アイデンティティの自由を尊重してゆく社会的な風潮も育まれつつある一方、差別や想像力の欠如に、目を見張る場面もないまぜになっている現在。「障害」という言葉の持つ意味も、受け取る側の想像力と経験知に左右されています。いま私たちには、自分のなかにある先入観や偏見を検証し、想像の届く範囲と距離を時代や環境の変化によらずともアップデートしていく本質的な姿勢が問われているのではないでしょうか? 今回のCO-DIALOGUEでは、「ただその場にいることの力」をテーマに、一般財団法人たんぽぽの家の岡部太郎氏、サウンドエンジニア・東岳志氏にお話いただきました。
収録日:2018年1月26日(金)
場所:たんぽぽの家 アートセンター HANA[奈良県奈良市]
【2018年3月発行『paperC』no.016「CO-DIALOGUE」掲載】
その人の日常と向き合い、経験をとらえ直す
東:僕は、京都でサウンドエンジニアの仕事をしつつ、出町柳にある「山食音」【1】という、山道具の販売と南インド料理を提供するお店を運営しています。さきほどたんぽぽの家【2】を見学しましたが、障害のある人の自発的な活動をサポートする環境が整っていて驚きました。
岡部:たんぽぽの家は、1973年に市民活動としてはじまりました。今では、ここ「たんぽぽの家アートセンターHANA【3】」で障害のある人の表現活動の支援をしながら、一方で従来の福祉の枠にとらわれずに国や企業、教育機関などと連携して、「障害とアート」に関する活動を広く伝える取り組みも行っています。近年の大きな動きは、福祉と仕事の新しい関係づくりを考え、障害のある人の働き方を広げていく「Good Job! Project 【4】」、その拠点となる「Good Job! センター香芝【5】」の設立ですね。さまざまな分野の研究者やつくり手を巻き込みながら、協働による仕事づくりを模索しています。
東:岡部さんは、どんなきっかけで働くことになったんですか?
岡部:今から18年前、多摩美術大学でデザインを学ぶ学生で、地元・前橋で展覧会などのボランティアをしていました。2年生のときに手伝った展覧会で、たんぽぽの家メンバーの伊藤樹里【6】さんの書の作品と出会い、衝撃を受けたことがはじまりです。
東:運命的な出会いですね。
岡部:そうなんです。また同行していたたんぽぽの家のスタッフと話すと、アートに対する造詣の深さはもちろん、“障害のある人”ではなく、“ひとりの作家、人間”として作家と向き合う姿勢に強く感銘を受けました。それまで想像していた「福祉」とはまったく異なる活動に驚き、大学を1年間休学してたんぽぽの家でインターンシップすることに。急な決断で、周囲からは驚かれましたが、こんな僕でも受け入れてくれる懐の深さがたんぽぽの家の魅力だなと改めて思います(笑)。
東:見学しながら、メンバーに寄り添い、施設でできることを模索するケアの現場で働くスタッフの様子が伝わりました。
岡部:おっしゃる通り、メンバーの可能性や選択肢を広げていくことがスタッフの役割だと思います。障害のある人が「やりたい!」と思った気持ちを尊重し、途中で脱線しても見守る。“障害ではなく、人を見ること”や“できないことを悔やむのではなく、できる部分やこだわれる部分を伸ばすこと”を大事にしています。なので、現場のスタッフにはメンバーの日常にある小さな可能性の種を感じ取る力が求められます。
東:さきほど樹里さんはじめメンバーが創作活動に取り組む姿を拝見し、ミュージシャンの姿にも重なるなと感じました。彼らも日常のなかに音楽があって、それを、たまたま、あるいはイベントのようなかたちで聴かせてもらえる瞬間がある。そう考えると、どこまでが表現/発表で、どこまでが日常かも曖昧だなと思えてきます。あるとき、僕のようなサウンドエンジニアは、どこまでアーティストに付き添い、日々の創造性を拡げていくべきかについて考えたことがあって。岡部さんの話ともつながるんですが、専門的な技術や機材の話ばかりしなくてもいいと気づいた途端、「あ、すべて音のことに集中できる」と思ったんですよね。良い音楽を目指すには、アーティスト自身のことを考える時間を増やす方が早い。
岡部:おもしろい! たんぽぽの家での日常ともつながります。東さんは、どういうきっかけで、そう考えるに至ったんでしょうか?
