私たちは、進化し続けるメディアテクノロジーにより、新たな身体性を獲得しつつあります。例えば、ARやVRの技術は、“ここ”と“あちら”をつなぎ、“私”と“他者”の視点を入れ替える可能性を持つ。さまざまなレベルのコミュニケーションがもたらす身体知・経験知をどう腑に落とすか考え、伝統工芸の技術伝達やメディア教育など、多様な可能性を閉ざさず、同時に共有すべき倫理を育む必要があります。今回のCO-DIALOGUE では、「技術と身体をつなぐ思考」をテーマに、京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之氏、山口情報芸術センターのエデュケーター・菅沼聖氏にお話しいただきました。
収録日:2017 年9月19日(火)
場所:京都大学総合博物館[京都府京都市]
【2017年10月発行『paperC』no.015「CO-DIALOGUE」掲載】
あらゆる視点のズレから、気づきが生まれる
菅沼:僕は、山口情報芸術センター(以下、YCAM)にて、ミュージアムエデュケーターという肩書きで働いています。アーティストやクリエイターと共同制作した過程で生まれる知見を、メディア教育プログラムや地域連携に応用、展開しているんです。「学び」や「コミュニティ」という点で、塩瀬さんの活動とも重なる部分がたくさんありそうですね。例えば、工芸技術の担い手を育成する環境自体の醸成など、幅広い試みをされていますが、どのような経緯で現在の活動に至ったのでしょうか?
塩瀬:大学院生だった約20年前、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション【1】の研究室に在籍していたんです。当時は、人工知能分野におけるロボットの身体性が大きなテーマでしたね。科学雑誌『Quark』【2】の熟練技能の特集に、僕の卒業論文が載っていますよ。
菅沼:通っていた学校にもありましたね。
塩瀬:当時「なぜオリンピック日本代表のサッカー選手・キーパー川口能活さんは直感でシュートコースがわかるのか?」といった第六感を科学することがブームでした。僕自身も、どうすればロボットが第六感に相当する職人の熟練技に近づけるかについて研究していて。ノンバーバル(=非言語)・コミュニケーション、アフォーダンス【3】といった領域に足を踏み入れつつ、身体性をどうコンピュータに取り込むかを考えていました。
菅沼:工学系のご出身とは、意外でした。
塩瀬:そうなんです。哲学者のモーリス・メルロ=ポンティ【4】 が「盲人の杖」という研究をしています。これは、目の見えない人が杖で周りを探りながら歩いていると、まるで杖の先に感覚があるかのごとく、床を触っているように感じるというものです。これは熟練技の科学的解明にも似ているなと思い、「何かがうまくなる」というのは、身体が拡張したような感覚になることなんじゃないかと仮説を立てたわけです。でも、その状態を言葉にするのは難しい。そこで、言葉にならない技の伝承をすべて調べてみようと研究していくうちに、企業から「世代間でコミュニケーションがとれない」「科学の言葉が難しくて伝わらない」といった技術伝達の課題についての相談を受けることが増えてきたんです。そこが僕のなかでの「コミュニケーションデザイン」、その手法のひとつとしての「インクルーシブデザイン【5】」の入口でした。
菅沼:YCAMの教育プログラムでも身体性は大きなテーマです。特に身体知や暗黙知といった言語での伝達、表現が難しい領域は、自身の身体をもって体験しないと想像すらできないことでもある。そういった意味でもワークショップ(体験学習)形式で身体を動かし、対話しながら考える場づくりは今後ますます求められるものかもしれません。
塩瀬:素晴らしい。インクルーシブデザインにおいて大事なのは、「絶対この人にできひんやろ!」と思われるような人を中心に据えて、実践を通して、議論していくことなんですよね。例えば、「どうやったら目が見えない人は、星が見えるのか」をテーマに、目の見えない人が培った何十年にも及ぶ英知に触れることで、別の視点への気づきが生まれ、そこから議論を進めていく。ただ同席してもらって、話をしてもらうだけではないんですよね。
菅沼:自分と他者の差異から学べることは多いですね。まさに身体感覚や価値観が代表例。「私」が見て、聞いて、触っている感覚は「あなた」とは違う。しばしば僕たちはみな同じなのだと錯覚してしまいますが。
塩瀬:障害のある人たちもそうですが、子どもたちも僕らとは異なる角度から世界を見ているんですよね。子どもがなぜそこに立ち止まって、じっとしているのかよくわからない。だけど、そのズレを自分の視点に取り入れられたら、いろんな視点に気づけるようになると思うんです。
菅沼:塩瀬さんは、NHK Eテレ「カガクノミカタ」の番組制作委員をされていたり、ミュージアムやワークショップの場に限らない発信をされていますよね。現在の教育現場をどのように考えていますか?
