新しい『マクベス』
大阪を拠点に精力的に活動する、エイチエムピー・シアターカンパニー。2021年秋から新たに劇団による《シェイクスピアシリーズ》がスタートした。
第1弾は、シェイクスピア4大悲劇のひとつである『マクベス』。シェイクスピアによる原作を、くるみざわしんが釜と剣をキーワードに改作し、笠井友仁の演出と役者たちの奮闘によって、新しい『マクベス 釜と剣』が生まれた。
[あらすじ]
スコットランド王国を支配するダンカン王は森の開発と魔女狩りで収益をあげ、繁栄を誇っていた。その乱暴なやり口を良しとしない者達が反乱を起こしノルウェー軍と手を結んだところに、マクベスとバンクォーが現れて反乱軍とノルウェー軍を鎮圧する。戦の勝利をダンカン王のもとに報告にゆく道でマクベスとバンクォーは謎の老女三人と出会い、マクベスは王となりバンクォーは王を生むという予言を聞く。この言葉がマクベスとバンクォーの未来を狂わせ、マクベスは王の座をめざし、マクベス夫人と共にダンカンの命を狙い、成功を収めるが、破滅の道に迷い込む。(エイチエムピー・シアターカンパニーWebサイトより)
タイトル『マクベス 釜と剣』には、「釜=調理のための道具=女性の仕事」vs「剣=戦争によって国力を高めるための道具=男性の仕事」という男女の対比の意図が込められているようだ。そして、それらの道具を使う「手」が象徴的に描かれる。カワグチタクヤによる宣伝美術のイラストも印象的だ。劇中では、どちらの道具を手にするのかの瞬間が丁寧に描かれる。
原作に登場する魔女は、マクベスを惑わす者として描かれる。釜は料理ではなく、ヒキガエルや蛇が煮込まれ、魔術や呪術のために使われている。マクベスはその魔女たちから聞いた予言を信じ、マクベス夫人とともにダンカン王を殺害し、盟友であるバンクォーをも殺めるのである。
くるみざわによる、『マクベス』の改作に取り組むにあたってのコラム「マクベス改作-ほったらかしにしていた宿題」にも書かれている通り、シェイクスピアの時代は魔女狩りの全盛期の時代であり、『マクベス』は、パトロンかつ当時のイギリス国王・ジェームス1世のためにつくられた。『マクベス』で魔女が忌まわしい存在として描かれるのは、ジェームス1世が行ってきた魔女狩りを正当化する目的があったのではないかと言われている。
魔女(=witch)とはなにか?
魔女と聞いて思い起こされるのは、現代魔女宗(witchcraft)のことである。現代魔女宗は、現在、アメリカの西海岸を中心に、ヒッピーカルチャーやフェミニズム運動、エコロジー運動と強いつながりをもって発展しており、ミレニアル世代やZ世代の魔女が多く存在しているという(WIRED「魔女、フェミニズム、VR、そしてメタヴァースでの儀式:現代魔女・円香が語る、米西海岸のスピリチュアリズムとテクノロジーの最前線」などに詳しく書かれている)。魔女たちは呪術や占い、ハーブなどを使った実践を行い、独自の魔女文化をかたちづくっている。21世紀に「魔女」を名乗る人々をひとつに括ることは難しいように思うが、自身の信条を誰にも否定されず、胸を張って生きるための方策のひとつであるように思う。
シェイクスピアの生きた時代、中世のキリスト教社会においては、異教徒、民間信仰の者、具体的には民間の医療者や呪術・祈祷を行う者などだけではなく、多くの女性(男性も含まれるという)がさまざまな理由をもって魔女とされ、火あぶりの刑に処された。そう、異端者は脅威とされ、異物として排除される。現代の魔女たちも、ときに異端とも思える実践を行っているかもしれないが、そのスピリチュアリズムを現代社会がどのように受け止め、共生するかを考えることが重要なのではないか。そして、この2つの時代で起こっていることを同じ机に並べれば、魔女や魔女狩りについてもっと通時的にとらえるべきということに気づく。新しい『マクベス』は、魔女とはいかなるものか、さらに女性とはいかなる存在かを考えるきっかけを与えてくれた。
本作品中で、ダンカン王が反逆者の首を釜で煮て「王の雫」という恐ろしい薬を煎じている場面がある(ここではダンカン王に、原作の魔女に似た行いをさせているのであり、不気味な存在として、王に魔女の役割を担わせているともいえる)。物語の後半では、この釜はもともと三人の魔女(老女)のものだったこともわかってくる。三人の老女は、釜はもともと煮炊きに使い家族に食べさせるものだったと嘆くのだ。「男たちは戦いにあけくれて剣を抜くだけではなく、本来『女性社会』のものであった釜をも奪おうとすること」が本作品で新たなエピソードとして加えられているということにも注目したい。願わくは、魔女(老女)は日々煮炊きをし、家を守る存在ではなくて、たとえ禍々しい者であっても尊重されてほしかった。怪しげなものを煮ていても、受容される社会がよい(しかし、シェイクスピア劇にそれを望むのは、行き過ぎたことなのかもしれない)。
わたしは父の娘、夫の妻、子の母親、名前はもう思い出せない
シェイクスピアは魔女を悪として描き、マクベス夫人を邪な心をもった者として描いたが、奪われた女たちの怒り、嘆きの声を本作品からは聞き取ることができる。
マクベス夫人を演じた髙安美帆は卓越した演技と存在感で、マクベス夫人が名前を持たない者、すなわち「父の娘、夫の妻、子の母親」としか呼ばれない存在でありつつ、男性社会では「女」を捨て、「男の中の男」としてあり続けなければ生き延びられない悲しみを見事に演じきった。マクベスとともに殺人に手を染めたのちに、次第に狂気をまとっていくさまは、シテが物狂いとなり舞う「狂女物」の能を観ているかのようだった。
本作は、令和3年度(第76回)文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞した。シリーズ上演にも意欲的な劇団の今後の活動がとても楽しみだ。次作の《シェイクスピアシリーズ》にも期待したい。
期間:2021年11月5日(金)~7日(日)
会場:アイホール(伊丹市立演劇ホール)
原作:ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』
作:くるみざわしん
演出・舞台美術:笠井友仁
出演:髙安美帆、森田祐利栄、ナカメキョウコ、水谷有希、河上由佳、条あけみ、はたもとようこ、杉江美生、植木歩生子映像:サカイヒロト
音楽:吉岡壱造
舞台監督:塚本修
照明:吉田一弥
音響:宮田充規
宣伝美術:山口良太
宣伝イラスト:カワグチタクヤ
制作:前田瑠佳
協力:あみゅーず・とらいあんぐる、ウイングフィールド、岡田蕗子、ゲキゲキ、劇団『劇団』、CQ、スタジオ315、slowcamp、桃園会、猫壺企画、光の領地、舞夢プロ、満月動物園
提携:伊丹市立演劇ホール
助成:芸術文化振興基金、公益財団法人神戸文化支援基金(こぶし基金)
企画・製作:エイチエムピー・シアターカンパニー
主催:一般社団法人HMP