一筋縄ではいかない。とはまさにこのことで、大阪のエム・レコードは古今東西の知られざる名盤から特殊盤の検証復刻、だけでなく現在進行形の作品まで、縦横無尽にこれまで200タイトル以上をリリースしてきたレコードレーベル。その唯一無二っぷりからか、一部のリスナーには“レコードレーベルの最高裁”と呼ばれたりも。大阪が誇る、誇らなくてどうする? そんなエム・レコードの止まらない熱量のワケを知るべく、主宰の江村幸紀さんに話を聞く。段ボールだらけの事務所ではYabemilk『Sweet Flavor』が軽快に鳴っている。
収録:2022年3月4日(金)
場所:エム・レコード
――このインタビューはエム・レコードをご紹介するもので、過去のリリース作品のすべてについてお伺い……
江村:えー、めんどくさいわ~(笑)。
――……することはできませんが、よろしくお願いします。まず、江村さんの最初の音楽体験を教えてください。
江村:4歳離れた兄が山下達郎の『For You』とか聴く人で、そんなのを小学校の頃に耳にしてました。それから貸しレコード屋に通ったりです。80年代に一度、再評価があったときははっぴいえんども聴いて、なんか暗いな〜と思ったり。最初に自分で買ったのは(大瀧詠一の)“ロンバケ”のカセットです。それが小6のとき、兄にそそのかされて。山下や大瀧が子供時代の自分のなかで一角を占めてました。ラジオやMTVで洋楽も聴いてて。
――物心ついてからはバイトしてレコードを買ったり?
江村:高校の頃は、校則でダメだったんだけど、夏休みとかの間に役所の建築課でバイトしたり。あとこっそり隠れてガソリンスタンドとか。あんまり覚えてないですが、とにかくバイト代でレコードや本を買っていました。
――ご出身は広島ですよね。大学を機に大阪にやってきた。
江村:あの頃はレコードマップが分厚くてね。いわゆる町のレコード屋さんが無くなりつつあった頃ですけど、西田辺のフォーエバー(レコード)とか、いい店はまだいっぱいあった。あり金ぜんぶ投入して買える限り買ってましたね。
――どんなレコードを買ってましたか?
江村:目の前にあるものと、それとメールオーダー。オルタナ、ヒップホップ、ポップス、ワールド、イギリスのインディーも好きで、日本の音楽ももちろん買ってました。スーパー雑食は当たり前、ってのは、自分だけの話じゃなくて、新人類世代のあとの僕らの頃には、特定の音楽へ結びつく必然性がもはやない。すべては偶発性で、ジャンルとかも関係なくなる。音楽が好きだから(ジャンルは)なんでもいいんですよ。先輩や友達が教えてくれたら買ってみる、みたいな。カウンターとしてロックやレゲエを聴くなんてことはない。
――四ツ橋にあったレコード店、ジェリービーンで働かれていましたよね。
江村:21、22の頃です。店に行ったら「働かない?」って声かけられて。ジェリービーンの元であるタイムボム(※第二清水町ビル時代)でセイント・エティエンヌとフガジと60年代ガレージパンクを一緒に買うとかしてたからかな。目を付けられていたみたいです。ここなら音楽が聴き放題だし働くことにしました。まぁ、なんにも考えてなかったです。当時は、まだレコードが売れてる時代だったから、小さい店だけどスタッフ5人いたし。今では考えられないくらい、年商もすごかった。心斎橋のパルコにも支店ができて、細かい仕入れもかなりしていたので、東京から来たお客さんが驚いて喜んでもらえてた。ジェリービーンには4年くらいいました。
――ジェリービーン時代の思い出は?
江村:音楽だけじゃなくファッションも含めて、その都度の流行りみたいなものを学んだというか。たとえば、店のモッズの同僚から毎日ファッションチェックされるわけ。「その服は無いんじゃないの?」とかって。ある日、礼服にナイキのジョーダン、っていう謎の格好して行ったら「イケてる」って褒められたり(笑)。無茶苦茶でした。
――DJしたりは?
江村:そんな面倒臭いことやらないですよ。オファーが来たら(現在NEWTONE RECORDSの)斉藤くんにお願いしてました。自分は世の中レイブで盛り上がってる時代に家でレコード聴いて本読んでたから。根暗ですよ。パーティーピープルにはなれなかったです。でもオタクとはちょっと違うのかもしれない。レゲエにハマってもドレッドにしたりするわけじゃなくて、音楽が好きだから聴いてるだけなんで、(ドレッドにしないと)リスペクトが足りない、って言われたらそれってどうなんって感じです。今、そもそもこれが正しい方法なのかわからんけど、なんとかやっていけているのは、そのときに将来への投資をしてたってことになるのかもしれません。
――では1998年にエム・レコードをはじめられたきっかけは?
