他者からの必要に応え続ける
岡部:林さんがインカーブで働き出して、もう何年目ですか? 20年ぐらい?
林:コロナ禍のときに1年半抜けているんですが、通算21年ですね。入ってすぐの頃は、ほんまに何もできなかったんですよ。学生時代のバイトで、クロワッサンを1日1,000個つくるとか同じことを続けるのは得意だったんですが、性格的に新しいことをするのが苦手。ただ、インカーブでは代表からいろんな指示が飛んで来るので、自分が「できない」と思っていてもやるしかない。いつからか「自分のことを自分で決めるのはやめよう」と思うようになりました。
岡部:それは何かきっかけが?
林:後輩が入ったときですかね。自分がそれまで経験してきたことをはじめて伝えられる、しんどくてもやってきて良かったんだと思えました。同時に、これなら新しいこともなんとか頑張れるなと。そういう気持ちが芽生えてからはすごく楽になりました。
岡部:そもそも、インカーブにはなぜ入ったんですか?
林:僕は大阪芸術大学の美術学科出身なんですが、画業ではなく高校の美術教師を目指していたんです。大学で免許を取ったのでそのまま教員の採用試験も受けられたんですが、結局すぐには受けなかった。僕の考える美術の先生って、いろんなことを知っておかないといけない。美術やけど美術以外のことも伝えられる仕事だから、自分が教員になるときも社会経験を積んでおかないとあかんなと思って。ちょうどそのとき、バイト仲間のお母さんが精神福祉の施設で働いていて、そこで造形教室のボランティアをやってほしいと相談があったんです。当時、僕は福祉や障害のある人、子どもも含めてですけど苦手やと思い込んでいました。
岡部:いやー、それは僕も一緒です。思い込み。
林:でも「苦手なことこそ社会経験!」と思って、1年くらい造形教室のボランティアをしました。それで、話をくれたお母さんから、「近くにアートとデザインを中心に活動する事業所があるよ」と聞いたんです。それが、できて1年目くらいのインカーブ(当時はアトリエ インカーブ)でした。Webサイトを見たら、作品が面白くて。「見学できますか?」と問い合わせたんですけど、3カ月待ち。美術に携わっていることも伝えていたので「スタッフ希望ですか?」とも聞かれ、「じゃあ、それで……」と面接を受けることになったんです。それから流れるように研修、週3のアルバイトがはじまりました。当時は教員採用試験の勉強も並行してやっていたんですが、あるとき代表から「うちで働かないか?」と誘われた。そのとき思ったのは、今後も自分のやりたいことはおそらくできるけれど、人から“必要とされること”はあまりない気がしたんです。「お願いします」と即答したのは、偶然にも教員採用試験の前日。試験には行かず、インカーブで働きはじめました。
——美術教師になるよりも、インカーブに。
林:実はそうでもないんです。コロナ禍、僕はちょうど40歳になる年で。自分がやり残したことはないかと考えたら、美術教師だったんですよ。あと、インカーブが20年続いて、さらに20年続けようと思ったら組織に新しい血が入った方がいいだろうというのもあって、代表に「抜けます」と伝えました。それで、2020年の1月から休職し、教員採用試験のための勉強をはじめました。そうしたらコロナがはじまって。当時は、子どもを取り巻く問題がいろいろと浮き彫りになった時期でもあって。たとえば、家の外に出られないような状況が続くと、虐待を受けている子はもっと受けてしまう。自分でもいろいろと調べるなかで、これまで福祉の領域で働いてきて、これから教師になろうとしている、その中間領域でできることってあるんじゃないかと思いました。ちょうどスクールソーシャルワーカーを募集している行政を見つけて、面接に行ったら採用してもらえました。いまできることとして、1年と少し勤めていたところ、インカーブの代表から連絡があって、スタッフの産休や親の介護で手薄になるから戻ってこられへんかと。僕としてはインカーブがちゃんとまわっていることが第一なので、戻る選択をしました。
岡部:結局、なかなか美術教師になれていない。
林:そうですね(笑)。なれてないけれど、今はやりたかったことをやれているような気もします。

フラットな関係性から育まれるもの
岡部:さらっとお話しされていましたが、インカーブに誘われること自体すごいことだと思うんですよ。カリスマ性のある代表・今中さんに認められている。今中さんは、怖いくらい鋭い方なんです。見ているものも、目指すものも。
