


将来の大阪文化を担うべき若手芸術家に大阪市が購呈している「咲くやこの花賞」の、令和6年度美術部門[現代美術]受賞者である野原万里絵の記念展示「名もなき地への思索」が、2026年2月27日(金)から3月23日(月)まで、大阪・北加賀屋のkagooにて開催された。
2025年以降に制作した新作を中心に、「1. 輪 / circle」「2. 知覚 / perception」「3. 火 / fire」「4. 秩序 / system」とテーマごとに空間を設け、作品を展示。ひとりの画家の思索の道のりを追うような構成となっている。
本記事では、ギャラリーツアーのなかで話された作家・野原万里絵の言葉を散りばめつつ、澤木亮平の写真とともに本展をレポートしていく。


輪 / circle

絵は、どうやったら絵になるのかなっていうのを、学生の頃から考えていて。
例えば、すごく簡単な話でいうと、「何かしらの線が描かれたら、それだけで絵になる」。であるなら、線の描き方自体を考えていくことをしたいなと思って、はじめました。定規を自作したり、型紙を使った制作をしたり。

いろいろと試しながら、線を1周すれば形になるということに気づいて。
「絵」という漢字は、私の名前にも入ってるんですけど、「糸」に「会」と書きます。「線」という字は、「糸」に「白」「水」と書く。「絵」は、「糸」になんらかつながりがあるのだろうと。


玉結びをしている最初の点から1本の糸がつながって形になっています。一筆描きですね。ここから始まって、表を通って裏を通って、こう戻っていって。
糸が直線になり、輪郭が生まれたときに、「自分の形」だと納得できるようなものを描けているのだろうか。そんなことを思いながら、いろんな形状を試して描いていました。




日本武道館の近くにある九段会館という、元軍人会館と呼ばれていたところに、ペイティングを恒久設置することになって。そのためにドローイングを描こうとしていたんですが、まったく思い浮かばなかった。
九段会館の近くを歩いていたら、お堀の水辺のところに、水草がぶわっと浮かんでいる景色が広がっていて。しかも風が強いから、水草が水面を動くんですよね。
水のなかには、ステンレスでできている樽みたいなものが置かれていて、円の内側にも外側にも水草があって。でも、水の流れる速度が違うから、水草の動きが予測できない。その景色は、ちょっと見たことないようなものでした。

私、そもそも物を動かすように描くのは苦手な人間で、でもドローイングだったらなんかできそうな気がして。
この作品は3つの絵を同時に描いています。同じ位置に円を描いて、この水草のひとつの単位をとにかくランダムに描いて空間を埋めていく。全部埋めてもいいし、埋めなくてもいい。
どんなふうに自分が水草を理解しているんだろう、みたいなことをちょっと試しています。

知覚 / perception



私はそれまで、木炭や顔料でも単色の顔料を使って、単色で濃淡を見せていく作品のつくり方をしていました。
2018年に、インドのクトゥブ・ミナールという遺跡を訪れたことがあって。そこで直感的に「この色を使いたい」と思うようになったんです。
そのとき写真をたくさん撮ったものの、帰国して見るとどうしても液晶の色、その写真の色としか見えなくて、実物の、その色そのものをなかなか思い出せない。


2020年に、国際芸術センター青森 ACACという場所で滞在制作をしたとき、「青森にもいい石がたくさんあるよ」「カラーの石いっぱい拾えるよ」と、地元の方に教えていただいて。
それからは、もう海での石集めに没頭して。石を握りながら、その色をアクリルで再現してみることを試みてました。
石自体が色見本になって、しかもいろんな人とつくるので、もう遺跡をつくっているような。












火 / fire


木炭や石もそうなんですが、熱がないとできないもの。この温度を感じるような、そういうまとまりとして、直感的にこの「火」の空間を構成しました。
ちなみに、この立体は木炭のようですが、実際はスタイロフォームとアクリル絵具を使ってつくっています。

この作品は、2019年以前によくつくっていたもので、2020年以降はコロナもあって大人数で何かつくること自体、なかなか難しくなってしまった。なので、止まっていた作品。
今回は近畿大学文芸学部造形芸術専攻の絵画ゼミの学生さん8名と一緒につくることができました。