江村:レコード店で働いていたので、売れるものがみえてたし、インディーの流通網もある程度はわかっていました。当時たくさんあった小規模のディストリビューターも知り合いだったんで、まず自分にとってはハードルが低かった。要はお金さえあればできた。
――レーベルの資金は測量のバイトで貯めたんですよね。
江村:そう。仕組みはわかってたから、とにかくセールスを上げないとレーベルをやる意味がないし、存在価値もないって信じ込んでました。でも、それが大きな間違いだったことに途中から気づく。理由は幾つかあって、交通事故の経験も作用してますが、実際にはこれを出せばいける、というのはなんとなくわかるんだけど、なんかしらけるのよ。あー、はいはい、でもやる気ね~って。1枚つくるには相当なエナジーと時間が要るんで、生半可なしらけた気持ちではできないという意味です。
――売れるものと自分がリリースしたいものは違った、と。
江村:そうとわかってるものを出すとやはりそれなりに動くんだわ、これが。でも、レコード店での仕入れ経験で気づいてましたが、自分が本当に好きなものは売れない。これが。悲しいことに(笑)。そういえば、60年代にフィル・スペクターが、フィレスってレーベルをやってたときに、ラヴィン・スプーンフルのプロデュースを頼まれて、スペクターは、売れるんだろうけど、やる気ね~って断る。歴史的人物と比べるのは気が引けますが、その感覚はシェアできる。
――江村スペクターとして共感?
江村:だってレーベル名も、フィル・スペクターがフィレスなら、江村幸紀ならエムだろ?って。
――シャレですね。
江村:そう。ジョークですよ。でもシャレのわからない人が増えたね~。7thコードから抜けられない方々も多いしね。名前なんて究極はどうでもいいんですよ。大切ではあるけど、絶対ではない。なら、シャレのほうが救いがあるでしょう。
――2021年の現時点で、200作品ほどリリースされていますね。
江村:非売品とかノベルティを入れたら250枚くらいつくってるかな。全部、本気でやってるからね。とにかく真面目なんですよ、私は(笑)。
――ずばり、エム・レコードでリリースする作品の基準とは?
江村:こんなCDやレコードを買いたい、ということ。だから自分のためにやってるようなところもちょっとある。インディーレーベルってそういうことじゃないの? 普段から研究の真似事をしてるし、知らない音楽を聴くことがもともと好きなんで、その文脈をたどりたい気持ちもある。そこにストーリーがあれば、なおさら興味をそそられる。でも真の奥底は霊験に近くて、私自身も把握できていないので「よくわからない非合理さ」ということにしておきます。曽我部(恵一)さんもレーベルやってるでしょ?
――ローズレコーズですね。
江村:たしか、曽我部さんも、レーベル運営がこんなにもしんどいとは……って言ってて、まったく同意します。1998年が国内CDの製造枚数が一番多いピークの年で、うちはそのときにはじめた。一所懸命つくったものを提案すれば、それなりのレスポンスはあった。リスナーの自主性が活きていてリリースを通じて対話できたんです。当時は宣伝もしなかった。今は業界がマメに宣伝しないとダメっていう体質になっちゃって、リスナーの大切な部分を退行させてるかもしれない。まあ、この20年で多くの人の所得が落ちて、欲しいCDやレコードも存分に買えない事情はある。そこに付け込んだのが配信のような気もする。
――エム・レコードのコンセプトは、“聞いて楽しみ、見て楽しみ、読んで楽しむというエンターテイメントをひとつのソフトに封じ込める”ですが、設立されて24年、現在もそこに変化はありませんか?
江村:ありません。で、そこに付け加えるなら、アーカイブとエンターテイメントとアートの中間を打ちぬく第四項を狙う、っていうのがある。学術的なアーカイブにもなって、ワハハと笑えるエンターテイメントでもあり、飾ってみてもよい、その中間。長年リサーチしたり、いろいろ聴いてわかったことだけど、ものごとには概してはじまりがあって、そのはじまりの人が好きなんだよ。オリジネーターとも言うけど、音楽もたどっていくと必ずイノベーターがいる。それをリスペクトしている。はじめた人は周囲に理解されない場合が多いし、困難なわけ。そこをリサーチして、リリースに漕ぎ着けることはアーカイブを目指す場合は重要かな。新録に関してはまた別ですけど。
――現在進行形の音楽家の新作もリリースされています。最近ではタイのJUU & G.JEEに、日本人ではYPYやTakaoだったり。大阪ローカルで言えば、最初は2002年の一番星クルーの「かんにんして」ですね。丸腰のおっさんたちの本気の音楽に慄きました。
江村:一番星クルーはただ単純にいちファンの心意気です。あれはいい意味でアホの7乗というか(笑)。しかしこれが細々と売れ続け、昨年ついにストックが無くなった。あのB面は「交通事故」っていう曲だけど、あれを出した2日後に交通事故したから自分的には呪いのレコードでもあります(笑)。
――ライナーの丁寧な考察や解説、そして装丁など、エム・レコードがリリースするモノが持つ、いわば“念”は配信時代により際立ってくるように思えます。ご自身ではどう考えています?
