2022年2月13日(日)、十三のシアターセブンで、阿部航太による初監督映画『街は誰のもの?』の上映とアフタートークが開催された。雨が降りしきるなか会場に集まった老若男女約20名が、阿部監督と大阪を拠点に活動するデザイナー・原田祐馬(UMA/design farm)によるトークに耳を傾けた。
“存在したかったんだ。この街に存在したかったんだ。”
グラフィテイロ(グラフィティアーティストの現地での呼称)がつぶやく背景に広がるのは、南米一の大都市サン・パウロ。そこには多様なルーツ、カルチャーが混沌とするブラジル特有の都市の姿があった。東京でグラフィックデザイナーとして活動する阿部航太が、2018—19のブラジル滞在で体感した「街」。そこには歪んだ社会に抗いながら、混沌の波を巧みに乗りこなすグラフィテイロ、スケーター、そして街を歩き、座り込み、踊り明かす人々がいた。イリーガルな表現活動から日常生活まで、地続きに営まれるその風景は、私たちが知っている街の姿を痛快に批判しているように思えた。ブラジルの4都市を巡り、路上から投げかけられた一つの問いへの答えを追うストリート・ドキュメンタリー。(本作公式サイトより)
阿部:監督の阿部です。僕の本職はグラフィックデザインで、実はこの映画もデザインの視点で撮った映画とも言えるんですね。今日は、ゲストにUMA/design farmの原田祐馬さんをお迎えしました。同じくデザイナーとして活躍されている原田さんが、この映画、このブラジルの街をどう見たか、個人的にも興味がありまして。まずは、ざっくり感想から聞かせていただいてもいいでしょうか?
原田:映画の端々に「この街は、誰のものなのかな?」と考えさせられる場面があり、まさにタイトルが物語っているな、と思いながら拝見しました。グラフィティロも、スケーターも、そのあたりに座っている人たちでさえも「自分たちのストリートがどういうものか」をすごく考えてるんだなと。
阿部:そうですね。僕自身も「個々人が考え、行動することで、街ができている」ということが撮影のなかで一番衝撃的でした。僕たちはデザインを仕事にしていますが、すごく悪い言い方をしちゃうと、デザインってある種、何かをコントロールするために効果的に使うものでもある。
で、僕はやっぱりグラフィティと広告を対比的に見てしまうんです。サン・パウロでは2006年に屋外広告が禁止され、その代わりに大型のグラフィティが増えたという現状があるんですね。それを知って、結構ショックだったというか。自分の職業的なものを否定され、なおかつ、それにより街がめちゃくちゃ豊かになっているということに、「おおっと!」と思ったんですよね。
もちろん、サン・パウロの街でも何かしらのデザイン的な工夫はできると思うんだけど、本当にそれが必要であるのか、効果的なものとして受け取られるのかがちょっとわからなくて、いまだにモヤモヤ考えています。それについて、原田さんがデザイナーの視点から感じることがあったら。
原田:いわゆる商業デザインの終焉を見せてくれていて、清々しいなと思って観ていました。僕も少しブラジルの現状を調べてみて、あーなるほど、そういう背景からグラフィティみたいなものが街をあらためて豊かにしていくんだなと。
映画のなかで、グラフィティロである彼らが、そこに機能、ファンクションを感じてるところが非常に興味深かったんですね。「これがあるからこそ、ストリートが生きてくるんだ」というような話もありました。彼らが、その場所にあるからこそ生きてくるものとしてグラフィティを描いていると思うと、僕らが考えるデザインの視点とも、意外と遠くないんじゃないかと感じます。
阿部:なるほど、面白いですね。彼らが「灰色の壁に色を与え、意思を与え、命を吹き込む」って言っていたことは、僕自身にとっても印象深かったです。しかも、それを個人が勝手にやっているという。デザイナーに依頼して契約を交わすという手続きを、全部すっ飛ばして、ひとりの判断で行っていく。そこに対しては、おそらくいろんな意見があると思うんですけど、僕自身は結構面白く見ています。
原田:この例えが合っているかわからないけど、なんか「お地蔵さん」みたいやなって思ったんです。
阿部:あはは。もっと詳しく教えてください(笑)。
