夢のように変わりゆくかたちの古墳群

器は時代を超えて人々の手によってつくられ、使われ、また別の人の手へと受け渡される。器を介して人と人が相見えるとき、器はどのような夢を見るだろうか。バンコクを拠点に活動するアーティスト、パピモン・ロートラクンによる展覧会「To Create Is To Pass On」がTRA-TRAVELによるアーティスト・イン・レジデンス「AIRΔ vol.15」の成果展として、2025年12月13日(土)から18日(木)まで大阪・北加賀屋のSuper Studio Kitakagayaで開催された。
ロートラクンは大阪での滞在制作中に、中之島や北加賀屋などを訪れリサーチを進めるなかで、ものづくりにおけるクリエイティビティや職人技、イノベーションのあり方に目を向け、つくるという行為そのものがたどる循環について考えるようになったという。つくるという行為において常に隣り合わせにある創造と破壊の繰り返しは、器と箱の入れ子構造のなかで時代の諸相を語り継ぐ展覧会へとつながることになった。
広々とした展覧会場の暗がりから浮かび上がるのは、古代から現代に至るまでその時々につくられた器、あるいはその器を保管するための箱の似姿だ。素材の質感に触れながらつくられた器、あるいは箱が盛り土のなかからところどころ姿をのぞかせる様子は、人の手によってつくられたものの古墳の連なりとして現れる。器、あるいは箱のかたちは、幾何学的な直方体としての様相とともに、集落や街をかたちづくってきた建物の原型をなしているようでもあった。
かたちのなかに含まれた起源と交換の層


素材と向き合い、ものをつくることで営まれてきた人類の歴史は素材との関係性のなかでいくつかの層(layer)に分けられ、見直されることになる。そこでは、層は時間を区切る境界であると同時に、異なる時代を重ね合わせるためのかたちとなる。会場に入ってすぐに目にする《Seed of Creation(創造の種)》は、手のひらに収まるほどの大きさで、白いなめらかな曲面をした粘土の粒のようなものだ。木の種のようにも、水の滴のようにも見える。粘土に土を塗し込んだ素材でできた《Layer 1: The Origin(起源)》は、球状の土器のようなかたちをしていて、上部と下部、器と蓋に分かれている。重みのある暗い色をした用土を分けるひとつの線は、器の内部と外部、自然と人工、閉じることと開くことを区切る境界のようになっている。それは完成した器の原型というよりも、まだどのようなかたちにもなりうる、創造の可能性を孕んだ物質のように見える。

《Layer 2: The Order(秩序)》から《Layer 3: The Exchange(交易)》へ移ると、器は四角い箱のかたちをとり、ものを収めるための容器から、ものともの、人と人を結びつける社会的な装置へと変化していく。銅と粘土から焼成された《Layer 2: The Order》では、入れものは四角い箱のかたちをとり、黒い酸化銅の斑点から淡い緑青色と温もりのある黄土色をした格子が浮かび上がってくるような模様がかすかに見られる。滞在中に中之島でのリサーチで採取された貝殻が塗し込まれた四角い陶器の《Layer 3: The Exchange》は、江戸時代に米の取引拠点となり船運や倉庫が集まっていた同地の歴史へのまなざしがうかがえる。古代には一部の地域で貨幣にもなっていた貝殻に、世界的にも早い時期にできた堂島米市場の面影を重ね合わせると、そこには交換経済が起こるプロセスが感じられた。
かたちのなかで循環する破壊と創造の層

《Layer 4: The Industry(産業)》では、ものをつくる技術が産業へと拡張される一方で、その技術は破壊の力とも隣り合わせになる。鍛冶作業で生まれる赤みを帯びた酸化鉄の破片と粘土でつくられた《Layer 4: The Industry(産業)》は、重厚感のある箱、あるいは建物のようで、世界大戦期の工場都市の風景を思わせる。アーティストがリサーチで訪れた堺の刃物製作所では、600年以上の伝統をもつ堺打刃物の技がいまも受け継がれているそうだ。そのことを踏まえると、藤田美術館でアーティストが出会った、天正年間(1573~1591年)につくられた名物長治郎の黒楽茶碗(俊寬)の風合いや茶箱の色味も思い出されるかもしれない。大戦期と戦国期という破壊と波乱の時代を思わせる容器だった。

会場の最奥に置かれていた《Layer 5: The Innovation(革新)》では、ノスタルジックなたたずまいをもってこれまでの層に蓄積されたものが瓦礫や灰、金属の研磨剤といった断片として再び現れる。電子機器の使用や過剰生産を背景に、都市の再建や人間性の恢復といった今日的な問題が探究される。過去を捨てて新しいものをつくることではなく、すでに存在するものを別の関係のなかで組み替える可能性が示されているかのようだった。また、会場の入口付近で流されていたビデオ《The Act of Making(つくるという行為)》では、ものをつくることをめぐる人類の歴史を振り返りながら、粘土や物質からものをつくるという行為が、器、箱、建物、あるいはさまざまな可能性を内包する種としてのかたちを他者とともに共有するための創造的な出来事であることが語られていた。

ビデオ内で語られていた「Layer 6:The Wish for the Future(未来への願い)」では、かたちの層は思索としてとらえられ、伝える行為の現れと人々がともに答えを見出すための空間として示されていた。ディスプレイに映る正方形の形態には自然のイメージが移され、「受け継ぐことは創造であり、創造とは受け継ぐことである」というメッセージが流れる。ものづくりを物質、機能、他者、そして来たるべき未来といったもののめぐり合わせのなかで創造する行為としてとらえることで、かたちは自己と他者との想像力を循環させる媒介として存在していることが示された。

