誰にでもはじめてはある。私がはじめて能楽を観劇したときのこと、少し緊張しながら席に着くと、和文化に詳しい知人がひと言。「能楽は幽玄の世界だからね。ただリラックスして聞けばいいんだよ」。この言葉のおかげで、どれだけ肩の力を抜いて見られたことか。これからの文章もそんな記事になればいい。
能面に、華やかな舞……。能楽は、日本の伝統芸能である能・狂言を中心とした演劇だ。よくミュージカルやオペラに近いとたとえられる。確かに「囃子(はやし)」に乗せて、登場人物が「謡(うたい)」ながら舞うという部分ではそれと似ている。その大きな違いは、物語の構成だろう。主要な登場人物は死者がほとんどという、世界に類を見ない演劇が能楽だ。
死者は、女や老人など仮の姿をまとって現実世界に現れ、何かしらのメッセージを伝えてあの世に消えていく……。能楽は、室町時代に生まれた文化。その当時の平均寿命は30歳程度というから、今の自分なら残念ながらもう神様仏様だ。中世の日本人にとって、生と死はごく身近であった時代背景のなか、能楽を通して死者に触れ、死者からメッセージを受け取ることは、波乱の世を生きる人間が求めていたことなのかもしれない。これは推測でしかないけれど(今、例に挙げたような、死者が登場する曲を夢幻能というが、現在能という死者が登場しない曲ももちろんある)。
「若手の能楽師が主催する公演があるけど、どう?」と知人に誘われた。
能楽若手研究会とは、大阪・兵庫の40歳以下の若手能楽師が企画・運営を行う団体で、能楽体験講座やライブなど能楽の普及に力を入れている。その研究発表会の公演が「第32回 大阪若手能」だ。その事前レクチャーという位置づけで、ワークショップ「NOH学BASE」が行われていた。内容は、能楽若手研究会に所属する能楽師による、小鼓・狂言や謳体験、演目解説などだ。習うより慣れろ派の私は、早速足を運んだ。
訪れた2024年1月14日(日)は、演目解説の回。普段は遠い舞台の上でしか見られない能楽師が、当日演じる曲について、目の前で説明してくれる。能面や衣装、動作の意味などを交えたわかりやすいもので、一気に能楽が身近になった気がした。
当日の演目は、能2本「忠度(ただのり)」と「葵上(あおいのうえ)」、狂言1本「栗焼(くりやき)」。これからは、ワークショップに参加した際の内容と本公演の感想をあわせて紹介していきたい。
「『忠度』は修羅物と呼ばれる難易度ランクも高めの曲ですが、やりたいと申請して演じることになりました」とシテ役(主役)の高林昌司氏(喜多流)。「忠度」は、平家物語の歌が元になっている曲。桜の木の下に老翁に分して現れたシテ役は、実は元武将である忠度の霊。「千載和歌集」に自らの歌が、読み人知らずとして掲載されたことに不服を訴える。最後に、一ノ谷の合戦での打ち死にのさまを舞うシーンが見どころだ。
「忠度」で心に残ったのは、最初に老翁が登場するシーン。橋掛かりから登場した老翁が本舞台まで、杖を突きながらゆっくりと歩くときに、ホールにその音が静かに響き渡る。間合いの妙。たった一本の杖の音すらも味わい深く感じた。
ちなみに、能楽は序・破・急の流れで進んでいくことが多い。「序」として、ワキ(人間)が登場して、状況を観客に伝える。序章のようなイメージである。そして「破」になり、シテ(主役)が登場して、物語がさらに進み、最後の「急」では物語が結末に向かって激しく展開する。こればかりではないが、大枠ではそういう流れになっている。
能と能の間に行われる演目が狂言だ。いわゆる笑い話のこと。狂言師の小西玲央氏(大蔵流)は言う。「700年前の人たちがどんなことを考えて生きてきたかを、笑いを通して伝えています。歴史の本には出てこない風習や仕事、文化などが狂言に残されている。現代と文化こそ違えど、室町から続く人間の不変的な本質を知ることができるでしょう」
「栗焼」は上司に40個の栗を焼くことを命じられた太郎冠者が、焼き栗づくりに奮闘し、挙げ句の果てにすべて食べてしまうという、現代にも“こういう人いるよね”と思えるような、なんとも和めるストーリーだ。舞台での見どころは、焼き栗を摘み上げるときの仕草。能楽ではシンプルな小道具のみで演じられるため、声の表情と動作による表現力が問われる。
3演目の「葵上」は、源氏物語の登場人物が出てくる曲だ。シテ役の上野氏は、「作者不明と言われている曲ですが、能楽というジャンルを立ち上げた世阿弥、観阿弥がつくったとも言われています。私たち観世流では、若手がまず通る曲目です」と話す。一番の見どころはやはり般若の面を付けた鬼女だろう。女性の嫉妬や恨みがにじみ出て、生霊となってしまうという、女性としては興味深い内容。能楽の歴史的に般若姿になるのは女性のみ。般若の面をじっくりのぞき込んで、自分もこんな顔になるのかなと想像してみた。ああ恐ろしや。
能には観世流、金春流、宝生流、金剛流、喜多流という5つの流派がある。それぞれの流派によって演じ方が異なるのだそう。同じ曲でもそれぞれの流派によって、演奏方法が異なるので、囃子方(太鼓、小鼓、大鼓)は5通りの演奏を知っておく必要があるのだという。多様な適応力が必要な囃子は、まさに縁の下の力持ちなのである。
舞台上で、肉体の上下左右の動きも許されない能表現。室町時代に確立した文化は、舞台の向こう側の世界に、観客が入っていくスキルが問われる。だからといって、現代人が最初からすべてをわかろうとするのは難しい。現代アートに対面したとき、作品の意図がわからず、まず理屈で理解しようとしてしまうことはないだろうか。そのときの感覚と少し似ているように思う。そういうものかと、ただ受け入れることからはじめてみるのがいいのではないか。
千里の道も一歩から、知識は後からついてくる。わからないから面白いくらいの勢いで、長い目で見るのが良さそうだ。押しつけがましくない、余白に満ちたこの世界観の魅力。能楽を見ていると、時間が流れるスピードが遅く感じ、多くの空白を感じられる。この余白を埋める行為自体が、私たちの想像力に委ねられているフリーな時間なのだ。室町時代の人になったつもりで、この雰囲気に浸ってみてほしい。
なお、能楽若手研究会のワークショップ「NOH学BASE」は、2024年も開催するそうだ。取っ掛かりとして足を運んでみてもいいかもしれない。
第32回 大阪若手能
日程:2024年1月20日(土)
会場:大槻能楽堂NOH学BASE
日程:2023年11月26日(日)、12月10日(日)、2024年1月14日(日)
会場:朝陽会館主催:能楽若手研究会