公衆電話ボックスがつなぐ劇世界
関西を拠点とした演劇創作ユニット、極東退屈道場の新作公演『LG20/21クロニクル』が江之子島文化芸術創造センター(enoco)で2021年12月16日(木)~19日(日)に上演された。2019年の前回公演『ジャンクション』も、ここenocoで行われた。前作で描かれたのは、神話的世界や水没したソコハカのまち(オオサカ)を行き来することで見えてくる、イマココに立ち上がる物語。観客は役者の案内によって建物内からenocoの外へ出た後、最後にひとつの部屋に集められ、移動とともに劇世界を体験する。今回、舞台は1階と4階に振り分けられ、観客は2会場を行き来することはできない。時折、上の階、下の階の誰かの声が、配置された公衆電話越しに届くという演出となっている。筆者が観劇した4階では、会場の中心と四隅とに、鉄塔のような柵で囲われた公衆電話ボックスが5台、据えられていた。
反射棒を持った警備員姿の男が、電話ボックスの複雑な影に沿って、影渡りをしている。100年後のソコハカのまちの物語が電話越しに聞こえてくる。人々はかつて高層マンションだったという廃墟に住み、下に住む者との交流はいつからか途絶えてしまったと声は語る。筆者のいる4階は高層マンションに暮らす人々から見た世界が、1階は高層マンションの下に広がる世界のようである。
突然、電話が鳴る。そこに居た「女」が電話に出ると、娘であるハルカを預かっているという「男」の声がする。男はハルカと離れがたくなったと語り、これからフリマアプリにアップする彼女の持ち物を女が買い取れば、娘を返すと電話を切る。高層マンションに住んでいるという女、ハルカの母親は、娘が誘拐されたと警察に通報する。公衆電話からは災害伝言ダイヤルが鳴り続けている。それからまもなくして、ハルカのランドセルや筆箱、鉛筆、シャツやレースの靴下など、あらゆる持ち物がフリマアプリに出品されていった。そして、それらには「すぐにハルカのものとわかるように」と1点数十万、数百万という甚だしい値がつけられる。母親はその一つひとつを落札し、物品は配達員によって女の自宅へと届けられていった。母親は、部屋に娘の持ち物をひとつずつきれいに陳列していく。すべての持ち物を落札すると、ちょうど彼女ら家族の住む高層マンションの一部屋が買える値段になった。
〈高層マンションの母親〉役を演じる
母親役を演じたのは、kondabaの石原菜々子である。石原は、母親役を演じることが決まってから数回目の稽古の日に、ロングスカートをはいてみたのだという。役をもらった当初は、「高層マンションに住む」「母親」の型がこれまで演じてきたどの役ともかけ離れていると感じていたそうだ。母親以外の人物で4階に登場するのは、スーパーマンに突如変身する警備員姿の男(小坂浩之)、「西部警察」を地で行く刑事の男(小竹立原)、地図を片手に黒く四角いリュックを背負う配達員の男(畑中良太)のような、わかりやすい「型」をもった役柄だ。高層マンションに住む母親と、最後4階に現れ、警備員の男に10円をもらって公衆電話から電話をかける男(加藤智之)だけが、輪郭のあいまいな存在に見えた。公衆電話から電話をかける男は、誰かをずっと探しているという設定のようである。
石原といえば、後年の劇団・維新派の舞台での少年役、kondaba『つかの門』(2021年)で演じた認知症の祖父を探す孫/三蔵法師が乗っている馬役も印象に残る。かつての舞台で、少年である石原は迷いながら母を探しており、孫である石原は徘徊していなくなった祖父を(そして馬は三蔵法師を)探していた。一方、電話から聞こえてきた、100年後のソコハカのまちの物語では、住人たちが高層階に住むようになって、外に出なくなってしまったとも語られていた。高層階は寝ていられないほどに暑く、母親は朝の5時前から洗濯物を干した。娘が消え、そして高層マンションにひとり取り残された母親は(夫であり娘の父親である人物は語りのなかにしか出てこない)、娘の持ち物をコレクションすることに満足し、娘の捜索をすっかり忘れてしまったかのようにも見える。
劇中、1階と4階を行き来する役者のなかでも、石原は多くの時間、4階にいた。配達員や警備員、刑事らは自由闊達に動き回るが、高層マンションに住む母親だけは、娘を探しに一度だけ外へ出てみるも、また高層階へ戻ってくる。劇中、不安を帯びたまま、ぼんやりと狂気に陥っていく母親が4階の物語では中心となっている。これまで「誰かを探し求めて歩き続ける役」を演じてきた石原が、劇の途中で「探し続けることをやめてしまう役」を演じたことは、コロナ禍における我々の生活の変化を象徴しているように見えた。
探している人は見つからなかった
さて、舞台では、刑事が「壊れかけのRadio」を熱唱した後、石原は4階から消え、高層マンションの母親の娘ハルカ役として1階に降りることになる(4階の観客には、1階のハルカの姿は見えず、公衆電話越しの声しか聞こえない)。4階には1階に居たと思われる「誰かを探し続ける男」がやって来る。ハルカは公衆電話で「自宅に」電話をかけるが、電話した先に母親はもう「不在」なのである。電話はなぜか「誰かを探し続ける男」につながった。
探されていたハルカが母親を探す様子は、実際には存在しえなかったその後の時間が立ち現れたかのようである。そして電話の相手、誰かを探し続ける男は探している人がついに見つからなかったことをハルカに語った。誰も探している人を見つけられなかった。クライマックスにハルカと男が「誤配」によって偶然つながり、言葉を交わしたことだけが、唯一の救いのように感じられた。
前作は、大阪のまちを巻き込んだ演出で私たちを驚かせた。今作が私たちに突きつけてきたのは、高層マンションの外に出ずとも暮らしていける(が狂気に陥る)人々と、外へ出て歩き回り、働きながら生きる人々がそれぞれ、断絶していたり、限りなく薄くつながったりした状態で、個々に在るしかなかった現実だ。観劇後、1階の空間に降りてみると、ぐしゃぐしゃになった紙くずや、昭和の遺物のようなガラクタが床に大量に置かれた退廃的な空間が広がり、4階とはまったく印象が異なった(4階でも電話ボックスにピンクチラシが貼られたり、鬼殺しを飲む警備員の姿があったりと、昭和の遺物のような世界観は随所に現れる。しかし、そうしたものにあふれた人臭さの漂う1階に対し、4階は無機的な雰囲気だ)。1階には、母親の深い孤独や狂気とは異なる物語があったのだろう。しかし別の階の物語の気配を感じながらも、それにオンタイムで触れさせないことに林の意図があったように思う。それらを書き記すことができないままでは、このレポートは未完成なものになってしまうのかもしれない。そういう意味では、1階の物語を見た人と語り合うことで成立する、観劇体験なのかもしれない。
期間:2021年12月16日(木)~19日(日)
会場:江之子島文化芸術創造センター(enoco)作・演出:林慎一郎
出演:石原菜々子(kondaba)、小竹立原、加藤智之(DanieLonely)、小坂浩之、畑中良太舞台監督:西恵美子(感動制作所)
舞台美術:柴田隆弘
照明:魚森理恵
音響:あなみふみ
衣装:大野知英制作協力/さかいひろこworks
制作:奈良歩主催:極東退屈道場
共催:大阪府立文化芸術創造センター(enoco)
助成:芸術文化振興基金、大阪府芸術文化振興事業
協力:公益財団法人 山本能楽堂