しかし、ハグレた者も人間であり、死ぬまで生きていく者である。
(富岡多惠子『女子供の反乱』より)
フェミニズムの新たな潮流が生まれるなかで、2021年、富岡多惠子の論文集が刊行された。『富岡多惠子論集「はぐれもの」の思想と語り』(水田宗子編、めるくまーる、2021年)である。これまで富岡多惠子について、まとまった書籍のかたちで論じられてきたことはほとんどないと思われるが、本書が刊行されたことで、ウーマン・リブの時代から、フェミニストの立場で文章を多く発表してきた富岡の作品を改めて読むべき時期が来たのではないかと感じる。
半世紀近く前に出された富岡の著書『女子供の反乱』(中央公論社、1976年)に「ハグレ者」というエッセイが収められている。「しかし、ハグレた者も人間であり、死ぬまで生きていく者である」という一節はこのエッセイに記された言葉だが、富岡がその創作において描き続けた、群れからはぐれた人間の生きざまはどのようなものであったのか、本書『富岡多惠子論集』で読解が試みられている。
富岡多惠子は、1935(昭和10)年に大阪市で生まれた。小野十三郎に触発され、詩を書きはじめた彼女は、その後小説を著し、批評やエッセイも多く書き続けた。『富岡多惠子論集』では、論者たちが富岡の作品群からフェミニストの視点を読み取るだけでなく、「はぐれもの」を軸として、一つひとつの作品を丁寧に分析し富岡がなにを描いたのか、一歩遠くへ進み考察している。
あなたがわからない哀しみ/あなたがあなたである哀しみ
(富岡多惠子『返禮』より)
本書には詩の分析を行った論考が2編収録されている。そのひとつ、リー・エヴァンス・フリードリックによる、トリックスター(天邪鬼)を分析の切り口とした詩作品の考察には目を開かれる思いがした(和智綏子による翻訳)。フリードリックの論じる詩のなかで、1957年に書かれた「Between」は、富岡の最初の詩集『返禮』に収められている。そこで描かれる時代背景は現代と大きく異なるはずなのに、今読み、考えなければならない切実さがその行間には存在する。「あなたがわからない哀しみ/あなたがあなたである哀しみ」という一節には、分断、差別、孤立のただなかにいて、切り裂かれた自己を見つめる私たちのナラティブも含まれている気がしてならないのだ。
詩の分析を行った2編以外は、小説作品の分析が中心となっている。富岡多惠子の小説は、エッセイなどの明快さと一線を画し、複雑な内面世界を有している。富岡文学に描かれる、共同体、血縁、家族という群れからはぐれ、逃げ出す人物は、シス女性に限らないし、女性としての苦しみ以外の苦しみをも顕わにする。その逸脱する生の描かれ方が当時の富岡の問題意識を鮮明にするのである。
また、詩と決別し、小説を書くようになった富岡であるが、たとえば小説『植物祭』で娘が母に放つ言葉には「帰ってよ、今夜の汽車で帰ってよ、駅まで送っていくから帰ってよ」のように、ふと詩人としての顔が見え隠れすることもある。編者の水田宗子が「富岡多惠子が、詩を書くことによって追求してきたモダニズム以降の言語の問題を小説のなかで思考しなければならなかったのも、ひとつの皮肉である。」(同書49頁)と書くように、詩人であった富岡が、詩ではないかたちで「語る」ことを目指した先に富岡の小説における「語り」があり、言葉へのこだわりが見られる。
富岡多惠子が、そういった言葉の「内部」を信用する自己完結的な言語芸術――知的想像力の世界――に疑問を持ったとき、小説の世界が開けてきたといえる。おそらくそこには「存在のかなしさ」に対する新しい認識があったにちがいない。
(同書49頁)
