情報の速度・合理性が求められる現社会では、政治や芸術などの大きな枠組みから、ニュースの見出し、コンビニのコーヒーメーカーといった暮らしの細部に至るまで、あらゆるレベルで物事・情報の“わかりやすさ”に比重が置かれています。その価値を享受しつつ複雑なままある“わからなさ”と向き合う態度も、今の社会だからこそ重要です。今回のCO-DIALOGUEでは、「都市の時間と、そこから生まれる言葉」をテーマに、大阪・此花区に宿泊施設「The Blend Inn」を立ち上げた詩人・辺口芳典氏、兵庫・丹波篠山のセレクトショップ「archipelago」店主の小菅庸喜氏にお話しいただきました。
収録日:2017年4月27日(木)
場所:The Blend Inn~The Blend Apartments[大阪府大阪市]
【2017年5月発行『paperC』no.014「CO-DIALOGUE」掲載】
まちの記憶をより良くする、体験のための時間づくり
小菅:僕は兵庫県の丹波篠山で、「archipelago【1】」というお店を夫婦で運営しています。辺口さんはいま宿泊施設に携わっているそうですね。
辺口:この春、大阪・此花区にオープンしたホテル「The Blend Inn【2】」のディレクションを、詩人の活動のひとつとして行っています。また、短期滞在型のアパート「The Blend Apartments 」も同じ地域に立ち上げていて、どちらも運営をオーナーの溝辺佳奈さん、そして長年の相棒・溝辺直人とともにディレクションしているんです。佳奈さんには、これまで携わったゲストハウス運営のノウハウを発揮してもらいつつ、それぞれの得意を生かした体制で、詩人がホテルやアパートのディレクションで関わらせてもらっています。
小菅:なかなかない体制ですよね! 先ほど、The Blend Innを見せていただきましたが、とても気持ち良い空間でした。設計はどなたがされたんですか?
辺口:The Blend Innの母屋は、建築家・島田陽さんに依頼しました。彼が手がけた《六甲の住居》を雑誌で見て「これだ!」と、話を持ちかけて。ちなみに、今まさに文化センターとなる離れを施工中で、そちらはdot architectsさんに設計と施工をお願いしています。なので、ホテルの本格的な完成はもう少し先なんです。
小菅:僕も宿泊という体験に興味があって。今のお店をはじめる10年ほど前、「URBAN RESEARCH DOORS」でプランナー/バイヤーをしていたのですが、その頃から宿泊の可能性について考えていました。ともすれば表層的になりがちなファッション業界ですが、暮らしの提案を行うとき、朝起きて夜寝るまでを扱う“ 宿泊”という要素があることで説得力が増す。また、今のお店はまちから少し離れた立地にあるので、買い物をする前後の時間・体験も含め丁寧につくり込みたいと考えていて、だからこそ“宿泊”も挑戦してみたい領域です。辺口さんは、どんな経緯でホテルのディレクションを手がけることになったのですか?
辺口:流れはシンプルで、詩人として「どうやって詩を書いて生きていくか?」を考え、試行錯誤してきたんです。縁あって此花区の梅香という地域で、当時バンドメンバーでもあった溝辺と自分の作品やパフォーマンスを発表するギャラリー「黒目画廊【3】」、カフェ兼案内所「OTONARI【4】」をはじめ、詩と出会う間口を広げていくための場をさまざまな形でつくってきた、その延長にホテルがある感じ。場所を展開していくきっかけは、「Central East Tokyo(以下、CET)【5】」という東東京の空き物件を利用したイベントですね。特に機材や道具がなくても、ほど良い空間と明かりがあれば、作品の発表や販売を通して、人とのつながりが生まれるんだと気づいて。場所を持つことの可能性を感じたことが大きいです。
小菅:僕も大学生のときに、友人とCETに参加していたんですよ! ビルの屋上に小屋を建てて、会期中そこにずっと住んでいました。隅田川を拠点とするホームレスの人たちに、銭湯の熱湯事情や拾ってきたソーラーパネルでテレビを観る方法、タイヤが付いた移動式の住居など、地域の情報やサバイバルするための術を教えてもらいながら、それをアーカイブしていったんです。そのとき、彼らが自分たちの生活を豊かにするべく“ものづくり”をしていると感じて。同時に住民やホームレスの人たち、近所の小学生が遊びに来てくれるので、お茶を入れたり、展示を工夫したり、小屋で過ごしてもらう時間も意識しましたね。
辺口:おもしろい! そのときから、体験のための時間を考えていたんですね。ちなみにOTONARIの建物は、40~50年前、六軒家川沿いに建てられた違法建築【6】からはじまっているんです。住み続けたことで権利が発生していて。先ほどのホームレスの話じゃないけれど、お金や家がないながらも自分たちの知恵を使って勝手に建物を建て、それが国に認められたって最高じゃないですか。まちの歴史としてもおもしろいし、表現としても、都市を記号で占拠していくグラフィティの、その先を行っていると思う。
小菅:今もその建物はあるんですか?