原田:お地蔵さんって、それを崩してもいいのか、移動させてもいいのかがよくわからないものとして発生しているじゃないですか。お地蔵さんに対するアクションとして僕らができることって、前掛けをつくってつけるくらいで、思い切って動かすことは難しい。グラフィティロたちが個人的にその場所をリスペクトして何かを描くってことは、日本で言うと、お地蔵さんを置く、お地蔵さんが発生するみたいなことになるのかなって妄想しながら観てました。
阿部:なるほど。まったく新しい視点ですね。でもひとつ決定的に異なるのは、お地蔵さんって割と良いものとして扱われますよね。僕らにとって有り難い存在という共通認識がある。でも、グラフィティの場合はそのあたりが危うくて。ブラジルにグラフィティが多いのは、「街がカラフルになっていいじゃん」って思う人がたくさんいるからなんだけど、一方で、映画に登場したガソリンスタンドの店主のように、それを望まない人もやっぱりいる。自分の嫌いな絵が街にある可能性も十分にあるんですよ。僕もグラフィティには興味があるし、活動自体はものすごく好きだけど、なかには好みじゃない絵もたくさんあるというか。それもポイントなのかなと思うんですよね。
原田:僕らはお地蔵さんを有り難いものだと思い込んでいる。でも、だからこそ、不思議な存在だなと思っていて。何百年という時間をかけて、有り難いものに変わっていってるはずなんですよね。さきほど僕が「お地蔵さんの発生」と言ったのは、そこがポイントで。「お地蔵さん」になりうるものとして、グラフィティのようなものが残されていくのかなって想像したんです。岡本太郎の太陽の塔も最初はべらぼうなものだったけど、今やみんなが大切にするようになったなぁと。
阿部:面白いですね。だから、それを良いものだと思う人がだんだんと増えていけば、お地蔵さん的に街に残っていく可能性が出てくるわけですね。
原田:なので、個人の好き嫌いはたしかにあると思いますが、10年、20年、30年経つとそれを超越する瞬間が訪れて、グラフィティ自体も街のなかの存在として変わってくるのかなと。
阿部:なるほど。もうちょっと突っ込んでいくと、その好き嫌い以上に、グラフィティの良し悪しっていうものが本当にあるのか、僕にはわからなくて。それでアツオさんに質問したら、まあ、違う角度の答えが返ってきたんですけど(笑)。あのシーンでは、なんだろうな……。僕が重要だと思っているのは、「この絵は好みじゃない」と思う人がやっぱりいるってことですよね。それで自分と違う好みの人間が生きているんだってことがわかる。それが、「好き」っていう人が多いと「お地蔵さん」になっていくっていう。それは、僕がもともと感じていた面白さとはまた違うかな、うん。ちょっとあれですか? 抽象的な方向になってますか(笑)。
原田:では、もうひとつ。1960〜1970年代前半、近代建築がある種の限界を迎えた頃に、建物を大胆な色彩で塗り分けるなど、グラフィックデザイナーが建築に介入していく「スーパーグラフィックス」って呼ばれる動きがあったんですけど。それとは圧倒的に違うなと思いながら拝見していたんですよ。巷から湧いてくる感じというか。もともとスーパーグラフィックス自体は、エリートたちの世界における批評的なスタンスとして現れてきたもの。そうではなく、映画のなかで描かれていたのは、巷がストリートをどう活用するか。大統領とか国とかっていう、ある種のものに対するクリティカルな態度だなって。より巷感があって面白いと僕は思いますね。
阿部:グラフィティって、かなり批評性があるものだと思うんですね。描かれる内容については、政治批評の類いの表現もたくさんあるんですけど、それだけじゃなくて、描くこと自体が批評的な行為になりうる。まあ、本人たちがどう思っているかはわからないけど、やっぱりどこに描かれたのかも結構重要だと思うんです。
ブラジルのサン・パウロに限った話ですが、サン・パウロって南米一の大都会なんですよ。だけど、街中にポコポコ廃墟があるなど、結構、街にほころびがあって、そこにグラフィティが発生するんですよね。だから、描かれる場所には何かしらの理由があって。何か見放されているような場所を、違う角度から可視化しちゃうというか、そういう効果をグラフィティにすごく感じて。さきほどのスーパーグラフィックスは前時代に対する批評でもあるけど、ブラジルもそのモダニズムによってつくられた街。だから、グラフィティを描くことが、そのシステムに対する批評的なアクションに勝手になっている、みたいな。
原田:それは現地に行ってみて、結構感じましたか?