ファンタスっていう銅色の紙を切り抜いて、その型紙に木炭を擦りつけてもらいながら描いています。型紙自体は、学生さんに現実の世界の写真を撮ってきてもらい、写真をトレースしてつくりました。
トレースの仕方は、例えば、何か葉っぱに見えるとか、ウサギに見えるとか、ペンギンに見えるとか、それが「そのままの見え方にならないものを必ずトレースしてください」とルール化して。
なので、ぱっと見た時に、これが現実の何をトレースしたかはわからないようになっています。


型紙は、8人が10枚ずつくるので、それを抜いた形と抜かれた形、それぞれ80枚、合計160枚あります。
床に木炭紙を敷いて、それぞれ新聞紙の靴を履き、紙の上で型紙を使って描き続ける。しゃがんだ状態で、2時間半から3時間くらいかな。真っ白の紙からはじめて、どんな景色にしてほしいかも伝えずにやってみようっていうので、結構ラフな感じで進めました。
地の色がある抜けの部分と描いている図の部分のバランス。あとは濃淡が同じような感じになっていないか。
途中で食パンを渡すんですよ。それを使って描いた部分を消していく。ただただ描き足すだけじゃなくて、引いていくことで抜けをつくる。そうすると、より複雑な画面になって、絵づくりが進んでいくわけです。




この作品でやりたかったことは、“絵の完成の仕方”を確認することです。制作途中に誰かが参加したときに、それを自分がどう追えるんだろう、結局いつも同じところに落ち着くな、と思っていて。
画面や空間の大小に関わらず、絵を描くときの自分の特徴として大事にしているのが、風がぶわっと吹いているような、ぼーっと見て視点が流れている感じにちゃんと動くかどうか、ということで。特に大きな作品では、そこで自分なりの完成を見ているなっていうのもあって。
完成していないときは、端から見ていくと、どうしても目がぱっと止まってしまう瞬間がある。本当は見てほしくないところで目が止まる、という感覚があって。風がちゃんと流れている、というときに完成を感じるんだろう、というようなことを考えながら描いていますね。
描いているときに、「ここを消すと流れが生まれるかな」とか、「ここに何かを足すと目が止まらなくなるぞ」とか。そういう本当に些細な変化が完成につながっていく感覚があって、でもそれは他ではなかなか確認しづらいんですけど。この作品は数年ごとに描くたびに「今年もどうかな」と思いながら手を動かしていて。
今回は特にその「風」のことを強く感じたので、タイトルを「風の吹く頃に」としています。

秩序 / system

最後の部屋は、12月以降に描いた、かなり最新作にあたるシリーズです。どなたもはじめて見るものだと思います。今回はこの部屋をカラーにしたいと思って、まだ絵がない状態で、先に「秩序」というタイトルをつけました。
自分の作品のなかで言葉として重要だと思っているのが、この「秩序」という感覚で。意識しないところで無意識に出てくる形や、いろんな考えがあるんですけど、それをどうやって統制して描いていくかが一番難しい。それぞれの絵から自分なりの秩序を見つけながら描いていくんですが、その秩序の見つけ方に、自分にとって特別なものを選びたいという思いがあります。その仕組みを考えながら、制作を進めています。

この部屋で秩序にあたるのは「必ず白いラインが入る」ということ。白いラインというのは、キャンバスの地の色——ジェッソに近いものですが——を残しているところです。白い部分以外は、色彩を使って行のように描いていくということ、それから、最終的には油彩でやる、ということを先に決めていました。
なぜそうしたかというと、2023年10月から2024年2月にかけて芦屋市立美術博物館で開催された企画展「art resonance vol.01 時代の解凍」がきっかけです。これは現代作家4名が収蔵品を調査・研究し、新たな解釈や視点を生み出すという企画展で、私も参加作家の一人として、山田正亮さんが遺した作品や50冊以上の制作ノートを読み解きました。
山田さんの作品には十字のラインがあり、その周りに色彩豊かにいろんな形状のものが描かれているんです。でも、その十字の周りには白いラインが残っている。実際に作品を見ると、それは後から塗られたものではなく、キャンバスの地がそのまま残されたもので。地を残すというのは、結構勇気のいることだなと思いながら見ていました。
山田さんについて調べていくと、パウル・クレーも同じような手法をとっていて、自分が好きな作家や気になる作家は、そういう手法をとっていることに気づきました。それが、今回の油彩を描くきっかけになったんです。

