
写真家・濱田英明の個展「時間の面影 – resemblance of time –」が神戸のTHE BOOK ENDにて2024年10月20日(日)から11月4日(月)まで開催された。本展は2019年に開催された写真展「DISTANT DRUMS」からおよそ5年ぶりの個展となる。
濱田は2012年にデザイナーからフォトグラファーへと転身。大阪と神戸を拠点とし、アメリカの『KINFOLK』や台湾の『THE BIG ISSUE TAIWAN』など海外雑誌のほか、国内では「無印良品」など企業の商業写真をはじめ、広告やCM、映画やドラマの撮影など幅広く活動している。
筆者が濱田と出会ったのは、瀬戸内国際芸術祭2013「小豆島・醤の郷+坂手港プロジェクト」だった。椿昇、原田祐馬(UMA/design farm)、多田智美(MUESUM)がディレクターを務めたこのプロジェクトでは、さまざまな分野で活躍するアーティストやクリエイターたちが小豆島に集って滞在制作や展示を行い、濱田は公式記録フォトグラファーとして参加していた。筆者が当時所属していたgrafも本プロジェクトに参加しており、濱田にその活動を撮影してもらったのだった。島内の各所で同時多発的に出来事が起こり続ける日々を、彼は計75日間滞在し写真におさめた。その写真は、客観的な視点で目の前をとらえながら、被写体の感情や空気までをも伝え、そのときの記憶をつぶさに蘇らせるかのようだった。濱田の写真を通じて、小豆島で得た体験は関係した人たちの心へより深く残り、またそれぞれの記憶はゆるやかにつながり続けていくのだと感じる。
個展「resemblance of time」開催の発表があったのは2024年10月頃。本展について、濱田はSNSでこのようにつづっていた。
「本作品は2014年から撮影を開始、10年かけて取り組み構想したテーマ、撮影手法、展示方法の三つを一貫させた展示になります。作品のエッセンスを提示するためには、これら一つの要素も欠くことができず、ゆえに、おそらく、どこにもないものになっています。私の思想の結晶の場なのです。」
濱田の写真に心惹かれ続けている筆者は、その思想にもっと触れてみたいという気持ちを抱き、会場へと足を運んだ。
THE BOOK ENDは、国の登録有形文化財である海岸ビルヂングの3階にあり、本展は展示室、小さな映画館のような上映室から成る。展示室には白い額や台が設置され、それぞれ中央に小さな写真が配されているように見える。しかし、ひとつの作品に近づいてみると、写真と思われたものは風景を映したモニターだった。

キャプションはなく、まっさらな気持ちのまま作品一つひとつと向き合っていく。そこには、宙を舞うシャボン玉や、車が走り抜けていく高速道路、坂道を登った先の景色、風に舞う落ち葉、郵便配達のバイクが横切る様子などを映した短い映像が、ループしながら流れている。大きな出来事が起きるわけではない、誰かの日常をそっと閉じ込めたような静かな風景たちは、観続けると徐々に自分の記憶とつながりはじめた。幼い頃、虹と出会って揚々と眺めていたら、ゆっくりと薄れて消えてしまったときの寂しさ、気持ちの良い晴れた日、窓からぼんやりと眺めていた青々とした空の色。映像で流れてくる景色は、自身が目にしたものではない。けれど、ふと心を奪われながらも日々の営みのなかに沈んでしまっていた出来事の記憶と重なり合い、その体感を掘り起こしてじわりと心に広げていくようだった。
時間を忘れて作品に見入るうちに、心と頭がすっかりやわらかくなった心地になり、部屋を出て次は上映室へ。この部屋は、本展のテーマである「時間」と「空間」を体験する場所として、「Time Ambient Theatre」と名付けられ、会期中、毎日上映されている。
20名ほどが入れるかという広さの室内で、知らない人と肩を並べながら映像を観た。展示室での鑑賞体験とは異なり、映し出される世界に自分が立っているような感覚を覚え、登場する人物たちの日常的な風景に胸が締めつけられた。普段見過ごしがちな瞬間に宿る深い美しさとその儚さに気づかされ、その一瞬に立ち会う感覚が、鼻の奥をツンととさせた。

筆者が訪れたのは濱田の在廊日で、上映後には本人から本展での取り組みやテーマについてのティーチインが行われた。濱田は本展について、目には見えないが確かに感じられるものをとらえていると語る。時間は時計があるからこそ意識されるが、それ自体はとらえがたい。「時間は存在するのか?」という問いかけについて思いを馳せながら、それぞれの心のなかで伸び縮みする時間の感覚を作品を通じて体験してほしいと考えたという。
また、「空間」についても、本展における重要なテーマだという。「時間と空間は互いに影響し合う存在です。時間があるからこそ空間を感じ、空間があるからこそ時間を意識する。何もないようでも、あるように感じることもできる。たとえば、部屋にある隙間をどうとらえるかによって、“ない”ことが“ある”ことのようにも感じられる」
本展の構成は、時間と空間の感覚を呼び覚ます問いかけを軸にしたテーマ、撮影手法の工夫、そして展示における提示方法の3つの要素で成り立っている。撮影には三脚を用いたシンプルな手法を採用し観る者が時間の流れを意識できるようにした。さらに、展示方法によって映像を写真のように体験させることで、動きのある映像が静止画のような余白をもち、2つの境界を曖昧にし、時間に対する新たな感覚を呼び起こしていた。
濱田の言葉から、本展が単なる写真展でも映像展でもなく、時間と空間のあり方を問いかける場であることが伝わってきた。

本稿はあくまで筆者の体験をつづったものに過ぎないが、それぞれの鑑賞者にもまた、それぞれの時間が流れていたのだろう。濱田の作品と向き合うことで、記憶や想像のなかを巡りながら、目には見えない「時間」を感じ、そこに確かに残る何かを見出すことができたように思う。それは過去の残像ではなく、今この瞬間にも漂い続ける“面影”のようなものだった。私たちが日常のなかで気づかずにいるものが、映像や写真を通じてゆっくりと浮かび上がってくる。
帰り際、展示を観た人々の表情には、どこか穏やかな余韻が見て取れる。それぞれが、作品を通じて自身の時間と向き合い、言葉にならない感覚を持ち帰ろうとしているように見えた。この場所で得た何かが、時間を経て思いがけず蘇ることがあるのかもしれない。
はじめに、以下の媒体あるいは概念について、本展の着想の元になった考察を述べてみます。
写真 ー 見る人に「時間」が委ねられる。時間は伸び縮みする。
動画 ー 作る人が「時間」を意図している。時間は制御される。
時間 ー ある流れの何かと何かの「間(あわい)」にあるもの。そのすべての移ろい。
空間 ー ある場所の「空(くう)」にあるもの。そのあらゆる広がり。この考察は、あらゆるものごとは常に変化しながらその都度失われる、という道理を撮影という行為を通し実感することで導かれたものです。
例えば、一瞬の出来事を永遠のように感じたり、永い記憶を一瞬のように感じられることはありませんか。そして、何もないところにこそ確かな存在を見出すことも。あるようでないは、ないようで、ある。では、時間は存在しない、とするならば?
本展はそのような思考についての実験であり、時間と空間の感覚への問いを考えていく試みでもあります。——本展ステートメントより引用

濱田英明「時間の面影 – resemblance of time -」
日程:2024年10月20日(日)〜11月4日(月)
会場:THE BOOK END