多肉植物をアトリエで育てるようになって7年目。まずは10年と思っているので、まだまだ初心者です。展覧会の打ち合わせのなかで、信頼できるデザイナーが、Lithopsという多肉植物専門店(現在は閉店)をすすめてくれたことがきっかけでした。
植物と同時に鉢を選び、その場でプラ鉢(プラスチック製の鉢)から植え替えて、丁寧に梱包してもらって持ち帰る。これが購入までの流れですが、その〈鉢合わせ〉という行為がとても新鮮で、その後の蒐集に大きな影響を与えています。
お店に通うようになったのは、木彫りの人形型の支持体に油絵具で彩色した《オイルヒューマン》という作品をつくっていた頃でした。ある日、店内に置いてみたところ、「これは〈使える〉な」と直感しました。作品と多肉植物がとても魅力のある〈組み合わせ〉に思えたんです。
〈鉢合わせ〉の楽しみから鉢が自作できたら、もっと面白くなるだろうなと思い、大学の後輩がやっていた陶芸教室に生徒として通うように。自作の鉢を「ゆらぎ鉢」と名づけ、植え替えをして、多肉植物を育てながら楽しむようになりました。
じっくりと見るのもいいのですが、ちらりと見るくらいでも充分面白くて、形状だけでなく、無事に生きているという確認だけでも活力になります。
多肉植物のためには、釉薬のかかった陶器ではなく、黒いプラ鉢で育てるべきと言う方もいます。中村寛史くんに撮影してもらった多肉植物の写真を見返してみると、実はそこに写っている3割くらいの植物が現在は枯れていて、罪深いことをしているなと思いました。罪悪感を感じながらも、迷いながら意識し続けることで学習している、というのが現状です。〈使える〉だけでなく、水やりや植え替えや空気の入れ替えなど多肉植物に〈使われる〉ことも、楽しめなくてはいけないと考えるようになりました。
多肉植物は、10年ほど前から主宰している尼崎の共同アトリエにある南向きで日当たりのよい部屋(和室なのですが)で育てています。制作場所と多肉植物の水やりや植え替えをする場所が同じことで、作品との親和性が高くなっているような気がして、2016年にアトリエで作品を発表する際に、多肉植物と作品を並べて展示したことがありました。
そこで、展示を見た友人と「多肉植物が一緒に在ることが肝になっている」という話になりました。それは、〈存在の肯定〉の実践にまつわる話でもあります。多肉植物をアトリエで育てる具体的な行為が抽象化されたことで、「そこに居てもよい」という〈存在の肯定〉を、展示として表現できたのではないかと思い至りました。
〈多肉植物を使う〉と〈多肉植物に使われる〉という関係が入れ子状態になり切り離せなくなってくるーーそれが、自分の、そして多肉植物の生存戦略だと思っています。
自分は大学の洋画コース出身で、いまだに油彩画を描いています。油彩画も多肉植物も土着のものではありません。人間の歴史のなかで、まわりまわって目の前まで運ばれてきた(きてしまった)存在を、その人なりに肯定することが蒐集家であり油絵描きなのだと思います。
町で目にする路地に雑に置かれた鉢、そのなかでたくましく育っていく多肉植物を見ると、とても安心した気持ちになります。自分には、その場所が作品の展示空間に見えてくるのです。ほったらかしだとしても、それはとても希望がある存在論になるはずです。
地元に陶芸教室がある方は、1日体験でもいいので小さな植木鉢をつくってみてはいかがでしょうか。その鉢で植物を育ててみる。枯らしてしまうかもしれませんし、どのようになるかはわかりませんが、〈存在の肯定〉について考えるきっかけになると思います。余談ですが、植木鉢をつくることで、《オイルヒューマン》から《セラミックヒューマン》という作品群をつくることができるようになったのも、楽しみのひとつになっています。
山下雅己 / Masaki Yamashita[美術家]
1972年、兵庫県尼崎市生まれ。名前が変わった京都造形芸術大学洋画コース卒業。2011年より共同アトリエ「きくや」主宰。