大正~昭和初期、大阪は工業・文化都市として、「大大阪」とも呼ばれていました。大阪湾エリアには造船所が密集し、多くの人が生活を営む一方、まちなかでは縦横に走る水路が物流を促進させ、国内外のさまざまな文化が混じり合う都市として、また、異なる価値観を持つ人たちが共存できる、“寛容な場”が生まれるまちとして、機能してきました。今回のCO-DIALOGUEでは、現代における「寛容な場のあり方」をテーマに、時代ごとに多様な顔を持つ大阪千日前・味園ビルを拠点としていたダンサー・東野祥子氏、昨年味園ビルのリサーチを行った水野大二郎氏にお話いただきました。
収録日:2016年1月29日(金)
場所:味園ビル 2F「秘密倶楽部アニマアニムス」(旧 CAFE Q)
【2016年3月発行『paperC』no.011「CO-DIALOGUE」掲載】
日々、代謝を繰り返す共同体としての空間
水野:僕は、人口減少が進む日本において何かヒントがあるのではないかと、2014年から「Micro Social Agent【1】」をテーマに、小さいけれどさまざまな機能を持つ空間について、日本各地でリサーチしています。沖縄本島北部の共同売店や香川のセルフうどん屋、そして大阪は味園ビル【2】2階の店舗へヒアリングを行ってきました。今回のテーマ「寛容な場のあり方」にもつながる研究です。今日は実際に味園でお店を運営されていた東野さんにお話をお伺いしたいと思います。
東野:私は2002年から2004年の秋まで、CafeQ【3】というダンススタジオ兼カフェバーを運営していました。何もない状態からスタートして、さまざまな人を巻き込みながら、大阪を離れるまでは味園を拠点として動いていましたね。
水野:味園を選んだのはなぜですか?
東野:2000年から「BABY-Q【4】」というダンスカンパニーを主宰していたのですが、拠点となるスタジオを探しているときに、友人が味園ビルを教えてくれたんです。VJユニット「BetaLand【5】」がビル地下1階の元スーパーを「Macao【6】」というクラブに変えて、「Flower Of Life【7】」という大きなパーティーを月1くらいのペースではじめた時期でした。自主スタジオが欲しかったのですが、Flower Of Life周辺の友人たちとも「何か一緒にやってみたい!」というのが大きな理由でしたね。
水野:東野さんは当初、どんな空間をつくろうとしていたのでしょうか?
東野:紹介してもらった店舗は、片側の壁面がすべて鏡張りだったので、天井を抜いて壁を塗り、床にリノリウムを貼って、自分たちだけでスタジオをつくりました。当時、店舗を借りるのに敷金礼金がいらなかったんですよ。しかも、空いている店舗はすべて夜逃げした後のような居抜き物件(笑)。だから備品も残っているし、長いバーカウンターもあって、現状の空間をどう使ってみようかと考えて、料理の得意な友人とまずはイベントの一環でカフェを開いてみたんです。
水野:ダンススタジオとしての機能も持たせながら、「こんなこともできるかも?」と実験してみたんですね。
東野:そうです。昼はダンスのレッスン、20時からはCafeQの営業。当時、その友人とパートナーを含めた3人でバンドも組んでいたので、練習にも使っていました。カフェをはじめるといろんな人が遊びに来てくれたんですよ。即興音楽をやる人もいたし、クラブで知り合って一緒に遊んでいたDJも多かったので、ヒップホップやテクノ、現代音楽、ブレイクコア、ノイズなど、多ジャンルのイベントを企画してくれて、熱気がありましたね。
水野:内装に手を入れているとき、ダンスの練習以外で、バンドの演奏やカフェの運営も考えていたんですか?