辺口:あるにはあるんですが、ほかの人がその建物で活動したり、引き継いだりすることができないんですよ。そういった地域の事情や歴史を運営するなかで知りOTONARIを閉めることにしました。まちの魅力を言葉にしながら、外から来た人を案内する、詩と出会ってもらう間口を広げる活動だったので、先のビジョンが見えないまま活動しては元も子もなくて。この土地で暮らしてきた先輩たちに敬意を払いながらも、その先に行かないといけない。そのためには今の時代にふさわしい新しい工夫が必要だと思ったんです。孫の代、その先の代も土地を借りられて、また新たな活動をはじめることのできる場所をつくるには、結局、正攻法しかないんですよね。そういった経緯もあり、いろんな人の知恵を結集して新築したのがThe Blend Inn。次代につなげていくための場所、詩人の活動としても、ひとつ大きな楔が打てたのではないかと思っています。とはいえ、オープンから1年も経っていないので、まだまだこれからです。
日々育まれるビジョンから、これからの歩みを考える
辺口:突然ですが、小菅さんってお子さんいらっしゃいますか?
小菅:息子が5歳、娘が1歳になりましたね。4人家族です。
辺口:僕も娘がいて、もうすぐ2歳。詩人の子育て、僕は革命じゃないかと思っています。今の家はお風呂がないから引っ越したいんですが、金銭的にも難しくて。ガスもないので、ベビーバスに水を入れて、ポットで湧かしたお湯で温度調整するんです。だから、うんちされたら終わり(笑)。「こんなところで育てたら怒られるなぁ」とか思いながら、実際にいろいろな方に怒られながら……。なのに、懲りずにもう1人子どもほしいなと思っていますね。なかなか許してもらえないけれど。
小菅:結婚されて、お子さんも生まれ、ホテルやアパートもでき、いろんな変化の最中にいるんですね。詩の表現って環境で変わりますか?
辺口:詩人は常に変化するものだと思っています。子どもや友だち、移動すること、時代が反映される。しかもThe Blend Inn という大きな目標が、実際に目の前に見える風景となって、だいぶ変わりましたね。
小菅:出会う環境によってどんどん更新されるんですね。逆に、詩人が社会にどうコミットしていくか、考えることってありますか?
辺口:どちらかというと、ビジョンがあるかな。詩を書いて、この社会で生き続けたいというイメージ。100歳超えても書き続けていたら、さぞかしおもしろいだろうと思うんです。これまでもエッジがきいているけれど、年齢を重ねるごとに詩は良くなってきていて、自分を満足させるものになっている。それを持続させるには、子どもや孫がいた方が書けると思っています。それがないとどこかで止まってしまう気がする。
小菅:僕も奥さんの明るさや推進力、子どもの素直さにどこか助けられている気がします。お互いで補い合っているような感じ。
辺口:子ども2人、しかも男と女っていうのもいいですね。あと、憧れているのが結婚指輪。男の人に会うと、左手に目が行ってしまうことがあるんですが、特に好きなことを生業にしているような人が指輪をしていると、大人だなぁと思います。詩人もそうならないと。
小菅:結婚指輪を詩人はつけたほうがいい?
