東京・三鷹の書店UNITÉを会場に、2023年4月21日(金)、大阪在住のラッパーであるマリヲと小説家の保坂和志によるトークイベント「人生と文学」が開催された。マリヲは3月3日(金)に初の著書『世の人』を百万年書房より刊行。今回のイベントは、『世の人』を読んだUNITÉのオーナー、大森皓太が自身のYouTubeチャンネルにて「この人はこの文章、この文言でしか書けないんだなという正直さ、リアリティが伝わってきて惹き込まれる」と高く評し、それを見た百万年書房代表の北尾修一が開催を持ちかけ、実現する運びとなったという。本イベントは対面とオンライン配信で行われ、筆者はオンラインのアーカイブで視聴した。
マリヲは保坂作品の愛読者であり、そのため今回のゲスト招聘となったが、その出会いは刑務所のなかだった。これまで3回の逮捕歴があるマリヲは、最初の刑務所生活で『生きる歓び』の文庫本を手にし、読んだところ「勇気がみなぎってくる感触があった」。刑務所で人間らしい気持ちでどうやって生きられるか、と考えたときに大きな助けになったという。それを受けて保坂は「(収容されて)自由を奪われている状態で本を読めたことに驚いたけれど、僕がやっていることが嘘じゃなかったから、マリヲさんに響いたんだと思う」と応えた。
その保坂は、『世の人』について「マリヲさんは嘘を書こうとしていないところがいい。小学校の作文では楽にいなす書き方しか教わらない。そういうならわしではなく、マリヲさんは自分の経験や考えたことをどう書くか、自分流に考えている。それは書く姿勢として大事なもの」と評し、さらに「この本は登場人物が多くて、誰が何をしたか覚えきれない。経験が時系列順に書かれていなくて、いっきに羅列されている。これらはふつうの文章の尺度で見たら良いものではないけれど、でも欠点がそのまま武器になるのが芸術であり文学だから、直したほうがいいとは思わない」と述べた。その上で、この文体なりの整理の仕方はあるといい、人物描写において体格や髪型、目つきなどを入れたほうがいいと具体的に指摘。説明的ではない範囲で形容を加えることで、より人物像が浮かんでくるという趣旨のコメントだった。
またトークイベントに際しては、事前にマリヲから保坂へ事前に10の質問が共有され、当日はそれを軸として進行する流れに。「小説で会話形式にするときの意味とは」「一日のなかで執筆時間は決めているのか」といった具体的なものから、荒川修作の「人は死なない」という言葉に関してや、センテンスを成していない看板の文章についてといった抽象度の高いものまで並んだが、その本筋から派生したやりとりにおいて、後半、保坂がマリヲの文章を「子どもの話を聞いているみたい」と語ったのが印象的だった。
それは説明なく固有名詞が頻出する文体を指したものだが、わたしも『世の人』を読んで最も感じたのは「説明のなさ」だった。また、それまでの過去の状況描写から切れて、唐突に「刑務所のことについて書くのは禁じ手だと思う。」「全部の話にドラッグが出てきてしまっているので悲しい。」といった現在の自分の想いを綴った文章が出てくることも特徴的である。それは全体の設計図があった上で書かれる文章とは根本的に異なる。書きながらそのリズムと思考の流れを受けて生成されていくもの、と言ったらいいだろうか。
「過ぎたこと」を「今」書くこと――時間を隔てて、過去を物語ることへの疑問もそこにはあるのだろう。保坂は「過去の自分のことを今の自分が、当時自分が感じた言葉ではない言葉で書いてしまうことへの疑いがある、とマリヲさんは言っていますが、それはふつうの小説家は平気で踏みにじっていますよね。でもマリヲさんはそこに対して、誠実、謙虚であろうとしている」と言い、現在なかなか新しい文章を書き進められないというマリヲに対して「上手く書けないというのは、それを避けないからこそぶつかった関門。あなたの人生がちゃんとしているからその関門がある。誠実にやってほしいと思う」とエールを送った。
「プロになるかどうかとは関係なく、書き続けたいと思っています」と言うマリヲは、「書いているとホッとするというか、救われるような気持ちになる」とも述べた。保坂は『小説の自由』のなかで、「小説は読んでいる時間の中にしかない」と書きつけたが、「読む」行為と同様に「書く」行為でしか得られないものがあるのだとしたら、経済活動とは関係なく精神の営みのためにマリヲはこれからも書き続けるだろう。そう受け取れる対談であった。
日時:2023年4月21日(金)19:30~21:00
会場:UNITÉ
登壇:マリヲ、保坂和志