伝統工芸品や民藝には手仕事の美しさ、自然の温もりがある。だが、これら工芸品はなぜ生まれ、つくられてきたのか。2023年1月20日(金)〜2月26日(日)に大阪中之島美術館で開催された遠藤薫展は、沖縄や八重山列島の丸木舟、染織、琉球泡ガラスなど民藝品の背後にある歴史や政治、生活との関係性をひもとくインスタレーション作品だった。
本展の作品《重力と虹霓/南波照間島について》は、2019年に東京の資生堂ギャラリーで展示された《重力と虹霓》、2021年に沖縄県立博物館・美術館で発表された《重力と虹霓・沖縄》の系譜に連なるシリーズであり、一部の展示品は過去作から再構成されて組み込まれている。では、南波照間島とはいかなる島で、その背景には何があるのだろうか。
会場でひときわ目立つのは丸木舟である。この背景には、日本最南端に位置する波照間島に伝わるパイパティローマ伝説【1】と芭蕉布が関係している。パイパティローマとは、南波照間島を意味し、波照間島のさらに南にあるとされる伝説の島である。江戸時代には波照間島の島民が人頭税【2】という重税に耐えかね、南波照間島に向けて黒潮を逆行し、丸木舟で航海した記録が残されている。
では、南波照間島はどこにあるのか。遠藤は、パイパティローマ伝説を実証すべく再現航海を計画した。石垣島で造船業を営む吉田友厚氏が航海に使われたとされる八重山に伝わる琉球松をくり抜いて丸木舟を復元制作した【3】。舟の周囲には、パラシュートでつくられた帆、丸木舟に溜まった海水をすくうチリトリのような形をしたアカトリ、陶製の手榴弾、糸芭蕉の繊維や映像などさまざまな資料が並ぶ。残念ながら南波照間島への航海は見送られたが、かつて波照間島の人々がどのような航海をしたのか、想像の航海へと誘う。
また、伝説の南波照間島に向かう原因となった重税の背景にあるのが芭蕉布である。薄くて軽く、涼しい手触りが特徴の芭蕉布は、民藝運動の提唱者である柳宗悦が著書『芭蕉布物語』(1943年)で「こんなにも美しい布の着物を、大勢の者が不断着にする土地を他に見掛けません」【4】と書き、沖縄の特産品として知られるようになった。一方、八重山地方では税を農作物で収めるだけでなく、芋麻で織り上げた上質な麻布の上納が女性に義務づけられていた。この上布を織る織子の女性たちが着ていたのが、バナナの一種である糸芭蕉を素材とした織りに骨の折れる「芭蕉布」だった。美しい芭蕉布とパイパティローマ伝説の背後には、風土や衣服、貧富の格差、重税や労働の搾取などもうひとつの「芭蕉布物語」があったのだ。
歪にゆがんだコーラ瓶やガラス片が並ぶ《火炎瓶/コーラ/沖縄/1945》【5】では、戦後の沖縄とアメリカ文化の象徴であるコーラ瓶との関係性がひもとかれる。終戦後の沖縄ではアメリカ兵が捨てたコーラ瓶を再利用してつくられた琉球泡ガラスが伝統工芸品となる一方、1970年にコザ市で起きたコザ暴動では住民がコーラの火炎瓶を投げて抗議した。コーラ瓶が土産物や武器にもなる変遷は、沖縄の政治や歴史の複雑な背景を示している。
以上のように本展は、沖縄や八重山列島の工芸品が、歴史や風土、政治が複雑に絡まりあって生まれた背景が明らかになる。こうした遠藤作品の特徴は両義性にあり、哲学者シモーヌ・ヴェイユの著書『重力と恩寵』に由来する本展の作品名「重力と虹霓」にそれが現れている。「重力」が人間にはコントロールできない力や不幸、「虹霓(こうげい)」は主虹と副虹による二重虹を指し、漢語で「虹とその影」を意味する。遠藤は、重力と虹(工芸)を対比することで、上昇と下降、光と影、可視と不可視、現実と夢想、人と自然、儚さや希望という両義的な意味を込めているのだ。また、虹と工芸がともに消えていく現象や伝承、技術、歴史であることも含んでいるだろう。
染織家の志村ふくみは「工芸の本質は共同体」にあるとし、「決してひとりではなく、数人の人の知恵、心、それが生んだのだ。色をいただき、素材をいただき、それが共同体という器の中で生かされたのだ。」【6】と述べた。虹が光と水の屈折や反射で生まれるように、工芸は人と地域、素材との相互作用で生まれる。本展においても、地域にあるありあわせのものを利用して素材が別のものにつくり変えられる。その復元や転用、再利用をする手仕事からは、物資が乏しい自然や生活環境という重力を逆手に取ったオルタナティブな発想や智慧、「野生の思考」を見出すことができるだろう。
本展はともすると、ローカルな沖縄・八重山列島の伝統工芸をリサーチした展覧会に見えるかもしれない。だが、その背後には共同体から生まれた「虹霓=工芸」の地図があり、手仕事の理想郷であるパイパティローマが広がっていた。伝説は信じる人々がいなければ存在できない。工芸もまたひとりの力だけではなく、共同体でなければ見ることが叶わない光景である。本展から私たちは何をいただき、生かすことができるのか。その背後にある問いは重いが、航海はまだ終わっていない。
【1】諸説あるが、パイパティローマとは、八重山の言葉でパイ(南)・パティ(果て)・ローマ(サンゴ礁)を指し、「南の果てにあるサンゴ礁の島」を意味するという。
【2】人頭税(じんとうぜい)とは、各人が一律に同額を課される税制度で、中世から1902年まで沖縄県に存在した。
【3】展覧会終了後は、石垣島の吉田サバニ造船で乗船が可能になる予定。
【4】柳宗悦「芭蕉布物語」『琉球の富』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2022年5月、p.158。
【5】展示品の詳細は、会場配布資料の作家自身によるコメントが詳しい。また、《火炎瓶/コーラ/沖縄/1945》については、沢山遼氏のレビュー「遠藤薫《重力と虹霓・沖縄》を読む。パラシュートとコーラ瓶がつなぐ、工芸、沖縄戦、ポップアート、宇宙主義」(Tokyo Art Beat、2022年9月8日 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/endo-kaori-gravity-and-rainbow-okinawa-insight-2022-09)を参照していただきたい。
【6】『色を奏でる』筑摩書房(ちくま文庫)、1998年12月、p.169。
平田剛志 / Hirata Takeshi
1979年東京都生まれ。2004年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。アートウェブマガジン編集長を経て、2012~2017年まで京都国立近代美術館研究補佐員。主な展覧会企画に、「フラッシュメモリーズ」(432|SAI GALLERY、Yoshimi Arts、The Third Gallery Aya、2019年)など。最近の論考は、「北辻良央の70年代――版画の影」『北辻良央 全版画 1976-2020』(+Y Gallery、2021年)など。