いろいろ考えるなかで面白くできそうだと思ったのが、小さい頃から繰り返し見ている夢でした。3種類あって、どれもはっきりとした色が見えている、少し抽象的な夢です。もしかしたら、それを描けるかもしれないと思って、最初に紙のドローイングからはじめました。額に入っているものが、その最初の作品です。
夢の内容はシンプルに言うと、こんな話です。2つのドアがあって、光が差していて、それがひらく。ひらいてからしばらくすると、遠くの方から大きな網のようなピンク色のものが自分に近づいてくる。でも逃げられず、逆らえない、囚われるような感覚があって。おっきくて、すごく綺麗だけど異様な、綱のようなものが近づいてきて、自分の目の前、頭の近くで止まる。揺れている。そういう夢です。
このイメージが自分のなかで何度も繰り返し出てくることが、何を意味しているのか、ずっと不思議で。現実の世界ではあまりない出来事なので、何とリンクしてるんだろうと考えながらも、気になる。描いてみたらわかるかもしれないと思って、描いています。緑の部分は邪魔なんじゃないかと思うこともあるんですが、実際に描いてみると、想像していたのとは違う見え方がして、またシンプルに描き直したりしています。








ここまで、野原自身の言葉で本展を振り返ってきた。線をつなげて輪をつくる。石の色を、実物の記憶として再現する。木炭と食パンで描いては消してを繰り返す。夢に繰り返し現れる形に、秩序を見出そうと試みる。
一見バラバラに見える4つの部屋を歩いてみると、そこに通底する野原の姿勢が浮かび上がる。まだ名前のつかないものに、形を与えようとする態度——それは本展のタイトル「名もなき地への思索」にもつながるものだ。問いを描き続けるための思索のようにも見えた。
野原万里絵 / Marie Nohara
1987年 大阪府生まれ。
2013年 京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修了。
2021年 第34回ホルベイン・スカラシップ奨学生認定。近年の主な展覧会
2023年 art resonance vol.01 「時代の解凍」 / 芦屋市立美術博物館 / 兵庫
2022年 VOCA展2022 現代美術の展望―新しい平面の作家たち― / 上野の森美術館 / 東京
2021年 大阪府20世紀美術コレクション展「彼我の絵鑑」/大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] / 大阪
2020年 個展「埋没する形象、組み変わる景色」 / 国際芸術センター青森 / 青森
咲くやこの花賞受賞記念展示
野原万里絵「名もなき地への思索」会期:2026年2月27日(金)〜3月23日(月)
会場:kagoo(カグー)
関連イベント【いずれも終了】
ギャラリーツアー
野原万里絵と巡るギャラリーツアー。kagooの展示作品から屋外設置作品まで、近年の作品について語る。日時:
①3月7日(土) 15:00〜16:30(受付開始 14:30)
②3月21日(土)15:00〜16:30(受付開始 14:30)
ギャラリーツアー会場:kagoo〜千島土地株式会社本社(集合場所:kagoo 1階)トークイベント
野原万里絵 × 石原友明(美術家)|大学時代の恩師である石原友明をゲストに招き、今も変わらぬ絵画の制作過程への関心と、大きく変遷してきた表現方法について、学生時代の過去作品から遡って話す。日時:3月15日(日) 16:00〜17:30(受付開始 15:30)
会場:千鳥文化ホール(大阪市住之江区北加賀屋5-2-28)石原友明 プロフィール
1959年大阪市生まれ。80年代に写真・絵画・彫刻・インスタレーションを融合した手法で国内外で発表。制作行為を「ものを身体化すること、身体をイメージ化すること、イメージをもの化すること」を繰り返すプロセスと捉え、セルフポートレートなど多種多様な方法を通じて、芸術の制度、知覚、経験について試行している。屋外設置作品《日々の集積》(2024年 協力:タカラスタンダード株式会社)
2024年にコミッションワークとして制作した、ドローイングを拡大してホーローに焼き付けをした作品が、千島土地株式会社本社(千島ビル)1階北側外壁に恒久設置されている。
主催:大阪市
特別協賛:千島土地株式会社
協力:千鳥文化
企画運営・問合:一般社団法人アーツインテグレート






