阿部:感じましたね。モダニズム的な四角い建物がすごくたくさんあるので、めちゃくちゃ描きやすい街だと思います。でも、その平らな状態ではブラジルの人たちの街にはならなかった。結局、そこに何かを付与していくわけですが、そのひとつがグラフィティだったのかなって。
原田:なるほど、面白いです。例えば、僕たちはお互いサイングラフィックの仕事をしているじゃないですか。でも、そういうサインデザインのような仕事がブラジルの街では機能しなさそうだなって感じました。サインデザインは、いわゆる「制御」する仕事なんですよね。「こっちに行っちゃいけないよ」とか、「こっちに行った方がいいよ」ってことを指し示す仕事だと思うんですけど、ブラジルには混沌としたものがあって、サインさえも終いにはキャンバスになるんだなって。
阿部:面白いですよね。2日前に建築家の家成俊勝さんとお話ししたときに、街の人たちが、街を設計した人が想定していない動きをしているところがやっぱり面白いねって話をされていて。今の話と少し似ているのかなと思うんですけど。だから、街の風景自体が設計などの「制御」からは生まれていなくて、はみ出したものから生まれているということかな。でも、僕の視点が、わざとはみ出した人を追って撮っているっていうのもあると思うんですよ。たぶんサン・パウロにも、ガチガチに制御される部分もあるとは思うんですけど。でも、そのはみ出したものが何かひとつの状態として街にある。僕にはこれが豊かさみたいなものに見えたんですね。
原田:うん、うんうん。グラフィティロのなかに、もともと映画の技術職をしていた人もいらっしゃったじゃないですか。広告側の仕事をしていた人が、グラフティー側にスイッチしたってことですか? それとも、まだ両方?
阿部:いや。基本的にスイッチしてます、完全に。
原田:スイッチした場合、彼はどうやって生きていくことになるんですか? 今までの職業感が一気に崩れていくと思うんですけど、そのあたりで何か話したり聞いたりしたことがあればお伺いしたいなと思って。
阿部:それに対して直接的なことはお話ししていないんですけど、会話のなかで僕が感じたのは、例えば、グラフィックデザイン、現代アート、ストリートアートっていうジャンルがあったとするじゃないですか。それが向こうでは、ものすごくつながっている。ある意味、ぐだぐだに、曖昧に解釈されているところがあって。だから、たぶん彼のなかではスイッチしてるってあまり思ってないんじゃないかな。
でも、コマーシャルとそうじゃないものっていう違いはありますね。もしかしたらそこにはスイッチがあったかもしれない。彼らは、コマーシャルとアートっていうのをある種の対立構造として語っているけど、なんだろうな、うーん……。アートが指し示すものが、ものすごく広い。だから、もしかしたら彼にとっては映画もひとつのアートであり、そこで一致しているのかなって気もします。
阿部:さきほど、商業的なデザインの終焉を見たという話もありましたが、僕はこの映画を街を考えるためにつくったんですね。そこで、街を考えるために、原田さんがデザイナーとしてどんな方法を持っているのか? もちろんデザインに限った話じゃなくてもいいんですけど、ちょっと聞いてみたいですね。
原田:そうですね、例えば、コロナ禍でタワーやビルをライトアップしたじゃないですか。赤色は何、青色は何、黄色は何、みたいなことをしちゃってるじゃないですか。あれは、プロジェクションマッピングに近いことだと思っていて。そういうことが、これから広告の世界でもっとスタンダードになっていくと思うと、結構ゾッとするなと思っていて。
公共的なものすべてが民営化されていくって言ったらいいんですかね……。そういう世界が怖いという感覚を、ブラジルの街と対比して思い出していて。そのとき、我々みたいなデザイナーが何をやっていかないといけないのかを、あらためて考えないといけないですよね。
例えば、小さなことですが、SNSみたいなものにも可能性があるかもしれないし、はたまた、紙に印刷することにも可能性があるかもしれない。今回、阿部さんがコミックス版をつくっていたじゃないですか。映画とは異なるメディアがあることによって、内容の理解の仕方も変わるわけですよね。そういうところまでデザイナーが介入して、あの手この手で情報発信していくっていうのは、やっぱり重要なことだなと思いました。
阿部:なるほど。それは「制御」とは真逆な態度ですよね。起こすというか、呼び覚ますというか。そういうことを僕も考えてはいるんですけど、歯痒いところもあって。それでまあ、映画をつくったりとか、なんかやってみようかなと思ってはいるんですけどね。