辺口:おもしろい詩を書き続けるのは大前提ですけどね。僕の場合は、納得できる詩を書いてきたので、もう欲求は完了しているんですけど、「もう少しやれる」「まだ広げられる」と限界を超えていくなかで、ほかの誰かに「詩人になりたい」と思わせられるか、というのがあって。そのためには、詩人が子育てや指輪をすることは重要。いつか気に入った指輪を買いたいですね。
小菅:僕も、普段アクセサリーをつけない父が指輪をずっとつけているのは、ちょっとかっこいいなと見ていました。
辺口:まさにそんな感じです。すごく感覚的ですが、指輪をはめている状況がひとつのビジョン、イメージとして僕のなかにずっとあって。
小菅:僕の憧れで言えば、娘を嫁にやる経験をしてみたいですね。結婚式のときに、妻のお父さんがすごく良かったんです。普段ひょうひょうとして感情を表に出さない人だけど、そんなに泣くかってくらい泣いていて。嬉しいのと寂しいのが混ざったような、感情が漏れ出てしまった表情。それを自分も体験してみたいんです。娘を嫁にやりたくないと口にするお父さんもいますけど、僕は諸手をあげて行かせたいな。「幸せになれよ」って送り出すけど、でも引き止めたい。育ててきた20~30年間を経て、それまでの喜びやわだかまりなど、お父さんにしかわからない感覚があるのだろうなと。
辺口:うちの妻のお父さんもそんな感じでしたよ。僕らみたいないい歳の大人2人が、なんとなくけじめとしてやっとくかという感じの結婚式なのに。うちの母親と、向こうの父親がお互いにハンカチ渡し合うみたいな(笑)。そう思うと醍醐味がありますね。いい歳して泣きたくないのに、出ざるをえない何かがある。
小菅:声出して泣いていましたね。
辺口:俺もやばいかも。詩人が泣きながら嗚咽をもらすとか(笑)。
「なんかええやん」を保留し続けていくこと
小菅:The Blend Innを一から建てるにあたって、地域への配慮や押さえどころって、何か意識しましたか?
辺口:地域に“頼りすぎない”ことですかね。「詩人」を生かしたいから活動していたのに、エリアの特色に頼り過ぎるといつのまにか「此花区の辺口」になっていたりする。あくまで「詩人の辺口」が前にこないと、詩人を続けていくのが難しくなる。ただ今回、更地から新築できたということは、今後いろんな場所で展開できるはずなんです。地域をリサーチして魅力を言葉にすることは、案内所でやってきましたし、どの地域にも必ず魅力はありますから。小菅さんがお店をはじめるとき、地域を見て「ここや! 」となったポイントって、どんなところですか?
小菅:全国で探していて、丹波篠山にこだわっていたわけではないんです。住まいが大阪だったので通う機会も多く、自然と人のつながりができてきました。土地の魅力から入り、人の縁に引っ張られた感じです。あと、夫婦にとっては引っ越し先ですが、子どもにとっては地元になります。文化も豊かで食べ物も美味しい、「ここっていいよね」と言えるかどうか。生活と生業のバランスを考え、今の場所に決めましたね。
辺口:お店をはじめるまでも大変ですよね。僕らもプロジェクトが動くごとに大変さが増してきた。2年で完成の予定が、さらに2 年かかるスケジュールになり……。その間利益が出ないから、やりくりが難しい。
小菅:たしかに。うちも11ヶ月ほど空家賃を払い続けていましたね。2015年9月に引っ越して、秋にはお店をオープン!と思っていたのですが、感覚が追いついてこなかった。わーっと舞い上がった感覚が落ち着くまで時間がかかってしまったんですよね。
辺口:場所を持って1~2年活動すると、いろいろ見えてきますよね。
小菅:そうですね。周囲の環境や運営上の修正点がだんだん見えてきました。「田舎暮らしはのんびり、悠々自適」なんてことはなくて、その土地なりにやるべきことがある。集落の自治会・消防団に入り、隣同士のつながりを大切にする。都会だから、田舎だからではなく、どこにいても暮らしのなかでどこまで見えているかによって行動は変わる。
辺口:地元の人は、新しいお店についてどう思っているんですかね。