東野:最初から計画していたわけではなく、その時々で考えていたと思います。服をつくっている友だちがいれば服を置いてみたり、店内に小さなギャラリーをつくって月ごとに展示してみたり、オープンしながら空間をつくっていました。
水野:僕は、2015年の夏に味園ビル内の店を巡ってヒアリング、調査をしていたのですが、とても興味深い話を聞くことができました。仲の良い店が連携したり、お客さんがはしごをしたり、ミュージシャンがライブの後に飲んで、また違う店で演奏したりという状況があって。
東野:CafeQを立ち上げて少ししてから、ビル内にレコード屋「カリエンテレコード」とマッサージ屋「tete」ができて、レコード屋に来た人がCafeQで飲んで帰る、というようなビルやエリア内のリンクも生まれていました。それぞれのお店で特色はあるんだけれど、何かゆったりとした連携があるんですよね。
水野:僕がおもしろいなと思ったのは、吉本や松竹の若手芸人がアルバイトとしてお店に入っていて、それが芋づる式に別の仕事へとつながっていること。彼らはコミュニケーション能力が高いから、お客さんとも楽しむことができて、しかもお店で彼らのDVDが売られている。場所が人を呼び込む機能を持っているのだと感じました。同時に、こういう場所をイチからつくることは、すごく難しい。
東野:私たちがお店をはじめたときは、みんなが手探りの状態で、ただ「これがおもしろい」という信念だけがあったんです。BetaLandの2人がアメリカで開催される「Burning Man【8】」に参加し、帰国後にオーガナイズしたパーティーがFlower Of Lifeですが、彼らが経験してきた“表現をすることに開かれている場”をつくることに、意識的な人もそうでない人も、さまざまな有り様が味園の周辺ではありましたね。
水野:Burning Manは、ある意味イベントという枠を超えた、期間限定のゆるやかな共同体。東野さんがいた頃の味園も、根底でひとつ何か共有できる価値観を持った人たちが集まっていたのかもしれませんね。
小さな場所が担ってゆく、さまざまな多くのこと
水野:僕が昨年、味園ビル2階のお店をリサーチしたのは、「小さい空間を上手く使っている」ということが良い知見になると思ったからなんです。香川では、製麺所を自主的に改造し、うどんを食べるスペースができた経緯があり、それが観光的な価値になっているところがおもしろい。沖縄の共同売店は、100年くらいの歴史を持つ生活共同組合のような組織です。興味深いのは、商店としての機能以外にも、携帯電話の使い方を聞きに来たり、地域の集会所がくっついていたり、おばあ同士がコミュニケーションをとったり、機能の幅がとても広いこと。味園ビルのお店も空間自体は小さいですが、ライブが行われていたり、店長とお客さんの交流が活発だったり、店同士のつながりを楽しめたりと、一般的な飲食店とは明らかに違う広がりがあります。
東野:たしかにCafeQもダンススタジオ、飲食店、クラブ、ギャラリーなどのさまざまな機能を兼ねていましたし、人の交流も活発でした。
水野:それが今でも受け継がれているのかなと思うんです。僕は、味園ビル2階にあるお店の、独特のサイズ感と雰囲気が気に入っていて。お店にしては大き過ぎたり小さ過ぎたり、内装もあったりなかったり、お客さんがいないときは店長が寝ていたり。若手芸人がライブするにしては妙に小さい。そういう中途半端に大きかったり小さかったりする余白感が、普通の店ではありえないような店長と客の交流を生んでいるのではないかと。妙に人間のサイズに合うんですよね。東野さんは、どんな余白がこのビルにあると思いますか?