塩瀬:僕は教員向けのワークショップを長年続けています。厳しい言い方をすると、現状から子どもをいかにすくい上げるかが大事。すべての学問に気づきの瞬間があり、自分で考えるプロセスがあります。なのに、多くの学校でそのヴィジョンは見失われている。365日すべての授業を変える必要はなくて、1回でも子どもに「おもしろい!」と思ってもらえたらいいんです。そのことを、先生に伝えていますね。
菅沼:そうですね。学びの場において大人の限界が子どもの限界になってしまうのは不幸なことかもしれません。僕はオンラインゲームが趣味で、毎日コントローラーを手に世界中の人と遊んでいるのですが、あるとき、ゲーム中に僕を守ってくれていた上手なプレイヤーがいたんです。なんとも頼もしい御仁だと。でも、ゲームが終わり、チャットルームに戻ったら、そのプレイヤーはただの生意気な小学生だった(笑)。昔から「子どもに教えられる」とはよく言いますが、インターネット登場以降、こうした逆転現象が加速したのは間違いないと思います。もはや大人と子どもを知識量の差で決められないし、それで苦労している子どももたくさんいます。電子工作が得意なのに、学校では評価されない。そういう子どもたちがYCAMに逃げ込んできます。こういう時代に大人は、社会はどうあるべきか。文化施設は学校や家庭に次ぐ第三の場所「学びのサードプレイス」として、地域からの期待も高いと思います。
「教える」ではない、「ゆだねていく」態度
菅沼:YCAMでは、「身体・メディア・社会」という3つの関係性をテーマに活動しています。メディアテクノロジーをはじめとする技術発達によって、身体性、コミュニュケーション、社会は目まぐるしく変わっていきます。そんななか、最初に持つべきは大量の知識よりも、身体的な理解をベースにした「想像する力」なのかもしれません。YCAMでは少数のイノベーターではなく、大多数のイノベーターの受け手が「想像力」を育めるようなメディアリテラシー教育に力を注いでいます。
塩瀬:体験が想像力を育むというのは、まさにその通りだと思います。僕自身も、目の見えない人と美術鑑賞したことによって、自分がいかに絵画を見ていなかったかを痛感しました。そのときはフェルメールの絵画を題材に、視線導入をエピソードでつなぎ、ロジックを組み立て、ともに鑑賞することを試みたのですが、“ 意味を共有するプロセス”自体が、コミュニケーションツールになりうると感じました。
菅沼:以前、身体イメージと言葉の関係性を共有するワークショップ「コトバ身体【6】」をつくりました。例えば、「ゾウの動きをしてください」と聞くと、10人中8人は「パオーン」と腕を左右に揺らします。でも、2人くらいは違う動きをするんです。身体と言葉の不思議な感覚のズレをモーションキャプチャー(身体運動を記録できる機材)を使い、データベース化するソフトウェアを開発しました。参加者によって言葉をタグ付けする機能もあります。例えばゾウの動きのデータを見た人が自分がイメージした言葉「交通整理の人」タグを追加するという具合で。ワークショップの最後には言語からダンスの振り付けを行います。
塩瀬:僕の研究テーマである「伝統工芸の伝承」でも、言語と身体の関係はとても重要です。「舞降る雪を扇でひらうように」とか、「ジェット機が前に進むように」といった技言語は、徒弟制度で寝食をともにして感覚を共有したり、時代時代で自然と共有できる新しいイメージが2人の間にあるから成立するもの。歴史・文化の背景が異なる人が相手だと、まずはそのアナロジーの共有が必要になる。それは分野を超えても同じで、言葉の定義だけではなく、コミュニケーションの基礎となる「共有」をいかにつくるかが重要だなと思っています。
菅沼:言葉が意味する部分はもちろん、立ち上がる身体性、文化的な背景含め共有できる場を用意するということですね。きっかけさえあれば、特に子どもは“ 遊び”という無限の動力で勝手に気づいていく。
塩瀬:そうそう。僕も基本的には教え込むのではなく、気づいてもららうためのきっかけを、あの手この手でやっているように思います。