江村:自分はレコード店の出身ということもあって、パッケージングが身に染みているのです。(音楽配信は)スーパーフラットでしょ。村上隆じゃないけど、すべて等価値で歴史も何も区分がない。その等価の感覚が本当にもたらすものについては、後の研究考証の話になるんで自分にはわからない。スーパーフラットの世界に起伏をつけるなら、自分で勉強して聞くしかないわけ。たとえば、CDのデザインやパッケージは見るだけでおおよそ年代はわかるけど、配信の端末ではできない。ところで、(エム・レコードの)初期作品を見ると粗だらけで我ながら死にそうになるよね(笑)。納品されてきた完成品を見たら突然、誤植が見えてくるみたいな、そういうことないですか? だから次にはベストなものをつくりたい、という想いで続けています。
――リサーチしながら自分がほしいと思うレコードをつくって発表していく。それは自分の頭のなかの、ひとり会議で決めていくわけです?
江村:今はありがたいことにアイデアを出し合ってくれる人たちがいるんですよ。俚謡山脈とかSoi48とかstillichimiyaとか、AVYSSの佐久間くんと話し合ったり。自分会議で決めるのは半分くらいかな。そこでもリリースに関して換金化の論理ではあまり考えないようにする。それを軸に考えると好きなことができなくなるからね。
――自身でエム・レコードはどんなレーベルだと考えます?
江村:もう無茶苦茶言われてます。“レコードレーベルの最高裁”(笑)とか。“日本一根性のあるレーベル”とか。海外の記事では“インサイダーズ・フェイバリット”って紹介されて、なんやそれ?って。
――ミュージシャンズ・ミュージシャンのような。
江村:それはわからない。もちろんヘイターもいるだろうし。まぁ、好きも嫌いも表裏一体だと思うので。
――まもなくリリースされるのは、94年に発表された銅金裕二/藤枝守『エコロジカル・プラントロン』のリイシューですが、植物の声を聴く、という作品でこれまたエム・レコードらしい? 不思議な問題作。
江村:銅金裕二さんは植物学者で、研究で植物に電極を付けてその電位変化を音や映像にするシステムを開発して、これがクソヤバかった。最先端サウンドアードなんですが、実はハイ・アートのふりをして「人間中心主義」を打ち抜こうとする装置であるというのが核心です。
――この作品のように江村さんが発掘して再発するのではなく、ミュージシャンからの売り込みもあります?
江村:いっぱいありますよ。つい最近、ドイツでクラシックをやってる17歳のオーボエ奏者の子から連絡がきて。メールの書き出しが「人生の意味とはなんでしょうか? すべては幻想なのでしょうか?」って、すごくないですか?
――引き寄せてますね。
江村:「すべては幻想です。あなたがそう信じるなら」って返信したけど。聴かせてもらった音楽もちょっと普通じゃなかった。「でも、なんでこんな極東のしょぼいレーベルに連絡くれたの? ヨーロッパには有名な堅気のレーベルいっぱいあるでしょ?」って書いたら、有名とか無名が問題じゃない、自分のセンスにフィットしたから、っていうことで。それで、「実際、私はあなたをどうしたらいいのでしょう?(笑)」って今聞いてるところです。
――唯一無二のエム・レコードの魅力が世界に伝わってますね。では最後に、あらためてインディーレーベルを運営する魅力とは?
江村:今も変わらず、企画から販売まで自分でできるのがインディーの要所です。インディー魂ってのは時代に常に必要とされてて、かっこよく言えばDIY、かな。便利さとは反対の世界で生まれる創造性です。自分が考えるインディーっていうのはメジャーの下位でも亜流でもなく、合理組織化とはまた違う概念ということです。日本ではかつてパンクの人たちがそんなスピリットを広く保持してたとこもあるけど、今はその辺に転がっているようなものじゃないから、自分から向かっていかない限りは見つからないものになったと思う。最近出たレインコーツの評伝を読んで再確認できました。やっぱりパンクしかないなと。
――個の価値観を形にして世に問うていく、そんな痛快さがある、と。
江村:価値観っていうところでは、昔、ドラム&ベースレコードの林さんから聞いたんですが、昔のジャマイカのプロデューサーはレゲエの曲をホースレースに喩えていた。シングル盤は競馬の馬券と同じだと。要するに音楽自体の価値ではなくて、現金化できるかどうかという価値を中心にしている。昔から音楽の判断で主にセールス量にのみ関心がある人も一定数はいる。今だとフォロワー数が100万人だから、とかそういう価値観です。右に倣えというのは道徳ベースのことですけど、倫理感を育てる土壌がないので個人主義が根付かない日本では、それがより強いのかなあ。まぁ、みんなが良いって言ってるから聴く、っていうのはピュアな気持ちだとも思う。けど、それだけじゃつまらないでしょ?
