加藤至、星野文紀、吉田祐によるアートコレクティブ、hyslom/ヒスロム。劇作家のカゲヤマ気象台による戯曲をもとに、大阪の川を舞台に制作した2020年の『シティⅡ』公演や、梅田哲也がナイトクルージング作品として展開した2015年の「5つの船(夜行編)」と2016年の「7つの船」、そしてそれら船に関わるプロジェクトから派生したマガジン「入船」への参加。また、京都・綾部の窯/工房をめぐる2021年のオンラインバスツアー「窯について」、2020年から改修休館中の広島市現代美術館でのプロジェクト演習など、常に揺れ動く現場を持ち続けてきた。
2021年秋、ヒスロムは拠点とする作業場の解体と、その過程を撮影し映画を制作していた。彼らは現場へと身体ひとつで飛び込み、触り、時に壊し、運んでいく。そのような、ものや場に自らを寄せて知っていくためのプロセスを、フィールドワークならぬ「フィールドプレイ」だと松本雄吉(劇団維新派主宰)は称した。まさに遊ぶように対象と戯れるヒスロムは、解体と制作という一見相反するベクトルをどう作品化するのだろうか。
インタビューの聞き手は、建築史を専門とする本間智希。京都・北山地域の景観や文化を継承すべく活動する一般社団法人北山舎の代表でもある。建築物のつくられ方、保存や解体をめぐる記録と制作に関わる観点から、ヒスロムの活動を掘り下げていく。

取材前日、メンバーの加藤至から「もし時間があれば、旧作業場をご案内できます」と連絡があり、お願いすることにした。12月初旬の冬らしい冷え込みを感じる夜の京都。聞き手の本間、そして写真家の成田舞とともに南山王町へ向かう。住宅地を進んでいくと、ぽっかりと開けた空間が現れた。
電話で到着を知らせて間もなく、敷地横の通りから加藤が歩いてやってきた。8月末まで、この場所には彼らが作業場として活用していた長屋と、その隣に暮らす老夫婦の住宅があったという。「築100年くらいは経ってたんじゃないですかね。このあたりに居間があって」「箕原さんの家(隣家)の後ろにもブロック塀があったんですけど、解体のときにぶち抜いたんです。今タイベックシートが張られているところ」と加藤。
新しい作業場は戒光寺町にあるそうで、続きは移動して、記録写真を見ながら話すことに。資材が山積みになった玄関口からなかへ入る。しばらくして吉田祐も合流した。星野文紀は映画のデータ書き出し作業のため、のちほど駆けつけることとなった。
つくることで、生きる営み方を示す
――作業場は、もともと住居だったんですか?
加藤:そうですね。
――梁や柱は、当時の方が住まわれていたときからこんなふうに白かった?
加藤:元の躯体を全部白く塗ったんです。新しく自分たちでつくったものは塗らなかった。基本的には部材をそのまま生かして、あんまり材料を買わずに改装していましたね。解体で出てきた木材も、保管しておくものと、薪にするものとで分けて。
吉田:梁や柱など大きな材は残しておいて、ゆくゆくはまた作業場をつくりたいなと。あと、これはいずれやれたらという想像なんですけど、材を薪にして、揚げ物いっぱいしようって(笑)。それで出た廃油を石鹸にする。そうしたら、この作業場が石鹸になる。そういう感じで、映画とは別のものとして残していきたいっていう気持ちもあります。
――解体されても作業場がかたちを変えて循環していくわけですね。建物自体は築100年くらいとおっしゃっていました。
加藤:実際の築年数はわからないんですけど、隣に住んでいた箕原さんは、住まわれて約60年と言っていました。旦那さんのご両親も住んではったので、おそらくそのくらいになるのかなと。
――そもそも、どういう経緯で解体することになったんですか?
