2007年7月に閉業した、大阪・新今宮駅前の大型アミューズメントパーク+商業施設「フェスティバルゲート」。1997年にオープンしたものの集客はふるわず、大阪市が有効活用のためテナント料を負担し、2002年より「新世界アーツパーク事業」をスタート。大阪市内を拠点とする4つのアートNPO「Bridge」「cocoroom」「remo」「DANCE BOX」とともに事業運営を行っていた。
新世界という場所性もありながら、ある種のおおらかさと手厳しさが入り混じる場が育む、実験性や人との関係性、個人の活動のあり方が、現在に至るまで大阪・関西のさまざまなつくり手に(細かく、弱くも)影響しているのではないか。そんな仮説をもとに、そこにどんな活動があり、どんな人たちが集まっていたのかをつかむべく、まずは「Bridge」に出入りしていた音楽家やアーティスト、エンジニア、観客、写真家などの言葉や資料から当時を振り返る本シリーズ企画(企画のプロセスを追う編集録もあわせて更新予定)。
第1回は、Bridgeのライブやパフォーマンスをひたすら撮影していたという写真家の井上嘉和(いのうえ・よしかず)さん。2007年まで年1回開催されていたイベント「FBI(Festival Beyond Innocence)」など、数千枚の記録写真を見ながら、井上さん自身がそのとき何を考え、どのように現場をまなざしていたのか、話を聞いた。聞き手・執筆は、当時Bridgeにも出入りしていたという編集者の竹内厚さん、取材風景の撮影は、ご両親がFBIに出演していた写真家・中尾微々さん。
※なお、記事内の写真について、メインの被写体となった方々にはできるかぎりの連絡をしましたが、もしこの記事を見て気になる方がいれば、本サイトのお問い合わせページよりご一報をいただけるとありがたいです。また、記事感想や当時のエピソード共有なども、ぜひよろしくお願い致します!
——井上さんとBridgeの関わりってどこからですか。
井上:きっかけは内橋和久さんです。伽奈泥庵(※谷町9丁目にあったアジアンカフェ)とかで内橋さんのライブを撮っていたんですけど、内橋さんから「今度、新世界に面白い場所をつくるから撮りにくる?」って誘ってもらって。それがBridgeでした。
——じゃあ、内橋さんきっかけでBridgeのオープン時から見てるんですね。
井上:はい。2002年のFBIから撮影していて、たしか、FBIって神戸の方で5年くらい開催されていたのかな。それが、新世界にBridgeができたので、こっちでやることになったんですよね。
——振り返ってみれば、Bridgeのオープニング企画として2002年11月にFBIが開催。そこからBridge閉館の2007年まで毎年1回、FBIは開催されました。
井上:僕にとってはそれが青春ど真ん中。毎年、FBIで撮影して、それ以外の日でも時間があればBridgeに通って撮影してました。ありがたいことに、行けばいつでも撮らせてくれたんです。
——まずは、2002年のFBIで井上さんが撮影した写真をいくつか見てみましょう。
——オープニング時のBridgeの紹介テキストに「音楽である以前の、音そのものにフォーカスを絞り表現を探求する人達」とありました。井上さんもそういった音楽に興味が?
井上:いえいえ、テクノが好きでクラブはよく行ってたんですけどね。ライブ撮影をはじめたのも、後のP-shirtsの中島(伸一)くんが友人で、彼のライブを撮ったところからです。中島くんがよくライブの企画をしてたので、WORLD’S END GIRLFRIEND、あらかじめ決められた恋人たちへ、とか、そのつながりで知ったバンドも多かったですね。
——それはまたBridgeとも違ったライン。
井上:そうですね。内橋和久さんに出会ったのは、インプロ(即興演奏)やフリーミュージックにも興味が出てきて、アメ村のタワーレコード3階の隅にあった現代音楽コーナーとかでフライヤーを見てライブに行ってみて……とかがきっかけだった気がします。
——そして、FBIと出会ったと。
井上:そう、FBIからそういった音楽に入っていった感じです。ずぶずぶの底なし沼のような音楽沼に(笑)。
——では、その2年目、2003年のFBIを見てみましょう。
井上:この年はひとつ、今も鮮明に覚えてるライブ場面があるんですよね。
——実は、ここで掲載しきれないほどの枚数を撮影されていて……これって仕事じゃないですよね。
井上:違います。好きで勝手に通ってましたね。最近は、仕事でもないのに若手にただで写真を撮らせてって意見もよく聞きますけど、僕としては今につながるめちゃくちゃいい経験になってるので、撮らせてもらえるならどんどん撮ればいいのにとも思います。
——今日の取材場所として使わせてもらっている、枚方の写真館も運営しながら。
井上:当時はまだ父も母も健在でしたから、「この日抜けるわ」って言えば、わりと自由に行けたんです。
——Bridgeの現場もお金とかとは無縁の、というと言いすぎでしょうけど、ちょっとそんな雰囲気もありました。
井上:ですね。好きで集まってる居場所、部活っぽさがありました。だからこその居心地のよさというか。
——そのあたりは関係者に今後インタビューしていきたいところです。井上さんがBridgeで撮影したのはFBIだけじゃないですよね。
