「容器で繕う」。容器「を」繕うのではなく、容器「で」繕う。なんとなく不思議な響きのする言葉だ。AHMED MANNANさん、玉住聖さんによる二人展を知ったのは、art gallery opaltimesで2023年8、9月に開催されたFujimura Familyの個展「unclothed」に訪れた際、「高校生の頃からギャラリーに来てくれている、面白いアーティストがいる」と、オーナー・内田ユッキさんと味果丹さんにお聞きしたことがきっかけだった。大阪出身、大学卒業前後の若い世代らしい。10月29日(日)、再び同ギャラリーに赴くと、来訪者と作品について和やかに話すMANNANさん、玉住さんの姿があった。この日は本展最終日、どうやら旧知の先生方が鑑賞とねぎらいに駆けつけたようだ。
会場には、大小さまざまな絵画や立体作品、陶芸などが並んでいた。双方の作品はスペースを仕切ることなく、入り混じるかたちで配置されている。一つひとつ観ていくと、まず、玉住さんの作品に、動植物や昆虫、骨、金属が一体となって変容したような不気味なモチーフが表れていることが印象づけられた。
アクセサリーのチャームのようなモチーフなど、描写は細部まで具体的だ。しかし、玉住さんは、自分でイメージを掘り起こして絵にしている実感はないという。手を動かすなかで、心象風景としてイメージが現れる。「自分よりも俯瞰した立ち位置に“彫刻家X”という存在がいて、彼の創作を模写しているような感覚」で作品をつくっているのだそうだ。
一方、MANNANさんの作品は、鮮やかな色彩、力強い線や陰影が目に飛び込む。近年は、スマートフォンのカメラロールなどから見つけた写真をベースに、絵画として派生させた表現に取り組んでいる。たとえば、《陶器の模写、そうならんかった絵》は自身が素焼きした陶器をアトリエに並べた様子をおさめた写真が元となっている。中央にある壺のようなものの側面には顔が線描され、上部にはキャラクターのようなモチーフが平面的に表れる。重厚で立体的な色面に異なるレイヤーが上書きされ、次元をまたぐかのように画面に奥行きをもたらすかのようだ。
作風は異なるが、ふたりの作品が衝突するようには感じられない。それぞれが然るべきところにあるとでもいうような感触だ。MANNANさんと玉住さんに、今回の展示を開催するに至った経緯を尋ねてみた。
出会いは高校時代。玉住さんはある高校の美術部で、唯一の部員。MANNANさんは別の美術系高校の絵画部に所属していた。公募展でお互いの作品や名前を目にしたことがあり、校外のワークショップへ居合わせたことを機に関わるようになったという。
高校卒業後、玉住さんは大阪芸術大学へ、MANNANさんは東京藝術大学へ進学。遠方ながらも連絡は取り続けた。ただ、グループ展に共同参加したことはあったものの、二人展をしたことはこれまでになかった。お互いの作品を知っているつもりでも、テーマやコンセプトについて話したこともない。そこで、MANNANさんから声をかけ、実現したのが本展だ。「描いているものも全然違うし、聖くんのコンセプトに僕が合わせるのも、僕のコンセプトに聖くんが合わせるのも難しい。それで、ここ(opaltimes)をなんでも実験できる容器に見立てて、自分たちがつくったものでどんな場を立ち上げられるかをやってみたいと考えたんです」と、MANNANさんは語る。
そんなふたりがともに展覧会を制作するなかで、それぞれ見出した発見はあったのか。今回の出展作から、お互いが一番気になった作品についても伺った。すると、まずMANNANさんが、玉住さんの鳥の絵を挙げた。一見すると、羽や色のグラデーションが繊細に描かれた美しいものだが、「こっちをじろじろ見てくる感じが、気持ち悪くてめちゃ良くて」とMANNANさん。よく見ると、鳥の目と中央で重なる枝、下部の鋭い枝先が、人の目と鼻、口になって浮かび上がってくる。
これまでの絵は内面を探って表すシュルレアリスティックなものが多かった。しかし、この絵の発端となったのは、“おばあちゃんの家にあるような花や鳥の絵を描きたい”という衝動だったそう。玉住さんは、「朝にバナナのデッサンをしていると、ガタッとバナナがそう見えなくなるときがあるんですよ。鳥もそうで、単なる色面や抽象的な何かに変わる瞬間がある。モチーフ自体に偶有性があるというか、別の角度のとらえ方があって、鳥は実は鳥じゃないんじゃないかって、認識が歪む感覚を絵に描いた」と言う。
一方、玉住さんが挙げたのは、朧げな青白い画面に、鬼のような存在が霞んで見えるMANNANさんの絵だ。元はイスラム教の悪霊「シャイターン」の絵画を油絵で模写しようと描きはじめたものだったが、うまくいかずに中断。しかしキャンバスを放置するのも許せないと、再び手を動かしてできた作品だという。
乾いた画面の上にジェルメディウムを直接塗り、さらに乾かして、アクリル絵の具で水浸しに。その霧散したり弾いたりしたあとを、膠で定着させて描いた。「結構めちゃくちゃな描き方をしてるんです。タブローを壊して、描きたいテーマも構図も無に帰して、全部がもやに隠れた。画面としては好きですけど、自分のなかではフィジカルに振ったイレギュラーな作品で、変やなって」とMANNANさん。しかし、玉住さんは「高校時代のMANNANの作品はこういう感じやった。ぶつかりながらつくって、でも最後にはめちゃかっこいい。懐かしいし好きやな」と反応する。制作のプロセスもろとも《悪魔に蓋をする》というタイトルに帰着した、率直な手筆の表れ。意味から逸脱した描く/つくることの力強さ、その先にも画面が表れる創造の自由さに惹きつけられる。
また、会場2階には部屋がしつらえられていた。空の部屋もある意味で容器と言える。敷き詰められたラグ、オブジェや陶器は個々の作風を存分に発揮するが、同時にどこかくつろいだ雰囲気も感じさせた。MANNANさん曰く、「自分たちがつくった陶芸作品も含め、手工芸品になりきれなかったものを家具として配置して、それが実際に家具みたいに見える状況をつくれたら面白い」と考えたのだという。
遠隔で連絡を取り合いながら会場図面もつくったが、実際に場をつくっていくなかで配置はどんどん変わった。時に寝そべってみたり、ギャラリーの裏に置かれていたクッションを持ち込んでみたり。次第に、“イカレおばあちゃんコレクター”という架空の部屋主も想定され、それぞれの作品は空間を構成する必然的な家具として機能していった。
ここで「容器で繕う」という展覧会タイトルに立ち返る。展示空間を作品によって立ち上げることは、“容器「を」繕う”と言える。しかし、ふたりが今回行ったのは、やはり“容器「で」繕う”なのだろう。つくったものを場に置き、その存在のあり方を見出す実践。それは、何を表現する/しているのかを、自らに問いかける潔さに映る。
会期:2023年10月14日(土)〜29日(日)
時間:月・木・金曜13:00〜17:00、土・日・祝日13:00〜19:00
休廊:火・水曜