「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」は、2024年3月30日(土)から31日(日)にかけて開催されたシェアミーティングであり、主催は京都と滋賀の県境に共同スタジオを構える山中suplex。プログラム・ディレクター(育休代替)を務める池田佳穂氏が企画したイベントだ。1泊2日にわたって、いわば合宿スタイルで開催されたこの「ミーティング」は、芸術作品の制作活動や、その環境利用と維持、あるいは発表など、アートを取り巻くあらゆることを「集団」で行う8団体と、その運営方法や工夫、現在抱えている課題などを、実体験をもとに「シェア」することを目的として開催されたものである。
近年ではアーティストの「集団」がCollective (コレクティブ) と翻訳されることが増えましたが、共同スタジオとして始まった山中suplexのように、スタジオ、アートスペース、オルタナティブスペース、アートコミュニティーなど多種多様な形態で、文化従事者たちは集まり活動しています。こうした活動のなかには、空間や機材の共有といった合理的なメリット以外にも、共通の問題意識や仲間意識を出発点に、展覧会や自主イベント、アーティスト・イン・レジデンスなど一般社会に向けてプログラムを行う団体が多く存在します。さらにメンバー間の協働・共存の在り方もバリエーション豊かで、安易なカテゴライズは難しくなっています。
本企画では、共同スタジオやオルタナティブスペースといった団体形態で区切りません。
①地理的・経済的に不利な状況を生き抜くために何らかの文化的な策を講じる、もしくは、②健康的に他者と協働するために活動形態を工夫する、ユニークな8団体を招聘し、各団体が蓄積してきたノウハウの共有と交流に基づくネットワーク形成を試みるイベントです。
——山中suplex Webサイトより引用
3月末の週末、いかにも季節の節目を感じるイベントの開催日は、いつのまにか訪れた春が通り過ぎて汗ばむほどの日差しが降り注ぐ日だった。会場である山中suplexの共同スタジオは、市街地からそう遠くはないものの徒歩や公共交通機関では容易にアクセスできるとは言い難い、里山のごとく自然豊かな場所に位置する。集合時刻が近づき、乗合タクシーや車でぞろぞろと参加者が集まってくる。開始時刻を迎え、挨拶がなされたあと、はじめに、スタジオの案内を兼ねて、施設の紹介を含むこのミーティングの「過ごし方」が丁寧に説明される。
参加者は今回のために開墾されたテントサイトでのテント泊である。スタジオの小高い丘のような平地に設置されたテントがきちんと並んでいた。
筆者を含む、おそらくその場に居合わせた参加者の多くが驚いた新設の美しいトイレ。「土足厳禁」で清潔に利用されることへの優しい配慮が施されていた。
「山中の湯」と呼ばれていた山中suplex名物かつ一推し(!)の野外風呂。目隠し付きの脱衣所が併設されており、3つのドラム缶風呂が並ぶ。入浴方法や諸注意、さらにはこの日の入浴順に至るまでの段取りが説明される。体験した人の感想を聞くと「星空の下、風にあたりながら浸かる風呂は最高だった」とのこと(ちなみにこの野外風呂だけではなく水圧抜群のシャワーもあるそうだ)。
ごみの捨て方、就寝時の過ごし方や寝床、おトイレや入浴、そして食事。生きていく上では当たり前な生活的「過ごし方」ではあるものの、はじめて訪れる他人の場所では、遠慮や緊張が重なり、自分からはなかなか聞き出せないもの。そうした生活的営みへの丁寧な配慮の数々には、ありがたさと安心を覚えた。
「シェアミーティング」の内容はタイトルの通り「共有のための会議」であり、全国各地から集った8団体が、それぞれ20分間のプレゼンテーションを行うというもの。本稿ではそれぞれの発表内容に関する詳しいレポートを記せないが、筆者がとりわけ魅力に感じたポイントを写真とともに一言ずつ添えたい。団体や場所の実態は、是非、読者と本人らとの出会いを通じて知ってほしい。
主催の山中suplex。共同スタジオであり、制作の用途や機能によって分かれる工房やスタジオを併設。また制作スタジオという枠組に留まらない、集団での発表にも取り組み、展覧会をはじめ、「別棟」の場所運営など集団としての実践の幅の広さが魅力。数々の企画のなかでも「一緒にご飯を食べる」というBBQの重要性への指摘には、多くの人が共感していた。