今日観ていただいて、各々が住んでいる街との差が結構あったと思うんですね。僕自身もその差にびっくりしてこういうものをつくってるんで。それが、誰かと話すきっかけになればいいなと思います。「これからどうしたらいいですか?」みたいな投げかけに対して、毎回こう、答えが弱っちくて申し訳ないんですけど、やっぱり話したり、とりあえず道に座ったり、何かそういうことからでしかはじめられないなと、一方では思っていて。
原田:ああ、(映画のなかで)ブラジルの街なかにパイプ椅子があって、座ってる人もいました。あれ、相当いい風景ですよね。そういうものがどうやったら自然発生的に生まれるのかっていうのは、パイプ椅子をそのへんに捨てておく、とかしかないんですかね(笑)。
阿部:最近よく、ストリートにデザイナーが家具を設置するってよくやられてるじゃないですか。でも、それとは決定的に何かが違う風景ですよね。そこが歯痒いところです。
原田:普通のオフィスチェアみたいにして座ってる人もいましたね。そうですよね、たしかにな。
阿部:うんうん。もちろんデザイナーがすべてやる必要はないので、やれる範囲で全然いいとは思うんだけど、「制御」する方向ではない街のつくり方。そういうのが増えればいいなとは思いますね。
原田:どんどん解放していくデザインっていうのを、デザイナー自身が考えていくと面白いんだろうなと思いましたね。
阿部:そうですよね。ところで、サン・パウロは大阪に似ているってよく言われるんですよ。僕もなんとなくわかる気がするんですね。大阪って、僕が一番アウェイに感じる場所でもあるんですが、それが逆に好きなんです。大阪の街の面白さというか。大阪を拠点にされている原田さんは、街をどういうふうに見てるんだろう?
原田:街自体の面白さっていうよりも、なんかまあ、人のコミュニケーションの面白さが大阪にはあるかなと思っていて。「こうやんな、ああやんな」って、どんだけ喋ってディスカッションしても、最終的には「しらんけど」で終わる。この文化は結構重要だなと思っています。一緒にキャッチボールしてたはずなのに、「しらんけど」によって、ボールはどこに飛んでいくんやろう?みたいな。伝える側にも受ける側にもボールが飛んでいく感覚、そういう世界観はあるかな。家成さんと話していてもそうなんですけど(笑)。もしかしたら、街の風景も「しらんけど」みたいな積み上げ方でつくられているので、いい意味で違和感みたいなものがあるのかなと。
阿部:めちゃくちゃ面白いですね。ブラジルの人たちの動きって、やっぱりコミュニケーションなんですよね。ただA地点からB地点に歩いて移動するんじゃなくて、その間にあるコミュニケーションの形が現れることで街ができてるんだと思います。そのコミュニケーションで何かを解決しようというよりは、ボールをやり取りし合うことが、むしろ目的になってるっていうか。うん、そこにはだいぶ可能性を感じますよね。だから、大阪でこの映画を上映させていただいたことは嬉しい限りなんですけど(笑)。
阿部航太 / Kota Abe
1986年生まれ、埼玉県出身。2009年ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校卒業後、廣村デザイン事務所入社。2018年同社退社後、「デザイン・文化人類学」を指針にフリーランスとして活動をはじめる。2018年10月から2019年3月までブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。帰国後、阿部航太事務所を開設し、同年にストリートイノベーションチームTrash Talk Clubに参画。アーティストとデザイナーによる本のインディペンデントレーベルKite所属。一般上映としては本作が初の監督作品となる。原田祐馬 / Yuma Harada
1979年大阪生まれ。UMA/design farm代表、どく社共同代表。名古屋芸術大学特別客員教授。大阪を拠点に文化や福祉、地域に関わるプロジェクトを中心に、グラフィック、空間、展覧会や企画開発などを通して、理念を可視化し新しい体験をつくりだすことを目指している。
『街は誰のもの?』
監督・撮影・編集:阿部航太
配給・制作:Trash Talk Club
日本|2021年|98分 ©︎KOTA ABE
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