「記憶の遊具」。遊具、その懐かしい響きに心が引き寄せられた。
かつて通っていた小学校の校庭を想起する。色鮮やかなジャングルジムや、木の小屋(中には本がたくさんあり、紙の匂いが立ち込める。椅子にかけて読書ができた)。片隅には、一輪車が整然と立てかけられていて——柔らかな色合いの、幾何学的な形状をした立体作品が並んで写ったフライヤーを手に取ったとき、何か大切なものと出会えるような気がした。本記事では、作家・内藤紫帆さんにお話を伺う機会を得ていただいた言葉と、私自身の鑑賞体験から、「記憶の遊具」という展覧会を振り返りたい。
内藤さんは、幼い頃から収集し続けている広告チラシや包み紙、石、木片、骨董市で見つけたガラクタ、漂流物などを素材として制作を行っている。学生時代は染織専攻だったが、下図を描いて染料をつくり、実際に染めるという段階的な工程に取り組むなかで、「もっと直感的に、自分が好きに集めているものでコラージュをしてみたらどうだろう」と思い立ったという。はじめにつくったのは、グラフィカルな平面作品。その後、幾度か展覧会を経ると、内藤さんの興味は空間と呼応する感覚的なリズムに派生し、現在のような立体作品へと展開していった。
収集物を組み合わせる営みについて、内藤さんは「日記をつけるような感覚がある」と語る。近年は、その手応えにさらなる奥行きを求め、幼少期の写真から記憶に潜るようなアプローチを制作のなかで実践している。今回の個展では、これまでの制作物と新作を交えて構成した。新たに手がけた作品は、2、3歳頃の自分や兄弟の写った写真を選び、身体のパーツや動きを幾何学の形状にスケッチし、それを立体で形づくり、写真に写ったものやそこから紐づく記憶から抽出した色や模様を施す、というプロセスを経て生まれたものだ。「制作中に辿るのは個人的な出来事でしかないのですが、自分だけではなく、鑑賞してくれる方の過去の記憶や、どこかで味わった感覚にも静かに重なっていくような、そういう作品のあり方、展示空間をつくりたいなと思いました」と内藤さんは言う。
私が本展を訪れたのは、2024年7月8日(月)。会場のgallery yolchaは、阪急大阪梅田駅から徒歩10分ほど歩いた豊崎に位置する。繁華街を進み、大通りから路地にはずれると、あたりの雰囲気は静かな街並みへと一変する。
豊崎は、長屋文化を「使いながら残す」取り組みをしており、リノベーションされた古民家、長屋が立ち並ぶエリア。まるで、昭和当時にタイムスリップしたようだ。道の途中に掲げられた案内板を目印に、長屋が立ち並ぶ未舗装の土道を行く。その先に、yolchaが見える。
yolcha(ヨルチャ)とは、ハングルで「列車」を意味するらしい。オーナーのイルボンさんから、展示を鑑賞するための「乗車券」を受け取り、展示構成の説明を受ける。作品は、どれも手に触れることができるそうだ。列車のように、細長く奥行きのある空間に点在する作品たちと、これからどのように向き合うことができるかと想像すると、胸が躍った。
こちらは、受付の近くに展示されていた平面作品。このパネルは、立体作品の制作時に残った、古紙の端切れでつくられたものだ。多様な紙の質感と色合い、手描きされた花や建物らしい絵、文字の並ぶ印刷物が重なり合っている。その下には、小さな人形のような形をした立体作品、そして、花瓶のような、ゆるやかなくびれのある筒が置かれている。ぽつんと佇む様子と色合いの暗さから、物寂しさや、葛藤といった記憶の断片が思い起こされる。
次の展示室には、木の壁を潜るようにして入った。四角柱の立体作品や、古紙で包まれた手のひらサイズの石、ろうけつ染めという染色技法をベースに制作したパネルが並ぶ。青や緑の絵の具が調合されて、鉱石のよう。まるで洞窟のなか、自分だけの宝物を見つける感覚だ。それは自身の内面に光る記憶を、探ることとつながっているのかもしれない。
そして、はしごを登った先にある屋根裏部屋の展示室。天井が低く、四つん這いになり、ハイハイをするような姿勢になる。所々に吊るされた立体作品は、空間を通り抜ける風にくるくると回っている。私自身の目線の高さやすこし見上げたところで宙に浮くそれらの間をゆっくりと進んだ。床の真ん中には、鏡の上に置かれた立体作品が並ぶ。持ち上げたり、積み上げたりしながら、ふと鏡面を覗き込むと、汗だくになりながら遊ぶ自身と目が合い、少し恥ずかしくなる。
立体作品一つひとつを眺めていくと、色彩のあわいに、紙を切り貼りした跡、下地に沈んだ文字や絵図がのぞいた。何度も紙を貼り重ねたり、剥がしてバランスを見たりしながら層を浮かび上がらせ、最後にワックスを染み込ませた紙を貼る。そうすることで、紙の向こう側がぼんやりと透けて見えるような、深い奥行きが生まれるのだという。
記憶の外堀を埋めていくような作業の繰り返しによって、
純度の高いイメージを抽象化する。そうして生まれたプライベートなカタチは、
たとえば誰もが持つ公園の遊具で遊んだ記憶によって濾過される。(gallery yolcha イルボンさんが本展に寄せたテキストより抜粋)
本展タイトルの「記憶の遊具」は、イルボンさんが名づけたそうだ。作品を配置する際、人の営みを俯瞰するジオラマや建築物を意識するという内藤さんは、「『遊具』という言葉を目にしたとき、点在する遊具に向かうように、作品を足がかりに記憶を巡るイメージが湧いて。私自身の空間のとらえ方、つくり方までも汲み取ってくださっていると感じました」と振り返る。あらゆる時間と記憶を複雑に内包した作品が、展示空間のそこかしこに存在し、鑑賞する私たちの心、手のなかに感触を残すこと。イルボンさんが記したように、作品と向き合う時間は、忘れていた、かつて存在した風景や感覚と出会い直すきっかけを与えてくれた。
この小惑星とも呼べる空間で、私はひとしきり遊ぶようにして時間を過ごした。そして、思い出す。ジャングルジムの高いところまで登り、校庭を見下ろす小さな勇敢さがあったこと。お気に入りだったデニムスカートの形。木の小屋で、汗をかきながら本を読んだ時間。そのときの空気の匂いや、遠くに聞こえるクラスメイトの声。ひとり遊びのようでありながら、いくつもの幼い影、思い出たちの気配がある。きっと、観る人それぞれに、記憶が呼び起こされる連鎖によって、心がふるえる瞬間がいくつもあっただろう。
会期:2024年6月29日(土)〜7月21日(日)
会場:gallery yolcha
時間:13:00~19:00(日曜のみ12:00~19:00)
休廊:⽕〜⽊曜
料金: yolcha運賃制(300円でチケットを購入/同金額分カフェ利用可)