林:怖かったですよ(笑)。最初はインカーブに行くのもしんどかったです。今いるスタッフもそうですけど、代表の目で見て採用しているから、僕も含めてよくも悪くも代表が動きやすい人が集まっているともいえる。それは危険なところもあるなと思っていて、ここぞというときに「それは違う」と言えるように、内部にいるけれどだからこそ厳しい目でインカーブを見ているかもしれません。
岡部:今中さんは、利用者やスタッフみんなが意思を共有できる規模をちゃんとキープされてるように思うんですよね。
林:スタッフは常時10人くらいですから、小規模ですよね。岡部さんと僕の共通点としては、もともと組織を立ち上げた代表がいて、そこに入っていったかたちじゃないですか。だからある意味、少し引いた目で見れる部分があると思うんです。インカーブは尖ったことをやろうとしているから、福祉の側面で見たときに取りこぼすものがどうしてもあります。そうしたときに、たんぽぽの家がその受け皿になってくれているような、僕はそれをすごく感じます。だからとてもリスペクトをしていますし、背中を支えてもらっているような気もするんです。
岡部:うわー、嬉しいです。多分、いい意味でやっていることが似ているようで違うんだと思います。全体として補い合っている。ファウンダーの今中さんと昨年に亡くなったたんぽぽの家の播磨さんは、どうしても重なる部分があって。おふたりとも、0を1にすることをされたんですね。僕たちの仕事は、1を10や100にしていくこと。だから林さんという同世代の方がいるというのも、僕はすごく励みになっているんです。
林:それは僕も同じ気持ちです。インカーブが立ち上がったときって、障害があってもいかにアーティストとして世の中に表出していくか、そういう観点でやっていたけど、それを20年やってきて、もうそれってデフォルトだと思うんです。今は表現やアーティストをその周りにいる人たちがどう支えているのか。僕らスタッフもフラットに出ていくべきなんじゃないかなと思っているんです。そうしたときにはじめて、障害のある人とかスタッフとかっていう差がなくニュートラルに受け入れられる素地が生まれる。インカーブの場合だと、あくまで作品のつくり手とデザインする側の役割が違うだけなので。
岡部:福祉サービスという制度のなかで見ると、ケアスタッフは「ケアの送り手」として一方通行でしか見られないんですけど、たんぽぽの家もインカーブも共通してるのは、障害のあるアーティストもそれをケアするスタッフも、フラットであるっていうところですよね。
林:これは極端な話にはなるんですが、僕は福祉と文化が一緒になるといいなって思います。福祉って言葉を使わなくても、社会が生きやすければそれで十分いいし、当たり前のように文化が日常にあればいい。芸術は自己表現って言ったりするし、福祉だと自己実現って言うじゃないですか。生き方の豊かさを考える上では同じことなのかなという気がしています。本当はどちらも身近にあるべきものだと思います。
お金だけではない「対価」の可能性
岡部:社会に出て、自分のやりたいことより他者から求められることと向き合うようになっていったとのことでしたが、その感じ、僕も似てるなと思っていて。僕は大学でデザインを学びはしたんですが、やっぱりモチベーションみたいなものが自分から湧き出るタイプではないので。
林:拍手を送られるより、送る方がいい。
岡部:そうなんですよ。いい受け手になりたいなと思って。気になる人がいたら最前列で見ていたいし、こんな面白い人がいるんだよってことを言いたい。でも、そういう職業ってありそうでなくて。林さんがやられていることが、美術や福祉の専門性みたいなところだけに回収されていくのはもったいないなと常々思っています。だから、インカーブで働きながら、アーティストの背中を押すような名づけ得ない動きや立場にいることがすごいなと。僕はそこがあまりできていないから羨ましいです。
林:プライベートでやっていることは、仕事ではなくて本当に手伝いなんですよね。そうやって20年くらい「対価と交換」について考えながら実践しています。展覧会をつくるときには、関わってくれる人たちのなかでもいろんな関わり方があって。話を聞いて「やりたい」「関わりたい」と言ってくれる人に対して、それに応える方法が金銭的なものだけでいいのか、という問いがずっとあります。対価の可能性をもっと柔軟に広げられるんじゃないか。それは、世の中のいろいろな関わり方の可能性を考えることでもあると思うんです。