小菅:幸い、受け入れてもらえたようで、70~80歳くらいの先輩方がお店でコーヒー飲みがてら、まちのことを教えてくれるんです。丹波篠山は城下町があり、観光地でもあるんですが、お店があるのは中心地から離れた「古市」という地域。郊外型スーパーができるまでは、古い街道筋の宿場町として、人とものが溜まる場所だったらしいです。もともと新しい文化や資源に寛容な地域なので、僕らみたいな若者がお店をはじめることにも反応してくれる。数少ない小・中学生も店に入ってきて「すげー! 」って(笑)。建物の横が通学路なので、「帰りました~ 」「おかえり~ 」みたいなやりとりもありますね。この1年で、みんなの暮らしの一部になってきているのかなと。
辺口:実際やってみて思うことって多いですよね。朝方のThe Blend Innで、いろんな人たちと1階のテーブルでご飯を食べていると、いい意味で緊張感があるんです。そこで詩人がたまに詩の話をするわけですよ。興味ない人は「詩人?」って。その感じ。でも朝ご飯が美味しいからピリピリしない。いい匂い、いい日差しのなかで「詩はよくわからないけど、こうやって触れられるのっていいかも」って。The Blend Innのあの空間では詩を「美しいもの」として見てもらえるんです。
小菅:泊まる・寝る行為は、例えば犬がお腹を向けるのと同じで、自分の身体を晒しながら「開いていますよ」ということだと思うんです。夜泊まって、朝起きていいものを食べれば、「なんかいいかも」となる。その「なんか」ってすごく大事な気がします。
辺口:それ「somehow」ですね! The Blend Innの1階に入っているサンドイッチ屋さん「Mirow【7】」のエリツィンが持っていたトートバックに手書き文字でsomehowとあって。気になって意味を聞いたら「なにか」という意味らしいと教えてくれました。そのとき、「なにか」って詩人にとってすごく重要なワードだなと。
小菅:前の会社でも、お客さんが言う「なんか、あのお店いいよね」の「なんか」の部分は、ガチガチにディレクションして表現したものではなく、スタッフや空間、発信する物事から醸し出る、出汁みたいなものだとよく話していました。醤油や日本酒をつくるにも、いろんな菌の役割があって、その組み合わせでしか表れないものがsomehowなんだと思います。
辺口:詩人は、意味の表現でもあるから、カチッと一言で言えてしまったりするんです。カチカチに固まっていく感じ、それが気持ち悪いから詩を書いているはずなんだけど。固め過ぎず溶かし過ぎずのバランス感覚が詩人には大切なんでしょうね。ディレクションも同じくカチッと書けてしまうけれど、意味として書き切らないことが大事。somehowをもう1回意識しないといけないなぁ。場所は詩人のものでもないし、場所だけが立っていてもおもしろくない。
小菅:僕も「醸す」や「気配」を気にしながらお店をやっていますね。
辺口:それが自分では楽しかったりするんですよね。「これだ」と見せつけられても楽しくない。近い人には、つい言葉で「これはこうでこうなんだ」と強く言い切ってしまうこともあるけれど、そういうのは言う側も、聞く側も、気持ち悪さが残るんです。「なんか」が含まれた言葉や出来事のほうがちょうどいい感じ。俺のsomehowは「たかだか」にも近い。何をやろうが「たかだか」。「所詮」って感覚。梅田の真ん中にビルを建てたとしてもその感覚は必要だなと思うんです。あと例えば、子どもが笑っている感じ。俺らは「貧乏暮しやな」と言葉にして、意味にへこたれるとき、その瞬間にも子どもは元気で楽しそうで、よく笑うし、よく泣くんです。あいつらは言葉がないのに、そうでしか出せない空気感を持っている。詩は、説明ではないから、そうでありたいですね。
【1】archipelago
