近況が気になるあの人に「最近どう?」という軽い気持ちで、声をかけていく本企画。第24回は、世界各国、また大阪を舞台に連作映画などを手がけ、2024年1月27日(土)に最新作『すべて、至るところにある』の公開を迎えたリム・カーワイさんです。
中間にいるということ
大阪のゲストハウスを拠点にしている、マレーシア人の映画監督リム・カーワイをご存知だろうか? 「シネマドリフター(映画流れ者)」を名乗って日本国内はもちろん、アジア諸国、東ヨーロッパまで散歩するように足を運ぶ。そして、世間話のごとく住人から話を聞き、自らと彼らの物語を映画として綴る。
そんなリムさんと筆者との出会いは10年前。近年は、映画祭などで顔を合わせ立ち話をすることはあったものの、しっかりとお話しする機会はご無沙汰していた。公開された新作は、バルカン半島を舞台に展開してきた『どこでもない、ここしかない』『いつか、どこかで』に続く最終章(「バルカン半島三部作」と称される)。東京での劇場舞台挨拶に忙しないリムさんだったが、制作の経緯、またリムさんという監督像についても覗いてみたく、このタイミングにzoomで話を聞かせてもらった。
——まずはリムさん、新作公開、おめでとうございます。東京のイメージフォーラムが全国上映の皮切りとなり、忙しくされている只中だと思います。息抜きはできていますか?
リム:もう、SNSで宣伝ばっかりやっています(笑)。低予算で、配給も宣伝も小規模の映画だと、自分が頑張るしかない。もちろん、スタッフの方もすごく力を貸してくれているんですけどね。でも、もうすぐ旧正月でマレーシアに帰るんですよ。向こうに1週間ぐらい滞在します。
——帰省と言えど、相変わらず国内外を飛び回っているイメージです。
リム:性格的に、同じ場所にずっととどまっていることが耐えられなくて。旅行というより、常にぶらぶらどこかに行くという気持ちですね。何か新しいものと出会うことを楽しみにしているというか。
——それはやっぱり、新しい映画のネタ探しのためなのでしょうか?
リム:そういう場合もありますけど、それがいつも目的にあるわけではないです。映画のネタ探しは、むしろ住んでいる中崎町の徒歩圏内を歩きまわるときが多いかな。そうでないときは、気晴らしに「青春18きっぷ」で鈍行に乗って、あちこち移動しています。
——『すべて、至るところにある』は、リムさんがバルカン半島を訪れて制作した連作の最終章。このシリーズは、現地を旅するなかで出会った人たちとの関わりがもとになっていますが、この地で撮影することになった経緯について、あらためてお聞かせいただけますか?
リム:どこから話しましょう……すこし時間を遡るのですが、2016年に中国で、『深秋の愛』(原題:愛在深秋)という商業映画を撮ったんですね。ただ、公開もされたんですけど、興行としてはうまくいかなかった。そのうち仕事のオファーもなくなり、「これからどうすればいいんだろう」とわからなくなってしまって。このときも気晴らしに、北京からシべリア鉄道に乗って、ロシアを横断することにしたんです。
そして、そのまま東ヨーロッパに渡り、行き着いたのがバルカン半島。訪れる前は、歴史の教科書で「ヨーロッパの火薬庫」と記されているように、戦争が続く不安定な場所というイメージがあったのですが、行ってみたらとても治安が良くて。人ものんびりとリラックスしていて、紛争地域の面影もないほど平和に暮らしているように見えました。でも、ちょっと話をしてみると、やはりみんな戦争体験をしているんですね。過去を経て、これからの新しい人生を前向きに生きようとする彼らの姿は、落ち込んでいた当時の僕に「自分の悩みは大したことではない」と思わせてくれた。そういう出会いが、映画をつくるインスピレーションになりましたね。
——そうだったんですね……。1作目『どこでもない、ここしかない』は、ゲストハウスを経営する現地の夫婦が役として出演する、妻に逃げられた男の物語。『いつか、どこかで』は、マカオ人俳優のアデラ・ソーさんがキャスティングされ、バルカン半島を巡る物語に。そして今作は、彼らが再び登場し、これまでの2作をメタ的に引き継ぐ物語となりましたが、どのように構想していったのでしょう。