——対価を金銭で支払うのは、ある意味とてもわかりやすいですよね。
林:わかりやすいし、実際に材料を購入したり、準備や告知のための費用がかかったりしているので、必要なやりとりだと思います。たとえば、12月の展覧会で関わってくれるカメラマンさんは、協働するのがはじめてなんですけど、展覧会資料をつくってこういうことをしたいと伝えたら、話の途中でもう「やりたいです」と言ってくれました。きっとその人が抱えているテーマや趣向と重なって、関わること自体を対価として考えてくれたんだと思います。そうなると、もしその人が今後仮にお金で困ることがあったとき、僕は「あのときはありがとう」と言ってお金を渡す選択肢が生まれます。その場で報酬を支払ってそこで解決というのも否定もしないし、あるべきだと思います。でも、いっそ先延ばしにすることでその人との関係性が続いていくという実感があります。ただ、僕自身も対価や損得に関係なく動いているので、これ以上頼まれるとさすがにしんどいぞ、という線引きが自分でも体感できる。それを関わってくれる人にはやりたくないなと思います。
——関わってくれる人が何に価値をおいてくれるか、そこに踏み込みながら展覧会やイベントを一緒につくっていくことは、とても手間と時間がかかることだと思います。
林:そうですね。僕やその人の「やりたい」という言葉をどう受け取るか。ひとりずつ会ってじっくり話してやっと見えてくることだと思います。それによってその人なりの新しい関わり方ができたとしたら、その後の生き方や活動の選択肢も多少増えるかもしれないし、また僕とは違う人たちとの豊かな関わりが生まれるかもしれない。そうなったらいいなと思います。だから、僕のスタンスとしては、展覧会やイベントに関わる価値はその人に決めてもらうようにしていて。そのなかで気持ちよく関わってもらえるような工夫を、僕なりに意識しています。
アートと生活の循環を促す
林:僕や岡部さんは、アートサポートの仕事もしていますが、世の中は美術作品を買ったことのない人がまだまだ大多数で、そもそもアートの見方がわからないという人も多い。それもあって、僕がよく会う人たち——定食屋の店主や会社員、大学の先生など、いろんな話ができる人たちがいて、自分の仕事やアートのことも話すようにしています。長い目で見て、美術とは直接接点がなかったようなところでじわじわと浸透していけばいいなと思いながら。僕自身もたくさん教わることがあるし、最近ではこれまでアートから受け取ったもの、買い集めた作品を含め、次にどう循環していくかみたいなところを考えていて。
岡部:今日お話しを聞いて、それこそ「循環」がテーマだなと思いました。林さんと僕の共通点である「アートサポート」という職能は、素晴らしい表現を多くの人に見せたり、いわゆるハイアートの作品をしかるべき値段で流通させていったり、そういう使命もあると思うんですけど、もうちょっと身近なところで循環させていけないかと僕も思っていて。だから林さんがすごいなと思うのは、アートフェアという場にも、インカーブとして出展していたり。そして、大阪の地元の身近な人たち、それこそアートに関心がなかったような人たちと、作品の話ができるような振る舞いをする、そういうコミュニティをつくろうとしていることもそうです。
林:日本はアートを出していくチャンネルが少ないから、アートフェア一辺倒になるのを僕は危惧しています。今はアートフェアだって飽和しているとも聞くし、そこでの見せ方が作品にとってほんまに美しいかと言われると、ちょっと疑問があるんです。見せる場とそれを味わう場も、もう少し選択肢があった方がいいんじゃないかと思うんです。それを踏まえて、それでもインカーブでフェアに出す意味っていうのも、あるにはあるんですけど。
岡部:生活に近いところでアートを取り扱うことの難しさっていうのがすごいあって。僕たちも実験的にギャラリーではない場所で——特に奈良はギャラリーが少ないこともあって、お寺さんやカフェとか、ギャラリーとしてまったく想定してない場所で展示をしようとしたときに、アートって生活に負けるんですよ。生活の強さみたいなものをあらためて感じて。アートと生活、共存は難しいけども、アートに関心のなかった人たちが気づきを持って帰れるような仕掛けができないかといろいろ実験しています。そのあたり、林さんが大事にしてること、考えていることってありますか?
