撮影するとは、カメラの前のなにかと伝達し合うことだ。対話することだ。影響を及ぼし合うことで現れる差異は、カメラの前のなにかを傷つけ、それによって私も傷つく。誰かを、何かを知ろうとすること、知ったことを伝えようとすること、なぜそれをやめられないのだろう。撮る行為は、理解したいという欲望からきている。理解したいというのは、一見ポジティブではあるが、その欲望を向けられた方はどうだろう。対話したくないときもあるだろう。話したくても、その伝達の仕方がカメラの前に居る/在ることとは限らない。
私はカメラの位置をよく間違う。向こうの話に耳を傾けていない証拠だ。カメラの前のなにかを自分が想像できるイメージ内に収めたいという欲望。それは理解への欲求ではない。わかったつもりで安心したい欲望だ。矛盾するこのふたつの欲望を私は確かにもっている。未知のものを未知のものとして受け混沌に身体をひらくことと、未知のものを既存のなにかに当てて物語ろうとすること。私は人を撮ることがこわい。上記の欲望を支配できるかわからないし、それによって人が傷ついたり、傷つけられたりするのは嫌だ。それでも撮りたい時空間が、人間の営みが、営みの痕跡が世界にある。勝手だ。だが撮影をやめても、地球上でたったひとり取り残されない限り、私はあらゆるコミュニケーションのなかで己の欲望に試されるだろう。家族や友人、撮影スタッフ、居酒屋で隣になったおじさんとやりとりするなかで。
私の拠り所は、私の撮影したものが制作過程だけでは完成しないことにある。カメラによって切り取られたイメージは、スクリーン上で観客が各々の個人的記憶や思考を投影することによって、はじめて像を結ぶ。作品が作家から離れ、個々の観客との対話が生まれる。スクリーン上のやりとりが、作品を唯一絶対の真実から開放してくれると信じたい。
小田香 / Kaori Oda
1987年大阪生まれ。フィルムメーカー。
2016年タル・ベーラが陣頭指揮するfilm.factoryを修了。第一長編作『鉱 ARAGANE』が山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門にて特別賞受賞。
2019年『セノーテ』がロッテルダム国際映画祭などを巡回。
2020年第1回大島渚賞受賞。
2021年第71回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。twitter https://twitter.com/_kaori_oda