吉田:遡って説明すると、僕らはもともと、2015年までは大阪の桜川に作業場を借りていたんです。でも、そこを出ていかなきゃいけなくなって。たくさんの作品をトラックに積み込み、全国各地に赴いて制作や展示、パフォーマンスをする「ヒスロムツアー2015『まちをみてきくー総重量3トンの道中伝記』」を行ったんです。それから、半年ぐらいは商業ビルの貸しスペースをレンタルしていましたが、とにかく使い勝手が悪かった。
加藤:その頃に、京都市で若手アーティスト支援を行っているHAPSさんに物件を紹介してもらったんです。2016年の年明けぐらいから工事をはじめたのかな。そこからずっと作業場として使っていました。
吉田:ところが、2020年の11月に取り壊すことを告げられて。そのときはまだ「出て行ってほしい」とは言われていなかったけど、不動産屋さんから作業場の土地を買ったと聞いたんです。だから、おそらく出て行かなあかんやろうと。そうしたら、今年の2月に、あらためて不動産屋さんが挨拶に来られて。
加藤:大家さんが変わったことや、家賃・建物の維持管理などについていろいろ話してくださって、結論としては建物を解体したいという意向でした。作業場にも来てもらったんですよ。僕たちもこんなふうに使っていて、20年ほど空き家だったところを、自分たちで改装してきたということをお話しして。だから、「解体工事に関わらせていただきたい」と。僕らは表現活動をしているので、その過程を映画というかたちで記録に残したいとお願いしたんです。
――その時点で映画にしたいと考えていたんですね。
加藤:パフォーマンスや舞台を行うことも考えていたのですが、やっぱり残すことを考えると映画がいいかなと。
吉田:最初は、出て行かなくて済む方法はないかと考えていたんです。でも、不動産屋さんの話を聞いていくなかで、それもやっぱり無理なんやなと。実際、「裁判になっても……」みたいな話もされて、労力が無駄になってしまうとわかった。とはいえ、頑なに「納得いかへん!」という態度をとるのもよくないよなあと。
加藤:担当してくれた不動産屋さん、もう本当にプロなんですよ。関西圏の「出て行ってもらって」という案件ばかりやってきたような方で、話がすごく上手。まずちゃんと人の話を聞く。それで、相手と話すなかで、段階を踏みながら一緒に方向性を見出していくんです。
吉田:前の大家さんも僕らの状況を気にかけてくれていたので、おそらくですけど、「出て行かなあかんけど、あの子らに負担かけないようにお願いします」みたいなことを話してくれたんだと思います。それもあって、不動産屋さんも僕らの話を聞いてくれたんじゃないかな。
加藤:解体業者も手配して、「ヒスロムさんと業者さんとで一緒に解体するかたちだったら大丈夫です」って。撮影も行うので、期間も通常より長く確保してもらいました。それで話がついて、夏頃から防音シートが張られ、解体がはじまったという流れですね。
吉田:こうなった根っこの部分には、やっぱりこれまでの造成地での活動【1】があると思います。山だった場所にどんどん家ができていく様子を、ずっと見てきているんですよ。東九条地域もここ3、4年でホテルや民宿ができて、まちが変わりつつあって。僕らも「出て行かなあかん」という流れに乗りました。造成地の場合は、山を崩した土地に家が建って、そこから新たにまちの歴史がはじまる。でも、ここは逆に、蓄積されてきたまちの歴史がすごくあるんですよね。そんな土地が新たに変わろうとしていることに、やっぱり僕らなりに関わっていかなければいけないなって。
――映画をつくる上では、そうした状況をどのようにとらえようとしたんでしょう?
加藤:いわゆる立ち退きがテーマの映画だと、敵とそれに立ち向かう弱者という対立構造がありますよね。でも、不動産屋さんも丁寧に僕らの想いや提案を聞いてくれましたし、解体屋さんも撮影に協力してくれ、解体中は前の大家さんも来てくれた。絶対的な権力に抗って映画をつくるのではなく、みんなに観てもらえるものになったらいいなとは考えていましたね。
吉田:それぞれにいろんな想いをもつ人たちみんなが、映画館に一堂に会して、1、2時間ひとつの画面を一緒に観ているという状況をつくりたかった。さっき、至くんから抗うという言葉も出たけど、これも僕らなりの抗い方というか。ネガティブにではなく、「こうしたいんだ」と表明する。そうやって生きる営み方のようなものを示さないといけないと思いました。
【1】造成地での活動
ヒスロムは活動初期から、山林が都市に移り変わろうとする造成地に通い続けている。土管やパイプ、木、生物など、現地にあるものと自身の身体との関わりから、その変化の過程を体感・模索し、映像作品などに記録してきた。
変化の過程のなかで、アクションを見出していく
――制作はどんなチーム編成で?
