大阪府岸和田市市制施行100周年を記念して、「塩田千春展 Home to Home 家から家」が開催された。家(home)をテーマとした本展が開催された岸和田市は、塩田の出身地でもある。現在ドイツ・ベルリンを拠点に制作活動を行う塩田は、1972年に岸和田市の果物や魚の木箱を製造する会社を営む家に生まれた。
会場は、国の登録有形文化財である岸和田市立自泉会館。近代スパニッシュ様式を残す学術的にも高い価値を有する建物である。この建物のホールと展示室の2室に、塩田の代名詞とも言える糸を用いたインスタレーションが展開された。ホールには、大きな家型の鉄枠に赤い毛糸を張り巡らせたインスタレーション作品《家から家》(2022)が設置され、展示室には同じく赤い毛糸を張り巡らせたインスタレーション作品《家のかたち》(2015)と、《記憶の線》(2015 / 2022)、および4点のドローイング作品《家のかたち》(2015)が展示された。展示室では、第56回ヴェネチア・ビエンナーレでの設営風景も上映されていた。上記作品のほかに、塩田の生い立ちや制作活動の軌跡をまとめたパネルが掲示され、幼少期からこれまでの活動の足跡を振り返ることができた。
塩田は、生と死、記憶といった人間存在にとっての根源的なテーマに取り組んできた作家である。2020年の「永遠の糸」に続き、岸和田市での2回目の展示となる本展のタイトルは「家から家」。建築物、血縁者や家族、故郷や共同体など、自らの身の置きどころを表す「家」が主題となった。「どれだけ遠くに住んでいても、いつもどこか心の中では家と故郷がつながっている」をテーマに作品を制作した【1】という。
ホールのなかには、赤い家がシャンデリアに照らされて建っている。《家から家》は、天井から吊り下げられたシャンデリアの高さにまで迫る約5mの三角屋根をした家型の鉄枠に、赤い毛糸を張り巡らせた作品である。血液や人間関係を象徴するという赤い糸【2】が無数に重なる様は、共同体の歴史を綿々と紡いできた人々の存在を象徴するかのようだ。
会場となった自泉会館は、現・ユニチカ株式会社の前身のひとつである岸和田紡績株式会社の2代目社長、寺田甚吉の時代に岸和田紡績の倶楽部施設として建てられたもので、岸和田市に移管されてからは貴賓室や市議会場などとして利用されてきた。岸和田紡績時代は、社内教育や親睦だけでなく一般の文化事業にも利用されており、岸和田の文化を育んできた場所である。
家のなかを紡ぐ糸は、「社会という『家』の中で人と人を繋ぐ見えない線」であるという塩田【3】。自泉会館のホールに建てられた赤い家は、岸和田の地に暮らした人々によって積み重ねられてきた営みを、見る者に想像させる。
鑑賞者の背丈を遥かに超える巨大な家は、自らの拠りどころとなる存在であり、同時に自身をその内に取り込み時には縛りつける存在ともなる、自らが生きてきた社会という「家」の公の側面を象徴するものと見ることもできるだろう。
【1】岸和田市Webサイト https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/kishiwadai/202208012chiharushiota.html
【2】The Talks – CHIHARU SHIOTA: “THE FEAR IS NECESSARY”
https://the-talks.com/interview/chiharu-shiota/
【3】展覧会挨拶文より
ホールが、空間を赤い家が埋めるようなスケールの大きい展示であるのに対して、展示室は大人の背の高さほどの立体や、小ぶりなドローイングが並ぶ。コンパクトな構成で、親密さや安心感を感じるスペースである。
2組ある立体作品は2点とも、1〜2mほどの高さの家型の鉄枠に赤い糸を張り巡らせた作品である。《家のかたち》は、背の低いもの、背の高い塔のようなもの、奥行きが非常に短い平面に近いものの、3つの「家」から構成される。形の異なる鉄枠には家族の絆を表す赤い糸が幾重にも結ばれ、多様な家族のあり方を想起させる。