リム:実は、元々別のアイデアがあったのですが、コロナでできなくなってしまって。3作目は、アデラさんと尚玄さん(リムさんの連作「大阪三部作」のひとつである『Come & Go カム・アンド・ゴー』、また『あなたの微笑み』などにも登場)が出演すること以外は白紙の状態からはじまったんです。ロケハンしながらストーリーを考えて、クランクインの2週間前まで脚本もありませんでした。ただ、尚玄さんが演じる役を映画監督に定めていたので、彼が過去にどんな映画を撮ったかを補説する必要があった。それで、僕の過去作をそのまま使えば、著作権もクリアできるなと。だったら、メタ構造にしたら面白いんじゃないか?と、三部作の完結編として、「絶対にこれだ」と思ったんですね。
——時勢も踏まえた必然性があったわけですね。リムさんは映画のなかに、その時々で関心のある社会的な事柄を、さりげなく盛り込んでいらっしゃるとも思います。今回は、コロナのパンデミックと、セルビア・クロアチア語で「記念碑」を意味する巨大建造物「スポメニック」が象徴的でした。
リム:そうですね。尚玄さん扮する映画監督のジェイは、コロナと戦争によって、どんどん自分を見失っていく。映画の冒頭で、彼がスマートフォンに向けて独白するシーンがありますが、そのセリフは当時僕自身が考えていたことです。
ここまで長引くとは思わなかった
戦争がますますひどくなる
沢山の人々が毎日死んだりする
自分は役に立たない人間だ
人生の目的が分からなくなった(『すべて、至るところにある』より/登場人物である映画監督ジェイの独白のセリフ)
また、スポメニックは戦争の傷跡を物語るものとして、特異な形をその地に残し続けています。そして、人々を見ると、爆弾が落とされた過去があっても、みんな喫茶店に集ってコーヒーを飲んでいる。直接的に戦争には触れていませんが、戦争後にその土地に生きる人がどのように暮らしているかにも興味がありました。
——苦悩する映画監督の姿を描きながらも、重苦しくせず、軽妙さを大事にされているようにも感じられました。
リム:僕はプロパガンダ的な表現があまり好きじゃないんです。もちろん、物事に対して問いや主張をもつことは大事です。でも今、世界が分断している。それはやはり、相反する立場が、両極にまで行ってしまっているせいじゃないかと僕は思っていて。それを現実と受け入れるか、あるいは両極にあるふたつを融合するのか。僕もよくわからないですけれど、その模索の過程は、自分の映画にも反映されていると思いますね。
——リムさんが名乗る「シネマドリフター」の「ドリフター」は、「流れ者」を意味します。その土地に住む人がいる一方で、そこに訪れる部外者もいるわけで、ドリフターって、立場の中間を行き来できるメリットがあるのかなと。その“中間にいる”ということが、リムさんの生き方なのかなと思ったんですけど、どうでしょう。
リム:それは僕自身の背景にもあるかもしれません。僕、マレーシア人ですけれど、日本に留学して、日本で働いて、そのあと中国にもいたんですよね。そして、また日本で映画を撮っている。だから、マレーシアに帰っても、なんだか「マレーシア人」という感覚とも違うんですよ。常に自分がどこにいるかわからない。流れ着いて、ちょっと向こうの人になれるときも、なれないときもある。それは僕のポジションなのかもしれません。
——ちなみに、「シネマドリフター」と名乗るきっかけは、なんだったんですか?
リム:中国に「北京ドリフター」という固有名詞があるんです。国土は広いけれど、芸術とかビジネスとか、何かやりたい人はみんな北京に行く。僕も北京ドリフターのひとりですね。それから、日本には鈴木清順監督の『東京流れ者』(英題:Tokyo Drifter)もあります。でも、僕はある場所に限らず、どこに行っても映画を撮りたいから、そうすると「シネマドリフター」と呼んだ方がいいなと。映画という国籍に住んでいる流れ者。
——かっこいい。僕、リムさんの作品を観ながら思うんですけど、“伏線が回収されて気持ちいい”というような、いわゆる「よくできた物語」も避けていませんか?