東野:当時から、なんでも許されてしまう雰囲気はありましたね。CafeQのイベントはかなりの爆音でしたし、イントレ(=舞台で使う足場)を使った舞台セットを制作しようとしていて、味園ビルに「屋上で立てて練習してもいい?」と聞いたら、社長から直々にOKが出て、夜な夜な練習したことも。
水野:単に味園の持つ磁場に人が集まるというだけでなく、社長が理念を持って場所を運営しているからこそ、成り立っている。
東野:それも大事なことだと思います。当時は、社長が管理をされていて、非常に協力的で審査もなくお店をはじめさせてくれました。隙間だらけ、というかサポートしてくれるという感じでしたね。
水野:そういったゆるさが、ビル全体を育ててきたのでしょうね。日本が確実に人口減少していくなかで、幅広い機能を持つ空間のあり方が重要になっている。人口が減るということは 、つまりまちをコンパクトにしなければならない。でも、ゼロからつくる余裕はないから「小さいのに多機能」な場所を既存の施設を転用してつくる必要があると思うんです。廃校の利活用が進められているのも同じ理由。実際に、都市部では「アーツ千代田3331」や「元立誠小学校」のような、活用事例【9】も生まれています。
東野:空間の多機能性を考えるとき、「雑多さ」がキーワードになると思うんです。CafeQが生まれたのも、私が幅広いジャンルの音楽を聞きに行って、ダンスシーンのなかだけではなく、人とのつながりが広がっていたから。また、大阪という土壌・環境の恩恵もありますね。
水野:インターネットの誕生によって、「鎌倉に住む僕が東野さんへデータを送り、京都でものを出力する」ことができるようになり、仕事はその土地で完結しなくなりました。つまり「わざわざその土地である必要」というものは薄れてくる。でも、CafeQや味園が大阪の雑多さに支えられているとすると、大阪という場の「変えられない部分」が見えてくる気がしますね。
東野:東京だと、シーンがそれぞれ大きくて、なかなかジャンルが混じり合わないんですよね。でも大阪では、自分の知らないジャンルに触れる機会が多く、センスの交流が日常的に起こる。「笑われてなんぼ」の文化ですから、表現の交流に恐怖心のない人が多いのかもしれません。電車に乗っている普通のおばちゃんたちが、漫才みたいなやりとりをしていて、隣の関係ない人が笑っているようなことが日常ですからね(笑)。
中心のある“カンパニー”から、自立型“コレクティブ”へ
水野:東京でも、震災以後状況が変わりつつあって、例えばトマトひとつとっても、本当だったらトマトの価値は味ですが、今は「この人がこの地域でこういう農法でつくって」というのも価値になっている。つまり、食べる前の情報も価値になっているんです。そういう状況を「半商品性【10】」という言葉で表現した人がいます。
東野:たしかに、変化を感じますよね。価値を貨幣に換算するだけではない、交換や授与の仕組みも変わりつつある気がします。私自身は、貨幣経済に振り回されない距離感を保っていたいといつも思います。
水野:資本主義経済を完全に否定もできないし、取り替えようもないので、上書きする方法を考える必要がありますよね。その流れは、東京以外の場所の方が話をしやすいし、可能性があるのではと思います。
東野:大阪では、個々が持っている技術を交換し合うような、それこそCafeQがそうですが、昔から自然と起こっている状況がありますよね。
水野:1990年代に「インターネット社会ではお金以外のものを追求するようになる」と指摘していた人がいるのですが、例えば、Wikipediaの編集ってお金はもらえないけど、やる人がいますよね。“みんなでやる”ということを見直す時期なのかもしれません。
東野:2015年7月に「ANTIBODIES collective」というパフォーマンスアートの団体を新たに立ち上げました。そこで「それぞれが当事者意識を持って活動すること」の大切さを痛感しています。BABY-Qは、私が主宰するカンパニーでしたが、今度はコレクティブ=共同体として、メンバーが自覚を持って表現するスタイルに変えたんですよね。前は請け負っている感覚が強かったと思うんですけど、今は「自分が表現している団体だ」という姿勢に変化していて、形態を変えて良かったなと感じているんです。
水野:東野さんのような立場の人は、指揮者のように振る舞うことが重要になってきていますよね。かつては天才的なアーティストや建築家が作品をつくって、みんながそれを崇拝するスタイルだった。でも今は、みんな参加できるように采配していくことが大事。「俺の作品だ」「俺の作品にふさわしく振る舞え」と言っていた時代から「君の良い部分を出せばいいんだ」という方向へと変わっているのは感じます。
東野:最近は、公演を国内外各地で行うだけでなく、別府や札幌、北九州、横浜など各地でオーディションから舞台作品をつくるプロジェクトに携わっているんですが、地方で滞在制作を行うとき、参加者のなかには初めての人もいれば経験者もいますよね。そんなとき、グイグイ個人につっこんで、その人の良いところを引き出そうとしてみるんです。例えば、ダンスはできないけれど、普段薬剤師をしているという人には、「薬の名前を連呼しながら動くという役」を渡すと、舞台は初めてでも自分の確立されたものを生かせるから自信を持って役を担ってくれる。個々の得意な部分を伸ばすことでひとつのシーンが生まれ、それがつながって作品になる。テクニカルメンバーは揃っているので、後はダンサーのポテンシャルを引き出す努力をしているんです。
水野:いつからそういったスタイルでつくっているんですか?
