市地域で起こることが多いようですが、この運動は、ロジスティクスの隙間にあったり、横断されるような都市の周辺や農村部の地域が火種となりました。そこに暮らす人たちにとっては、自動車が主な移動手段。政府が地球環境保全と言って、ディーゼル車にかかる税金を高くする方針を打ち出したことが発端となりました。感覚的には、日本でも地方だとよくわかる話ではないでしょうか。
家成:フランスでは、あのぐるぐる回るラウンドアバウト(環状交差点)に複数の主要道路が集まっているわけだから、そこを占拠すれば交通網が陥落して、どこにも行けなくなる。空間の読み解きが素晴らしいですね(笑)
北川:なるほど(笑)。その空間の読み解きって、労働者のストライキで、仕事の流れを把握して、「ここを止めれば工場や職場がえらいことになる!」っていう感覚と同じですね。なんかこう、日常の知恵というか、ちょっと違う手つきで都市空間に触れている感じがしますよね。流れを遮断することが、都市に関わり、既存の社会に挑戦するきっかけとなっている。
家成:都市を読み解いて社会に接続する方法なら、いろいろと考えられそうですね。たとえば、都市部と農村には、人との関わり方の違いはあるかもしれませんが、対都市的なものとなれば、そこに大きな違いはないわけで。他者を説得することは難しくても、対都市・対労働と考えれば、要はどこに「亀裂」のポイントがあるかを見つければいい。それを読み解くセンスは、実は日常的な感覚のなかにあるのかもしれませんね。
北川眞也 / Shinya Kitagawa
三重大学人文学部准教授。1979年生まれ、博士(地理学)。主な論文に「惑星都市化、インフラストラクチャー、ロジスティクスをめぐる11の地理的断章」(『惑星都市理論』以文社、2021(近刊)所収)、「地図学的理性を超える地球の潜勢力――地政学を根源的に問題化するために」(『現代思想』45-18、2017)など。
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『逃走の権利 移民、シティズンシップ、グローバル化』
サンドロ・メッザードラ 著、北川眞也 訳 人文書院(2015)
現代移民研究の第一人者であるサンドロ・メッザードラが、世界各地で起こる多様な問題を「移民」という角度からクリティカルに読み換えた、現代社会論の重要作。本対談の北川眞也さんによる翻訳です。数年前に著者のお話を直接聞く機会があり、イタリアの移民事情を聞きながら、いろいろなことを考えさせられました。一筋縄ではないですね。当たり前ですが。(家成)