ニットキャップシアターの公演『補陀落渡海記』が、THEATRE E9 KYOTOにて2023年の年始に上演された。「はるか南洋の彼方、観世音菩薩が住まう補陀落浄土。かつてそこを目指して、粗末な船にわずかな食事のみを積み渡海した信仰者たちがいた」。この史実を元に書かれた井上靖の同名小説を原作に、ごまのはえが書き上げたのが本作である。
永禄八年(1565年)、和歌山県熊野の浜ノ宮海岸にある補陀落寺が舞台。この海岸の遥か彼方には観世音菩薩が住む補陀洛山があるとされ、粗末な船にわずかな食事のみを積み、補陀洛山を目指して荒波に身を任せ「渡海」する信仰者達がいた。いつしか補陀落寺の住職は61歳の11月に補陀洛渡海することが慣例のようになり、世間もまたそれが当たり前と思うようになった。
主人公の僧侶、金光坊が61歳になったとき、まだまだ自分には修行が足りないと感じられ、渡海を先延ばしにするつもりでいた。しかし彼の渡海を信じてやまない周囲の人々の期待に押され、その年に渡海することを決める。刻一刻と渡海の日が近づく中、金光坊は過去に自分が見送った渡海上人たちの顔を次々に思い出す。彼らの中には、厭世観に囚われた者、最後まで生に執着した者、死を覚悟しすべてを諦めた者などがいた。金光坊にはどの顔も信仰とはかけ離れた顔に思え、自分は一人の信心深い僧侶としてこれらとは違う顔で渡海したいと念仏を唱える。しかしやがて、自分にはこれらの顔になることさえ容易ではないのだと感じられ、どの一つの顔でもいいから自分もなりたいと強く願う。
どこにも納められない気持ちのまま金光坊は舟に乗せられ、海へと流される。
61歳で補陀落へ渡海することを慣例とされた老僧・八番上人は、ぼんやりとそれに「抗う」心模様でいた。そこへ、流行り病にかかった母子が漁村の浜辺に漂着したことで、物語は動いていく。八番上人は母子を気にかけるうちに、次第に母・セツナに心惹かれ、渡海から逃避するようになるが、子は息を引き取り、セツナも欲深い老僧の若い弟子、悩みん坊とのひと悶着で崖から海へ身を投げ、非業の死を遂げる。そして、八番上人はひとり、補陀落へと旅立っていった。
さらに舞台は、補陀落渡海の悲喜こもごものアナザーストーリーとして、悩みん坊が61歳を迎えた後の世へ。悩みん坊は八番上人と同じように、浜にたどり着いた女性と出会う。だが、同じ道筋を辿りながらも、女性を亡き者としたのはやはり、61歳である悩みん坊本人だった。渡海という輪廻のなかで、運命に流されつつも、ある意味で仏道を歩んでいく八番上人に対して、悩みん坊はいつまでも罪を重ねていく運命から逃れられない。本作では、そうした人間の業が描かれていたように思う。
あらすじをたどれば、人間のほの暗い生や本性の恐ろしさを我々に突きつけてくるような、残酷で陰鬱な印象を受けるかもしれない。だが、本作の魅力は、そうしたテーマが、ニットキャップシアターならではの面白味と奇想天外な設定によって演出された点にあるだろう。
渡海の間際、八番上人の心にざわめきをもたらすセツナは、木下菜穂子が演じた。強く儚い女性像を体現しつつ、亡くなった後は転生して(?)、いきなりナマズの髭をつけて登場する。悩みん坊を演じる池川タカキヨの、煩悩と欲望を顕にする豊かな演技にも圧倒される。しかしその演技はどこかコミカルで、「悩みん坊」という名前も僧侶の名として身もふたもないネーミングだ(若い弟子のさらに弟子は「ほじりん坊」とまた強烈な名前である。前半で見せた八番上人を惑わす蜘蛛役の象徴的な演技から七変化し、ほじりん坊を心憎く演じた石原菜々子の演技の幅も見事だった)。そして、本当に永禄八年の世界なのだろうか、八番上人が渡海に臨む際には、キャップをかぶったTシャツ姿の大学生、間谷セコム(高田晴菜)が、実況中継したいと意気込んでセルフィーを持って現れる。カメラが括りつけられた船で航海する八番上人の姿は、「やってみた」のドキュメンタリーとしては凄まじいものに映っただろう。そう思うと、この場面に現代の装置が持ち込まれたことが興味深く思えてくる。
ハイライトは、補陀落にたどり着いた八番上人が、なぜか豚になりルーローハンに調理され、飢えた母子(前出の母子とは異なり、母は髙安美帆が演じる)に自身を分け与えるシーン。漁村で命を失った母子を救えなかった悲劇がハッピーエンドに生まれ変わるという、混沌とした大団円だ。底抜けに明るいバージョンの『高丘親王航海記』とでも言えるような、目の離せない展開に釘づけになった。『補陀落渡海紀』は、ニットキャップシアターのごまのはえと仲谷萌による初の共同演出作品であった。同団メンバーに加え、関西で活躍する客演俳優が結集しつくり上げた本作は、いかにも、新春にぴったりの心動かされる観劇体験をもたらしてくれた。
日時:2023年1月6日(金)~9日(月・祝)
会場:THEATRE E9 KYOTO原作:井上靖
脚本・演出:ごまのはえ
演出:仲谷萌
音楽:北航平(coconoe / studio guzli)
出演:門脇俊輔、澤村喜一郎、池川タカキヨ、西村貴治、山谷一也、高田晴菜、山本魚、髙安美帆(エイチエムピー・シアターカンパニー)、石原菜々子(kondaba)、木下菜穂子
舞台監督:河村都(華裏)
照明:葛西健一
音響:三橋琢
歌・音楽協力:高山奈帆子(coconoe)
衣裳:清川敦子(atm)
小道具:仲谷萌
宣伝美術:山口良太(slowcamp)
絵:竹内まりの
制作:高原綾子 門脇俊輔 澤村喜一郎 高田晴菜 渡邊裕史(ソノノチ)
協力:エイチエムピー・シアター・カンパニー kondaba
提携:THEATRE E9 KYOTO(一般社団法人アーツシード京都)
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)独立行政法人日本芸術文化振興基金
企画・製作・主催:一般社団法人毛帽子事務所 ニットキャップシアター
京都芸術センター制作支援事業