人間は視覚に頼って生きていますが、現実をありのままに見ているわけではありません。 ありのままの現実(それがあるとして)は情報量が多すぎて処理しきれないので必要な情報を選択することで初めて対象が現れます。他方で触覚は身体に触れるモノを感知するので、情報を選択する前に感覚が働きます。
それだけダイレクトに対象に接しているから、触感は強いリアリティを持ちます。 それではっきり理解できたときに「手にとるようにわかる」と言うのでしょう。しかし、ふつう展覧会場で作品に触れることは禁止です。 不特定多数が訪れる場所では、作品に触れることができる展覧会を開くのは極めて難しい。一方で作品に関心を持ったら、もっと知りたくなるのは当然です。
一定の条件下で作品に触ることもできる展覧会ができないか? 手にとる展の企画はこうして始まりました。
2023年6月17日(土)、大阪・谷町六丁目のギャラリー、+1artにて開催された「手にとる展 While feeling」を訪れた。
本展では、従来、私たちが作品を鑑賞する際に行ってきた、目を凝らして見ること=視覚に、作品を手にとって触れながら眺めること=触覚を足した鑑賞ができる。近年、博物館や美術館などにおいても、作品を触って鑑賞できる展示が増えており、視覚中心的ではないとらえ方として、注目される試みである。
鑑賞は予約制で、リストから作品を選ぶことからはじまる。作品が決まれば、ギャラリースタッフに、作品の入った箱を棚から出してもらい、その作品を机の上に置き、自らは椅子に座って鑑賞するという流れになる。
はじめに大西伸明の作品《egg》を手に取った。卵をかたどった樹脂でできており、塗装のない透明の部分に内側の黄色が反射して、殻がない状態の生卵のような概念を想起させる作品なのだが、おそるおそる持ってみると、「卵のような重量」を感じることができる。また、見ただけだと材質から感じさせる無機的な印象が強いが、手を丸めて持つせいか、自分の皮膚で樹脂がすこしぬくもるような感覚を得る。
次に、山本紗佑里《つつましい営為 種を蒔く #1》を持ってきてもらう。箱のなかには、空薬莢、針金、種や毛髪のようなものなどが入っている(作品の説明には、「動植物の断片たち(自身の毛髪)」とある)。それらを立てかけ、作品を設置するところから自ら行うということが緊張感をもたらす。一つひとつの細かなかけらたちを指で扱うと、凝視することで得られる感覚以上の切実な想いが湧き上がる。
また、人の手による接触を避けられないため、コロナ禍において消毒され続けることになったドアノブと、客が醤油容器を舐める迷惑動画を投稿し炎上したきっかけとなった回転寿司店の醤油容器を寒天でつくり、それに触れさせるという白石晃一の作品《リレーショナル・レスビジブルズ(ドアノブ)》《リレーショナル・レスビジブルズ(醬油差し)》にも触れる。保冷剤付きで保管されていた作品(寒天)には菌が繁殖し、うっすらと臭気を発して、それらに触れることがためらわれるような感情が生まれる。コロナ禍、社会問題から、「触れる」ということ自体を考えさせられる作品である。
今回の「手にとる展 While feeling」で興味深かったのは、視覚中心的な鑑賞に対する問題意識への共感にとどまらず、ある作品を知ろうとするアプローチが触覚によって大きく拡張することへの驚きを、文字通り肌で感じた点にある。触覚を通すことで、自らの内面と作品が一時隣接するような鑑賞を、今後ほかの作品でも体験してみたい。
日時:
2023年6月9日(金)~25日(日)
金・土・日曜 13:00〜19:00(全日予約制)
会場:+1art出展作家:今井祝雄、藤本由紀夫、大西伸明、笹岡 敬、 ニシジマ・アツシ、白石晃一、池田 慎、菊池和晃、山本紗佑里ほか