福岡県にあるアート・スペース。設立からおよそ20年と長期的に継続しているスペースであり、その時期毎に関わる人々の目的によって、場所を軸として取り組む企画や活動の内容、さらにはスペースの運営方針までにも変遷があり、有機的なコミュニティの持続のための方法はとても参考になる。
「美術館」と名付けた活動実践(という言い方が正しいのだろうか……)。奥多摩にある場所を起点としながら、その場所での企画やイベントはもちろん、それらの活動をきっかけとしたアーティストらのつながりを活かした別の場所での作品発表など、その実践の幅はとても広く、ユニーク極まりない。誤解を生んでしまう(?)命名に隠されたエピソードや、その名が由来して起きるちょっとした困難を含むさまざまな実践が共有された。
瀬戸物でその名が知られる愛知県瀬戸市にあるシェアスタジオとその同建物内に運営している展示空間とカフェを併設するBarrak。巨大なスタジオのなかにはBarrakのほかにもショップ、ギャラリーなど目的が多様な人や団体が共存している。その様子がおだやかで、居心地がとても良さそうだ。
参加者のなかでも、さらには全国的にもかなり老舗のアートコミュニティ。北海道の白老町飛生に位置する元々は小学校だった施設を活動の拠点としている。掃除、キャンプ、食事会や新年会、季節行事、そして芸術祭に至るまで、地域の人々との「森づくり」というキーワード/実践を軸とする膨大な取り組みたちのスケールの大きさに圧倒される。
合同会社廃屋・西村組が運営するギャラリーまたはギャラリーが位置する「村」。バイソンの名称は動物ではなく梅村(バイソン)が由来。生存戦略として廃屋に住むことからはじまり、あらゆる廃屋をつくり替え、廃材を用いた建築を行い、ついには集落に至るまで実践対象としている大胆さはほかに類を見ない。
ネットサイトで発見した民家を借り、改装を加えて運営されているスペース。一見すると一般的な民家だが、ギャラリースペースを活用したユニークな活動を展開。またコロナ禍にはじまったスペースでもあり、パンデミックの社会的状況を反映した企画なども特徴的だ。
ドクメンタ15の芸術監督を務めたルアンルパから派生的にはじまった「COLLECTIVE AS/IS SCHOOL」を掲げる集団的実践。「グッドスクール(良い学校)」という、その名の通り学校的な実践で、共有すべきノウハウを「エコシステム」として設定し、集団で「学ぶ」ためのさまざまな仕組みを提案している。参照されるコレクティヴのための指針などの資料から、インドネシアにおけるコレクティヴという実践の蓄積には、思考が拓いていくような気づきがたくさんある。
20分間という短い時間での紹介となったものの、直接その場で話を聞くことで、それぞれの団体の魅力の解像度が増していく。また集団を形成するために共有されている意図や方針、あるいは場所の立地、そして地域性はさまざまで、「なるほどこういう工夫があるのか」「こんな経緯だからこうした仕様なのか」「そういう問題、あるよなあ……」などなど、異なる状況でありながらも、参加者の誰しもが「集団」、あるいはなにかを「共有する」営みの経験者だからこそ、実践的な驚きや合点、もっと知りたいという疑問と気づきが絶えない情報共有の時間となっていた。
こうした報告型や発表形式の会合としてはめずらしく(報告形式の会合はあまりに話が面白いと盛り上がり時間が長引く傾向にある。さらにオーディエンスとしてはそういうことに加担してしまいがち……)、キュレーター池田氏の敏腕なモデレートと、配信やテクニカルを担うメンバーの段取りや完璧なスケジュール管理により、驚くほどスムーズに時間が過ぎていく。
プレゼンテーションの合間には、アーティストの村田美沙氏によるお茶の時間「奉茶」が催された。お茶と山中suplexメンバーが焼いたという湯呑みは、今回のミーティングのために工夫を凝らして準備されたもの。参加者それぞれが互いにお茶を注ぎあい(奉茶:自助的なお茶を飲むシステムらしい)、そのささやかだが重要なきっかけを通じて、たとえ初対面だったとしても、となりにいるだれか、さっきの発言が気になるだれかとの会話が尽きることはない。