東:素晴らしいエンジニアやミュージシャンには共通して、形容しがたい心地よさがあるんです。後で、お風呂に入りながら「あの人の前やと素直でいれるな」と、ふと気づく(笑)。「僕もそんなおおらかな空気感が出せたら、僕の周囲も音楽に包み込まれるのではないか」と仮説を立ててみたんです。実践知の蓄積が次の引き出しになるかな、と気長に考えています。
岡部:すごくわかります。障害のある人のアートと聞くと、一見神経質そうな表現や大胆な色彩の絵などをイメージする人も多いと思います。純粋性や天才性といった言葉で評されてしまうことも多い。でも作者本人に会うと、作品とはだいぶ印象が違うということがよくある。僕自身も、樹里さんの作品の奥にある、楽しそうに文字を書く姿、日常の言葉などに惹かれたひとりです。メンバーと過ごす日々のなかで、彼らの表現はもちろん、生活や存在そのものの魅力に気づき、この良さを伝えるためにスタッフと試行錯誤を繰り返しています。
山でもなく、アートでもなく、福祉施設でもないこと
岡部:東さんはサウンドエンジニアの仕事をしながら、食の分野でも活動されていて、とても興味深いです。
東:録音って、本当に難しいんですよね。アーティストが、マイクの範囲外で自由なことをした瞬間にレコーディングは破綻し、後々に語り継がれる“伝説的な瞬間”を取りこぼしてしまうこともある。それもあって、自由さも折り込みつつ録音できる方法を考え、試してきました。アーティストが万全な状態でレコーディングに向かえるようサポートするということもひとつです。食事を考えたり、良い声を出してもらうための走り込みをしてもらったり……。
岡部:なるほど、さきほどの「実践知が次の引き出しになる」というお話ですね。録音を通してアーティストと向き合うなかで、食もエンジニアリングの手法のひとつになりうる。
東:以前から、聴いたものが聴いたままに録音できないという課題はありました。聴いていた状態と同じように録音できるまで、マイクの位置を微調整したり、植物性の食品に限ってみて体内に取り込むものと聴取との関係を観測したり、試行錯誤してきました。自分のなかに音を聴く基準をつくる際には、「食」も外せない要素だと考えています。大きなきっかけは、2014年に開催された国東半島芸術祭ですね。飴屋法水さんと朝吹真理子さん、zAkさんらの作品《いりくちでくち》【7】の技術サポートをしていたのですが、現地の食事はスーパーでお惣菜を買うくらいしか選択肢がなく、滞在期間の後半は僕も含めつくれる人が食事をつくり、みんなで食べて、ひとつの作品をつくるという状況で、とてもおもしろくて。これを身の回りや地域で広げていくとどうなるかと考えてみると、すっと「エンジニア」と「食」がつながってみえたんです。
岡部:結局、創造性において大切なことは、日常をどう心地よく過ごすかということなんだと思います。そういう意味では、福祉の現場も、アートや音の現場も、ベースとなる部分は同じなのかもしれません。
東:僕のお店でも“山へ行くことは日常生活の延長”ととらえて、道具や食事を提供しています。僕の名前は、山の高いところを志す“岳志”と山好きな両親がつけたんですが、ここ10年ほどでようやく山の仲間が増えてきました。自分の使いやすい山道具をつくる人や、なかには10日間歩いて1日家に戻るような、歩くことが日常になる人もいて……。
岡部:山が日常になるという感覚は、僕には実感がないのですが、単なる健康志向ではないのだと最近わかってきました。
東:健康志向の側面もありますが、例えば山食音が考える「ハイキング」は、衣食住を持ち歩き、1泊以上が成り立つようにすることなんです。必要最低限のものを吟味して、寝袋を背負って山に登り、朝降りてくるだけで、自分の生活に何が必要で、何をすべきかが自然と整理される感覚があって。“日常を対象化できること”も魅力のひとつですね。
岡部:日常を少し切り離して、客観的に考えることができる。
