送られてきたDMに興味が湧いて、NANEI ART PROJECT gallery04街区にはじめてその名前を聞く画家・園田源二郎の個展「 かそけきもの 」を観に行った。会場でこの画家の作品を見て感じたことは、私たちは、さまざまな情報や雑念によって、いかに物事のありのままの姿を見ることから遠ざかってしまっているのか、また、そのことに何も疑念を抱かずにいることで、どれほど多くのものを失ってしまっているのだろうか、という想いであった。
会場に足を踏み入れると、森を感じた。あたたかい白熱灯の光に照らされた壁面に、古い家屋で使われていた形跡が残る板や柱などの古材が、至るところに打ち付けられていて、その古材の上に園田の作品が掛けられている。壁に面した2カ所には、年季の入った古い机と椅子が置かれ、人間の気配も感じられる。まさに人里離れた深い森のなかにある山小屋という趣で、その空間全体が森につらなる自然の広がりを想起させた。その場にいる者を拒まず、望みさえすればその懐のなかに招き入れる「たおやか」な自然がそこにあった。
園田の作品は、紙の上にクレヨンの線を幾重にも塗り重ねるようにして描かれる。しっとりと油分を含んだクレヨンの線が果てしなく折り重なり、地層のような重みと厚みを帯びた画面である。そこに描かれているのは、森から聞こえてくる森羅万象の声とも言うべき多種多様なモチーフであった。カエルや猫などの生き物をはじめ、太陽や月、寓話的な主題、あるいは抽象的に構成された画面など、どれひとつをとっても同じ絵柄のものがない。その驚くべき多様性と変化は、八百万の神や万物に宿る森の精霊といったアニミズム的な視点を思わせ、これらの作品に向き合う際の園田の意識の在りかが伺い知れる。
そうした園田のアニミズム的なもののとらえ方は、展示の各所に配置された園田独特の短い言葉のフレーズにも見て取れる。これらの言葉は、特徴的な角ばった鉛筆の筆致で粗末な紙切れに書かれ、作品に近い場所に添えられているため、その多くは作品のタイトルと考えて良さそうだ。そのなかに混じって、思わずはっとさせられる一句があった。
にんげんといういきものは
たのしいかい
あたかも森の精霊からその場にいる鑑賞者に向けて発せられた警句のような言葉は、この展覧会が拠って立つ世界観を一瞬のうちに開示する。私たち人間は「彼ら」から見られている存在であり、この展覧会は「彼ら」をふくめ、森羅万象のすべてを等価物として見る視点に貫かれているのだ。展覧会の冒頭に示された園田の簡単なプロフィールによれば、彼は画家である一方、俳人としても活動しているという。彼が発する言葉は、小学校低学年の子どもが書いたような、たどたどしい筆致で記述されるが、その言葉に対する豊かでイマジナティブな感覚と、文字の稚拙さに油断した心に侵入する鋭敏さは、見紛うことがない。彼の言葉がもつその豊穣な広がりが、彼の絵画から発せられる万物の精霊たちの声なき声を増幅し、より確かなものとして、見る者の意識のなかへと届かせる。
おそらく現代美術を見慣れた者であればあるほど、園田の作品にとまどうだろう。描く対象を、遠近法を一切無視し正面のみから「のっぺり」と平面的に描く造形的な視野は、言うまでもなく幼児特有のものであるからだ。またアールブリュットという概念を持ち出せば、いわゆる障害のあるアーティストの作品との類似性がたちまち想起される。しかし、園田はそうではない。そして作品は、見る者の意識を強く引き付けて止まない何かを明らかに有している。
園田の作品を見た者から、たとえば、これは何ものかを装った「擬態」なのではないか? 現代美術として扱うならば、思考や視覚、あるいは社会の課題について、コンセプトをしっかり掲げてもっと創造的に表現を突き詰めるべきではないか? ——こんな声が聞こえてきそうなことが、容易に想像つく。
私たちは、もっと芸術を信じてよい。つまり、偽装的な表現が、芸術として成立しうるか否かの可能性の話だ。もちろん巧妙な偽装はある。しかし問題にすべきは、そこに現れている表現が、人の心を震わせるかどうかだ。芸術の歴史を振り返れば、芸術を成立させる要件とは、人間の感覚や思考が複雑に絡み合った高度に「人間的」な営為に基づいたものであることを、私たちは経験則的に知っている。それはかなり偽装することが難しい。パウル・クレーは、まさに子どもの状態になることを希求しながら子どものような絵を描いたが、そのクレーの作品を子どもの絵の「擬態」だとして却下する者は誰もいない。それは、彼の芸術がひときわ優れた人間の営みとしての輝きを放っているからだ。