菅沼:ある研究者から「◯◯の分子構造を子どもにわかりやすく伝えたい」という相談を受けたことがあります。例えば模型をつくる、漫画にするなどいろいろ方法はありますが、一番子どもに伝えるべきなのは研究者が味わう発見の喜び、ドキドキワクワク感だと思います。それがないといくら知識を上積みしても伸びていきません。僕らがリテラシーの教育を大切にしているのは、スキル型の教育と並行して、感じたり考えたりする能力が育つべきだと思うからなんです。
塩瀬:子ども自身にも“気づく力”があるということを無視して教えてしまうから、彼らの可能性を見落としてしまうんですね。気づく力があることを、本当に、正直に信じるだけだと思うんですけどね。
菅沼:僕もそう思います。よく「教育という言葉は、実験に置き換えられる」と話すのですが、答えがないオープンエンドな実験、実験性を社会に投入する方法を見つけるために、僕は活動の場としてYCAMという公共文化施設を選んでいます。“XSの個人”も“XLの行政”にもできない領域に、両者を媒介するミディアムサイズの公共文化施設が実験性を担えると思うんです。
塩瀬:地方自治体くらいの規模で取り組むことは重要だと思いますね。地元の産業構造と近いかたちで、教育が設計できれば、地域で閉じることは有効だと思います。教科書の内容から1 歩も踏み出せないと思い込んでしまっている先生も少なくないので、新しい教育のあり方を博物館や美術館がリードするのは大事です。だから、YCAMのポジションはおもしろい。
菅沼:人口約19万人の山口市は、ある種、小さなスケールで社会的な実験ができる場所です。例えば、山口市の教育委員会とともに取り組んでいる「未来の山口の授業」は、YCAMの知見を活用した教育プログラムを地域の学校と協働して実施する枠組みです。スポーツハッカソンなどが良い例ですが、「山口の小学生はみんなスポーツを自分でつくったことがある」なんて状況をつくりたいですね。YCAMが地域の創造拠点として世界中が驚く新しい価値の発見やプロジェクトをつくっていく役割を担っていければと思います。この創造のサイクルに大人が参加すれば「未来の仕事」にもなるかもしれません。アートのような社会が嫌うリスクテイクの応用の先に、実利性、実用性のあるものがあるはずで、そんな循環系をつくっていきたいと考えています。そんな状況がYCAMからつくり出せれば文化施設の再定義にもつながると思うんです。
社会のバランスと新陳代謝のデザイン
塩瀬:最近、子どもが主体となって電子マネーとビッグデータを活用しながら小さなまちをつくる「ミニ・フューチャー・シティ【7】」というワークショッププログラムに関わっています。そこは、社会の仕組みを理解し、電子システムのなかで新しい仕事をつくっていく、そんな子どもたちを育てるための場です。例えば、ビックデータをもとに、男の子に人気のあるものやBtoB の市場を把握して、商品開発を行うチームがいたり、砂鉄好きの子どもが砂鉄屋さんを開いても人気がなかったのだけど、台車を押しているうちにニーズと仕事が合致しだしたり……。
菅沼:参加した子どもは、社会参加の可能性や自己効力感を感じられるでしょうね。昨今、個人と社会とのつながりが希薄化していく中で、社会自体が想像し難くなっている。メディアテクノロジーの可変性、柔軟性を活かしたこのような取り組みが増えていくことは重要ですね。
塩瀬:子どもがシステムのバグを見つけて、プログラマーに情報を売りつけるという場面もありましたよ(笑)。
菅沼:すごい(笑)。YCAMでは、開発・改変と実験を繰り返しながらスポーツをつくるプログラムがあります。ドッジボールのルールを改変したり、実際に遊んでみたりする。そこで特定の誰かが有利になるルールでは、スポーツ=社会が壊れてしまいます。スポーツのルール策定を通じて、私たちの生活やコミュニケーションの背景にある法律も一緒だってなんとなくわかると思うんです。
塩瀬:ガキ大将がいると、その場にあったルールを生み出してくれるから、調和が保たれるんですよね。海外では、法律問題は起きてしまうものと考え、それを解決した後にどのようにルールをつくり直すかを考えますが、日本ではルールを改変することなく与えられた範囲でしか動けない。まずは法が人工物であることを理解し、ルールメイクすることが重要と、経産省で官僚をしていたときにも感じました。
菅沼:行政仕事のなかでもインクルーシブデザインは有効ですよね?