《記憶の線》は張られた糸の網目が特徴的だ。《家から家》のような幾重にも糸が重なる編み方とは異なり、糸のかからない場所が複数取られており、大きな穴がいくつも空いているような構造になっている。細胞の分裂を想起させるような網目は、自分では気づかぬうちにいきもののように変わっていく記憶、あるいは、年を経るなかで知らず知らずのうちに変化していく家族にまつわる記憶や印象、つまり自分にとっての「家」のあり方の変容を表しているようにも思われる。網目の有機的なイメージは、家族や血縁者、同居人、そして彼らとの思い出や関係性のような、日々の生活に密着した「家」のイメージも喚起する。
ホールの《家から家》では、故郷の土地や共同体、家系といった、社会的営みのなかで形成される「家」的なものが想起されるのに対し、《家のかたち》や《記憶の線》はよりパーソナルな「家」のイメージと結びつく。展示室の作品には、「家」の私的な側面が反映されているのではないだろうか。
塩田は「マイホームであったり、特に昔の女性にとっては『家に入る』ことであったり、社会的な意味を含めていろんな『家』がある」【4】と語る。2つの展示室を行き来する時、自らの生まれた国、あるいは現在暮らしている土地といった所与の共同体である社会的な「家」と、家族や住処としての家のようなパーソナルな「家」を行き来する感覚を味わう。
「家」という言葉が指すものは一様ではなく、社会的なものから個人的なものまで、さまざまな範囲でその人にとっての「家」がいくつも存在している。例えば、「自分は◯◯家の一員である」と考えるとき、家とはその一家のことであるが、故郷を離れ異国の地に身を置くとき、家(=home)は生まれた街や祖国にまで広がる。あるいは、一時期過ごした土地に愛着を感じるとき、自らの出自と直接の結びつきがなかったとしても、そこは自らにとって安心できる場所=家になりうる。私たちは常に複数の「家」に属し、そのどこかに身を置きながら暮らしている。
【4】 田中ゑれ奈「心の在り場所としての『家』 美術家・塩田千春さんが故郷で問うもの」『朝日新聞』電子版、2022年8月14日
https://www.asahi.com/articles/ASQ8F3HJNQ8BPCVL00C.html
新型コロナウイルス感染症の流行をはじめとする昨今の社会情勢は、国境や県境を越えた移動や外出を制限し、「家」から出ないことを私たちに強いた。暗黙のうちにひとつの「家」に留まることを求められるなかで、本展は、人はひとつの「家」に留まることはなく、常に複数の「家」に身を置き、その間を流動的に動き回っていること、そしてその往来のなかで他者と自己との糸を編み直し、「家」のかたちを変化させることができるということを思い出させてくれる。
参考文献
・『美術手帖』2019年8月号 特集「塩田千春」、美術出版社、2019年7月
・『手の中に抱く宇宙 イケムラレイコ+塩田千春 対話集』、美術出版社、2021年
・岸和田文化事業協会Webサイト https://jisen.jp
・The Talks – CHIHARU SHIOTA: “THE FEAR IS NECESSARY” https://the-talks.com/interview/chiharu-shiota/
・ウェブ版美術手帖 – 「塩田千春インタビュー。『美術を通して心は救われる』」2021年5月2日 https://bijutsutecho.com/magazine/interview/23935
・田中ゑれ奈「心の在り場所としての『家』 美術家・塩田千春さんが故郷で問うもの」『朝日新聞』電子版、2022年8月14日 https://www.asahi.com/articles/ASQ8F3HJNQ8BPCVL00C.html
竹花藍子 / Aiko Takehana
1994年埼玉県生まれ、長野県育ち。大阪大学大学院文学研究科博士前期課程修了、博士後期課程在籍。大学では西洋美術史を専攻。長野県立美術館学芸員(2020年〜)を経て、2022年より市立伊丹ミュージアム学芸員。
岸和田市市制施行100周年記念事業
塩田千春展 Home to Home 家から家会期:2022年8月11日(木・祝)~9月25日(日)
会場:岸和田市立自泉会館