たとえば《ゆけそのままで》という作品(正確には、そう書かれた紙の近くに展示されている作品)を見てみよう。深い藍色と黒の無数の線によって塗りつぶされ、線の合間に顔料を含んだクレヨンの油脂が盛り上がり、それらが背面の木版の目地を拾って不思議な闇のテクスチャーを生み出している。その深い「闇」の上に、白い線で描かれた大小さまざまなサイズの三角形が無数に浮遊し、三角形はところどころ黄金を思わせる黄色で塗りつぶされている。引いて全体を眺めれば、茫漠とした深淵な闇から、次々と三角形が生成し続けているようにも見え、そこに太古の闇から今に至る悠久の時間の流れのようなものが感じられる。
注目すべきは、クレヨンの線や点の一つひとつのストロークの「重み」のようなもので、そのすべての「部分」が、作品全体が伝える茫漠とした悠久性と、必然的に、かつ有機的につながっているように見えるのだ。おそらく、作品を制作しているときの園田の意識は、いわゆる無の境地となって、その悠久性とリンクアップしたかたちで、その様態を画面に招き寄せるシャーマンに近い状態にあるのではないか。制作時の痕跡として残る、画面に力強く引かれたクレヨンの線の筆圧から、何かに導かれるようにその状態を目指そうとする園田の姿が浮かび上がってくる。
別の絵を見てみよう。虚ろな白い線で描かれた大きな枯れ木に、濃い藍色の鳥が無数にとまっていて、画面のこちら側にいる者をその不気味な赤い目でじっと凝視している絵だ。おそらくこの作品には題名がない。言葉による指示が不要とされたこの作品において、異界から立ち現れる亡霊のような枯れ木と鳥たちの幽玄性は、見る者の記憶に強烈な印象を残す。ここでもイメージは激しいクレヨンのタッチで描かれ、自身の心象のなかからこの様態をなんとか顕在化させようと苛烈に手を動かしていたことが伺える。その表現に向かう苛烈さには、「作品」としてどう見られるか、その社会的な意義はどうかといった「現代美術的」な関心は微塵もない。そこにあるのは、その様態を実体化させねばならないという園田の強い意志だろう。
そのほか、魅力的な作品は枚挙にいとまがない。ギリシア正教のイコン画をモチーフにしたような《いりぐちは/でぐちでありぬ/はすの花》と近くに書かれた作品は、大きく見開いた目と口が特徴的な修道僧のような人物を描いたものだが、顔面の目と口と鼻腔の穴が、「入口」と「出口」のイメージと重なる素朴で不気味な面白さがある。《ノライヌノ/タメイキ/チヒョウヲ/アタタメリ》には、野良犬というより恐竜のようなシルエットをした者が、頬かむりをして、かまどを火にくべている様子が描かれているが、その寓意的な主題のイメージの強度は、イラストレーションの域を超えて深淵な世界に達している。《そのままで、ゆけ》と近くに書かれた作品は、妖怪の「からかさ小僧」を思わせるイメージに、白い大きな輪が被せられて描かれているが、熾烈に塗り重ねられたクレヨンの重厚なマチエールが、妖怪の象徴性を別のまったく違う魅力的な位相へと転化させている。
《井のそとのかわづ》は、描き方がほかと少し違い、紙ではなくキャンバスの上に直接クレヨンで描かれている。ここにはほかの作品に見られるような、苛烈なクレヨンの線の塗り重ねはなく、キャンバスの目地をクレヨンで浅く擦ってできる「かすれ」のテクスチャーを生かし、竹林のなかであたかも達観した境地を見せて佇む1匹のカエルが描かれている。「井の中の蛙」の逆相として、意味的に外部の世界と通じているカエルを描いているともとれるが、描かれている内容は実は逆だ。所詮まだ「井の中」の狭い視野のカエルが、外に出たものの、結局は青々とした背の高い竹に覆われた狭い世界に閉じ込められている様子を示しているように見える。漂う侘び寂の風情がアイロニーを生み、言葉の遊びのような洒脱な風合いもある。ここでもイメージの強度は際立ち、シンプルな構図ながらも記憶のなかに忘れ難い強い印象を残す。
園田の作品は、従来の現代美術の枠には収まらない。しかし、だからこそ、彼の表現が意味するものを真摯に考えてみたいという想いに駆られる。今一度、私たちは「芸術」に何を求めているのか、考える必要がある。「芸術」とは、私たちの心に共鳴をもたらすものだ。だとすれば、描き連ねられた夥しい量のクレヨンの線の一つひとつに悠久の広がりを感じさせる彼の作品は、その意味を充分に満たす。私たちは園田の作品を前にして、知識や経験を一旦脇に置き、ありのままの「芸術」に向き合うことの大切さを、今一度確認すべきなのではないか。自分は何を感じているのか。自身の感応に誠実に向き合うことなくして、芸術は私たちに何も語ってこない。
大島賛都(おおしま・さんと)
1964年、栃木県生まれ。英国イーストアングリア大学卒業。東京オペラシティアートギャラリー、サントリーミュージアム[天保山]にて学芸員として現代美術の展覧会を多数企画。現在、サントリーホールディングス株式会社所属。(公財)関西・大阪21世紀協会に出向し「アーツサポート関西」の運営を行う。
会期: 2023年11月17日(金)~12月7日(月)
会場:NANEI ART PROJECT gallery04街区
時間:13:00~19:00(最終日は17:00まで)
休廊:火、水、木曜