リム:おっしゃる通り。映画は90〜100分ぐらいの長さのなかに、起承転結があるのがオーソドックスですよね。僕もそういう映画は大好きですよ? むしろ撮りたいぐらい(笑)。でも、自分がつくっているのは、基本的には低予算、限られた条件で手がける自主映画なので、一般的なフォーマットに乗っかるよりも、ズレがあった方が面白いじゃんっていう。
——人間は、そんな簡単に起承転結にはまらないだろうと。
リム:それもあります。やっぱり観る人が自由に受け取れる、与えられた結末ではなくオープンな、みなさんに想像してもらえるような物語が好きですね。
——すごくベタな質問ですけど、今リムさんは何をつくっていると思いますか? 「映画だよ!」という話ではあるんですけど……。
リム:映画をつくることは、たぶん、モニュメントをつくることとあまり変わらない。僕はやっぱり、映画はお客さんに観てもらって完成すると思っています。誰も見てくれなかったら、モニュメントをつくってもあまり意味がない。 何かをつくって残すということは、そういうことかなと思いますね。それと、今までつくってきた映画は、もう全部、世の中に対する自分の考え方そのもの。自分で撮る題材を見つけて、自分でお金を集めて制作するとなると、結局自分が一番興味があるものしか撮れないんですよね。そう考えると、映画をつくるということは、生きているという証と言い換えてもいいかもしれない。
——そう聞くと、なんとなくリムさんは、大阪に根ざしたアーティストという感じがしました。大阪って、東京みたいに商業の大きな業界がすぐ隣にあるわけでもないし、コネをもつためとかとかでなく、生きることがそのまま表現のベースになっている人が多いというか。自分の生活があって、その先に表現がある。その活動の延長で、バルカン半島まで行ったりもする。今日お話ししながら、そんなふうに思いました。ということで、またご飯でも。
リム:そうですね、ぜひ大阪で。
2024年1月31日(水)、zoomにて収録
(取材:西尾孔志、鈴木瑠理子[MUESUM])
リムさんの最近気になる〇〇
技術=AI
最近AIがめざましい発展を遂げていますが、いつの間にか人類がAIに支配されるのではないか……と心配しています。決して冗談ではなくて、ネットの情報やSNSに夢中になっている我々は、実はすでにAIに洗脳され、思考能力を失いはじめているのではないか。ネットとSNSを切り離し、アナログ的な生活を実践する必要性があると思うようになった今日この頃。
『すべて、至るところにある』
英題:Everything,Everywhere
エヴァは旅先のバルカン半島で、映画監督のジェイと出会う。その後、パンデミックと戦争が世界を襲う。ジェイはエヴァにメッセージを残し、姿を消してしまう。エヴァはジェイを探しに再びバルカン半島を訪れ、かつてエヴァが出演した映画が『いつか、どこかで』というタイトルで完成していたことを知る。セルビア、北マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナでジェイを探す中で、エヴァはジェイの過去と秘密を知ることになり…。
出演:アデラ・ソー(蘇嘉慧)、尚玄、イン・ジアン(蔣瑩)
監督・プロデューサー・脚本・編集:リム・カーワイ
撮影:ヴラダン・イリチュコヴィッチ
録音・サウンドデザイン:ボリス・スーラン
音楽:石川潤
宣伝デザイン:阿部宏史
配給:Cinema Drifters
宣伝:大福
2023|日本|カラー|DCP|5.1ch|88分
©cinemadrifters
『すべて、至るところにある』上映
期間:2024年3月16日(土)〜
会場:シネ・ヌーヴォ
※3月23日(土)からはシネ・ヌーヴォXで上映
料金:一般1,800円、シニア1,200円、会員・学生1,100円
※上映スケジュールの詳細はこちらから
※オンラインチケットはこちらから
関連イベント
『すべて、至るところにある』公開記念
『どこでもない、ここしかない』『いつか、どこかで』上映
日時:
2024年3月20日(水・祝)
15:30『どこでもない、ここしかない』
17:25『いつか、どこかで』
会場:シネ・ヌーヴォ
料金:一般1,500円、シニア1,200円、会員・学生1,100円、高校生以下・ハンディキャップ1,000円
※オンラインチケットはこちらから舞台あいさつ
日時:
2024年3月16日(土)
19:10『すべて、至るところにある』上映後2024年3月20日(水・祝)
15:30『どこでもない、ここしかない』
17:25『いつか、どこかで』
19:10『すべて、至るところにある』
いずれも上映後ゲスト:リム・カーワイ(映画監督)
会場:シネ・ヌーヴォ