生誕110年を超え、没後25年以上経った今も、その名を知らない人はいないほどの人気を誇る岡本太郎。今もなお、多くの若者のインスピレーションの源として支持されている。2022年2月に開館した大阪中之島美術館で、7月23日(土)から10月2日(日)にかけて開催される本展は、大阪では初の岡本太郎の回顧展であり、東京、愛知へと巡回予定。近年の岡本の展覧会のなかでも最大規模である。
しかしながら、不思議なことに、我々は岡本の展覧会を見ずとも、彼に尊敬を抱き、多かれ少なかれ感化されてしまうほどには当人を知っている。
それは、《太陽の塔》に代表される、彼の公共彫刻的な作品群が多くの地域に点在し、それらを一度は(メディアを通してでも)鑑賞した経験があるからだろうか? それとも、彼の著作が今もなお、芸術や表現に携わるものにとって首肯できる古びないものだからだろうか? はたまた「芸術は爆発だ!」という彼が発した言葉が、未だに日本の芸術に対して抱かれる一般的なイメージとして君臨するからだろうか?
確かに、いずれも岡本が残した業績であり、だからこそ彼は、揺るぎない立場で後世に影響を残し続けている。しかし、我々は彼の作品のどれほどを知っているのだろうか。
この疑問は、岡本が何を作品としてつくっていたのか、つまり、表現や制作一般における「成果物」が、一体どの要件を満たせば、美術館での展覧会開催に耐えうる「(芸術)作品」と呼ばれるのかという問いにも言い換えられる。おそらく、岡本太郎はこの類の質問を嫌っただろうし、それゆえに、上手な返答も用意していたであろう。
本展は6章構成のうち、半数以上が絵画を中心とした構成となっており、それらを通じて岡本の活動を探ってゆくものである。
彼は絵画を売ることではなく、公共施設の壁画デザイン、著述、ロゴマークデザイン、テレビ出演などで生計を立てていた。それを考えると、彼にとって絵画は、他者から求められたものではなく、自ら追い求めて、欲望したものなのだと見て取れる。もちろん、このことだけを根拠に、絵画作品が彼の芸術の純粋な部分や核だと言い切ることはできないが、絵画から岡本太郎を通観することで、「生命力」や「情熱」といった紋切り型のイメージとは距離を置いて、彼をとらえることができるのではないだろうか。
あらためて、岡本によるこれほど多くの絵画作品が一堂に会すると、「リボン」と「顔」が重要なモチーフであることがわかる。彼が渡仏した際に描いた初期代表作《傷ましき腕》(1936/46年)のみならず、1935年から1936年にかけて描かれた作品の多くには、リボンが描かれている。
以降、リボンはほどかれ、ひらひらとした紐状のモチーフが登場する。そして、そのリボンがより抽象的な図像へ発展し(第2章)、彼の筆致を試すものへと変わってゆき(第3章)、「『殺すな』意見広告」(第4章)でその極北を見る。リボンという、結んで、縛りつけもするし、一方で自由に舞い飛んでゆくモチーフは、徐々にソリッドに突端と速度をもつイメージになり、先細りする長さをもつ触手のような線へと変わってゆく。彼が好んで用いた木や枝のモチーフと重ね合わせれば、それは生命の誕生から成熟までを表すかのようである。
第6章「黒い眼の深淵—つき抜けた孤独—」は、ほかの展示室と異なる黒い壁紙が禍々しい印象を与え、岡本を説明するときによく用いられる「呪力」的な効果を発揮する。第3章「人間の根源—呪力の魅惑—」では、彼が民俗学を学んだ視点から再発見した、縄文土器や沖縄・東北地方などへのまなざしが、壁画や装丁、デザイン、強いては国家プロジェクトであった万博の《太陽の塔》などに咀嚼された過程を見た。そして、岡本はそれらをキャラクターのような造形としてポップに消化したが、万博以後から晩年までの絵画作品が展示されたこの章では、そういったポップさを超越し、いっそサイケデリックですらある。そのほとんどにメインモチーフとして大きく描かれるのが、白地の上に黒く塗られた二重丸だ。だが、黒く塗られた二重丸を目としてとらえてしまう、生物の本能に訴えかけたこのモチーフを前にしても、「顔」と言うのは難しい。
目としてとらえるにしても、彼の描くそれは開ききっており、生気というよりもむしろ死を感じさせる。絶筆である《雷人》はもはや黒目すら描かれておらず、生き物の目ではない。彼にとって顔というモチーフは、リボンとは相反して、生命力の衰退を表すものなのではなかろうか。
再び《傷ましき腕》に戻ると、描かれている人物の顔は隠されている。日本に帰国し、戦争を経験したのちに描かれた《夜》についても、女性の顔をうかがい知ることはできない。そして、徐々に人物というモチーフから離れ、顔だけになり、目だけになる。この過程において、画面には情熱のようなものが熱く滾って見えるが、同時にそこには、どこか底冷えする冷静さも表れる。
この相反をひとつつの事柄のなかに衝突させることを、岡本は「対極主義」と言い、自身の根底にあるものだとした。ふたつの対立を折半するのではなく、ぶつけるということは、その対立の解決の問題を先伸ばしにすることでもある。逃れようのない恐怖から逃れようとするために、多動的な生き方をせざるを得ない弱さこそ、彼がこれほどに支持される理由だろう。岡本太郎は絵画において、生と死という対極主義の究極問題を追求し続けた。その試みは回顧展という、他者が作品を読み解き、解釈する介入の方法をもってしても耐えうる、小さな宇宙を描き、散りばめ続けていた。
檜山真有 / Maaru Hiyama
1994年大阪市北区生まれ。企画した展覧会に「オカルティック・ヨ・ソイ」(2021)、「超暴力」(2019)など。2022年はワークショップをする予定です。
会期:2022年7月23日(土)〜10月2日(日)
時間:10:00〜18:00
会場:大阪中之島美術館4階展示室
休館:月曜
料金:一般1,800円、高大生1,400円、小中生無料
※日時指定制(30分ごと)
※チケットは当日販売も行われるが、混雑による入場待機や販売終了の場合もあり事前購入を推奨。大阪中之島美術館公式ホームページ(オンライン販売)、またはローソンチケット(Lコード:56701[9月1日(木)~10月2日(日)入場分])、ローソンおよびミニストップ各店舗にて購入可問合:06-4301-7285(大阪市総合コールセンター)