展示会を訪れると、会場右側にあるグレーの壁面いっぱいに、パンフレット、ポスター、チラシがそれぞれ配置されていた。入り口付近の棚と奥のガラスケースのなかには、パッケージや販促物などが並んでいる。まるで淀屋橋に新しい映画館がオープンしたような展示だ、というのが第一印象だった。
中央付近、ポスターのセクションの右下には、テキストがある。そこには、大島から見るポスターとパンフレットのあり方の違いについて書かれていた。抜粋すると、ポスターは「一人の理念だけでなく、多くの人々(宣伝、監督、俳優、劇場など)の意見や思いがつまっているもの」であり、パンフレットは「ポスターに比べて、もう少し個人的な思いやその映画に対する批評性のようなものを込められる。ある映画への最後の仕事となるので、その作品に対する自分なりの研究成果のようなものでもある」とあった。
このテキストでは、そうした大島独自の視点にフォーカスすること、また本展会場となった淀屋橋見本帖を展開する紙の専門商社・株式会社竹尾が提供するファインペーパーに対して、どのようにデザインと紙の関係をつくっているかにフォーカスすることを目指し、展示のなかでも特にパンフレットに着目していく。また展示を見るだけではわからない大島の考え方を浮かび上がらせるために、過去の大島の言葉を織り交ぜながらまとめていくつもりだ。
デザインは「書体探し」からはじまる
「映画の仕事に限らず、仕事をはじめる前に世界中のフォントが集まった大きなサイトがあるのですが、そこで延々と検索してイメージに合う書体を買うんです。
まずは新しい書体を買うプロセスがないと不安で仕事がはじまらない。実際に使うか使わないかはわからないのですが、だいたい1つの仕事で5個くらいは買ってしまいます。」(『映画とポスターのお話』p.121/白泉社)
大島のデザインプロセスはどこからはじまるのか。それを端的に示すこの言葉は、会場でも展示販売されているヒグチユウコとの書籍『映画とポスターのお話』の対談のなかの一節だ。たしかに大島のデザインにはタイトルの文字が印象的なものが多い。しかし、その仕事のすべてでこんなに書体を買っているとはまさか思わなかった。「世界中の」と書かれているから、おそらく日本語書体ではなく欧文書体だと思われる。欧文書体には洋服のようにさまざまなお国柄・系統・ジャンルがあるが、同系統の形の似た書体で済ませる……というわけにはいかないようだ。大事なのは「イメージに合う」ということなのだろう。一般的に、仕事がはじまるときはデザイナー自身にもまだ具体的なイメージがあるわけではない。だからこそ、書体——あえて言い換えるなら「他者」の制作物——を探すプロセスのなかで、徐々にイメージを具体化させているのかもしれない。映画で例えると、主役オーディションのようなプロセスと言えるだろうか。そして、そんな書体と同じくらい大島が重要視しているのが「紙」だ。
「紙」が伝えてくれる
展示会場がファインペーパーを扱う竹尾 淀屋橋見本帖ということもあり、パンフレットのセクションでは、展示品を手に取るとその後ろに小さくデザインや紙選びについての短いテキストが書かれていた。なかでも興味深かったのは、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のパンフレットの紙選びだ。29歳の若さでこの世を去った人気俳優のジョン・F・ドノヴァンの謎に包まれた死の真相について……という映画の内容に対して「鈍く光るメタリック用紙」「色はブロンズ」、というふうに探していたところ、見つかった紙が竹尾の「スタードリーム-FS」のブロンズだったという。スターの、夢……。大島の紙選びではこのように映画の内容と、紙の名前がたびたび不思議な符合を見せるのだと記されていた。
パンフレットの内容としては劇中写真のようなヴィジュアルや、インタビュー、レビューといったテキストが主なものだ。しかしその内容は必ず紙に刷られている。当たり前だと思うかもしれない。支持体である紙は、図像などに比べるとその存在を強く認識されることは少ないからだ。しかし大島はそんな紙を選ぶというプロセスに最も重要な部分、そしてナイーブな感覚を委ねているという。
大島 これ、自分でも不思議なんですけど、あるときに気づいたんです。紙の見本帳と真剣に向き合いながら、この絵、この写真を、どういう紙にどうやって印刷したら「いちばん伝わるだろう」って今、自分は思ってるな‥‥って。
──紙そのものが伝えるものが‥‥ある。
大島 それも、かなりナイーブな感覚、いちばん伝えたいくらいの部分を、ぼくの場合は、紙が、伝えてくれる気がするんです。
紙と印刷が融合した「何か」を表現するために
さらに興味深いのは、紙と印刷を重ね合わせて表現するという大島の作り方だ。
──一度気に入った紙は偽装を繰り返してでも使う!大島さんの偽装テクは、映画『希望のかなた』のパンフレットでも発揮された。
「表紙にゆるチップの〈くさ〉を使いたいなとおもっていたら、厚みが足りなかった。でも使いたい!という思いが捨てられず、チップボールに色をのせてるんです。紙自体の魅力は充分承知していますが、紙単体だけが好きなんじゃなくて、印刷や加工が融合して何かを表現するのが好きなんです」
(『デザインのひきだし39』p.10-11/グラフィック社)
