美術作品は、完成したその瞬間から、劣化という不可逆的な変化をたどる。
日本の美術品のうち、紙や絹に描かれた書画は、油絵のように表面がコーティングされていない。これは自然な状態で画材のテクスチャーを味わえるという“日本的”美意識を体現している。が、その反面、空気にさらされ朽ちてゆくという、これも “日本的”はかなさの宿命を負う。
汚れやシミが付着し、絵の具が欠けて褪色し、本紙(作品自体)と裏打ちの紙とが剥がれ、作品を保護する表具もしなやかさを失って亀裂が入る。それを、専門家、職人の手で解体し、紙を打ち直す。この修理を50年、100年というスパンで施さない限り、文化財の継承はあり得ない。我々が美術館で鑑賞している古い書画は、営々と続けられてきた修理の賜物なのだ。
この修理をテーマにした展覧会が、中之島香雪美術館で開催中の「修理のあとに エトセトラ」だ。修理を終えた所蔵作品約30件が、その修理前の姿と、過程を図解しながら展示される。表舞台には現れない、いわば美術のシャドウワークとしての修理を、主役級にフィーチャーしている。
展示は「修理目線」に基づいて、素材別に紙、木、キャンバス、絹、金属・漆と5部に分かれている。同館の所蔵作品は、実業家で茶人、美術蒐集家の村山龍平(1850〜1933年)【1】がコレクションしたもので、日本、中国の書画、仏像、茶道具、漆工芸、刀剣と幅広い。
ところで、よく混同されるのが修復と修理。2つは似て非なるものだ。絵画の場合、修復は機能と見た目を回復させるための処置。これに比べて修理は機能を回復させる処置なので、経年した状態を維持することが原則となる。
「現状を維持しながら直す」と聞いて、ちょっと混乱しないだろうか? 修理には、ほかにも矛盾する考え方や技が多くある。
ひとつが、「戻せるように直す」。たとえば表具の接着にはでんぷん糊を使う。数百年変わらず使われているもので、時代が変わっても同じ手法で作業ができる。素材の紙などは昔ながらのつくり方を伝承、保存する努力がされている一方で、紙を電子線劣化させるようなテクノロジーも併用される。
破損した部分には新たに紙や絹を補い、色は補彩を施す。目立たぬように自然に、しかし絹を補った部分は、オリジナルから改変されたことがわかるよう、あえて修理の痕跡を見せる。
このように、相反するファクターをかいくぐりながら、歴代の技術者たちは、その時代、時代での最適解を探ってきた。作品と寄り添い、矛盾を操る。修理はかくも創造的で繊細なアートである。
特に修理を経た近世、近代の作品などは、あたかも昨日筆を入れたかのようにみずみずしい。作品が画家の息づかいを伝えることのできる、つまり「本来の機能を取り戻した」状態だ。
学芸員の林茂郎さんはこう語る。「個人的には、少々傷んでいるほうがいい佇まいかな、と思ってしまうけれど(笑)、美術品は僕らが生きている期間よりも長く伝わっていくもの。修理をすることでまた100年続いていく。そのリレーに立ち会える喜びと責任を感じています」。
村山龍平は、日本美術の海外流出を食い止めたいという使命感から蒐集を行い、当時としては珍しく所蔵品目録を作成し、作品の管理に取り組んでいた。
林さんが、村山の美術品への強いリスペクトをしのばせるエピソードを聞かせてくれた。大正8(1919)年、鎌倉時代の歌仙絵巻として名高い《佐竹本三十六歌仙絵巻》が売り出されたが、高価すぎたため単独で購入できる人がおらず、1歌仙ずつに切り離した断簡にし、コレクターたちがくじ引きでその購入者を決めようとした。有力なコレクターだった村山にも、当然、声がかかったと想像できる。
林さんは「佐竹本が分割されたとき、龍平さんは、そこに参加してなかったようなんです。そもそも、貴重な絵巻を切ること自体に、龍平さんが否定的だったからではないか」と話す。
経年の汚れを落とした修理後の作品たちは、きっと村山龍平が見た名品の姿を再現しているはずだ。あるいは香雪翁(村山の雅号)は、「おいおい、買ったときよりきれいじゃないか」と、ニヤニヤ笑っているかもしれない。
コレクターの想いを後世に継ぐリレー「修理」にまつわるエトセトラ。美術をめぐる人の営みを目の当たりにできる展覧会だ。
【1】 村山龍平 むらやまりょうへい(1850−1933):
政治家、朝日新聞を創設した実業家。日本の美術品の海外流出を憂慮し、明治20年頃から美術品の収集に力を注ぐ。コレクションは神戸市・御影の自邸跡に1973(昭和48)年に開館した香雪美術館(施設の改築工事に伴い、長期休館中)で公開された。中之島香雪美術館はその第二館である。茶人でもあり、同館に展示されている「中之島玄庵」は、村山が藪内流から許され、自邸に家元茶室「燕庵」の写しとして建てた茶室の原寸大再現である。
沢田眉香子/ Mikako Sawada
編集・著述業。著書『京都うつわさんぽ』(光村推古書院)、『世界に教えたい日本のごはんWASHOKU』(淡交社)ほか。京都新聞展評担当、NHKラジオワイド「関西文化情報」に出演中。
会期:2023年4月8日(土)〜2023年5月21日(日)
会場:中之島香雪美術館
時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)※5月18日(木)は夜間特別開館(10:00〜19:30、入館は19:00まで)
休館日:月曜
料金:一般1,200円、高大生700円、小中生400円
問合:06-6210-3766(中之島香雪美術館)