東野:BABY-Qでも、肩甲骨の動きがおかしいダンサーがいて、背中にフォーカスしてシーンを演出していましたね。ダンスのフォルムがきれいな作品をつくる作家もいますが、私の場合は雑多な人間性を見出したり、状況を構成したりしています。
水野:最近、デザイナーやアーティストの職能が再編集されていますよね。例えば、彫刻家の名和晃平さんは、「SANDWICH」というチームで住宅設計やインテリアのデザインにも取り組まれています。そういった流れがあるなかで、“みんなでつくる”ためには、関わる人たち全員の「自分はやりたくてやっている」という感覚をどうつくるかが大事だと思うんです。
東野:そして、自立した表現を各々持っていることも肝心ですね。
水野:でも、それが意外と難しい。まだ多くの人が「つくるなら買った方が早い」「自分が踊るのはちょっと」と考えてしまいがち。東野さんがカンパニーを運動体へ変化させていったように、みんなが参加できるプラットフォームがあることで可能性が広がる気がします。
東野:そうですね。受け手側にも寛容さが必要で、個々がつくったものを安易に否定せず、みんなでブラッシュアップしていくプロセスも大事。そうやって意識を少し変えるだけで、作品がもっと大きなものになったり、価値が上がったりすると感じていて、それがおもしろいんですよね。
水野:参加する側の自由を担保したんですね。それを可能にしたのは、ある種の「ゆるさ」。今後の大阪やほかの地域を考えていく上でも、良いポイントになりそうです。単に「大阪は良いまちだよ」と発信するのではなく、さまざまな価値が交換、共有される“ゆるさ”を持続できる場を創造すること。それを維持しながら、多くの人に広く参加してもらうことで、もっとおもしろい空間や場、まちへ変わっていくのだと思います。
【1】Micro Social Agent
水野大二郎が考案した概念で、「市民が主体的に企画/設計/運営する小さな公共空間」のこと。昨今、少子高齢化と都市部の人口一極集中によって地域経済が停滞するなかで、市民主体の小回りの効く公共デザインが必要になっている。リサーチの結果は、相互作用が促進される空間の設計指針といったハード面や、市民主体の協働的なコミュニティの形成といったソフト面の両方に活用することができると考えられている。次回リサーチは金沢を予定。
【2】味園ビル
1955年に開業した、大阪市千日前のレジャービル「味園」。オープン時より、2階から3層吹き抜けの巨大空間に、キャバレー「ユニバース」を開業し、国内外の注目を得て世界屈指のキャバレーとなる。その後、時代の変化とともに大空間を区分。サウナやホテル、バーやレコード屋など、さまざまな機能をもった空間を育んでいき、現在のように多様な人を受け入れることができる場が生まれていった。2011年、キャバレー「ユニバース」営業終了後、その名のまま貸しホールとなり、アーティストやミュージシャン、建築家、デザイナーなど、その独特の空間に魅了された人々の手で、多様な使われ方をしている。
【3】CafeQ
味園ビル2階にて、2002年から2004年まで営業されていたダンススタジオ兼カフェバーで、東野が主宰していたダンスパフォーマンスグループ「Dance Company Baby-Q」の活動拠点であった。2004年以降は、CafeQのイベントなどに出演していたOVe-NaXxが引き継ぎ、イベントスペース「どCORE」として新たにさまざまな人を巻き込んでいった。現在その場所には、秘密倶楽部「アニマアニムス」が入っている。
【4】Dance Company Baby-Q
2000年に、それまでDJ2人とのユニット「ERROR SYSTEM」で活動していた東野祥子が、豊田奈千甫と池端美紀とともに結成したダンスパフォーマンスグループ。島之内教会での旗揚げ公演以降も、寺院や野外などさまざまな場所で公演を行った。
【5】BetaLand
COLOとHIRAが結成したイベントオーガナイズ、映像製作ユニット。2002年より、イベント「Flower Of Life」をオーガナイズ。HIRAは、「HiraLion」名義でも火や水をあつかったVJ活動を行っており、全国のパーティーに参加。COLOは、現在COSMICLABの代表として、アンダーグラウンドアーティストを紹介する「Galaxy Gallery」を味園1階で運営するほか、レーベルやアパレルブランドの展開などの活動を行っている。