塩瀬:もちろんです。それがどんな仕組みなのかを理解することが重要で、ユーザーこそ知らなくちゃいけない。例えば、規制や習慣を止めるには、つくるときと同じだけの準備と手間が必要で、潰すためにエネルギーを割く人は少ないから、一度つくったものを廃止することができずに、身動きがとれない状況が生まれてしまう。
菅沼:「コロガル公園シリーズ【8】」では、社会参加の仕組みも含めたデザインを心がけています。自分の提案次第で、場を変えることができる、手触りのある社会を公園を模してつくることができました。子どもって“ 遊び”に引っかければ創造性がどんどん出てくる。難しいのは大人。いかにクリエイティビティを発揮し、好奇心を揺らされるような、ハッカブルな状態を生み出すことができるか。消費的なマインドから生産的なマインドに切り替わるきっかけづくりを探求していきたいですね。
塩瀬:裾野を広げないといけないと思いますよ。今はどこも参加型コミュニティーをつくろうと焦っている風潮がある。でも数十人~ 数百人の規模では、なかなか持続しません。ある特定の人がリードすると、周りが冷めてしまったりして……。バランスとデザインが必要なんでしょうね。本当はインターネットも小さな声を聞くチャンスとしてとらえると素晴らしいんだけど、世間の反応を見ると、炎上や新しいいじめを引き起こしていることが多く、良くも悪くもすぐに広がってしまうため、言葉を丁寧に使わないと思わぬところでケガをしてしまいますよね。
菅沼:法学者のローレンス・レッシグ【9】は、インターネット社会において情報を受容するだけのRO(リードオンリー)文化と、受け手がつくり手として再創造可能なRW(リードライト)文化の関係を論じ、後者を促進をする著作権などの社会的な枠組みの更新の必要性を主張しています。僕もRW側のユーザーが増えていく社会を望んでいますが、そのなかでも消費者と生産者の数のバランスに注目しています。持続的な創造コミュニティをつくるには、大多数のRO層が鍵になるんじゃないかと。例えば、ニコニコ動画は消費者としても心地良くいられるエンターテインメントですが、1歩踏み込めば創作の世界が広がっている。そういう社会のデザインに、今後も挑戦していきたいです。
塩瀬:もっと安全に創作できる場所が必要ですね。良くも悪くもつくったものが退場できない場所は、ある意味で不自然です。洪水による川の氾濫は定住者には不都合ですが、本来はアンバランスを元に戻す自然の浄化システムでした。流動性のあるなかに創作があり、退場もある。それが今後の社会を考えるためにも可能性がある方法かもしれません。
【1】ヒューマン・コンピュータ・インタラクション
人間と機械の接点における相互作用、対話型操作に関する研究領域のこと。人間が情報技術を利用する際に必要となる、人間と技術とのインターフェースに関する研究から、情報技術の多様化と発展に伴って生まれてきた。インターフェース研究が技術と人間の間の媒介物を対象とするのに対し、インタラクション研究では人間と技術の相互作用や、それに伴う変化や流れを強く意識する。コンピュータのソフトウェアやハードウェアのインターフェイスデザインのみならず、利用環境や利用者の人間的特性などに関する考察も含む。
【2】科学雑誌『Quark』
1982年7月(創刊号)から1997年6月(13巻6号)まで刊行されていた、講談社初の科学雑誌。現在は廃刊。ノンフィクション作家・柳田邦男氏らの連載は書籍として出版されているほか、好評だった記事をまとめた『ハテナ?ナルホド!実験室 身近にひそむ真理の数々』がブルーバックスシリーズに収録。
【3】アフォーダンス
アメリカの心理学者J.ギブソンが「afford=与える、できる」をもとにつくった心理学用語。環境やものごとが、それに働きかけようとする主体から、ある行為を直接引き出そうとする機能のこと。情報は環境のなかに実在しており、人間はそれらのすでに与えられている情報を識別することで、環境やものごとの持つ意味や価値を見出すことができると考える。
【4】モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)
フランスの哲学者。現象学の立場から身体論を構想、フランスの現象学に影響をもたらした。著作『知覚の現象学』のなかで、盲人の杖を、物体が知覚の対象ではなく、身体の一部であり身体的総合の延長となることの具体例としてあげている。作中では、「杖が触覚の幅と範囲を増大させ、まなざしに似たものとなっている」と述べている。