もはや実在しない紙をつくる。そこまでして大島が表現したかったこと、紙だけでも印刷だけでも表現できない、「紙と印刷や加工が融合した何か」。この「何か」とは、なんだろう。映画の仕事であれば、それは映画らしさや映画の世界観、あるいは映画の世界そのものだと推測される。
会場でも紙と印刷加工の関係がわかるような仕掛けとして、中央付近のパンフレットはその仕様書と一緒に展示されていた。仕上がりのイメージを印刷所に共有するためにある仕様書の、指示の文章が面白かったので引用してみたい。
お電話でお話したびりびり半抜き型 反対側から半抜きの歯を入れ手作業で表からむしって、破れをコントロールする(『アメリカン・アニマルズ』パンフレット仕様書より)
本文の抜き型は8パターン、16p以降は180度回転すれば16パターンさらに表裏を逆にすれば32パターン(32p)で全ページでちがう型にみえるかもです(『ミッドサマー』パンフレット仕様書より)
「手作業で表からむしる」?😳
「破れをコントロールする」!?😨
「全ページでちがう型に」………😱
どの言葉も、自分がもし印刷所の担当だったらどんなに頭を捻っていたことだろう。しかし、いざ展示でパンフレットを手に取ると、不思議とそうした複雑な加工がされていることがパッとはわからなかった。いや正確に言えば、加工がされていることはわかるのだ。『アメリカン・アニマルズ』の表紙は手でちぎったように破れていたし、『ミッドサマー』のパンフレットは開くとすべてのページが傷んだ本のように輪郭が揺らいでいた。
しかし、そのことに気づいたのは手に取った少し後で、最初は表紙が破れたり本文が揺らいだりしていることがまるで当たり前のことのように錯覚してしまった。それは加工だけでなく書体や紙も同じで、世界中から探したという書体や、紙も、まるであたかも最初からパンフレットのなかにあったかのようになぜか感じた。映画の世界観とパンフレットを成す要素とが地続きにある。実際には、それらの要素はすべて大島の意図や作為によって選ばれ、組み合わされているのにもかかわらず。
「数え切れないほどのたくさんの人が集まってできるのが、映画」
たくさんのものが集まって何かになる。映画のクリエイティビティについて、かつて大島は以下のように発言している。
大島 監督から俳優、プロデューサーからエキストラまで、数え切れないほどのたくさんの人が集まってできるのが、映画じゃないですか。
──エンドロールに、あれだけの人が。
大島 かりに、映画に芸術性があるとして、それはいったい誰のものなのか、もはやわからない‥‥という部分が、映画の魅力だと思ってるんです。
──なるほど‥‥。
大島 名もなき誰かが、すごく上手なサックスを吹く場面で、そのサックスの音色が、ぼくら観客の心をとらえたとしたら。
──ええ。
大島 その無名の音楽家の芸術性が、映画の出来栄えに直結してますよね。映画って、その積み重ねでできてる。
このやりとりと、ここまで見てきた、書体や紙や印刷加工を組み合わせてつくり出す大島のデザインへの姿勢に、どこか重なるところはないだろうか。
冒頭で「まずは新しい書体を買うプロセスがないと不安で仕事がはじまらない」という大島の言葉を引いた。正直に書くと、最初この言葉を読んだときは、同じデザイナーとして、むしろ大島ほどのキャリアがあれば不安なんてないんじゃないだろうか?と外野ながら思ってしまった。わざわざ探して買わなくても、作字してしまえるんじゃないか?とも。しかしここまで見てきて、その「不安」の正体は、パンフレットやポスターに一緒に取り組む大事なチームメンバーが見つかるかどうか、なのだとわかった。そのチームメンバーは、フォトグラファーや印刷所といった実在の人物も然ることながら、書体や紙といった事物もその大事な一員なのだろう。書体や紙といったもの言わぬものたちの魅力を探し、見出し、チームを編成し、映画を表現するためにともに取り組む。大島のグラフィックデザインの姿勢が、私には極めて「映画的」に映った。
「映画に芸術性があるとして、それはいったい誰のものなのか、もはやわからない」という言葉が指し示すように、パンフレットにおいても決して書体や紙や加工の要素が前景化してはいない。さらに言えば、大島の意図や作為も、正しい意味で背景化している。
そこから翻って強く表れるのは、やはりその映画らしさだ。言い換えれば、フィクション、虚構の楽しみだろう。映画らしさを表現するためのさまざまな仕掛けや手立てが大島によって企てられていても、それらは「映画」より前に出ることはない。書体も紙も印刷も——そして大島のデザインも——すべては映画に従事している。映画に従事する、数え切れないほどのたくさんの人たちと同じように。かくして映画の虚構は守られる。
今回展示として映画のポスターやパンフレットを1点ずつ見るのではなく、こうしてまとまった数を面で目の当たりにできたことで、そのことにあらためて気づかされた。会場には平日の昼間に訪れたが、絶え間なく人が訪れ、みな映画の世界に誘い込まれるように、じっくりと思い思いに鑑賞していた姿が印象的だった。
淀屋橋見本帖「DESIGNER × PROJECT ―大島依提亜と映画のしごと―」
会期:2024年10月10日(木)〜12月8日(日)
会場:竹尾 淀屋橋見本帖
時間:11:00〜18:00
休業:11月9日(土)
料金:入場無料
企画:淀屋橋見本帖、UMA/design farm