【6】Macao
BetaLandが2002年に味園の地下空間を利用してつくり上げた、伝説的なクラブ。自主企画「Flower Of Life」はじめ、トランスなどを中心に精力的にイベントが開催されており、関西で活動するアーティストやクリエイターが引き寄せられていた。いとうせいこうも、かつてアメリカのイラク侵攻を批判する、痛烈なポエトリーリーディングをここで行っている。
【7】Flower Of Life
2002年、「Macao」の立ち上げがきっかけとなり、BetaLandを中心にオーガナイズされたパーティー。音、映像、照明、デコレーション、ライブペイント、パフォーマンスなど、さまざまな要素が調和する空間を目当てに、全国から多くの人が集まった。2007年のFlower Of Life 5周年パーティーでは、出演者一切無表記のフライヤーにも関わらず、全国から約2,000人が集結したと言われている。
【8】Burning Man
アメリカ北西部、ネバダ州の人里離れた砂漠で年に1度、約1週間に渡って開催されるイベント。電気水道などのインフラは皆無、食料や水も持参という過酷な環境のなか、各参加者は何もない場所にまちをつくり上げ、新たに出会った隣人たちと共同生活を営み、アート作品やパフォーマンスで自分を表現しながら貨幣を使わず生き抜く。会期中は、「The Man」と呼ばれる巨大な人型の像を中心とした同心円のまとまりに約5万人が生活し、最終日に「The Man」を燃やし、もとの何もなかった状態にし、祭りは終了となる。
【9】都市部での活用事例
「アーツ千代田3331」は、アートギャラリー、オフィス、カフェなどが入居するほか、ワークショップや講演会の開催、レンタルスペースの貸し出しといった文化的活動の拠点としても利用される。利用者は第一線のクリエイターから主婦、学校帰りの子どもまで幅広く、誰もが気軽にアートに触れられる場となっている。一方、「元・立誠小学校」は、立誠・文化のまち運営委員会という、地域の人々による団体が運営。多様なイベントの会場として活発に利用されており、その企画数は年間100件を超える。
【10】半商品性
哲学者の内山節によると、半商品とは「市場では商品として通用し、流通しているが、それをつくる過程や生産者と消費者の関係では、必ずしも商品の合理性が貫かれていない商品」のこと。近代以降の市場では、「価値と価格」のバランスだけが重要であった。しかし、近年「フェアトレード」「地産地消」などの言葉に代表されるように、相補交換や相当交換にも類似する半商品の世界に対して注目が高まっている。
【11】ANTIBODIES collective
2015年、「Dance Company Baby-Q」を母体として、東野祥子とカジワラトシオによって設立。映像・斉藤洋平、舞台美術・OLEO、照明・筆谷亮也、特殊美術・古館健など、国内外で活躍するクリエイターを擁する。異分野のスペシャリストが協働することで、舞台芸術の新たな地平を開くことを目指す。活動領域もダンス公演にとどまらず、芸術教育や地域活性化事業にも広く携わっているところが特徴。2015年10月には京都の元・立誠小学校、そして神奈川の横浜で、初公演《DUGONG》を行った。
東野祥子(ANTIBODIES COLLECTIVE 主宰/ダンサー)
10歳でダンスをはじめ、2000年、ダンスカンパニー「BABY-Q」を設立。 ダンサーのほかに、音楽家、映像作家、美術家、コスチュームデザイナー などさまざまなクリエイターが在籍。2015年より、京都に活動拠点を 移し「ANTIBODIES Collective」として活動中。
水野大二郎(慶應義塾大学環境情報学部准教授[当時]/デザインリサーチャー)
1979 年生まれ。インクルーシブデザインやファッションデザインなど、 広くデザインの研究に携わる。主な活動に社会的包摂を目指すインク ルーシブデザインの普及・実践活動 、デジタルファブリケーションの 普及・実験の場であるFabLab Japan Networkとの協働がある。
参考文献:
・『月刊 ビル 特別総力特集/味園ビル』(BMC/2011年)
・『Micro Social Agent 』(慶 應義塾大学 水野大二郎研究室/2015年)