2024年11月4日(月・祝)、茨木市市民総合センターにて、HUB-IBARAKI ART PROJECTトークシリーズ「場づくりについて考える#2」が開催された。第2回となる今回のゲストは、名古屋市の港まちで約10年間アートプログラムを展開してきた「Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]」(以下MAT, Nagoya)の共同ディレクター、アートコーディネーターの吉田有里と、アーティストの青田真也だ。
遡ること、開催1ヶ月前の10月2日。実は、MAT, Nagoyaから「港まちづくり協議会との『アート関連事業』契約満了につき、2024年10月以降、港まちポットラックビルでの企画・運営を終了します」というお知らせが届いていた。
約10年にも及ぶ活動が終了する直後の、MAT, Nagoya共同ディレクターの登壇イベントということもあってか、会場には、名古屋から駆けつけた参加者、名古屋にゆかりのある方の姿も多く見られた。
また、MAT, Nagoyaの立ち上げに関わり、2年ほど彼らとともに共同ディレクターを務めていた私自身も、突然の「活動終了」の最中で彼らが何を語るのか、そして、実験的なアートのための拠点づくりを目指す「HUB-IBARAKI ART PROJECT」とどのような対話がなされるのかとても気になっていた。
MAT, Nagoyaの活動は、国内でも「まちづくり」と「アートプログラム」がバランスよく機能している好例、かつ継続することで幅広い層へとアプローチしている先駆的な試みとして注目を集めてきた。ただ、このトークのオファーがあった段階では、彼ら自身も活動が終了することになるとは思ってもみなかったという。
地域でアート活動を続けていくことの意義、そのプロセスで必要なこと、また、これらをどのように評価し残していくのか。ふたりの言葉を通して、あらためてMAT, Nagoyaによる10年間にわたる実践をひもとくことで、さまざまな地域でアートの現場に携わるすべての者が直面する問いと向き合えるような、まさに、MAT, Nagoyaの現在地が語られるトークとなった。
トークは、それぞれの自己紹介からはじまった。前半は、MAT, Nagoyaについて。設立時には「アートは、まちのために存在しない」というアートの自立性を確認しつつも、「アートの活動ができるまちになることで、今よりもさらにまちに多様性を受け入れる文化そのものが育まれるのではないか」という仮説を軸にコンセプトを練り上げた話。港まちの地域としての特性や、組織体制や運営方法などの話が中心となった。
後半では、具体的な実践事例として、母体である「港まち協議会」と連携したプロジェクト、キュレーターやアーティストとテーマを分かち合いながら企画する現代美術の展覧会、そのほか学びを軸にしたスクールプログラム「POTLUCK SCHOOL」、空き家の再活用を行うプログラム「WAKE UP ! PROJECT」が紹介された。
さらに、事例紹介は、ふたりがプログラムディレクターを務める名古屋市の文化事業「アッセンブリッジ・ナゴヤ」での現代美術と音楽のフェスティバルへと展開。またフェスティバルが2020年に終了したことを区切りに、その後2021年からはじまった「地域のアーティストのためのスタジオ事業」、年に一度アジアのアーティストを招聘する「アーティスト・イン・レジデンス事業」、フェスティバル時からまちの社交場として集ったメンバーが有志で運営するコミュニティカフェ「NUCO」の取り組みについて。そして、「NUCO」のメンバーが行う10代のための居場所づくり「パルス」、アーティストの長島有里枝と行ったプロジェクト「ケアの学校」など、アーティストと長期的に継続してきたからこそ、また地域の人たちと丁寧に関係性を編み上げてきたからこそ実現できたと思える事例が多数紹介された。
この10年の活動を振り返り、青田は「場があって、アーティストが存在すればよいというわけではない。“アーティストがまちにいる”、その場をどのようにつくっていくか、いかにまちの人たちのあいだに立つか、コーディネーションや企画が重要だ」と語った。
会期を設けて開催する展覧会のみならず、アート活動そのものを地域にひらくプロセスを担ってきた彼ら自身の活動とも重なる。さらに、聞き手である雨森からも、アートの現場においては、アーティストの言葉を翻訳・媒介するアートコーディネーターやアートマネージャーが欠かせないと強調された。
聞き手とのトークセッションから質疑応答に入ると、アート活動の事業評価のあり方や、コンペ形式で事業者が決定される方法など、活動を支える構造の話に及んだ。