林:結構あります(笑)。今お話しされたアートと生活の結びつきの難しさについてですが、それこそアートフェアや美術館、ギャラリーで見るものこそ「アートですよ」と言ってしまうと、そこでいきなり距離ができてしまう。さきほどの会社員や定食屋の店主にも、生活のなかにアートの芽吹きみたいなものが小さくても必ずあって。それはファッションかもしれないし、ご飯かもしれないし、映画かもしれない。その素養って誰しもにあると思うんです。自分でそれに気づくことや、気づいてからの輝きかたも人それぞれで。時間がかかるし地道なことなんですけど、対話をしながら「もしかしたらこの人、あの絵画、あの音楽好きかも?」みたいに接続していくっていうのを、大事にしたいと思っています。
岡部:アートを見るときに特別な感覚をどこからかもってこなきゃいけないと思いがちなんですけど、ご飯が美味しいって思うときの感覚だったり、道具をもったときの手触りだったり、その気持ちよさだったり、それらの感覚を通して人の表現したものと向き合っていいんだっていう。
林:そこに水をやってみたりちょっとスポットを当ててみたりしたら、勝手に光っていきますから。
岡部:それは、その人をよく知るっていうことなんだって。今の話、すごく腑に落ちます。
——最初の話に戻るかもしれないですが、林さん自身もいろんな人たちとの関わりのなかで、肩書きとは言わないけれど、自分の立ち位置、役割みたいなものを磨かれてきたんだろうなと思いました。それが鏡みたいになって、いろんなものを映し出している気がします。
林:そうですね。何かひとつ自分のなかで自負があるとすれば、いつまでたっても完成しないし、人に見てもらう機会もないけど、ずっと1枚の絵を描き続けているような気がします。それは人に会うごとにその色の数が増えるというか、表現の幅が広がっていくというか…….具体的なビジュアルは全然見えてこないんですけど、でもその鏡の話をしていただいて、確かにそういう反射の世界みたいなものを映そうとしてるのかもしれないですね。
林智樹 / Tomoki Hayashi
INCURVE/ヘッドチーフ。1980年、大阪生まれ。大阪芸術大学美術学科卒業。大学卒業後、社会福祉を母体にアート・デザインの領域で活動するINCURVE(旧:アトリエ インカーブ)に所属。障がいのあるアーティストのサポートを行う。ときどき、仕事のかたわら同世代の作家さんやものづくりをする人たちの展覧会などを手伝っている。
岡部太郎 / Taro Okabe
一般財団法人たんぽぽの家理事長。1979年、群馬県前橋市生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。高校時代より地元前橋の地域アートプロジェクトにボランティアとして参加。現在はたんぽぽの家アートセンターHANAを拠点に、あたらしいアートの可能性を探る「エイブル・アート・ムーブメント」や仕事やはたらき方を模索する「Good Job! プロジェクト」、表現とケアとテクノロジーの可能性をさぐる「Art for Well-being」の推進をしている。
【林智樹さん/インカーブの今後の活動紹介】
INCURVE POP UP ー わたしのふつうは ちょっとトクベツ ー
インカーブのグッズを中心にポップアップを開催します。
期間:2026年10月7日(水)〜13日(火)
会場:大阪髙島屋 1F
傘さす惑星
写真の島田勇子・言葉のコバトケンタ・展示の林智樹による今年の6月からはじまった活動。年末から年始にかけてスタジオスヤスヤで2度目の展示を行います。
Instagram 島田勇子:@suyasuya_shimako/コバトケンタ:@hatoinfo




