東:そうですね。ちょうど、あそこのベランダとか寝やすそう(笑)。
岡部:(笑)。このアートセンターHANAができて早や10年ですが、こういう自由な空気を持つ場でさえも、気を抜くと固定化してしまうんですよね。それこそ、ここに日常と切り離して考えられる視点を持ち込む実験を繰り返しています。例えば、3年前の正月明けには、sonihouse【8】さんとともに、1階ギャラリーに置いた巨大こたつを囲み、障害のあるメンバーと24時間さまざまな番組を発信する「24時間こたつラヂヲ」を企画しました。アサダワタルさんや野村誠さん、櫛野展正さんなどゲストを招いてのトークやワークショップ、餅つき、コーラス、深夜はスナックと化す、なんでもあり(笑)! 観覧者も24時間何時でも出入りして参加できるという。
東:ウェブ配信を見たような気がします。
岡部:僕は福祉施設って、まちの公民館以上に使い倒せる場だと思っています。いろんな人が訪れて、さまざまな使い方をすると、ここで働いているスタッフやメンバーも新しい発見がある。そうすることで、障害のある人の存在や日常の魅力を伝えることもできると考えています。
東:なるほど。そういう場って、「アート」という言葉で表現するとわかりやすいけれど、別の視点をもたらしてくれるような……、もう少しのほかの言葉があるのかも。僕が考える「山」もしくは「自然」という概念も当てはまるかもしれない。よく「なんで山がいいんですか?」と聞かれるんですが、難しくて。実は、山じゃなくてもいいし。
岡部:そうそう。アートでなくても仕事かもしれないし、遊びかもしれないし、スポーツかもしれない。そういう多様な切り口で見たときに、さらに輝くものがあるはずなんですよね。たんぽぽの家の理事長・播磨靖夫【9】からは「異なったものとつながれ」とよく言われます。播磨自身が元新聞記者で、福祉関係者でも美術関係者でもない。根がジャーナリストなんです。「どちらでもないということが強み」とも話していて、たんぽぽの家自体そういう存在なんだと思います。福祉施設のようで福祉施設ではない。アートセンターのようでアートセンターではない。「じゃあ、何?」と自ら問いかけながら実践していく場なんだと思っています。
個人として付き合うほどに、何が障害かわからなくなる
東:日常や生活の「心地よさや豊かさ」を問われたとき、僕は“考え、妄想する時間を長く持つこと”だと考えます。日常の些細な情報から「なぜそうなのか」と、間違ってもいいから仮説と検証をしてみるんです。例えば「インドの人はカレーを手で食べるけれど、なぜ?」のように、手で食べてみてわかることもある。久しぶりにスプーンで食べると、熱くても食べられる(笑)。仮説と現実の差を楽しむ時間が多いほど、いろんな場面で偏見のない状態を保てる気がします。突然に出会ってしまう不思議な状況を受け止めるときって、すでに知っていることしか手がかりがない。何が起きても偏見なく物事を見たいという願望があるんですね。
岡部:東さんの「ほんまにそうなんかなぁ?」とものごとの根底を疑う視点は、子どもの頃から身についていたんですか?
東:小さな頃から自然のなかで起こる現象に興味がありましたね。なぜここは晴れているのに、あっちでは雪が降るのかと調べていったら、暖かい空気が上昇して冷たくなっているところへ落ちていく、その単純な繰り返しに気づくわけです。そして、お湯を沸かしながら、鍋のなかの気泡が雲の流れと同じ動きをしている様子を見て、「きれいやな」と感情が勝手に揺り動かされる。岡部さんは、豊かさをどう考えますか?
岡部:僕の場合は、生活のなかでいろんな文脈を持つことが豊かさにつながると思っていて。東さんが雲と気泡の流れの共通性を見たように、体験を多様な文脈でとらえ直せることが重要だなと。今その場にあるもので楽しむ、ブリコラージュ的思考とも言い換えられるかもしれません。
東:その思考が発揮される場面って、どういったときですか?