富岡の手で書かれた批評・評論については、折口信夫、中勘助や大津事件に関するものなど、実に多彩であるが、本書ではそのなかからフェミニズム批評、日本共産党のハウスキーパーの問題(※)について論じた評論「女の表現」が取り上げられている。このほか、富岡は井原西鶴、近松門左衛門ら大阪の作家についての関心も深く、関連する評論などの著作物もある。富岡多惠子の膨大な仕事の全貌をとらえることは非常に困難であるが、それらも含めた包括的な論考が今後出版されることも期待したい。
本書の刊行を記念し、編者・水田宗子のインタビュー(聞き手:住本麻子)が読書人のWebサイトに掲載されている。併せて読みたい。
※日本共産党の男性党員と女性党員あるいはシンパの女性がともに暮らし、身の回りの世話をしていたことなどについて、戦前官憲やメディアで流布され、左翼批判へとつながった問題
『富岡多惠子論集「はぐれもの」の思想と語り』目次
序文――富岡多惠子と場所の記憶 水田宗子
水田宗子
家族のトラウマと語り――『逆髪』まで
富岡多惠子の「語り」と女性のナラティヴ――『動物の葬禮』と参列者
「冬の国」からの旅、ガリヴァーの行かなかった共和国へ――『ひべるにあ島紀行』北田幸恵
異形とジェンダー越境――『逆髪』を読む
〈哀れな女〉から〈自由なハグレ者〉へ――富岡多惠子の評論「女の表現」におけるハウスキーパー像の転換長谷川 啓
富岡多惠子の過激な反逆精神――『砂に風』『波うつ土地』『白光』をめぐってデイヴィッド・ホロウェイ(和智綏子・訳)
恥辱を超越する身体――性、聖域、そして『芻狗』リー・エヴァンス・フリードリック(和智綏子・訳)
天邪鬼の声:富岡多惠子による拒否の詩与那覇恵子
富岡多惠子の詩の世界
富岡多惠子の文学世界――年譜風に富岡多惠子・著作目録
編者:水田宗子(みずたのりこ)
比較文学者(アメリカ文学、比較女性文学、ジェンダー文化論、現代詩批評)、詩人。
主な著書に『Reality and Fiction in Modern Japanese Literature』『エドガー・アラン・ポオの世界』『鏡の中の錯乱─シルヴィア・プラス詩選』『ヒロインからヒーローへ』『フェミニズムの彼方』『物語と反物語の風景』『20世紀の女性表現』『ことばが紡ぐ羽衣』『女性学との出会い』『尾崎翠[第七官界彷徨]の世界』『モダニズムと戦後女性詩の展開』『詩の魅力/詩の領域』など多数。詩集『春の終りに』『幕間』『帰路』『青い藻の海』『影と花と』『水田宗子詩選集』『うさぎのいる庭』『音波』他物語詩三部作など。富岡多惠子(とみおか・たえこ)
小説家、詩人、評論家。1935(昭和10)年大阪市生まれ。大阪女子大学卒。最初の詩集『返禮』でH氏賞を受賞。詩集『物語の明くる日』で室生犀星詩人賞。1971年頃、詩から小説へ転じると、『植物祭』で田村俊子賞、『立切れ』で川端康成文学賞受賞。生と性にまつわる独自の鋭い批評性をもつ。『冥途の家族』(女流文学賞)、『芻狗』『動物の葬禮』『当世凡人伝』『環の世界』『斑猫』『波うつ土地』『逆髪』『水上庭園』『ひべるにあ島紀行』(野間文芸賞)など著書多数。『行為と芸術』『詩よ歌よ、さようなら』『闇をやぶる声』『女子供の反乱』『西鶴のかたり』『近松浄瑠璃私考』『中勘助の恋』(読売文学賞)『西鶴の感情』(伊藤整文学賞、大佛次郎賞)『室生犀星』『釋迢空ノート』(紫式部文学賞、毎日出版文化賞)など評論も多く、上野千鶴子らとの鼎談集『男流文学論』はフェミニズム批評においても話題となる。
(めるくまーるWebサイトより)
編者:水田宗子
著者:水田宗子、北田幸恵、長谷川啓、デイヴィッド・ホロウェイ(和智綏子・訳)、リー・エヴァンス・フリードリック(和智綏子・訳)、与那覇恵子
定価:2,750円(本体2,500円+税)
判型:四六判・上製
頁数:320ページ
発刊:2021年1月
発行:めるくまーる