私たちは口を閉ざして、どこへ帰るのか
FOLK old book storeにて2021年6月5日(土)~20日(日)まで開催の、石井嗣也展「帰る場所」。展覧会初日。FOLKの地下奥の展示スペースに用意された「帰る場所」、その静かな空間を訪れては静かに帰る人々を見ていた。
作品に描かれるのは、ひとりで佇む人。1点だけ、後ろを向き、ふたりで肩を並べ海を眺める人たちが描かれるが、どの人の間にも賑やかなやりとりはない。
たとえば、口を閉ざし窓の外を見る、それはこの1年で増えた行為かもしれない。ひとりで居て黙っているのは、当たり前のことかもしれないが、2020年以降の風景のなかにどれほど新たに追加されたか、そしてどれほど別の風景が消えていってしまったのかを考えると、象徴的な風景にも思える。作品が「いつ」を描いたのかと思いを馳せる。
FOLK店主の吉村さんの話によると、作家の石井さんは寡黙な方らしい。このコロナ禍において「帰る場所」とはなにか、また、描きたかったことはなにか、メールでいくつか質問をしてみることにした。
石井さんからのお返事には、まず、こう書かれていた。「現在の状況に対して描きたかったことについては感じておられたとおりです。描きはじめはあまりコロナ禍については念頭になく、自分の描く絵の帰り着く場所、集約が主なテーマでした。しかし現在の状況を鑑みてコロナ後に私たちがどこに帰り着くのか、といったことをメインに描いてみてもいいのではないかと思い、その景色を描いてみました」
2021年5月にFOLKから出版された、『肝腎』という100人が自分の血肉になった本を紹介する本がある。この本の中で、石井さんは深沢七郎、高田渡の本を紹介している。これまでに影響を受けた人や作品についても聞いてみた。「ビジュアル面で挙げますと、林静一さん、ロットリング(ドイツのロットリング社の製図用のペン)を使用している点などではひさうちみちおさんなどガロ系の画家、漫画家さんで、ストーリー面についてはほとんど誰かを意識したことがなく、古い映画や歌謡曲好きが影響しているかもしれません」
今回展示されていた作品は、最近よく耳にするジークレー印刷という手法(高精細なインクジェット式の印刷手法でデジタルデータの再現性が高いという)を使用しての一点物。ジークレー印刷ははじめての経験だそうだ。デジタルの発色の良さがそのまま定着しつつ、版画のような風合いもある。この印刷の質感に、ロットリングで描かれた、作者の性質をまっすぐに表現する線が加わって、80年代の空気感と今っぽさの融合した面白い効果を生み出している。深沢七郎、高田渡、林静一、ひさうちみちお……女性の横顔や、線の質感、乾いた優しさ、残酷さ、その悲喜こもごもの作品を想像して、石井さんの作品を見返すと、静かなだけではない別の物語が生まれるように思う。
一枚の作品の前には物語がはじまった地点があり、その地点から、この場所にたどり着いたのだと感じさせる。石井さんはひとりの時間があまり苦ではないという。むしろ、いろいろとくだらないことを考えたり、一旦ニュートラルになれたりする、とても大事な時間とのことである。「自分のパーソナリティーが絵に反映されているのかもしれない」と石井さんは言う。
一方で、一枚の作品の後にも物語は存在する。作品に描かれた人たちが向かった先に居る人を想像しながら、描かれたものについても聞いてみた。大きい窓のお店でウイスキーを飲む女性の前には、本にしては薄い冊子があるが、石井さんのイメージでは、これはどのような冊子なのか。また、バイクに乗っている女性はなにを運んでいるのか。見る人が想像するほうがよいのかなと思いつつ、どのようなものか、ヒントを教えていただけないでしょうか、と。
石井さんのお返事は、こういうものだった。「雑誌やzineのようなもので本を表現しても面白いと思ったためで、あまり深い意味はありません。学術雑誌のようなものやファッション誌、カタログなど、想像におまかせします。バイクの女性が運んでいるものは花で黄色いポピーだと思います」
ウイスキーの氷がからんと鳴って、女性はその「冊子体のなにか」をしまい、店を出る。バイクの女性がエンジンをかけ、動き出す。石井さんが教えてくれた、黄色いポピーが振動でふわっと出て、道路にこぼれ落ちていくイメージ。黄色いポピーは、その先に居る誰かへの贈りものかもしれないし、あるいは自分のための贈りものかもしれない。私はそれをただただ想像した。「帰る場所」に持ち帰る行為、それは、物語を目撃する人々を幸福にするのだと。
会期:2021年6月5日(土)〜20日(日)
会場:FOLK old book store
時間:火〜金曜13:00~20:00、土・日曜13:00~18:00
定休:月曜日
問合:06-7172-5980
大阪市中央区平野町1-2-1