岡部:例えば、樹里さんは薬の殻を大量に集めています。それを知った周囲の人も、いつしか自分や家族が飲んだ薬の殻を持ってきて彼女に渡すようになり、いつの間にか樹里さんは「◯◯さんは、こういう痛み止めを飲んでいる」という情報もすべて記憶していて。薬の殻を介したコミュニケーションを通して、樹里さんという存在から生まれる独特の文脈を感じられるなと思ったんです。だから、樹里さんのご両親も薬の殻を捨てなかった。
東:でも日常において、表現活動の幅と文脈を見定める作業は、際限がなくて、とても大変なことですよね。
岡部:そうなんです。福祉サービスの評価につながることでもないし、数値化されることではないけれど、それこそが大事だったりする。流れ作業的な仕事が多い現場は、一見“非生産的”なものは切り捨てられてしまう傾向があります。でも「これもその人の大切な表現かもしれない」と想像できたら、その行為自体を大切に思えると思うんですよね。
東:その場に漂う空気感のように測れないものですが、それがたんぽぽの家の良さでもあるのでしょうね。
岡部:そう思います。だからこそ、僕やスタッフがたんぽぽの家で感じてきた“存在することがその人の仕事かもしれない”という気づきを、うまく伝えていきたい。お金を稼ぐだけでなく、その人の存在が認められる、その人がいないと成り立たない、そんな環境やコミュニティをつくることが本来の“仕事”なんだと思います。世間ではできないと思われている人たちが、それをやることに意味がある。ちなみに樹里さんは、薬の殻集めを「これはお仕事です」と断言していて。でも国内外の美術館から出展依頼があって、結局本当に彼女の仕事になったんです(笑)。
東:障害とは何なのか、もう一度とらえ直すことにもつながりますね。
岡部:周囲に障害のある人がいないと想像しづらいことも事実で、まだまだ社会で“不自由な存在”という認識しかないように感じます。
東:認識の解像度を上げていく必要がありますよね。音に置き換えてみると、音楽ジャンルのひとつである「ノイズ」も、一聴してその全体像をつかむことは難しい。だけどフィルターで一つひとつ解像度を上げて、音像を分析していくと、きれいなサイン波になるんです。
岡部:ほとんど同じことですね。解像度や受信感度を上げることで、もやっとした全体ではなく、より“個”が見えてくる。6年ほど前に韓国へ行ったのですが、北朝鮮の障害のある人と交流している研究者に出会ったんです。その人から、北朝鮮特産のハリネズミの毛先を使った爪楊枝を1本だけお土産にいただいて。そのときはじめて「あの国のどこかで、これをつくって、その収益で生きている人がいる」と、国という単位ではなくそこに暮らす1人の人間を想像しました。1本の爪楊枝から、それまでマスメディアの情報からでしかわからなかったステレオタイプな国や人種などのイメージがガラッと変わるという体験をしたんです。
東:僕の場合、“聴く”ことが想像へとつながり、自分の知るメロディや音質といった偏りを無くすように思います。例えば、フィールドレコーディングをして、音を聴き対象を深く知るほど、アーティストが出す音とその周囲にあるノイズの境界、大きな括りとしての「ノイズ」がわからなくなるんです。全体と思っていたものが、何かの音の集合だと知る。
岡部:福祉サービスを受けるなど、社会的なサポートを得るために、障害に種別や区別をつける必要性があるのは事実です。ですが、彼や彼女の表現のクオリティの高さや存在のユニークさを目の当たりにすると、もう何を障害としたらいいのかわからなくなる。もちろん、障害があるだけで、すごい作品ができるわけではありません。表現は、自身の生活歴や興味の範囲、こだわりの度合いとイメージを実現する技術、そしてなにより周囲の受け止め方が絡み合って成立するものです。そんな世界にいると、自分が「障害者ではない」とも言い切れないし、逆に「健常者ってなんなんだ」と揺らぎますよ。そもそも人間の幅そのものが、自分の想像以上にうんと広いんだなと感じる毎日ですね。
【1】山食音(やましょくおん)
南インド料理を提供するヴィーガン食堂と、ハイカーのための山道具メーカー「山と道」が共同運営するスペース。2016年オープン。山道具の販売および展示、山でのフィールドワークなど企画する山部門、京都の野菜を使った定食やスイーツ、野菜販売等の食部門、カセットテープレーベル「kolo」の拠点、ペアマイク録音の受付窓口などの音部門。各分野が交わる場所を目指している。
【2】たんぽぽの家
「アート」と「ケア」の視点から、アートの社会的意義や市民文化について問いかけるさまざまな事業を実施する「一般財団法人たんぽぽの家」、障害のある人の「アート・ケア・ライフ」を柱に、日中活動・就労支援、相談支援・生活支援、福祉ホーム、地域の配食サービスなどを行う「社会福祉法人わたぼうしの会」、そして、たんぽぽの家の運動を支える市民活動団体「奈良たんぽぽの会」の3つの組織で構成。
【3】たんぽぽの家 アートセンターHANA
