えてして、ものごとには「中心」がある。真ん中にあるため、バランスを保ち、安定をもたらしやすい。しかしその一方、「中心」は、その安定の恩恵を受ける者にとっては都合が良いが、その構図は権力を生み出し、抑圧される弱者を「周縁」に押しやる側面もある。谷澤紗和子は、その「周縁」から中心に向けて「絵画でないこと」の意味を提起することによって、既存の美術の枠組みに、自身の声を差し込む領域を獲得してきた。
谷澤紗和子は、近年、主に切り紙などの手法を用いて作品を制作している。2022年のVOCA展では、切り紙をアクリルで挟み家屋の廃材で額装した6点からなる作品《はいけい ちえこ さま》を展示し、注目された。昨年、大阪市西区にあるstudio Jにて開催された個展「矯めを解す(ためをほぐす)」は、このVOCA展の作品の系譜に連なる作品で構成された展覧会であった。
谷澤はフェミニストであることを自認する。一般的な美術史は、西洋を中心にアジアやアフリカなど欧米以外の美術は扱わず、工芸や装飾などの応用美術を排除し、さらに作者は男性であることを前提としてきた。美術におけるフェミニストたちは、その不条理さを指摘し、その是正に言及する。今日の価値観に照らせば、それは決して過度な要求ではなく、誰が見ても「まとも」な主張であろう。展覧会のタイトル「矯めを解す」の「矯め」とは、男性の視点から女性を社会的に拘束するコルセットなどの拘禁具を想起させる「矯正」を意味する。ここではそれを力づくではなく、「ほぐす」としている点が示唆的である。その柔軟さは、女性たちが強いられた不条理のみならず、広く社会に組み込まれた「怒る」べきさまざまな対象に向かう、意識のゆるやかな連帯のようなものを感じさせる。
谷澤にとって切り紙は、それが美術の世界であまり使われない周縁的な技法であることに重要な意味がある。また彼女は、切り紙が主に、世界各地でマイノリティとされてきた女性たちが、生活のなかで手がける手法であることにも意識を向ける。生活や労働は、実存の感覚として、美術などの理念に勝るのだ。そうした、絵画に対する「絵画ではない切り紙」という、中心と周縁の関係性が谷澤の作品の重要な構造となっている。
無造作に押しつぶされて無残な形となった折り紙でつくられた重機。それらが2枚のアクリルの間に挟まって木のフレームに収まり、壁面にならぶ。本展の起点となった作品《矯めをほぐす#1》をはじめとする、展示を特徴づける作品群である。つぶれた重機の形には、紙を切り抜いてできた鮮やかな赤い線が、走り書きのような流麗さでまとわりつき、切り紙であることによる色と線描の鮮烈さを、異様なほど際立たせている。ひとたび折り紙として形づくられたものが、作品を制作する意図のもとで用途を失ったゴミのような存在となる。そしてそれが、鮮やかな線にからめとられ、視覚的に意味をもつモノとなり、作品として再び命を与えられる。恣意的な力による創造と破壊。生と死の簡易な与奪。あるいは、傍若無人な平面と立体の区分の相対化。そうした美術の問題としてかなり重苦しいテーマであったはずのものが、ここでは目の覚めるような洗練さで別の位相へと軽やかに変移させられていく。
谷澤の作品における、一点の曇りもないアクリル越しに見るクリアなイメージには、ポップでグラフィカルな印象さえ漂う。しかし、その表面の軽さと明るさは、逆に、観る者の不安を煽る。上述した折り紙の重機にあたるモチーフは、別の作品においては、荷物の梱包材として使われるような粗末な紙を無造作に押しつぶした、まさにゴミそのものとなっており、その上に「ASSHOLE」「うばうな」「くそやろう」といった過激な文言が、ステンシルの型のように文字部分がくりぬかれた形で表記されている。視覚的な洗練と、ある種の品格さえ漂わせるこれらの作品を覗き込む者の鼻先に、赤裸々な暴言を平然と突きつけること。このポジティブとネガティブのあっけらかんとした二律背反が、谷澤の作品形態を大きく際立たせている。
作品の形状は、フレームにおさめられた絵画などのタブローに近い。それはむしろ、美術の主流を擬態しているのかもしれない。であるからこそ、切り紙や折り紙を援用する谷澤の作品は、絵画など「主流」との対比を喚起する。ここで問題にすべきは、「周縁」が「中心」について言及することの意味である。対比によって違いが際立ち、それぞれの総体が浮かび上がる。谷澤の場合、「中心」にへばりついた「周縁」が、その位相の違いによって文脈をはぐらかし、いったん無効となった文脈のなかに意味の空白を生み出す。谷澤は、その隙間に向かって何かしら「抗議」のメッセージを送り、それが虚を突くように観る者の意識に刺さっていく。ここで起こる文脈の地滑りは、切り紙であれば、周縁的なメディアとしての扱いによって、絵画的な部分であれば、額におさまった「美しい」作品が暴言を吐き出す装置であるというズレによって、増幅される。
また谷澤は、言葉について格別に鋭い感性を発揮する。これまで小説家とともに言葉を扱う作品も多く手がけてきた。近年は、言葉の概念としての表象性をより際立たせるかのように、切り紙の技法に寄り沿う形で本来物理的な属性をもたない言葉の形象化に取り組む。今回の展示では限定的であったが、言葉を切り紙で表現することで言葉が絵画におけるキャンバスのような物理的な「内容」となり、作品としてかなり特殊な意味のレイヤーが加わることになる。それは抵抗の意思表示としての言葉の扱いに留まらない、視覚的な芸術表現として非常に注目すべき可能性を示すものである。
「芸術とは、社会に向けてなんらかのメッセージを放つものである」。こうした考えは送り手側にも受け手側にも、根強くある。しかし芸術は、芸術的なる経験を観る者にもたらすものであり、単に言葉で主張を伝えるだけならば、それは芸術である必要はない。さまざまな感覚を誘引し複雑な感慨を呼び起こす芸術が伝えるメッセージであればこそ、それを受け止める側に予期せぬほどの深い印象を残す。谷澤は、芸術が表現であることの意味について深いレベルで真摯に向き合っているに違いない。ともすれば芸術をデリバリーの手段ととらえ、消費的な粗雑さで他者の表現方法をコピペしてはばからない作品が溢れかえるなか、谷澤の作品にはそうしたものとの差異があまりにも際立って感じられる。つまり、視覚的な形態においても、また意味を形づくる作品の構造においても、極めて独創的なのだ。これは、表現する内容と、表現する方法の関係性の問題である。谷澤の芸術は、私たちに今一度この問題に向き合う必要を示している。
大島賛都(おおしま・さんと)
1964年、栃木県生まれ。英国イーストアングリア大学卒業。東京オペラシティアートギャラリー、サントリーミュージアム[天保山]にて学芸員として現代美術の展覧会を多数企画。現在、サントリーホールディングス株式会社所属。(公財)関西・大阪21世紀協会に出向し「アーツサポート関西」の運営を行う。
会期:2023年12月2日(土)~23日(土)※展覧会期間中のみのオープン
会場:studio J
時間:12:00~18:00
休廊:日・月・火曜