怒涛のように続くプレゼンテーションを終えた初日の夜には、山中suplexの紹介時にも重要性が強調されていた、みんなのお楽しみで、最も重要(!)なBBQを囲む。すっかり冷え込んだ野外での食事だったが、あれやこれやと話が尽きることはなく、夜はどんどんふけていく。
キュレーター池田佳穂氏による「池田Bar」も大盛況だ。
8つのプレゼンテーションに加え、一般や若手枠の参加者から、進行中や企画中のアイデアなどに関する飛び込みのミニ・プレゼンテーションが行われた。
2日目のミーティングの合間には、参加者全員でレクリエーションの「モルック」に取り組む。今回の参加者は割と大人(?)が多いものの、集団で身体を動かす、いわば「レクリエーション」を純粋に楽しむ様子が清々しい(筆者もハマった)。
ミーティングのなかで共有されたのは、「集団」であることの目的や工夫などの実践的な方法論だけでなく、「決して楽ではないこと」、集団だからこそ生じる課題も、重要なトピックだった。それぞれの団体の報告で提示された課題には、建物の老朽化や場所・施設の維持めぐる困難、そしてその場所の維持を起因とする「集団を継続すること」への検討や判断について、あるいは集団を構成する人々の高齢化と変化、さらには周辺の環境やコミュニティとの関係性づくりなど、数々の課題が共有されていた。そうした参加者が身を持って向き合う課題の悩みの数々からは、今日の日本社会における芸術活動をめぐる所環境の問題も見えてくる。
シェアミーティングの最後には、総括の時間が設けられ、今回のミーティングの感想や体験で得た想いなどが共有される。
「集団」でなにかに取り組む、あるいは生きていく。それは芸術活動に限らずとも、社会で生きる誰しもにとって必然的な営みでもある。しかし、その当たり前の営みに、アートという実践を加えることで、より生きやすく、あるいは社会を生き抜くためへの創造力を培えるのかもしれない。今回のミーティングでも、集団であるからこそできる数々の利点や戦略——巨大で多様な場所をつくる、維持する、モノや土地までも再利用するなどなどが示されたが、なにより「集団」だからこそ可能な、そして最も大切な実践的方法とは、こうした「共有」のしやすさなのではないだろうか。
楽しさや充実を感じる日常であっても、時に社会は生きづらく、ひとりではどうしても解決できない大きな困難から、逃れられないことがある。そんなどうしようもない未来が訪れて、なんらかの選択を迫られたとき、「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅する」のだろうか。いや、そうした困難に立ち向かう決断をせまられる前に、あるいは必要となるその日まで。この日を思い出しながら、だれかに声をかけ、集い、美味しいご飯を一緒に食べて、知恵と工夫を「共有する」ことからはじめたい。この生きづらい社会を少しでも生きやすく、生き残るためのヒントと熱量がたっぷりと詰まった2日間は、それぞれの未来へと、続いていく。
インディペンデント・キュレーター、東京芸術大学博士後期課程在籍。沖縄をはじめとするアジアの政治・社会課題や困難と向きあう芸術文化のあり方・活かし方を研究しながら、アーティストたちと共同する。一般社団法人Docu-Athan(ドキュ・アッタン)理事。最近の企画展は「当意即妙―芸術文化の抵抗戦略」(京都芸術センター、2024年)企画キュレーターなど。
シェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」
日時:2024年3月30日 (土) ~31日 (日)
会場:山中suplex
参加団体:
art space tetra (福岡県福岡市)
GUDSKUL (インドネシア・ジャカルタ)
国立奥多摩美術館 (東京都青梅市)
タネリスタジオ+Art Space&Cafe Barrack (愛知県瀬戸市)
飛生アートコミュニティー (北海道白老郡)
バイソンギャラリー (兵庫県神戸市)
山中suplex (滋賀県大津市)
WALLA (東京都小平市)
オブザーバー団体:一般財団法人おおさか創造千島財団
主催:山中suplex
助成:公益財団法人 小笠原敏晶記念財団、一般財団法人おおさか創造千島財団
スケジュール:
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