井上:いろいろ行ってました。たとえば、奇跡の来日公演と言われたダニエル・ジョンストンのライブとか。このときもひとつ思い出があって。
——何でしょう。
井上:いつものようにBridgeに声をかけて撮影してたんですが、この日のライブの主催がmapの小田晶房さんで。そちらには全然話が通っていなかったので、「何撮ってるんだ」ってつまみ出されそうになって(笑)。
——カメラ小僧っぽいエピソードですね。
井上:今では小田さんとも付き合いがありますけどね。あとは、Bridgeで「POOL」というインスタレーションライブもあって、毎年テーマが変わるんです。びっしり蛍光灯を敷き詰めたりとか。
——普段のBridgeはDIY的な雰囲気の空間なのが、この時ばかりは、ものすごい空間に変容してましたね。
井上:ここで東野祥子さんがパフォーマーとして登場しています。パフォーマンスとか舞台を撮るようになったのは、東野さんとの出会いも大きいですね。あとは、僕のライブ写真展を南船場の&’Sギャラリーで行ったときに、維新派の役者の方が来て撮影に誘っていただいたこと。
——フェスティバルゲートは4つのNPO(Bridge、cocoroom、remo、DANCE BOX)がそれぞれの場所を運営していました。井上さんが出入りしていたのはBridgeだけですか。
井上:あとは、cocoroomですかね。ほかにも、remoでWORLD’S END GIRLFRIENDのライブがあったり、remoの甲斐(賢治)さんの企画でフェネスやクリス・ワトソンを呼んで大阪市立芸術創造館でイベントをやったりということもあって、面白そうだなと思ったらカメラ持って駆けつけてました。
——寄り道してしまいましたが、あらためて2004年のFBIの写真を見てみましょう。
——BridgeやFBIから井上さんの写真への影響ってありますか。
井上:すごくありますよ。何やってもいいんや、とか、楽しんだもん勝ち! という姿勢を教えてもらった感じ。興行的なロックライブとかとは全然違って、アーティストも思いっきり実験をするし自由に振る舞っていて。けど、どこかに一線はあって、やり過ぎると何やってるねんとなる。
——自由、なんだけど緊張感もあるという。
井上:そうそう、自分で線を引かなければいけないというのは、逆に言えばすべての責任は自分にあるということ。よく考えていないと空気を乱してしまうし、なにかあったときには自分で責任とってね、という場所だった気がします。僕もカメラを持っていけば、特に制限なく何でも撮らせてもらえましたし。
——ステージに入り込むくらい近くで撮ったような写真も多いですね。
井上:Bridgeは一番前で撮ってるのが楽しかったかな。今は一概に言えなくて、後ろからぎゅっとまとめて撮ることも多いですけど。ライブの写真を撮るときって、最初に「何をやったらダメなのか」を聞くんです。「どう撮ったらいいか」じゃなくて。NGを聞いておけば、そこに線が引かれて、逆にいえばそのギリギリまでは大丈夫ってことになるので。
——ライブごと、主催者ごとに何をNGとするかは違いますもんね。
井上:先にその線を確認しておいて、あとは好きに楽しく撮っていたい。いろいろ娯楽がありますけど、僕は現場で写真撮ってるのが一番楽しくて。それは、この頃から今でも全然変わってませんね。
——では、FBIの2005と2006をまとめて見てみましょう。
——FBIで一番印象的な場面って何でしょう。
井上:七尾(旅人)くんが、内橋和久さん、勝井祐二さんと2006年にセッションしたのが、僕のなかではめちゃくちゃ印象に残ってます。仕事じゃなくても撮影が楽しければいいって先ほど言ったけど、この頃、ライブばかり撮りに行ってることをぼちぼち家族にも指摘され出したんですね(笑)。
——さすがにもうちょっと仕事しろと。
井上:なにより、僕自身がライブ撮影よりも仕事に軸足を置くべきか悩んでいた時期でもあった。そんなときに、FBIに行って七尾くんのライブを見てたら、やっぱりこういうのをずっと撮っていきたいって自分のなかで覚悟が決まったんです。こんなにもいいライブがあるなら絶対に撮らなきゃって。
——七尾さんのライブになにかメッセージがあったから?
井上:ではなくて、完全に僕のタイミングと同期したってだけですね。ちなみに、七尾くんは今はあまりセッションや即興演奏といった実験的なことを銘打ってはやっていませんけど、ライブのパフォーマンスのなかに染み渡っている。本人も「Bridgeでやってたことの影響はある」って公言されていますね。
——Bridge体験を経て、井上さんが築き上げてきたライブ撮影の哲学のようなことがあれば教えてください。
井上:行かなはじまらへん!ってことですね。現場にいないと写真には残せない。今は忙しくしてしまってるところもありますけど、とりあえず行く、ごちゃごちゃ言わんと行く。そこからだと思います。
——ありがとうございます。では、4日間開催となった最後の2007年FBIを見ながらお別れです。
2024年2月21日(水)、大阪・枚方市「写真のらがー」にて
(取材:竹内厚、中尾微々、中脇健児、北村智子、多田智美・永江大・鈴木瑠理子[MUESUM])
1976年生まれ。枚方市駅前で50年以上続く写真店「写真のらがー」2代目。日本写真映像専門学校卒業後、1997年頃からライブ撮影をはじめ、現在は多くのミュージシャンや舞台公演の現場を撮影。