【5】インクルーシブデザイン
できるだけ多くのユーザーを包含し、かつビジネス目標に対しても有益なデザインを目指すイギリス発祥の考え方。「インクルーシブデザイン」という用語は、1994年にロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アートの教授、ロジャー・コールマン氏が用いた。理念はユニバーサルデザインと共通するが、アプローチの仕方に違いがある。ユニバーサルデザインは「7原則」が発想の基準にあり、一方、インクルーシブデザインは原則を設けずユーザーとともにデザインを考えていくため、課題の発見、仮説の生成に適する。また、ユニバーサルデザインは機能重視の傾向があるが、インクルーシブデザインではユーザーの精神的な満足度にも重点を置く。
【6】コトバ身体
YCAMで行われた言葉と身体の関係性について学ぶワークショップ、およびワークショップを通じて制作されたソフトウェア。振付家の山下残氏との共同開発。YCAMが開発したソフトウェアを用いてコンピュータに取り込まれた身体イメージに参加者が当てはまると思う言葉をタグ付けし身体イメージと言葉を組み合わせ、データベース化していく。
【7】ミニ・フューチャー・シティ
まちの運営を通じて、未来の社会や環境の変化に対応できる子どもたちを育てるプロジェクト。塩瀬氏がプロジェクトリーダーを務める。子どもたちだけで運営され、レジやATMなどさまざまな機能を持つアプリがあり、電子マネー「LITコイン」を使ってまちの自治・運営を行う。すでにある社会の枠組みを縮小するのではなく、子どもたちが1からまちをつくっていくことで、自身で需要を見つけ仕事をつくる体験を促す。大阪では2015年からナレッジキャピタルで毎年開催。
【8】コロガル公園シリーズ
2012年からYCAMが手がけている、さまざまなメディア・テクノロジーが埋め込まれた公園型の遊び場。会期中には「子どもあそびばミーティング」というイベントを設け、子どもたちのアイデアを集め、随時公園をアップデート。子どもたちが身体を動かしながらメディアに触れ、遊びを通じて自律的、主体的な学びを促すように環境設計している。
【9】ローレンス・レッシグ(1961-)
アメリカの法学者。ハーバード大学法学教授、および同大学エドモン・J・サフラ財団倫理センター所長。サイバー法学の草分け的存在。クリエイティブ・コモンズなど、フリーソフトやインターネット規制に関わる団体にも積極的に関わっている。主著は、コンピュータ・サイエンスにおける意味でも、法学における意味でも、「コード」が社会をコントロールする手段となりうる方法について研究した『Code and Other Laws of Cyberspace』や、YouTubeのように受容者が同時に発信者でもあるような現代のRead-Write cultureに対して肯定的な見解を示す『Remix:Making Art and Commerce Thrive in the Hybrid Economy』など。
塩瀬隆之[京都大学総合博物館 准教授]
1973年、大阪府生まれ。京都大学総合博物館准教授を経て経産省産業技術環境局産業技術政策課技術戦略担当課長補佐を務め、2014年現職に復職。情報技術を用いた熟練技能継承支援システムの研究を行う。伊賀流忍者博物館顧問。NHK Eテレ「カガクノミカタ」番組制作委員。
菅沼聖[山口情報芸術センター(YCAM) エデュケーター]
1982年、愛知県生まれ。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業後、2009年に山口情報芸術センター(YCAM)のエデュケーターに着任。オリジナル・ワークショップの開発やファシリテーションなど、教育普及事業や地域資源の活用に関する研究開発プロジェクトの企画を担当。
参考文献:
・『インクルーシブデザイン 社会の課題を解決する参加型デザイン』(学芸出版社/2014年)
・『科学技術Xの謎』(化学同人/2010年)
・『YCAM GUIDEBOOK アートと社会をつなぐ、メディアの実験場』(美術出版社/2013年)
・『YCAM YEARBOOK 2017-2018』(山口情報芸術センター/2017年)