2022年5月22日に幕を閉じた国立国際美術館「感覚の領域 今、経験するということ」展。なかでも注目を集めたのが、神戸を拠点に活動するアーティスト・飯川雄大さんが2007年から取り組んできたプロジェクト「デコレータークラブ」の最新作だった。
デコレータークラブとは、海藻や石を甲羅につけて擬態する珍しいカニのこと。ある日、飯川さんはデコレータークラブを特集したテレビ番組を観た。画面の向こうではカニの姿を捕らえたダイバーが嬉々として驚きを表現しているものの、なぜかその感動がこちらに伝わってこない……。
海底に潜む珍しいカニに偶然出会えた瞬間、人はめちゃくちゃ感動するらしい。ならば、あらかじめ感動が用意された展覧会という仕組みに、ダイバーとカニの邂逅のような瞬間を持ち込むことができないか?というのが飯川さんの試みだ。そして、その感動や面白さを誰かと共有したいのに、うまく伝えられないこと。そこに普遍的なテーマがあると飯川さんは言う。
国立国際美術館の展覧会と時を同じくして、兵庫県立美術館のギャラリーで「飯川雄大 デコレータークラブ メイクスペース、ユーズスペース」展が開催された(2022年3月27日会期終了)。せっかくならば2つの会場をつなぐ作品を、と制作されたのが《デコレータークラブー新しい観客》(2022)だ。本作は、国立国際美術館と兵庫県立美術館、2つの展示室の間を観客が作品を持って移動するというもので、運ばれるのは18kgもある「重いカバン(ベリーヘビーバッグ)」。それを運搬する観客たちは、展示空間の内と外のつながりや作品とカバンの関係性、あるいは、作品を運ぶ自分はいったい何者であるかなど、さまざまな問いに晒されながら街を歩く。そもそも美術館から作品を持ち出して運ぶ、なんて経験はなかなかない。その光景を目撃した人も含め、道中が新たな鑑賞の場になるという作品だ。
本記事では、《デコレータークラブ 新しい観客》の体験を、アーティスト・松見拓也(contact Gonzo)の写真と体験者のコメントによって記録していく。
館内各所で無造作に“展示”された重いカバン《デコレータークラブーベリーヘビーバッグ》(2022)。それが作品だと気づき、重さを知ったとき、美術館の外に運び出したときに生じる感覚の変化もまた飯川さんが主題とするところ。
「あのカバン、忘れ物ちゃうん?」 「いいえ、作品です」
「さっき触ってる人おったよ?」 「はい、どうぞ触ってみてください」
「ん? 固定されてるん?」 「いえいえ、もう少し頑張って」
「うわ、めっちゃ重いやん(笑)。なんでこんなことするん?」
「もっとじっくり体験するために、兵庫県立美術館まで運んでみませんか?」
「今から神戸まで行かなあかんの?」 「1週間以内に運んでいただければ大丈夫ですよ」
「んー、ほな借りて帰ろか」 「ではB1インフォメーションで作品借用のお手続きを」
こんなコミュニケーションの末に作品が館外へ運び出されていく。兵庫県立美術館でも同様で、十数個用意されたカバンは何往復もした。飯川さんいわく鮮やかなカラーリングのものが人気なのだとか。
作品を運んでいると「それ飯川さんの作品ですか?」と声をかけてくれた女性がいた。見ると彼女も水色のカバンを携えている。以下は、彼女が体験後に送ってくれたメールより。
作品自体が私に与える影響がすごく不思議でした。ギリギリ持ち上げられるけど移動は無理かも……って重さで、自分の動きに制限がかかり、駅でエレベーターを探したり、いつも通る近道より整備された道を選んだりと、普段はしない行動をとることになって。でもそれが新しい発見につながってすごく楽しかったです!
電車を降りるときにすごく重そうに(実際重い)カバンを持ち上げる私を見て、近くの方が不思議そうに眺めてきたり、「石でも入っているの?」と中身を尋ねてきたりと、美術館でも起こっていた光景が身近な駅などでも再現されて、非日常である展示会場と日常が同期していく感覚がとても面白かったです。
外見からイメージされる重量よりも重そうに荷物を引きずる私の動きが、ある種パフォーマンスになっていて、たまたま居合わせた周りの人が意図せず鑑賞者になっているような、自分の身体が作品の一部になっているような感覚を覚えて、勝手に楽しくなっていました(笑)。
高地彩音さん(大阪市在住/会社員)
2時間弱で到着した兵庫県立美術館のギャラリーでは、「新しい観客」という巨大な文字がロープで描かれていた。このロープは会場中央に設置されたハンドルとつながっていて、もう片方の先は会場の外へとつながっている。どうやらハンドルを回すことでロープが牽引されることはわかるが、会場の外で何が起きているのかをここから知ることはできない。
実はロープの先は美術館のエントランスに描かれたもうひとつの文字「MAKE SPACE USE SPACE」につながっていた。このフレーズは、飯川さんが度々モチーフとする(自身もプレイする)サッカーにおいて監督が選手に助言するとき使うスローガンのようなもので、直訳すれば「場所をつくれ、場所を使え」となる。「動けるスペースのないところで何かをするんじゃなくて、ボールに絡む動きをする前に、それができるスペースをつくるために動く。そして、その空いたスペースを自分や仲間で使うということ」と飯川さん。この言葉を、自身の作家活動にも置き換えた。鑑賞の場・作品発表の場を自分でつくり出すことは、“新しい観客”を想像することと同義語だ。
2つの文字の連動を偶然見つけた運搬者は、はじめてこの作品の鑑賞者となりえる。それによって得られる感覚は、デコレータークラブと出会ったダイバーの驚きと同じく、なんとも共有しがたいものだ。その“うまく伝えられない”ことについて、飯川さんは作品を通して考える。
普段は美術館に行かないんですけど、ふらっと立ち寄った国立国際美術館に気になる絵画があって。そこでもう一度足を運んでみたら、今日は飯川さんの作品が目に留まりました。思わず衝動に駆られて作品を運んできちゃったけど、国立国際美術館に自転車置きっぱなしなんですよね。どうしましょう……(笑)。
やっぱり周囲の人に見られてる気がしました。自分がカニになった感じ? 電車とホームの間が遠いな、とか、点字ブロックがガタガタするな、とか、体感できる作品って楽しいんですね!
ヤマザキさん(大阪市在住/大学生)
飯川雄大 / Takehiro Iikawa
兵庫県生まれ。人の認識の不確かさや、社会の中で見逃されがちな事象に注目し、鑑賞者の気づきや能動的な反応を促すような映像やインスタレーションを制作。近年の個展に「デコレータークラブ―0人もしくは1人以上の観客に向けて」(千葉市美術館、2021年)、「デコレータークラブ―知覚を拒む」(高松市美術館、2020年)など。近年のグループ展に「ヨコハマトリエンナーレ2020 Afterglow—光の破片をつかまえる」(プロット48、2020年)、「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館、2019 年 )など。
【今後の展覧会】
飯川雄大「デコレータークラブ 同時に起きる、もしくは遅れて気づく」
会期:2022年7⽉30⽇(土)~2023年4⽉2⽇(日)
開館時間:9:00~17:00(⼊館は閉館の30分前まで)
休館⽇:なし(年中無休)
⼊館料:⼤⼈1,600円、大学・⾼校⽣1,200円、中・⼩学⽣800円
主催:公益財団法⼈彫刻の森芸術⽂化財団(彫刻の森美術館)