2004年にオープンした、たんぽぽの家のコミュニティ・アートセンター。すべての人がアートを通じて自由に自分を表現し、互いの感性を交感することができる場として機能。障害のある人たちが個性を生かしながらビジュアルアーツやパフォーミングアーツに取り組むスタジオ、今を生きる人たちの表現を紹介するギャラリーなどを擁する。障害のある人の表現を通し、社会を豊かなものにすることを目指す「エイブル・アート・ムーブメント」の活動拠点。
【4】Good Job! Project
障害のある人とともに、アートやビジネスなど福祉の領域を超えて、新たな仕事や仕組みづくりを目指すプロジェクト。2012年、大阪で初の展覧会「Good Job!」を開催し、障害のある人の表現を活用した魅力的なプロダクトを紹介。2013年からは「Good Job!展」と題し、プロダクトに限らず、今までの労働観では考えられなかった仕事・働き方を生み出している活動・仕組み・メディアなど、全国のさまざまな取り組みを展示、タブロイド紙『Good Job! Document』とともに発信。
【5】Good Job! センター香芝
奈良県香芝市に位置し、Good Job! Projectの活動拠点として、社会福祉法人わたぼうしの会が運営。設計は建築事務所「o+h」。「アート×デザインによる新しい仕事の創出」「異分野をつなぐプラットホームの構築」「所得の再配分から可能性の再配分へ」という3つのヴィジョンを掲げ、障害のある人とともに分野を超えた協働のなかから、社会に新しい仕事をつくり出すことを目指す。カフェでは美味しいコーヒーとホットドッグが人気。そのホットドッグをキャラクター化し、3Dプリンターと手仕事を組み合わせた張子の「Good Dog」を製造・販売。ほかにもオリジナルグッズの製作や全国のユニークな商品を流通する仕事も障害のある人が担う。
【6】伊藤樹里(いとう・じゅり)
1977年生まれ、奈良県在住。アートセンターHANA所属、エイブルアート・カンパニー登録作家。日常的に鉛筆で書いていたニュースの文字を筆で書くことを発見してから、書が最も好きな仕事となった。毎日の気になる出来事や、覚えた自慢の漢字を、とめどなくしゃべりながら書く。漢字をたくさん書く「漢字シリーズ」、日常の出来事をつづった「新聞シリーズ」をはじめ、人の名前など、身近なところから題材を見つける。
【7】《いりくちでくち》
2012年に「国東アートプロジェクト」にて発表された10時間におよぶツアー型パフォーマンスプロジェクト。2014年に国東半島芸術祭にて再演された。1300年前の風景がいまだに残る大分県・国東半島の自然や、神仏習合の文化とそこでの暮らしを感じながら巡る1日のアートツアー。食事も含めて、その体験がひとつの作品として提示されるアートツアーを、演出家・飴屋法水と小説家・朝吹真理子をはじめとするメンバーが国東半島に滞在し、現地の子どもたちとともに制作。
【8】sonihouse
音とそれにまつわる場とデザインについて考え実践する、奈良の工房兼スペース。鶴林万平氏と長谷川アンナ氏が主宰。自宅を音響機器の固定された器としてとらえ、理想の音響環境を生活空間に構築し、観客をその場に招くことでプロジェクトが発展すると考え、2007年より自宅を「sonihouse」と名付け活動を開始。12面体スピーカー「scenery」の設計から設置、自宅を会場とした「家宴」の企画などを行う。
【9】播磨靖夫(はりま・やすお)
1942年生まれ、兵庫県出身。一般財団法人たんぽぽの家理事長、社会福祉法人わたぼうしの会理事長ほか。新聞社記者、フリージャーナリストを経て現職。芸術文化を通して人間が人間らしく生きていくことのできる社会をめざし、その取り組みとして「障害者アート」や「芸術とヘルスケア」の試みを続けている。編著に、『生命の樹のある家』たんぽぽの家(2003年)ほか。
岡部太郎[一般財団法人たんぽぽの家 常務理事]
1979年、群馬県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。高校時代から地元の前橋市にてコミュニティアート活動に参加。1999年に前橋市役所で開催された「Group文字屋」展をきっかけにたんぽぽの家と出会い、2003年から現職。国内外で障害とアートに関するプロジェクトを展開。
東岳志[山食音 店主/サウンドエンジニア]
1980年、奈良県生まれ。音楽や映画の音響を担当。日常の音楽や風景の感動はどこから来るのか多角的に検証をしていくなか、食べることや身体を使うことが非常に重要であると考え、2016年にヴィーガン料理と山の道具を扱う「山食音」を、「山と道」と共同で京都・出町柳にオープン。
参考文献:
・著:ジャン・ウリ『コレクティフ サン・タンヌ病院におけるセミネール』(月曜社/2017年)
・著:國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院/2017年)
・『なやんで ひらいて 2歩すすむためのハンドブック』(障害とアートの相談室/2015年)
・編著:播磨靖夫『生命の樹のある家』(たんぽぽの家/2003年)