エム・レコード
1998年に設立。大阪を拠点としたレコードレーベル。ポップス、ロック、レゲエ、タイのモーラム、電子音楽、ミュージックコンクレート、鳥の鳴き声による交響曲、ジョン・ケージなどなど、古今東西の知られざる名盤から特殊盤まで、主宰の江村氏のいちリスナーとしての視点で解釈、提示しパッケージングするレコード/CDレーベル。
銅金裕司/藤枝守『エコロジカル・プラントロン』
CD2枚組・LP版 2022年4月8日(金)各発売予定仕様:CD2枚組、デュオケース、28頁ブックレット封入
解説:銅金裕司、藤枝守、江村幸紀トラック:
【DISC 1】
“Ecological Plantron”(The 1994 original recordings)
1.Evening
2.Night
3.Morning
4.Afternoon【DISC 2】
1.Mangrove Plantron(1995, previously unreleased)
2.Pianola Plantron(1997, previously unreleased)仕様:LP=12インチLP(初LP化)、3mm背スリーブ、6頁インサート封入
解説:銅金裕司、藤枝守、江村幸紀トラック:
【Side A】Evening(from “Ecological Plantron”)
【Side B】Night(from “Ecological Plantron”)※LP版は1994年録音の全4セッションから2セッションを抜粋収録。完全版はCD版のみの収録
「植物からみた生きものたちのインターフェイス」。植物の視点から我々の身体を包み込む生態系の連鎖を音によって体感させるインスタレーション、『エコロジカル・プラントロン』(1994年)を再検証復刻。
植物学者の銅金裕司が、植物と話し、植物から話しかけてくるような装置を目指し、1987年から研究開発した画期的なシステムそれが「プラントロン」だ。マックPCがまだ「オカルト的な感じ」(銅金談)を漂わせ、一台の値段で軽トラが2台買えた時代、マックSEと脳波測定機材を使って独力で実験を続けシステムを考案。植物から電位変化を取り出して人間の知覚できる音や映像にかえるこの装置は、ソフト面でもハード面でもかつて遭遇したことのない世界を提出する。
「プラントロン」は90年代初期に研究の場から公の場に登場するや、マスコミで取りあげられ一種の<現象>となり、NHKの番組で特集され、2007年にはNTTインターコミュケーションで大規模展示を行っているが、この装置の原点的意味がどこまで浸透したかは不明だ。銅金のとなえる「植物中心主義」の態度は相当に挑戦的で過激であり理解者は少なかった。しかし、「プラントロン」最初のインスタレーションから30年経った2022年、脱炭素社会の構築を世界的な合意目標にあげた今、その先見性と実行に畏敬の念を表するよりほかはない。
『エコロジカル・プラントロン』(1994年)はこの「プラントロン」の最初のCD記録集である。銅金の「プラントロン」を作曲家の藤枝守のサポートで本格のインスタレーションに構築したもので、植物と人間環境の往信から生まれた電位変化がMIDI変換され、「MAX」プログラムを通して不定形かつ不規則なYAMAHAのFMシンセ音となって放出される。強引に例えれば、クセナキスやペンデレツキの図形楽譜曲にどこか似た雰囲気、あるいは予測不能な電子音を垂れ流すコンロン・ナンカロウといえるかもしれない。
生態電気といえばヒトの脳波を使ったデヴィッド・ローゼンブームやアルヴィン・ルシエ、ヤン富田らの実験音楽が思い出されるが、本作は人間が主役ではなく徹底して植物中心主義で、そもそも近代的な意味の<音楽作品>として提示されていない。
今回の復刻ではギャラリーで制作された自主盤音源をリマスターし、CD版には『エコロジカル・プラントロン』以降の二つの展示「マングローブ・プラントロン」(1995年)と「ピアノラ・プラントロン」(1997年)での未発表録音をボーナス・ディスクとして収録。初のLP版も発売となる。なお、本装置の1992年のインスタレーション公開以降、疑似類似の試みが出現しているが、そのオリジナルが「プラントロン」である。
解説には銅金の最新寄稿と取材文を掲載し、この装置の開発秘話、本作の意図を改めて探る。
(エム・レコードWebサイトより引用)