小菅氏が夫婦で経営する兵庫県篠山市のセレクトショップ。2016年5月オープン。JAの穀物倉庫を改装した開放的な店舗で、服やアクセサリー、書籍、器など暮らしに関わるアイテムを販売している。特に器は手仕事の作品が多く、郡司庸久・慶子、鈴木稔など、前職時代より小菅氏と付き合いのある作家の作品が並ぶ。店名のarchipelagoは「群島、島々」を意味する英語で、「さまざまな文化が根付く島々を、家族で小船にのって渡っていきたい」という願いから名付けられた。
【2】The Blend Inn
大阪市此花区梅香にある宿泊施設。2017年3月にオープン。さまざまな人たちの個性が混ざり合い、つながる場づくりを目指す。3階建ての「宿泊空間」と、離れの「小さな文化センター」から成る。“private room”と“shared room”の計7 室に加え、シェアキッチンを併設。パブリックスペースの多い、風通しの良さを持った建築が魅力。
【3】黒目画廊
2010年にオープンした此花区にあるギャラリー。自らの制作・発表のためのスペースとして、相棒の溝辺氏らとともに立ち上げた。辺口氏が制作した詩の展示・販売のほか、詩の朗読やライブ、トークイベントなどを企画している。2016年5月から長い夏季休廊中。
【4】OTONARI
2012年にオープンした此花区の案内所兼カフェ。辺口氏がゲスト・アーティストとしてドイツで暮らした体験をもとに、人や場所をつなぐ「間」として開店。外からやってくる人たちに此花区を案内する一方で、地元の人には新しくできた場所を紹介し、年齢や職種を越えて人々がつながる場となることを目指す。店内での活動のほかに、実際にまちを歩きながら案内する「ワンダータウンツアー」も行われた。2014年3月に閉店。
【5】Central East Tokyo
2003年より、東京R不動産などを手がけるOpen Aの馬場正尊氏が中心となり、東京・日本橋エリアの可能性を広げ、実験していくムーブメントを企画。空きビルを利用し、定期的に展覧会やシンポジウムを開催。クリエイティブな活動の土壌をつくり、場所がさらに人を呼び、リノベーション、インフラ整備が進んだ。
【6】六軒家川沿いに建てられた違法建築
六軒屋川をはじめ、正蓮寺川、傳法川といった河川に囲まれていた此花区。物流の要となるこのデルタ地帯は、住友電気工業や大阪ガスなど大手企業の工場やその関連企業が集まり、第一次世界大戦の特需を受け急速に発展した。1955年には区面積の63.5%が工業地域となる。工業の発展による区の人口増加は著しく、1965年には過去最高の88,792人にのぼる(2014年の人口は、66,198人)。違法建築の背景には、戦中から続く此花区一帯の盛衰も関係しているのかもしれない。
【7】Mirow
The Blend Inn1階のサンドイッチ・ドリンクスタンド。大阪市此花区香梅にある「Maglione」のパンを使ったサンドイッチとドリンクの販売(テイクアウトのみ)を行っているほか、The Blend Innの利用客に朝ごはんを提供している。
辺口芳典[詩人/写真家]
1973年、大阪府生まれ。2010年、此花区梅香に立ち上げた「黒目画廊」「OTONARI」を拠点に詩人・写真家として活動。2017年3月にオープンした宿泊施設「The Blend Inn」のディレクションを手がける。詩集『Lizard Telepathy, Fox Telepathy』(Chin Music Press/2014年)を発刊。
小菅庸喜[archipelago 店主/プランナー]
1982年、埼玉県生まれ。2007年からURBAN RESEARH DOORSにてバイヤー、ブランドプランナーを経験。2016年、夫婦でJR古市駅前にセレクトショップ「archipelago」をオープン。買う環境や経験に着目し、消費のスピードを穏やかにすることを目指し活動している。
参考文献:
・『Casa BRUTUS特別編集【最新版】理想の暮しが買える店2』(マガジンハウス/2017年)
・馬場正尊+Open A著『RePUBLIC公共空間のリノベーション』(学芸出版社/2013年)
・『写真で見る此花区』(市制100周年記念事業 此花区実行委員会/1990年)
・『此花区史』(此花区役所/1955年)