2022年8月21日(日)、天神橋5丁目のギャラリー・hitotoで小俣裕祐の写真展「continue」を観た。13時のオープンからまもなく、猛暑日の陽光を浴びながら会場に向かうと、ひっそりとした展示空間は、それまで体感していた風景や音の忙しさを遮ってくれるようだった。
壁面には大判プリントと、アクリルフレームに収められた写真の数々が整然と並んでいる。写っているのは食卓や生けられた花、カーテン、クローゼットやデスク、建物の造形など。ヨーロッパを旅行した際に撮られたものだという。どの写真も、日の光と空間の奥行きが心地よく、被写体を前にしたときの空気をも包含しているかのように感じられた。そしていずれも、部屋に佇むとき、まちを歩むとき、誰かと時間をともにするときといった、暮らしを営む過程のなかに視線が向けられていることに気づく。
小俣は1985年に東京で生まれ、現在も都内を拠点に活動している。作家として写真に取り組みはじめたのは大学卒業後の2012年。会社勤めをしながら作品発表や写真集の出版、個展の開催を続け、写真家に軸足を置いたのは2022年だという。その経歴は、自身から写真表現を追い求めたというよりも、写真表現と人生が密接に近づいていった軌跡を表していると言えるかもしれない。
会場の一角に展示された、《BD Special Edition “一輪の花”》を観る。「一輪の花」は、小俣が亡き母に想いを馳せ、日々生け続けた花をモチーフとした作品群だ。同名の個展が開催された2015、2019年には、ポストカードやポスターなどを封入した、ボックス型の写真集シリーズも刊行されている。この《BD Special Edition “一輪の花”》は、それらの構成物を、出版元のアートブックレーベル・DOOKSが手がけた木製フレーム「BD」に収めた、いわば“飾って眺める”本。本展にあわせてつくられた1点のみの特装版だそうだ。縦横や大小、視座もさまざまな花の写真は、母への親密さや、彼女が不在となった後の時間を、多層的に表しているかのようだ。
また、あわせて並んでいた、2019年の個展「掴もうとしても、掴めない」に、小俣が寄せたステートメントを一読する。そこには自身の生い立ちとともに、幼い頃から面倒を見てくれた祖母との思い出が、そして祖母の死後、彼女の故郷である新潟を訪ねた日のことが綴られていた。
祖母の面影を求め、小俣は栃尾へ車を走らせ、カメラを抱えて集落を歩いた。しかし、「何枚か写真を、撮った。いや、なんとかかろうじてシャッターを切ることができた、という方が適切な表現かもしれない。せめて、ここに来たことは残そうと思いながらも、果たして、僕は今、何のために写真を撮っているのだろうとも自問した」。そうした一節に、写真を撮るという行為が必然となる実感に、真摯に向き合う姿勢が感じられる気がした。
展示空間中央の机には、これまでに撮りためた写真のプリントが、束となってケースに置かれていた。卓上に飾られた花や、喫茶店の座席、車庫のような空間から見た通りなど、風景を切り取った画が積み重なっている。一枚一枚を見ていくと、ふと、歩道に染み付いた落ち葉の跡を写した写真に目が留まった。灰色のコンクリートにおぼろげに残った、茶色い唐楓のような葉の形。筆者も日常のなかで見たことのある光景だ。この写真とよく似た葉の跡に出会い、通り過ぎたある日を思うと同時に、その後の歩みが現在の立ち位置へと延びているかのような感覚が湧いた。目の前にある場所やものが経過した時間と、そこに連関する人の営み。小俣の写真には、流動し、蓄積する生活のなかに漂う、そうした気配までもが宿っているように思う。
会期:2022年8月6日(土)〜27日(土)13:00〜19:00
会場:hitoto
休廊:火・水曜