加藤:まず、以前から美術展やパフォーマンスの記録撮影をしてくれている内堀義之くんには、映画のスチールカメラマンとして入ってもらいました。
吉田:チーム編成の裏テーマとしては、この作業場に関わってくれた人たちをもう一度呼び寄せて、みんなで解体したいというのがあって。内堀くんもよく来てくれていたんですよ。あと、美術スタッフの西村立志さん。作業場の建具をつくってくれた方です。
加藤:制作の人員には結構悩みましたね。ちゃんとプロの映像カメラマンに入ってもらうかどうかとか。最初は、僕らがずっと使ってきた家庭用の一眼ビデオカメラで、モノクロ撮影していく予定だったんです。でも、制作のなかで、スタッフに「カラーのほうが絶対いい」と意見をもらって。途中から、カラーでも撮るようになりました。あと、今までは音声も自分たちで担っていたのですが、今回は整音のために、松野泉さんという音響の技術者に関わってもらったんです。録音機材を貸していただきましたね。
吉田:野崎将太くんが主宰する建築集団 々(ノマ)のメンバーも加わってくれた。ちょうど同時期に、彼らの仕事が急に飛んで、時間ができたこともあって。々メンバーの上ちゃん(上村一暁)がごはん担当。作業場の屋根や壁がどんどんなくなっていくなか、ごはんはぎりぎりまで現場でつくり続けてもらいました。埃がかぶらないように(笑)。
加藤:解体はするけれど、そこで自分たちはなにかをつくり続けていくっていう。
吉田:制作中は新しい作業場で寝泊まりをして。みんなでごはんを食べながら、「こんなん撮りたい」と撮影プランを考えることがほとんどでした。シナリオをつくれていなかったので、その時々の解体状況から、次のシーンを決めていくような感じ。
――“ここまでにこれをやる”という大枠もなかったんですか?
吉田:決めたかったんですけど、計画が立てられず。いついつまでに更地にするという縛りがあるにもかかわらず、僕らがスケジュール表をつくらないから、解体屋さんも僕らのケツを叩くという。
加藤:でも、一応大きく3つの工程はあったんですよ。敷地の真ん中は最後まで残して、東側か西側を片方ずつ解体していこうと。細かいアクションは決まっていないけど、撮影プランとしては、最後に真ん中の大きい家を宙に浮かせた画を撮りたいというアイデアもありました。
吉田:本来やったら、こういうシーンををいつまでにどう撮るかという計画があると思うんです。でも、それをしたくないわけではなかったんですけど、できなくて。いつどうなっていくかもわからん状況で、やっぱりそういうことを決めていくのはストレスになる。最初はSFにしたいというイメージがあったし(笑)。
――屋根に穴があいていて、その下の地面には掘られた丸穴に水が溜まっていますね。これはなにをやってるんですか?(笑)。
加藤:瓦の葺き土を、下の穴に落とすんです。
――やばいですね(笑)。この時点でSFじみてる。
吉田:そうそう。穴が時空を行き来するきっかけになるんじゃないかなと。あと、土壁とか屋根の葺き土って、水に入れたら発酵しているみたいに泡がプクプク出てくるんですよ。それが面白くて、さらに演出でバブをいっぱい入れて。そういうことも、事前に計画を立てていればどう撮るかを考えられるけど、僕らはやりながら発見していくことのほうが圧倒的に多いんです。
ものや場と関わりを築くこと、つなげること
吉田:あと、僕が昔働いていたペンキ屋の親方も、作業場には何度も来てくれていて。アルミボートに乗って、ひとりで釣りに出かけるような方で、「5つの船」【2】に参加してもらったことをきっかけに、僕らも船に乗るようになりました。それで、親方にもなんらか関わってほしいなと考えていたら、自分ですっぽんを獲って捌いていると聞いたんです。そしてそのときに、写真家の石川竜一さんが「どんな鍋よりミドリガメで炊いた鍋が一番うまい」と話していたのを思い出して。親方には、亀担当としてミドリガメの獲り方や捕獲ポイントを教えてもらいました。仕掛けには鯖の切り身がいいらしいです。解体中、川に行ったんですけど、わんさか獲れましたね。
――どれぐらいの時間、罠を仕掛けているんですか?
加藤:半日ですね。
吉田:6時間以上放置しておくと、亀も息が吸えなくて仮死状態になるみたいで。
加藤:あとこれ。作業場の居間はそのまま残して、プールにしようというアイデアが当初からありました。
(玄関の戸が開く音が聞こえ、星野さんが合流)
星野:こんばんは。遅くなりました。このあと試写があって、映像をBlu-rayに書き出しつつですが。すみません、話の途中で。
――プールをつくろうとしたのは、なにか理由があったんですか?
吉田:前に解体の作品【3】をつくったとき、瓦をそのまま落とすと割れるから、ドラム缶サイズのプールを設置して、瓦を抱いて落ちるというのをやったんです。その延長で、もっとでかいプールにしようと。
加藤:大阪の桜川で作業場を借りていたときの大家さんが、屋上で飼っていたレース鳩も借りてきました。
――すごい。何羽ぐらい? めっちゃいますね(笑)。
吉田:50羽だっけ?