変奏されるかたちの層とものづくりの未来
一連のインスタレーションは、洗練されたデザインとものづくりについての思索を絡み合わせながら、創造することによって生まれるものごとや世界の移り変わりを経験させてくれる小径のような場所を生み出していたといえるだろう。かたちと想像が出会うところでものは存在し、その意義が問い直される。ものの意義はその時代の状況や人々の事情のなかで受け取られ、受け渡され、その意義の移り変わりとともにあり方を変えていく。ロートラクンが大阪の街に見た破壊と創造の循環は、日本の前衛美術家、赤瀬川原平が佗茶の本質を形式美の崩壊に認め、形式の破壊に前衛芸術の表現の輝き【1】を見出したものづくりのプロセスとも響き合っている。
ものをつくるという行為においてもののあり方を規定するかたち、あるいは形式を破壊するとき、ものづくりは物質と記憶の水準において別のあり方を現す創造となる。創造においては、アンリ・ベルクソンが語るように、ものづくりはそのもの、あるいは作品がどのようになるかを予見することなく、ものをつくる人の影響のもとで変化する新しい形式【2】を備えることになる。創造はすでに予見したものをつくるのではなく、予見していなかったものをつくることだ。新しい形式は人々の内から生じ、そのあり方を変えるかぎりにおいて、形式の破壊は創造の契機となりうる。
ものづくりにおける破壊と創造の循環のなかで、ロートラクンは粘土という物質に触れ、古代から現在に至る人類史を振り返り、多層構造の陶箱のように器、箱、建物というかたちのあり方を変奏する。そこでは、異なる時代の記憶と物質の関係性がひとつの層に閉じられるのではなく、いくつもの層として重なり合い、互いを変化させながら新しい形式をつくり出している。こうして重なり合う層は、過去を保存するための厚みではなく、異なる時間や物質、記憶や感覚が触れ合い、新しい形式が生成される構成の平面となる。
ものづくりにおける創造というものが知覚と情動の作用において人々とそのコスモロジー(世界=宇宙観)の変容を迫ることができるとすれば、新しい形式を生成する構成平面は、ドゥルーズ=ガタリがいうように、感覚的な存在としてある人々に開きの無限を与えるかたち【3】となるだろう。かたちは層であり、層は生成するかたちとなる。創造の種とは、その生成がひとつの形式として実現しようとしている状態なのかもしれない。その開きの先にあるのは、破壊と創造をめぐる人類史的な記憶を受け止めながらも別の世界を想像する自由であり、変わりゆくものを受け入れる平静といまだ存在しない未来へと開かれる希望ではないか。
受け継ぐことは別のかたちをつくること
つくることと壊すことの循環をたどろうとする本展の作品群は、ささやかな希望と、変化のただなかにある平静を感じさせるインスタレーションとなっただろう。つくられたものに相対する人々は日々の行いのなかに見る破壊の予感において、受け取り、受け渡し、つくられたものとともに別様にあり得る新しい関係性の可能性において変わることができる。ものづくりにおける層は、過去をそのまま堆積させるのではなく、過去と現在が触れ合い、まだ存在しないかたちが生成される場となる。そのような別の世界のあり方が開かれる時代の重なりにおいて、かたちはスラク・シバラクサが社会変化において必要な契機として見出す人々の内的な変化【4】を可能性として開くことができる。
ものづくりを通して人々はかたち(form)を新しい美学的な形式(formal configuration)として創造することができ、かたちとの出会いにおいて人々は他者や社会との関係性を別の位相で想像することができる。その想像力は、過去の破壊を忘れることでも、未来をあらかじめ決めることでもない。変化し続ける世界を受け止めながら、なお別のあり方を想像するための平静と希望とともにある。受け継ぐことは同じものをつくることではなく、過去への反省とともに、その記憶を現在に新たな層として重ね、ものごとを別の形式へと変えながら未来へ渡すことだ。
そのようにみると、器や箱、建物は、過去を収める容器であると同時に、まだ存在しないかたちを孕む種としても考えられるだろう。過去を受け取るためのかたちとしての箱、現在において人々が用い、あるいは暮らすかたちとしての器や建物、そして過去から受け取ったものを別のかたちへと変え、まだ存在しないものとして未来へ受け渡す種。ロートラクンは、ものづくりという行為を通して、かたちとは完成したものではなく、受け取り、重ね、変わりながら、別のものごとへとなりうるものだということを教えてくれている。

参考文献
【1】赤瀬川原平『千利休:無言の前衛』岩波書店(1990)pp.225-229「前衛の民主化というパラドクス」
【2】アンリ・ベルクソン著、合田正人訳『創造的進化』Kindle版、筑摩書房(2010)pp.15-21「持続」
【3】ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著、財津理訳『哲学とは何か』河出書房新社(2012)pp.274-336「被知覚態、変様態、そして概念」
【4】Sulak Sivaraksa. “Religion and Social Change”. Seeds of Peace: A Buddhist Vision for Renewing Society. Parallax Press, 1992. 57-61.
F. アツミ / F. Atsumi
クリエーション・ユニット Art-Phil、アート・ギャラリー/イベント・スペース monade contemporary|単子現代。都市経営修士。編集/批評を通してアート・哲学・社会の視点から多様なコミュニケーション一般のあり方を探求するとともに、キュレーター/アートマネジャー/ギャラリストとして現在の状況に応答するための展示活動を行っている。



