大阪の住之江区にある、artgallery opaltimesで開催されたFujimura Familyによる展覧会「unclothed」。何をもって私たちは芸術を芸術と感じるのか。そのことを自問させられた展覧会であった。
渦巻くような混沌。エネルギー。知識や論理とは違う次元にある生きることへの衝動。生を共有する家族の絆。その尊さ。祈り。祈りが発する強い思念……。それらが混然一体となって、溢れるように押し寄せてくる。感覚が揺さぶられ、意識は高揚し、少なくともそれを経験することが「幸せ」であると感じられる美しさが、そこにあった。
Fujimura Familyは、和歌山に住む夫の藤村大と妻で詩人の味果丹(あじかたん)の夫婦によるアーティストユニットで、そこに10歳になる娘が加わり、家族として活動を行っている。家族がアーティストとしての表現者であり、彼ら家族が唯一無二の表現のテーマであり、それがすべてである。そのあり方は、澄み渡り、芸術の領域にある。
opaltimesの存在も興味深い。現代美術に触れる期待とはほぼ縁のなさそうな、昭和の香り漂う古い長屋がひしめく片隅にひっそりと佇み、かなりクセの強いセレクションによるアートを、それを求めてわざわざ足を運ぶ人たちに見せている。
ギャラリーの引き戸をガラガラと開けて、なかに入ると、部屋の大半を占める大きな木製のテーブルが置いてある。その上には、人骨の白さを思わせる素焼の器やたっぷりと釉薬がかかった用途不明の手びねりの陶作品が、透明の人体頭部などとともに所狭しと並ぶ。テーブルの端にオフィスチェアがのせられていて、そこに設置されたモニターでは、Fujimura Familyが生きるありのままの日常の断片が、まさに「unclothed」(裸の)の状態をさらけ出すかのように、すさまじい速さ―1分間で500枚以上の量―で切り替わっていく。一方ギャラリーの壁面には、大小さまざまな紙に描かれたドローイングやペインティングなど絵画系の作品がかけられていて、見たところ宇宙人にまつわる物語が浮かび上がってくるようだ。
夫の藤村大が撮った写真には、妻の味果丹が多く登場する。家族の濃密な空間で見せる妻のプライベートな振る舞い、装い、一瞬の表情が、果物や地形、料理、見知らぬ人、ペットのインコなど、彼らの時間が触れたありとあらゆるイメージとともに、膨大な数の写真のループのなかで、切り替わり、混合し、交錯し、そして再び現れ、瞬時に消えていく。驚くべきは写真のイメージの強度で、その一つひとつのカットが、目の前を瞬時に駆け抜ける際、確かな残像を意識に焼きつけていく。記憶の所有とも言うべき、この時間の無限ループは、今や誰もが手中に収めるインスタグラムの経験に近く、それだけに見る側の意識も無防備になる。
「妻が精神面を担当し、私が物質面を担当しています」。会場にいた夫の藤村大は、こう真顔で語りかけてきた。妻の味果丹が考えていること、感じていること、その精神的な世界のあり様を、夫である彼が作品として物質化していくという。作品をつくる行為は、神聖な言葉を伝えるシャーマンの神託のようなものなのか。宇宙人の文脈も気になる。
「特に、作品の構想を語り合ったり、指示があったりするわけではなくて、彼女との日常の会話を通して得られたものから自然と作品をつくっています」。彼はそう淡々と話してくれた。ただ、伝わってくる深刻さの度合い、あるいは表現の切迫感は、不思議なオブジェで覆われたテーブルを見たときから展示空間を支配していた。それは、このふたりをつなぐ、おそらくふたりだけにしか知りえない、「家族」と呼ばれる彼らの関係性を「表現しなければならない」という切実さによるものだろう。
Fujimura FamilyのWebサイトに掲載されている彼らの言葉は、そのことを伝えている。2021年に出版した写真集『PROOF OF LIVING』について述べた散文詩のような体裁のテキストだ。それを読むと、Fujimura Familyの芸術活動において、「境界」が特別に重要な意味をもつことがわかる。
その境界は、妻と夫との距離であり、ふたりをつなぐものであり、家族の枠である。そして境界は常に意識されなければならない。なぜなら、それを超えて家族の生が営まれるからだ。精神と肉体の乖離もその境界の一部をなす。すなわち境界を見続けることが、妻の精神の物質化であり、彼らの表現行為を形づくる。
それはまた、夫婦が生きていくためにどうしても必要な、別々の人格をもつふたりの人間の時間と行為の共有化でもある。だから、表現は行われ続けなければならない。生きることが、逃げ場のない真剣なものであればこそ、彼らの芸術も純化された切実さを帯びたものとなり、その眩さは、それに触れた者の心を激しく震わせる。
彼らは芸術活動を「究極の価値と意味を持つ信仰」と呼び、そこから掬い取られる「希望」がその信仰を支える。果たしてこの、妻と夫の境界に生まれる芸術を「愛」と呼ぶべきなのか。私たちは、家族として生きるために必要な家族への思いやりを、すでに「愛」とは言わなくなってしまった。しかし、彼らが家族という、もっとも人間らしい営みにおいて、人間として生きようとすることの美しさは、誰の心にも深く届くものでもある。
混沌を貫く、「家族」を生きる純真さ、そして「愛」。それが「芸術」として目の前にあることに、大きな喜びを感じざるを得ない。
大島賛都/Santo Oshima
1964年、栃木県生まれ。英国イーストアングリア大学卒業。東京オペラシティアートギャラリー、サントリーミュージアム[天保山]にて学芸員として現代美術の展覧会を多数企画。現在、サントリーホールディングス株式会社所属。(公財)関西・大阪21世紀協会に出向し「アーツサポート関西」の運営を行う。
会期:2023年8月19日(土)〜9月3日(日)
時間:月・木・金曜13:00〜17:00、土・日曜、祝日13:00〜19:00
休廊:火・水曜