雨森は「地域でのアート活動においては、継続性が不可欠であることは明らか。毎年コンペで事業者を決定するという不安定な状況ではどうしても難しい」と発言。それを受け、吉田は「港まちづくり協議会としては、現行のシステムでは、単年度ごとのコンペであること、審査や評価を地域住民と行政で行うなど、運営上で変更できない仕組みがあった」と語った。
果たして、運営事業者を決めるコンペの選定基準に「継続的な事業活動」は評価軸として組み込まれているのだろうか。単年度契約が基本となる自治体の枠組みのなかで、持続可能なアートプロジェクトを実現するためには、どのような支援体制や制度が必要で、どのように整備すればよいのだろうか。この問題は、アートマネージャーとして各地で活動する私自身にも深く関わる課題だ。
そこで、「評価のあり方には、どんな方法が考えられるだろうか?」と問いかけてみた。すると、吉田は「持続性を検証する上で、専門性をもった評議委員を設けて公平にアート事業の評価を行う方法を提案した時期もあった。時間が巻き戻せるなら、外部評議委員を結成するところまで丁寧に議論したかったが、協議会の性質上、叶わなかった」と回答。また、雨森からは、西成エリアで21年間にわたり続けたアートプロジェクト「Breaker Project」では、「ある時期から企画者自らが自己評価を行い、その活動の価値を言語化し、伝えることも試みてきた」と話した。
そのほか、「アートとまちづくりの理想的な関係は?」という問いに対し、吉田は「自分自身がアートに救われてきたので、身近な場所にアーティストやアートと出会える場所をつくること」と回答。一方、青田は、港まちでの取り組みから生まれたいくつかの作品が、(地域の美術館として)愛知県美術館に収蔵されてきたことを踏まえ、「数々の作品を生み出してきた、この活動自体が美術館にアーカイブされる方法はないのだろうか?」と、アートが生まれる場や取り組みについても目を向けることの必要性を問うた。さらに、雨森は、「アートプロジェクトと美術館は真逆と言われることもあるが、それぞれに役割を分担していると考えている。プロジェクトから生まれた作品が、美術館に収蔵される循環はとても理想的」と加える。
最後に会場から、「MAT, Nagoyaが終了するにあたって、地域からはどのような反応があるか?」という質問が出た。まちづくりのプログラムのひとつである「港まち手芸部」を主宰するアーティストの宮田明日鹿、「パルス」に参加する10代のメンバーやパルスの主宰者でありアートを学び実践してきた廣瀬雅枝らが、なくなってしまったことへの感情的な反応だけでなく、文化芸術が地域に根ざす意義を再考するためにも何かしらのアクションを起こしたいと言ってくれているという。
青田は「場はなくなってしまったけど、アッセンブリッジ・ナゴヤや、アート事業から派生したプログラム、これまで関わってくれた人たちの活動は続いていく。ここで10年でつくってきた関係を、どう次につないでいけるかが楽しみだ」と締め括った。
MAT, Nagoyaの10年に及んだ多岐にわたる活動。そこには、必ずその活動を享受した地域の人をはじめとする、その場へ訪れ、観てきた、参加してきた、体験してきた受け手の存在がある。場づくりについて考えるとき、私たちは、その「場」をどう機能させていくかに囚われてしまいがちだ。しかし、MAT, Nagoyaのように、活動を続けていくことで広がっていく、アーティストと地域の人、そして受け手との有機的な関係性づくりに大きなヒントが隠されているのではないか。
MAT, Nagoyaの活動からエンパワーされてきたひとりである私自身、彼らから受け取った活動の種火を絶やすまいと改めて心に誓ったのだった。
本イベントは、茨木市立ギャラリー企画展44、愛知県瀬戸市を拠点に活動するアーティストBarrack(古畑大気+近藤佳那子)による「Funny boneと移動する日常」との連携企画として開催された。
HUB-IBARAKI ART PROJECT トークシリーズ
場づくりについて考える#02日時:2024年11月4日 (月・祝) 15:00〜17:00
会場:茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)1階 喫茶・食堂
ゲストスピーカー:Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]、アッセンブリッジ・ナゴヤ ディレクター[吉田有里(アートコーディネーター)、青田真也(アーティスト)]
進行・聞き手:内田千恵(HUB-IBARAKI ART PROJECT ディレクター)、雨森信(HUB-IBARAKI ART PROJECT アドバイザー)