星野:60羽かな。選手小屋にいるやつ全部連れてきたから。鳩小屋には800羽くらいいるんです。
――かなり不思議な光景。ここから飛ばして大阪まで戻っていくっていうことですよね。どれくらいで到着するんですか?
星野:早かったら1時間。天井にあけた丸穴を通って帰ってもらおうとしたんですけど、最初は気づいてくれなかったんですよ。普通は集団で帰るところを、1羽1羽飛んで行きました。まあいい訓練にはなるんですけど。
――プールの水は?
加藤:水道水です。作業場とすぐ近くの僕の家から引っ張ってきて、全部で4系統ぐらいで入れました。
吉田:友だちの息子が「亀がいるプールで一緒に泳ぎたい」って言うから、「じゃあ今日何時頃にやるから」って約束したんですよ。それで、学校終わりにお母さんと来てくれたんですけど、プールが決壊して泳げへんくて(笑)。
加藤:リベンジで床を補強しまくりました。ビニールは暖房の空気が逃げないように、作業場でカーテンとして使っていたもの。ビニールの強度というというよりは、構造面で決壊するんですよね。
【2】5つの船
2015年11月に行われた梅田哲也によるナイト・クルーズ作品《5つの船(夜行編)》。中之島から船に乗り、道頓堀など大阪市内の水路、大阪湾をめぐりながら、出演者の梅田と松井美耶子、加藤デビットホプキンスがパフォーマンスを行った。ゲストアーティストとしてアキビンオオケストラやヒスロムらが参加。
【3】解体の作品
ヒスロムは2014年に、アメリカのナショナル・パフォーマンス・ネットワークと京都芸術センターが共同で行う「日米ニュー・コネクション・プロジェクト」に参加し、展覧会「美整院ー〈例えば〉を巡る」を実施。友人宅の解体と施工を軸に、古民家の移築・解体業者や廃村、「美整院」と名を掲げる散髪屋など、さまざまな人々や場所と関わりながら土地と風景・建築を咀嚼した。

加藤至、星野文紀、吉田祐からなるアーティストグループ。2009年より活動をはじめる。身体を用いて土地を体験的に知るための遊び「フィールドプレイ*」を各地で実践し、映画、展覧会、パフォーマンス作品として発表。近年の展覧会に「hyslom itte kaette.Back and Forth」(Ujazdowski Castle Centre for Contemporary Art、2019)、「ヒスロム 仮設するヒト」(せんだいメディアテーク、 2018)。2015年より、爆音上映の企画や配給を行うboidのWebマガジンにて記事連載。おもな映画監督作品として、2014年「My cap My mud My handkerchief」、2021年「シティII」。出演作品に2014年「新しき民」(監督:山崎樹一郎)、2017「ギ・あいうえおス 他山の石を 以って己の玉を磨くべし」(監督:柴田剛)がある。
*劇団維新派 故松本雄吉がそう呼んだことによる
hyslom/ヒスロム新作映画「美整物 輝かせる時間の黄金」公開試写会
日時:2021年12月28日(火)16:05開映(上映時間77分)
会場:シネ・ヌーヴォ
料金:1,200円(一般・会員・シニア)
問合:06-6582-1416(シネ・ヌーヴォ)
*一般予約は受付終了。映画は2022年以降も上映予定(時期未定)出演:加藤至、吉田祐、星野文紀 ほか
プロデューサー:向井麻理
撮影 :内堀義之、宇治茶、斎藤玲児 ほか
録音・整音:松野泉
美術:西村立志
装置:建築集団 々(野崎将太、樋口侑美、上村一暁)
火術:てっせい(AbRabbi 油火)挿入歌「pool」
作詞・作曲:zzzpeaker(ex.グルパリ)エンディング曲「コンテンポラリー・サーカス」
トラック制作:瀧口翔
作詞:hyslom/ヒスロム、マイアミ
歌:MCいちねんにくみむかいしょうま、MC極刹那企画協力:株式会社ナポリビルディング、b.k.b、一般社団法人HAPS
補助:文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業
配給 :hyslomフィルム
企画・監督・撮影・編集・制作:hyslom
主催:hyslom/ヒスロム関連イベント
アフタートーク日時:2021年12月28日(火)上映後開始、18:30終了予定
ゲスト :梅田哲也(アーティスト)
登壇者 :hyslom/ヒスロム(加藤至、星野文紀、吉田祐)
聞き手 :山﨑紀子(シネ・ヌーヴォ支配人)